19話 井戸を掘れ
――翌日。
朝起きる。眠気眼で天井を見ると、いつもと景色が違う――梁に何かいる……。
「……ん?」
何だか解らんので目を擦って焦点を合わせようとする。黒い物体が白い帯を巻いているのが見えるのだが……。
目を凝らすと、それはエリザベスカラーを首に巻いた森猫だった。
いつも彼女が寝ていた場所を見ると当然そこにはいない。猫缶を開けた皿は綺麗に全部平らげられていた。
「飯が食えたのか? そんな所に登れたということは元気が出たのか?」
人語など理解出来ないと思ったが、とりあえず話し掛けてみる。
俺を襲うつもりなら、もうとっくに殺られているだろうから彼女に敵意は無いはずだ。
それに、ミャレーは森猫が人間を襲う事はない――と言っていたからな。
「うげっ!」
森猫が俺のベッドの上へ飛び降りてきた。30kg程もある大型の獣に乗られたので、かなりの衝撃だ。
「にゃ~ん」
彼女は俺の顔に頭をスリスリしてくる。こんなにデカくても鳴き声は猫なのかよ。だが……尖った耳がピンと凛々しく、ピコピコ動くのは結構可愛い。
喉を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らすのも猫と一緒だ。
そして俺の顔をじっと見てくる。なんとなく言いたい事が解った。エリザベスカラーを取ってほしいのだ。
首に巻いた白いカラーを取ってやると、彼女はベッドから飛び降りて玄関まで行き、ドアをカリカリと前足で引っ掻き始めた。
この仕草もなんだか猫っぽい。おそらく外に出たいのだろう。
ベッドから降りてズボンだけ履くと、玄関まで行き鍵を外してドアを開けた。
森猫は左右を確認、大きな耳をクルクルと回して辺りを警戒すると、ゆっくりと慎重に歩みを進める。
少し歩くと回りを警戒して、また歩く――そして柵を飛び越えると彼女は暗い森の中へ消えていった。
まだ、ちょっとフラフラしているみたいだが、あのぶんなら大丈夫だろう。元気になったようで良かった。
俺が出来るのは、ここまでだ。達者で暮らしてほしいものだ。
------◇◇◇------
朝飯の後――。
今日は露店を出す日なのだが、サボってしまった。サボって何をするのかというと井戸掘りだ。
場所は家の左前。重機を使う予定なので、場所を確保するために柵を分解してスペースを作った。
まず重機――パワーショベルを使って2m程穴を掘る。開いた穴から掘り始めれば、その分時間が節約出来るだろう。
井戸が掘れたら周りを埋め戻せば良い。
もっと広く掘ってスロープを作り、パワーショベルを穴の底へ入れるようにすれば更に下まで重機で掘れるが、そこまでする事もない。
井戸掘りの本によると水が出る地形は――土――粘土――砂――粘土――という感じになっていて、砂のところに水が溜まるらしい。
パワーショベルで穴を掘ると森の腐葉土が50cmぐらいで、その下は粘土だった。
粘土の下に砂の層があれば、ここでも水が出る可能性が高いという事だ。
何事も経験だ。ここで水が出なくても、他の場所に移転した時に井戸が掘れるかもしれないからな。
意を決して穴掘りドリルを買う――3万9千円也。ドリルの長さは1m、直径10㎝だ。
こんな狭い井戸では釣瓶を使う事は出来ないが、ポンプを使って汲み上げるので、そのスペースだけ空ければ良い。
エンジンは2ストなので草刈機と同じ混合燃料が使える。燃料を入れて、チョークを使ってリコイルスターターを引っ張ると一発で始動。
とりあえず掘ってみる――が、手で持って使うのは大変だと解ったので、ブロックを積み上げ、そこにドリルを設置して手で押さえるように改良した。
最初の1mは簡単だったが、延長棒を次々と足していくと徐々に難易度が上がってくる。
穴を掘るのも継ぎ足し継ぎ足し、土を掻き出しドリルを上げるのも何回も分解が必要で凄く手間が掛かる。
ここで問題が起きた。引き上げたドリルに付いた土を取るのが意外と大変なのだ。
その土を吹き飛ばすために、シャングリ・ラで高圧洗浄機を購入したのだが――パワーショベルで掘った穴の中では使えない。
スペースが無いし、使えば穴の中が水浸しになって泥濘んでしまう。
一々、汚れたドリルを穴の外へ持ちだして、高圧洗浄機を使わなければならない。俺はパワーショベルで穴を掘った事を少々後悔した。
だが掘ってしまった物は仕方ない。換えのドリルを4本追加購入して、次々と交換していく作戦に出た。
土に塗れたドリルが溜まったら、アイテムBOXに入れて地表へ持ち出して高圧洗浄機を使えば良い。
苦労しながら4m程掘ると砂の層にぶつかった。ドリルを引き上げると砂が濡れているのだ。
「これなら水が出るかもな」
砂の層を掘り進めるのは簡単だ。どんどんと刃が進んでいき、1m程でまた粘土の層にぶつかった。
これは、まさしく井戸の本に書いてあった水が出る地層に合致する。
これで水が出るかというと、そうでもない。砂を掻きだして地層の内部に空間を作らないと、どんどん砂で埋もれてしまう。
ドリルでは砂を掻き出す事は出来ない。すぐに下に溢れ落ちてしまうからな。
砂を外へ出すために道具を考えて作らなければならない。
――しかし飯も食わずにやっていたが、辺りはすでに暗くなりつつある。今日はここまでにして残りは明日にするか……。
その日の夕方はカレーにした。
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――次の日。
ここまでやってしまったら井戸が完成するまで露店は休みだ。
井戸の中の砂を汲み上げる仕組みを作るため、シャングリ・ラで塩ビ管を購入――それを改造して先端に鉄板製の弁を付けた物を製作した。
先端を斜めに切った塩ビ管を穴に押し込むと、砂がどんどん内部に入っていく。それを引き上げる時には先端の弁が閉じるので、管の内部に溜まった砂を穴の外へ出すことが出来る。
管の中には同時に水も入ってくるので、水抜きの穴を6mmのドリルで沢山開ける事にした。
しかし、以前買った玩具のような電池式の電動ドライバーでは完全にパワー不足。本格的な18Vの充電式電動ドライバーを購入した。
塩ビ管の連結には、はめ込み式のアタッチメントを使うが、文字通りはめ込むだけなのでそのままでは抜けてしまう。
だが接着剤を使ったのでは、分解が出来なくなる。
そこで、アタッチメント部に電動ドリルで穴を開け、ボルトを差し込むことで連結部を補強する事にした。
そして砂を抜く作業が始まると色々と問題が出てきた。
5mの塩ビ管は、その中に濡れた砂が入ってる状態ではかなりの重量がある。入れたり出したりはかなり大変だ。そこで、パワーショベルを使う事にした。
バケットに鈎の付いたワイヤーを括り付け、後端に取手を付けた塩ビ管を引き上げれば良い。
そして、再び井戸へ押し込む時にも、パワーショベルのバケットを使って押せば簡単だ。
ただ、重機は微妙な手加減が出来ない。TVで重機操作の達人が卵を持ったりする映像があったが、素人にそんな真似は無理だ。
慎重にやらないと破損してしまうので注意が必要なので気を使う。
土の中で管が折れたりすれば取り出すのに苦労しそうだからな。ひょっとすると取り出し不可能になってしまうかもしれない。
せっかく、ここまでやったんだ、それは避けたい。
パワーショベルで長い塩ビ管を引き上げると中に溜まった水が滴り落ちる。管を地表に横倒しにして高圧洗浄機を使い内部の砂を吹き飛ばす。
掘った井戸から溢れた水で、あっという間に穴の中が水浸しだ。膝の下まである長靴を4500円で購入して水に備える。
穴の中は、すでに泥濘んでグチャグチャ、このままでは作業がままならない。
そこで、コンパネを購入し井戸の回りに敷いて足場を作った。これなら、なんとかなる。作業が終わったら、このまま埋めてしまえば良い。
昼前に作業を始めて――15回程、砂を引き上げると塩ビ管の中に砂が入らなくなった。
そのまま塩ビ管を井戸に挿入したままにし、穴が崩れるのを防止するための枠にする。普通の井戸は石組みを使っているが、それを塩ビ管で代用しているわけだ。
井戸の先端から飛び出た塩ビ管を延長しながら、パワーショベルを使って穴を埋め戻す。この重機には排土板も付いているので、土を均す作業にも使える。
苦労の末、なんとか井戸が完成した。
地表にはカタピラの跡が付いているので、ちょっとアレだが……後で綺麗にしよう。
しかし井戸といっても、この世界にある普通の井戸とは趣がかなり違う。地表に塩ビ管の先端が出てるだけだ。
この管に連結した細い塩ビ管を挿入して、水を電動ポンプで組み上げるわけだが果たして上手くいくのか?
だが、ここまでやって日が暮れてしまった。残りのポンプを繋げる作業等は明日だ。
物事を始めてしまうと続きが気になって仕方ない性格なので、どうしても一気に作業をしがちだ。
我ながら飯を食わずに、よくやると思う。まぁ腹が減るので、スニッ○ーズやら、S○YJOY等を齧りながら作業をしているのだが。
さて夕飯だが――シャングリ・ラを見て悩んだ後、餃子を食う事にした。
【専門店の餃子48個入り1200円】というのが売っている。評価欄を見ても、ユーザーの評価も高いようだ。
「これにするか……」
カセットコンロで焼いた餃子を20個程、中華スープと一緒に食べた――中々美味だった。
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――次の日、いよいよ、ポンプを接続する。
試しに発電機をアイテムBOXから出して、以前買った安い電動ポンプを使ってみたのだが、全然バワー不足で7mの底から揚水出来ない。
「こりゃ本格的な井戸ポンプが必要だな」
シャングリ・ラを検索すると、井戸専用のポンプが何種類か売っている。外に設置するので、プラ製のカバー付きの物を購入する事にした。
――よく一緒に購入されている商品という項目に、井戸用砂取器というのが載っている。
確かに砂の層から汲み上げているのだから、砂が混じるかもしれないな――ここは買ってみるか……。
同時に購入して、ポンプと合計で5万円也。
シャングリ・ラで購入したコンクリブロックを積み上げて、位置を調整しつつ塩ビ管と砂取器を接続する。
ポンプから曲がり管等を駆使して、地上から50㎝の高さに水の出口を下向きに付けた。
そこから青いビニールホースを切った物を垂らす。ここが蛇口になるわけだ。
早速、アイテムBOXからポリタンクを取り出して、ポンプの試運転を兼ねて水を出してみる事に。
ディーゼル発電機のコンセントにポンプを接続して、スイッチオン!
だが、ブーンという音は鳴っているが、待てど暮らせど一向に水が上がってこない……。こりゃ、なにか失敗か? 井戸の中には水は溜まっているはずだが。
ポンプの説明を読む――呼び水が必要だと書いてあるな。
「なるほど……」
パイプの中に水が入っていないので、羽車が空回りしているわけか。それと、出口を閉じて、管内部の負圧を上げないと、水が上がってこないらしい。
ポンプの上のプラ製カバーを外すと、水をいれる場所があるので、そこへ呼び水を入れた。
水の出口には蛇口をつけようと思ったが、とりあえず青いホースに詰め物として濡れたタオルを押し込んでみた。
「よっしゃ、再度挑戦。 スイッチオン!」
モーターが回り、すぐに水が上がってきた。
「お! 来た来た!」
慌てて青いホースをポリタンクの中へ突っ込んだ。
これで風呂への水入れが捗るぜ――いや……待て待て、せっかくポンプが繋がったんだ。
ここから塩ビ管を分岐させて、ドラム缶風呂へ直接水が入るようにすりゃ良いんだよ。うん、そうしよう。
一旦塩ビ管をバラし、最初に作った出口にはバルブを付け途中から分岐を作ると風呂へと管を延ばす。
距離は約5mだ。問題は無いだろう。
風呂の裏側からドラム缶風呂の中へ水が入るような経路に塩ビ管を組み立ててみた。
完成してポンプを動かすと、塩ビ管から水がドラム缶の中へ注ぎ込まれる。
元世界の水道のように圧力は掛かってないので、勢いよく出る事は無いが、黙っていても水が溜まる。
その間に他の作業が出来るのは大きい。水位センサーでも置いてブザーが鳴るようにすりゃ良いのだ。
もっと自動化するなら、ブザーの電源でリレーを駆動して、ポンプの電源が落ちるようにすりゃ良い。
いいね、そういうピタゴラスイッチ的な物は大好物なんだよ。回路とか仕組みとか考えているだけで1日過ぎてしまう。
我ながらパラノイアだ。
シャングリ・ラを調べると、風呂用の水位センサーが2000円で売っている。
センサーを設置してから早速、風呂に入ってみよう。
塩ビ管からドラム缶へ注ぎ込まれる水に手を当ててみる。
「冷たい!」
そう、井戸水は冷たいのだ。この冷たさに、ガキの頃、川で泳いだのを思いだす。
下流は田んぼの農薬やら、生活排水等の大腸菌で危険なので上流へ行くのだが、山側へ行くほど水が冷たい。
湧き水などは脚が浸けていられないぐらいに冷たいのだ。真夏に川で泳いでいてもすぐに唇が紫色になって、ガタガタと震えが止まらなくなるのだ。
井戸を掘ったが、これを飲水に使うつもりはない。飲水にはシャングリ・ラで売ってる○○の美味しい水があるからな。
あれなら間違いなく安全だし。街の住民が水を浄化するのに使う水石という物を使えば、飲料水にも問題無いと言うのだが……。
実際に俺が泊まった宿屋でも利用してたみたいだしな。
そうそう浄化槽を作るために、水石も道具屋の爺さんの所で買ってこないとな。
いやぁ色々とやる事があるな。でも、スローライフっぽくなってきたかな?
発電機とポンプが剥き出しなので板を丸のこで切って犬小屋のような小さな囲いを作った。
雨もそんなに降らないようなので、このぐらいでも十分だろうし屋根には一応防水シートも貼ってある。
このディーゼル発電機は井戸のポンプ専用にして、家用の発電機はもう少し良いガソリン発電機にしよう。
地面に走っている塩ビ管も目立つ。雰囲気をぶち壊している感が強いので木の板でカバーを作って隠した方が良いかもな。
地中に埋めるという手もあるが――さすがにそれは少々面倒臭い。
それに例えば――何かトラブルを起こして、この場所から立ち去らなければならなくなった時に撤収に時間が掛かってしまう。
それにしても色々と考えて作るのは楽しい。これを商売にしたら大変なんだろうけどな。好き勝手も出来ないし。
俺は無名だがプロの絵描きで絵を描くのも好きだが、商売をしていれば気に入らん絵でも描かなければならない時が多い。
そもそも俺の描きたい絵=客の欲しい絵――では、ないからな。
ドラム缶風呂が水で満たされると森はすでに暗くなり始めている。ちょうど良いな。汗をかいたから、ひとっ風呂浴びてから飯にするか。
手を付けていると痺れるぐらい冷たかった水は、時間が経って温くなっていた。
風呂を焚くためにドラム缶の下に作った竈に薪を入れて火を点ける――だが突然、背後から予想もしない声を掛けられて飛び上がった。
「ケンイチさん?!」
聞き慣れた声に後ろを向くと、そこには知っている顔が――白いブラウスと紺のロングスカート姿のマロウ商会の娘、プリムラさんだ。
「プリムラさん? なんでこんな所に?」
「ケンイチさんがお店をしばらく休んでいるので心配していたら、獣人の方に森にいるからと――川の入り口まで案内して頂きました」
ここを知ってる獣人と言えば、ミャレーだろう。
訪問してくれるのは別に構わんのだが――もう暗くなってるぞ? 良いところのお嬢さんが供も連れずにこんな所へ……。
それに、この時間では、すぐに城壁の門が閉まってしまうのだが……。