16話 森の中で彼女を拾う
森の中で暮らし始めて1ヶ月程が経った。
暗い森の中にも慣れたので、少々散策を開始してみる。勿論、迷うわけにはいかないので対策は、ばっちりと練る。
森で迷うのは、延々と同じ景色が続く事で、自分の位置が把握出来なくなるためなのだが――。
その対策は簡単。木の幹にピンク色のペンキのスプレーで印を付けていく。
これだけで、道に迷ってもピンクの印を探して追っていけば、家まで戻る事が出来るって寸法だ。
太い針葉樹の幹に印を残しながら、暗い森の中を散策。シャングリ・ラで買ったデジカメで森の中に咲く花や、珍しい植物の写真を撮りながら彷徨う。
こんな事をして何の意味があるかと言うと、何の意味も無くただの趣味だ。元世界でも同じような事をやっていたので、ただの習慣みたいなもの。
見たことがない美しい花や植物で、アルバムが埋まっていくと楽しいのだ。ゲームのキャラを集めて、コンプリートを目指すような感じによく似ている。
SDカードにセーブしておいて、アイテムBOXに入れておけば保存がきく。
しかし、アイテムBOXに物が沢山入っているが、元世界に戻れるとなったら中の物は一体どうなってしまうんだろう?
やっぱり消滅かな? その前に帰れる感じが全くしないんだが……。
まぁ、元世界でも、ど田舎で似たような事をやっていたので、ここでスローライフをやって暮らしても殆ど同じ事なのだが……。
「おお、こいつは綺麗な花だな」
大きな花弁が美しい。白い花をカメラのファインダーの中に入れる。このカメラもシャングリ・ラで購入した中古の一眼レフカメラだ。
値段は3万円で型落ちだが、これで十分。
暗い森の中ではそのままで使えないので、フラッシュ用のディフューザーを取り付けている。
カメラを構えながら大きな木の周りを回る。すると、木の根本にあった黒い物が動いた。
突然の出来事に俺は飛び上がり尻餅をつき、放り投げられたカメラが腐葉土の上に転がる。
大木の根本にいたのは黒い獣。黒光りする短い毛が全身を覆っている4脚だ。よく見れば、それはデカい猫。
猫と言っても家猫のような可愛い大きさではない。
大型犬並みの体長を持ち、細長く伸びる美しい脚とくねる尻尾、そして頭の上にはピンと伸びる長い三角形の耳――豹、いや山猫か。
全身真っ黒かと思ったのだが――よくよく見れば、黒い中にも薄い虎柄が見える。
呼吸をして腹が動いているので、まだ生きているのだが……ぐったりとして動かない。じっくりと見回すと、左後ろ脚の付け根に怪我をしているようで折れた矢が刺さっている。
「ありゃ可哀想に……なんとかしてやりたいが……」
しかし、こんな大型の獣を触って大丈夫なのか?
噛みつかれでもしたら。一発でアウトなんだが。
それでも、ちょっと触ろうとしたら気が付いたらしく、激しく威嚇されてしまった。威嚇の仕方は猫と一緒だ。
だが最後の気力を振り絞っての威嚇だったのか――それで体力を使い果たしてしまったようで、その後はぐったりとして動く気配が無い。
噛み付き対策として――シャングリ・ラから座布団を買って、腕に巻き付け紐で固定する。
それから獣の攻撃と言えば――狙われるのは首だろう。色々と検索をしてみたが、バイク用のネックガードを購入して肩に掛けてみた。
これで首から肩にかけてをガード出来るから、急所へ噛みつくことは出来ないだろう。我ながら良い考えだと自画自賛してみる。
だが、これでもはっきり言って、超怖い。
犬に噛まれた事があるが――獣に噛まれると、まるで刃物を突き立てられたような深い切り傷になる。
そこに太い動脈があったりしたら致命傷になる可能性が高い。
意を決して黒い獣の後ろ脚に突き刺さったままの矢を引き抜く。
突然の激しい痛みに驚いたのだろう。体を起こして噛みつくような素振りを見せたのだが、すぐにそのままぐったりとしてしまった。
もう、体を起こす体力すら無いと思われ、俺のなすがままだ。
弱肉強食の野生の世界では、こんな怪我をしてしまったのでは他の野獣の良い標的になってしまうだろう。
獣の顔を見れば、そんな事を察してか諦めているような顔にも見える。
矢を引き抜いた毛皮の周りを確認してみる。指先には短く滑らか――黒光りするビロードのような手触りが伝わってくる。
傷口の周りの毛は黒く濡れ、触るとかなり熱を持っているのが確認できる。
「こりゃ化膿しているな」
熱もかなり出ているはずだ。ぐったりしているのは、そのせいだろう。
さて、どうすりゃいいのか?
とりあえす、シャングリ・ラから洗浄用の生理食塩水を買う。プラ製のボトルには細長い口が付いており傷口を洗うのにピッタリだ。
ジャバジャバと食塩水を注ぎ込んで傷口の中まで洗浄した後、アイテムBOXから消毒用のアルコールとティッシュを取り出して、傷口の周りを消毒する。
黒い毛皮なので黒く濡れているようにしか見えないが、傷口を拭いたティッシュが赤く染まる。
あとは薬か……。
シャングリ・ラには薬も売っていたよな。普段見るのは人間用の薬だ。動物、しかも異世界の生き物に人間用の薬が効くのか?
検索してみると動物用の薬も売っている――だが皮膚病や胃腸薬が多いようで、傷薬等は売ってないな。
動物に薬を飲ませるための、針の無い注射器のような器具も見つけたので、カートに入れてみた。
人間用の薬を、ダメ元で使ってみるしかないか……。
使ってダメなら、これ以上俺にはどうする事も出来ない。
シャングリ・ラで抗生物質を検索する。
何件がヒットしたが、あるのは軟膏だけだ。
「化膿止め、グラム陽性菌などに広い抗菌力……これかな?」
元々は皮膚炎の薬っぽいが、売っている抗生物質は、これしか無い。
チューブに入った軟膏を購入して、傷口と黒い毛皮に擦り込む。俺が薬を塗っている間も黒い大猫はぐったりしたままだ。
鎮痛消炎剤としてロキ○ニンを買い、1錠を砕いて水で溶き、さっき買った注射器のような器具で獣の喉の奥へ流し込む。
これで良いのか? 効くのか? 全く不明。
そもそも人間用の薬って動物に飲ませちゃイカンって話があったような気がするが、今はコレしか無い。
とりあえず処置はしたが、ここにこのまま放置しては他の動物の良い餌食になってしまうだろう。
こいつもそれを恐れて、他の獣が少ない森の切れ目の近くまでやってきたに違いない。
しばらく運ぶ手段を思案――生き物はアイテムBOXへ入れられないからな。どうしようか……。
先ずは、シャングリ・ラでキャリアを検索。
元世界で、キャタピラ式のキャリアを見たことがあったので、そいつを探してみたのだが売っていなかった。
だが――ワイルドキャリアという、折りたたみ式で4輪の箱型キャリアが9000円で売っている。
荒れ地に対応した幅広の低圧タイヤを履いているので、これなら腐葉土にめり込んだりしないだろう。
こいつを購入する事にした。
「ポチッとな」
キャリアを組み立て中に茶色の毛布を敷き詰めると――ぐったりとして動かなくなった黒い身体を抱えあげる。
「お、重い!」
腰を落として、なんとか担ぎ上げる――こりゃ30kg以上あるだろう。抱え上げてもキャリアの中にそっといれても、俺のなすがままでピクリとも動かない。
もしかして、もうダメなのかなぁ……。
このまま、ゆっくりと家まで運ぶ――アイテムBOXの中へ入れる事が出来れば、こんな苦労はしなくても済むのだが。
暗い森の中を4輪のカートをゆっくりと引きながら――俺は樹の幹に付けたばかりのピンク色の印を辿りながら、家を目指した。
------◇◇◇------
家まで獣を連れてきてしまったが、これからどうしようか。
犬用のケージを検索してみたが、こんな狭い檻の中に入れるのは可哀想だな。
――かと言って、一緒に部屋の中にいて、寝ている間に噛み付かれたら最後だ。
「う~ん……」
しばし悩む。だが、こいつを家の中に入れて、俺が外にテントを張って寝りゃ良いんだ。
そうと決まったので準備をする。部屋の隅に青いビニールシート。その上に毛布を敷いて、そこに寝かせる事にした。
抱えた時に確認したのだが、股間にお稲荷さんが無かったので、この黒い身体の持ち主は彼女のようだ。
後は――トイレか。シャングリ・ラで猫用のトイレを検索するが小さい物ばかり。こんな大型の猫用なんて売ってない。
暫くあれこれ検索した後――青いプラ製の四角いタライを買って、猫トイレ代わりにすることにした。購入後、落ちてきたタライの中に一緒に買った猫砂をタップリと入れる。
これをトイレとして使ってくれるかは不明だがな。その彼女は毛布の上で、ぐったりとして動かない。
そして小さな皿に水と猫缶を1つ開けた。こいつがグルメだったら困るので高い奴にしてみたが、いかがなものか。
だが目の前の食べ物にも反応せずに、じっと目を閉じたままだ。せめて飯が食えるようになってくれれば、体力も戻ると思うのだが……果たして。
家の前にテントを張って、俺はキャンプの準備に入った。せっかく家を作ったのに外でキャンプとは少々間抜けだが、致し方無い。
彼女が助かるかどうかも数日で結果が出るだろう。少々可哀想だが、こんな世界に獣医なんていないだろうしなぁ。
もしかしたら治癒魔法みたいなものがあるかもしれないが……。
――次の日の朝。
外のテントで目を覚まし部屋を覗いてみるも――彼女に全く変化無し。水も猫缶にも口を付けた跡は無い。一応、水と猫缶は新しいのに交換してみた。
ここで、じっと見てても仕方ないので、市場で商売するがてら動物の治療について聞き込みをしてみることにした。
その手の情報に詳しそうなのは道具屋の爺さんだろう。この街にも詳しいし、人脈もありそうだ。
そんなわけで爺さんの道具屋を訪れた。
相変わらず暗い店内で爺さんの姿を探す。
「……ちわ~」
「何じゃな?」
「うわ!」
何も無かったような暗闇から突然出てきた、ローブを被った爺さんに驚く。前もこんな感じだったが……。
「爺さん、それって魔法なのか?」
「……ほほ、想像に任せる。それで、なんの用じゃな? また変な物でも持ち込むのか?」
爺さんが、ニヤニヤと白い髭を撫でている。
「この街に動物の医者っていないのか?」
「……これはまた奇々怪々な事を尋ねてくるの」
爺さんの話では、人間の医者すら滅多にいないのに獣医なんて職業すら無いという事だった。
「それじゃ治癒魔法とかは?」
「まさか畜生に治癒魔法を使おうと言うのではないじゃろうな?」
「ダメなのか?」
「ダメとは言わんが……う~む」
爺さんは複雑な表情をしているが、そんな酔狂な事に協力してくれる魔導師がいないらしい。
「でも王侯貴族が持っている名馬とかが怪我をしたら、治療したりするんじゃないのか?」
「それでも、そういう話は聞かんの」
そういう場合になっても特に治療らしき治療は行われず、成り行き任せ――自然任せらしい。
まぁ馬は脚を怪我したら、身体を支えられなくなって死ぬしかなくなるのだが……。
どうも、この世界は動物=獲物か消耗品扱いのようだな。
大体、外科手術等が存在していないようだし薬も薬草の類だけ。
ゲームのように薬草を食べたら傷も治って体力全回復! ――というわけにはいかないようだ。大怪我をしたら、そこで終了だな……こりゃ。
「お前さん、何を助けたいんじゃな?」
「森で拾ったデカい猫だ」
「黒いのじゃろ?」
爺さんは獣の正体にすぐに思い当たったのか、白髪の眉毛を片方上げて俺を見た。
「そうだ」
「そりゃ森猫じゃな。森猫の毛皮は高く売れるぞ? 超高級品じゃ」
確かに、あのビロードの様な手触りは高そうだが……だから狙われたのか。普通は仕留めて皮を剥ぐ獲物なのだ。それを助けようとしている俺の行動が、爺さんには理解出来ないらしい。
価値観、倫理観が違うのに、話し込んでもしょうが無い――諦める事にして道具屋を後にした。
それに傷口の洗浄をして化膿止めも塗っている。あれで大丈夫のはずだ――と、市場の露店でスツールに座りながら自分に言い聞かせる。
それでも何か薬は無いかと、シャングリ・ラの中を隅々まで検索を掛けて眺める。
商品が並ぶ画面を見ながら、黒い毛並みの彼女の事を悶々と考えていると突然話し掛けられた。
「旦那、何を考え込んでいるんだい?」
隣の店のアマナだ。
「いや、ちょっとな」
「男が考えこむってのは、金か女の事だろ?」
女は女かもしれないが……アマナに森猫の事を話してみる。
「はは……こりゃ、また随分と酔狂だねぇ。変わっている御仁だと思ってたけど本当に変わり者だよ」
「悪かったな」
すっかりと呆れ顔のアマナと話していると、突然、違う女からも話し掛けられた。
「森猫の匂いがするにゃ!」
振り向くと声の主は――その森猫と似たような毛皮を纏っている獣人の女、ミャレーだ。
そんなに匂いがするかな? そりゃ森猫を抱きかかえたりして服もそのままだが……。
元世界のように毎日風呂に入ったりとか洗濯したりとかは中々出来ない。
ミャレーに森猫を助けた話をすると、彼女を見たいと言う。彼等獣人にとって森猫というのは神様の使い――つまり天使らしい。
------◇◇◇------
夕方近くになり露店を畳むと、ミャレーと一緒に俺の家がある森を目指す。
俺が森の中に住んでいるという話を聞いて、彼女も少々驚いているようだ。狩りで森へ入る獣人からみても俺の行動は変らしい。
「それじゃ獣人達は森猫を大事にしているのか?」
「しているにゃ!」
でも普通の人にとっては森猫は高級毛皮の素材でしかないわけだが――矢を射って森猫を仕留めようとしたのは獣人以外って事になる。
「でも犬人は違うにゃ。 森猫をやったのは多分奴らニャ!」
同じ獣人でも犬人という狼のような種族は、俺が襲われた黒狼――魔狼という黒い狼を神の使いだと崇めている。
このような思想の違いと宗教的な違いから、ミャレーのような猫人と犬人の仲は、昔から悪いらしい。
「それじゃ猫人は黒狼を狩るんだろう?」
「当然にゃ」
これに関しては何も言えないなぁ。森猫を助けたのも、たまたまだし――もしかして黒狼が1匹だけで死にかけてたら助けてしまったかもしれない。
だが森猫を助けたという事で――ミャレーの中では俺は猫人の仲間という認識みたいだな。
しかし犬人と会ってしまったら、どうするべきか。俺の不注意が原因とはいえ、森で襲われてしまったので黒狼に対するイメージが宜しくない。
う~ん……まぁ、その時に考えよう。
川に掛かる橋を渡り、河原に降りて、俺の家へ続く道を歩く。ミャレーがいるから自転車は使えない。
まぁ、使っても良いのだが、変な噂を立てられると拙いからな。
「森へ道を作ったにゃ? すごいにゃ」
俺は草刈機を使ったので簡単だったが、これを全部鎌でやったら、さすがに大変だろうとは思う。
俺の歩みが遅いというので、彼女に背負ってもらって、家へダッシュで向かう。男程の体躯は無いが、獣人の女も十分すぎる程のパワーの持ち主だ。
酒に酔った男を放り投げるぐらいの力があるんだからな。
俺なんて、人を背負ったら歩くので精一杯で、多分膝がガクガクになると思う。
彼女の背中に掴まり森の中を疾走した後、見えてきた俺の家を見てミャレーが再び驚く。
「森の中に家を作ったにゃ?! ケンイチが作ったのかにゃ?」
「そう、苦労したんだぜ」
まさか組み立てキットだとは思ってなかったからな。でも逆に、キットだから組み立てられたようなもんだ。
これを1から設計して建てるとなると、俺には少々無理だからな。材料と道具があるし、重機もある――出来ない事は無いと思うが長い時間が掛かると思う。
「この臭いは何にゃ?」
「臭い? なんかするか?」
彼女が気になるのは、柵の外周に植えた虫除けのマリーゴールドの臭いらしい。本当に鼻が良いんだな。
小さな階段を上り、これまた小さいデッキから続く玄関の扉を開けると、ミャレーを俺の家に招き入れた。
「いらっしゃ~い」