36話 近所の人がやって来た
――アネモネと一緒にガリ版刷りをした次の日。
朝起きて飯を食う。今日からミャレーが住人として増えたので一気に騒々しくなった。
俺とアネモネなら、あまり話さないからな。
ミャレーも俺たちと一緒に牛乳を掛けたグラノーラを食べている。
「街の住民は俺がいなくなって何か言ってたか?」
「ウチは、ケンイチの家が無くなっているのを見つけて、すぐに追いかけてきたので解らないにゃ」
「本当に着の身着のままでやって来たのか。行き当たりばったり過ぎるだろ」
「獣人は、こんなもんなのにゃ」
ミャレーは口の周りを牛乳だらけにして返答した。
「自分で、それを言うのか」
1人でもサバイバルは出来るし、弓を持っているから狩りも出来る。
フラリと旅へ出ても何も困らないわけか。だが彼女のサバイバル能力は当てに出来る。強力な助っ人になるだろう。
「狩りをしてくれるなら、シャガの時に使った弓を貸してやるよ」
「あの凄いのにゃ?」
「ああ」
「あれがあれば、デカい獲物も捕れるにゃ」
「無茶はするなよ」
彼女の話では通常デカい獲物は複数人でパーティを組んで行うと言う。
デカい獲物を捕っても人数がいないと処理も出来ないし運べない。だが俺には、どんなデカい物も飲み込むアイテムBOXがある。
彼女が仕留めた所へ行き、アイテムBOXへ入れて街へ運べば良い。
飯も食い終わったので絵本の製本を行う事にした。
さて、どうやって製本するか、それが問題だ。表紙を入れて12枚刷るのだが、それを真ん中で折って袋とじにする。
見開きに絵と文章が入る構成になる――コピー同人誌みたいにホ○キスか? いや、この世界でホチ○スは拙いだろ
後は、糸と針で縫うか――面倒だな。
こういう時は、なんでも揃っているシャングリ・ラを検索してみる。
「あった!」
製本機というのが売ってるじゃないか。こいつを買ってみよう――5000円だ。
ガリ版刷りのセット7000円と合計で1万2千円の出費だが、これは先行投資だ。
本を小四角銀貨1枚(5000円)で10冊売れば5万円になり、すぐに投資は回収出来る。
機械には100Vが必要なので、モバイルバッテリーをアイテムBOXから取り出して、電源プラグを接続――そして予熱ボタンを押す。
予熱が完了したら、原稿を纏め本の背中を下にして機械へ投入する。これで熱で溶けた糊が、本の背中を固めてくれるようだ。
しばし待つ――ブザーが鳴れば製本完了らしい。
糊を加熱しているので冷却が必要なようだが、冷やした後――本をペラペラと捲ってみる。
「おおっ! 本になってるぞ!」
「見せて! 見せて!」
アネモネが俺から受け取った本を喜んで捲っている。
「要領は解った、ドンドン作るぞ」
「次はウチのにゃ!」
纏めて投入できるようなので、合計12冊を製本機へ入れ加熱した後、製本は完了だ。
だが、本の縁がちょっと凸凹しているなぁ――これを裁断機で切り揃えなければならない。
「そうか裁断機もいるか」
裁断機を検索すると6000円だ。これで初期投資は1万8千円になってしまったが、本が売れれば回収は出来る。
「ポチッとな」
ドスッ! ――という音をたててフローリングに裁断機が落ちてきた。
「それ、知ってるにゃ! ワラを切るやつにゃ!」
ミャレーの話では、ワラを裁断する刃物にそっくりだと言う。なるほど、そういえばそんな器具をTVか何かで見たことがあるな。
背中に目隠しの紙を貼ると、裁断機を使って背中や上下を切り揃える――これで本が完成だ。
「よっしゃ! 出来たぞ、全部で12冊だ」
「わぁ~い!」
「にゃ~!」
自分達が作った本にアネモネとミャレーは大喜びだ。
「アネモネ、これ何て書いてあるにゃ?」
「むかし ふかいもりのおくに うつくしい エルフが すんでいました」
文字は当然この世界の文字だ。
「にゃ~! アネモネは字が読めるのにゃ。凄いのにゃ」
「えへへ」
アネモネはミャレーに褒められて得意気である。この世界の寓話を集めたり、元世界の話をこちら風にアレンジするのも面白いかもしれない。
製本に夢中になっていたので、時間はすでに昼近く。
出来上がった10冊の本と製本に使っていた道具をアイテムBOXへ収納して外へ出た。
外は良い天気である。日差しは燦々と降り注ぎ、空は青い。
さて、本も一段落したので畑仕事でもするか。家の近くに置いた芽出しポットの苗がいい感じに育っているのだ。
「今日は苗を植えるかな」
昼飯を食う前に芽出しポットを畑に運ぶと畝を作り、マルチを貼る。
マルチの切れ込みに苗を植えていると、湖から1艘の舟がやってきたのが見えた。
櫓を使った細長い舟で男が3人乗っている。1人は鼻のまわりが黒いシャム柄の獣人だ。
全員、粗末な丈の短いズボンと麻のシャツを着ている――武器は持っていないようだが……。
俺は咄嗟に、アイテムBOXからクロスボウを取り出した。
「誰だ! 何の用だ!」
叫んだ俺に、無精髭を生やした男達が驚いたように反応した。
「待て待て! 物騒な物を下ろしなよ。 俺たちゃ、あそこの村の住民だ」
リーダーらしき、黒い頭でちょっと長めの髪を後ろで結んでいる男が、左手にある漁村を指さした。
男達は全員30代といったところか――獣人の歳は、よく解らんが……。
「俺は商人だが、ここに住んじゃダメって決まりでも無いんだろう?」
「そりゃ、そんな決まりは無いが、野盗でも住み着いたら大変だからって、村長に見てこいって言われてな。それで見にきたんだ」
「なんだ、こんな所に家が出来てるじゃねぇか。いつの間に作ったんだ?」
後ろにいる男が呟いた。
「もう一度言うが俺は商人だ」
首から下げた金属棒――商人の証を見せる。
「何故、商人がこんな場所に?」
「街で揉め事に遭ってな」
「揉め事?」
「ああ、良い物を安く売ってたら、大店がチンピラを使って脅しを掛けてきやがった」
勿論、大嘘です。
「ああ、よくある話だ」
「その、よくある話で面倒になり、ほとぼりが冷めるまで、ここに住む事にしたってわけだ」
「事情は解った」
外の異常に家の中に居たミャレーも気がついたのだろう。弓を手に持って玄関から飛んできた。
「待て、ミャレー。敵じゃないみたいだ」
「本当かにゃ?」
「獣人の女もいるのか?」
「ああ」
心配なのか、玄関からそっと顔をだして、アネモネが覗いている。
「危ないから家の中に入ってなさい!」
俺の声を聞いて、玄関の扉がパタリと閉じられた。
「子供もいるのか」
アネモネの姿を見たリーダーらしき男が驚きの表情を見せる。
「まぁな」
――その時、森から出てきたベルが俺たちの間に割って入った。異変に気づいて、朝のパトロールから戻ってきたのだろう。
「なんで森猫が!」
「彼女は俺たちの仲間だ」
「森猫が?」
「そのとおりだ」
そう言って、ベルの背中を撫でると彼女が俺に身体をすり寄せてきた。
「クロトンよ。オイラは、この旦那の言う事を信じるぜ。森猫が懐いている人間が悪人のはずねぇ」
後ろに控えていたシャム柄の獣人がリーダーらしき男に耳打ちしたのが聞こえた。獣人は声がデカいので耳打ちになっていないが。
「お前が言うんだから間違いは無いんだろう――疑って悪かった。俺は、あそこのサンタンカのクロトンだ」
クロトンという男が頭を下げた。
「商人のケンイチだ。宜しくな」
「商人っていうぐらいだから、何か売ってるんだろう? 何を売ってるんだ?」
「今はあらかた商品が捌けてしまってな、大した物は残ってないんだが――何が欲しい?」
「毛布がボロボロになってしまってなぁ。家族に新しい毛布を買ってやりたい」
「ちょっと待っててくれ、持ってくる」
アイテムBOXから出すと、また噂が広まるからな。すぐにバレるかもしれないが一応念のため。
家に走っていくと、すぐにシャングリ・ラから一番安い2000円の毛布を買い、戻るとそれを見せた。
「これで良いか? 銀貨一枚(5万円)だ」
元世界の感覚だと高いのだが毛布の相場はこのぐらいだ。なにせ全部手織りだからな。
街で商売して、おおよその物価は把握している。
ムシロみたいな粗末な物でも、この世界では、それなりの値段がするのだ。
「これはえらい上物だが――新品か?」
「そうだ」
「ううむ……」
5万円となると、中々出せない金額だろう。しばらく悩んでいたクロトンという男が切り出した。
「毛布もそうだが――実は娘の誕生日が近くてな、何か良い物はないか?」
「誕生日の贈り物か……それは重要だな。下手な贈り物をして、お父さんなんて嫌い! ――とか言われたら大変だ」
「その通りなんだよ。中々、難しい年頃でな……」
男がやるせなさそうに頭を掻いている。お父さんは大変だぁねぇ。
「ふむ……そうだ!」
俺は後ろを向くと、彼等から見えないようにアイテムBOXから作ったばかりの本を取り出した。
「本なんかどうだ? 文字の勉強にもなるぞ? 薄い本だが小四角銀貨1枚(5000円)だ」
「小四角銀貨1枚とは安いな――森のエルフ」
男は本を手に取ると、タイトルを読んでみせ、パラパラとページを捲っている。
「字が読めるのか?」
「ああ、これでもアストランティアで役人をやっていたんだ」
「なんで役人が、こんな辺鄙な漁村――いやすまん」
「まぁ確かに辺鄙だな。理由はあんたと同じだよ」
「ははぁ――同じ街落ちした、よしみだ。毛布を買ってくれるなら、その本を付けてやるが」
「良いのか? よし! 買った。 金は明日持ってくるから、その時に毛布をくれ」
高価な買い物を決断したように、男は手を打った。
「解った」
取引成立だ。元役人だけあって、話が常識に沿って進むのが良い。トラブルにならなくて良かった。
田舎から一歩も出たことがない人間だと、妙に排他的だったり、地方独特の偏見に凝り固まってたりするからなぁ。
そういう俺の思考も偏見なのかもしれないが。
後ろにいたシャム柄の獣人がミャレーに色目を使っているのだが、彼女は手で追い払うような、つれない仕草をしている。
男達と別れ、舟が離れていくのを見届けると、家の中に入った。
カモフラージュネットを掛けた太陽電池パネルには、何やら変な顔をしていたが質問はされなかった。
擬装の効果は、それなりにあるようだ。
「大丈夫だった?」
アネモネが心配そうに話しかけてきた。
「ああ、近所の村の人達だったよ。悪い人が越してきたりしたら困るから、見にきたらしい」
「失礼しちゃうにゃ! こっちには森猫がいるのににゃ」
「普通の人間達に森猫の加護は通じないだろう。それにしても獣人の男に冷たすぎだろ? 同じ種族じゃないか」
「獣人の男はもう懲り懲りだにゃ!」
ミャレーは口をへの字に結ぶと、腰に手を当てて尻尾をブンブン振っている。
イライラすると、この尻尾の動きらしい――貧乏揺すりみたいなものか?
「ニャケロ達は、そんなに悪い奴等とは思わなかったが……」
「酒を飲まなきゃ我慢できるけど、酒を飲まない獣人の男はいないからにゃ」
彼等が酒を飲む度にやらかす不始末の尻ぬぐいに嫌気が差したのだろう。俺と一緒に河原で飲んでいた時も、川で溺れたりしてたからな。
「確かに、そんな感じだな」
「ケンイチは飲まないから良いにゃ」
「俺は、基本的に飲まない人だからなぁ。夜に飲んでしまうと勉強とか出来なくなるし」
「ケンイチは大人になっても勉強するの?」
アネモネの疑問ももっともだ。
「人間は一生、死ぬまで勉強だよ。力が無い人間でも知恵を付ければ強者に対抗出来るようになるからな」
「うん」
「獣人は頭が悪いからにゃ~」
「獣人だって狩りの仕方とか色々と考えるだろ? それと一緒だよ」
「そうかにゃ~」
どうも獣人達の狩りは学習というよりは、本能に近い感じもするが。
「もっといろんな人が勉強が出来るように学校を沢山作ってくれれば良いのに……」
「民が賢くなると、王侯貴族の地位が危なくなると思ってるんだよ」
「それはそうにゃ。ケンイチみたいな凄い奴が一杯街にいたら、貴族なんて要らないにゃ」
「いや、要らないってことはないと思うが……」
昼も近くなったので、軽く昼飯を食う事にした。
飯を食いながら、ダリアでの噂話について尋ねてみる。
「ミャレー、ダリアの街で何か変わった噂は無かったか?」
獣人は耳が良いからな。普段からくるくる耳を回して、周囲の会話を聞いている。
「にゃ! マロウの娘がウチ等と一緒に戦った男爵様から求婚されたって話は流れてたにゃ」
「えええっ!? そりゃ、めでたい。うん、俺みたいなオッサンより、そっちのほうが全然良いじゃん」
「しかも騎士爵から男爵になったにゃ。玉の輿にゃ」
「そうだよなぁ。しかも正式に求婚されたってことは、正室になるって事だろ?」
普通、貧乏領の貴族のお相手は、同じ下級貴族の娘とか領内の実力者――例えば庄屋の娘などが多い。
「多分、そうにゃ」
なんで、そんな噂が流れるのか? ――それは、そういう噂を先行して流して断りにくくするためだ。
つまり既成事実化を狙っている。ここにはマスコミが無いから、よく使われる手だと言う。
婚礼の儀があったら参加したいぐらいだが――それも、もう叶わないが。
飯を食い終わった後、橋を渡ってミャレーと森へ入る。植物探しをしてみるためだ。
使い捨てのゴム手袋を付けて、目についた植物を片っ端からアイテムBOXへ入れていく。
ゴム手は念のため、触っただけでヤバい植物って意外と多いからな。
漆とかイラクサとか、カエンタケとか。全草毒だと切った時の汁がヤバい事もあるし。
キョウチクトウだと周囲の土壌まで毒になるって話だしな。そんなのが庭先に普通に植えられているのだが、意外と怖い。
ベラドンナとかトリカブトとかエンゼルトランペットとか植物毒ってのは結構多い。
野菜だってジャガイモの芽なんて食ったら死ぬぐらいヤバいしな。
アイテムBOXへ入れた植物達、ただの雑草は――【雑草】としか表示されないが――【青露草】のように名前が表示される物がある。
元世界のように、わけの分からない植物まで名前が付けられて分類されている方がちょっと異常。
この世界で名前が付いているということは、これ等には何らかの理由で名前が与えられているはずだ。
名前が表示される物をチェックして、集めていく。
これを、ギルドへ持ち込んで鑑定してもらえば良い。
一度聞けば、どんな役に立つ植物なのか、毒なのかが解るだろう。
この世界の植物図鑑等があれば良いのだが――あっても印刷技術がない世界だ。おそらくとても高価な物だろう。
俺が植物採取していると、ミャレーが背中に抱きついてきた。
「こらこら、草採ってる最中だから」
「にゃ~ん、ここならアネモネもいないにゃ~」
仕方なく、喉を撫でてやるとゴロゴロと喉を鳴らしている。
彼女は短いスカートを下ろすと大木に手を付き、丸く美味しそうな尻を突き出し尻尾をくねらせ、俺を誘っているのだが――。
しかし、大自然の原生林の真っ只中、木漏れ日が降り注ぐ中で青姦かぁ――それがスローライフなのか、否か? それが問題だ。