154話 親子水入らず
巨大な湖を一周する測量旅行を終えて俺たちは、無事にサクラに帰ってきた。
辺りは開発のための人が増えて、賑やかさを増し、村が大きくなる予感を感じさせる。
そのためにも、早く産業を定着させないとダメだが――とりあえずは建築ラッシュでの公共事業で仕事はまかなえている。
湖で行う漁業も重要な産業の一つになると思われるが、巨大なクラーケンと呼ばれる化け物がいることが解った。
漁業をするためには、こいつをなんとかする必要がある。
先は長く果てしないが、一つ一つ問題を潰していかないとな。
クラーケンの攻撃は、長い脚を使って水中に獲物を引き込むことだ。
水中ではアネモネの爆裂魔法なども使えない。
実験してみたが、水面では使えるが、水中への魔法の発動はできないようだ。
水中攻撃と言えば――やはり爆雷だろう。
戦争映画などで観た俺の記憶では、ドラム缶みたいな爆弾が海へ飛んでいって潜水艦などを破壊していた。
さっそくシャングリ・ラを検索したのだが、普通の200Lのドラム缶は巨大すぎる。
あんなに大きくはなかったはずだ。
シャングリ・ラで小型のドラム缶を検索してみると――60Lの小型のものが売っている、1万円だ。
直径40cm高さ55cmぐらい――いい感じの大きさだ。
こいつに爆薬を詰めて、爆雷にすればいい。
爆雷に詰めるのはアンホ爆薬だが、こいつはシャングリ・ラで売っている肥料の硝安で簡単に作れる。
そう、簡単に作れるのだが、爆発させるのが難しい。
現在は、アネモネの使う爆裂魔法(小)を使って起爆させているが、爆雷を水中に落とすとなると、それもできない。
水中にいる敵に、水上で爆発させても意味がないのだ。
なんとか魔法を使わずに、水中でアンホ爆薬を起爆させる方法を考えなくては……。
俺は、小屋の周りをウロウロと歩き回る。
これは俺の癖だが、こうすると考えがまとまるのだ。
ひたすら歩き回っていると、獣人たちの話し声が聞こえる。
「おい、旦那がウロウロと熊みたいに歩いてるぜ」
「なんか、怖いことを考えてるにゃ」
「ああ、そうだな」
まぁ、武器開発について考えているから、そりゃ怖いことかもしれないが、村を守るのに必要なことだからな。
シャングリ・ラで、爆薬や爆発に関しての電子書籍を読み漁る。
あまり高度な薬品は作れない。シャングリ・ラで購入できるもので作るという縛りがあるのだ。
たとえば、俺がバイオディーゼル燃料を精製しているときに出てくる、グリセリン。
こいつをニトロ化すれば、ニトログリセリンになる。いわゆるダイナマイトだ。
グリセリンをニトロ化するのには、濃硝酸と濃硫酸が必要になるが――。
シャングリ・ラには、なにに使うかわからん希硝酸と希硫酸が500ml、1200円ぐらいで普通に売っている。
これを濃縮すればいい。それには、バイオディーゼル燃料を精製するために使っている、魔道具が使える。
あれは、対象液体から、特定の液体を抜くことができる魔道具。
希硫酸から水を抜けば――そこに残るのは濃硫酸ということになる。
「くくく――道は見えたな」
「おい、クロ助やべぇよ! 旦那がヤバい笑いをしてるぞ?」
「絶対に怖いことを思いついた顔だにゃ」
獣人たちが騒いでいるが、まぁ放置する。
これはサクラを守るために行われる正義の行使なのだ。
自分で正義とか言ってるやつにろくなやつがいないことは、棚に上げといてだ。
そこにアキラがプ○ドでやって来た。
トラックじゃないので、遊びに来たのだろう。荷物があっても、彼もアイテムBOX持ちだからな。
「ケンイチ、オッス!」
「オッスオッス! コーヒー飲むか?」
俺はアイテムBOXから、ブラック缶コーヒーを取り出した。
「おお! もらうぜ!」
2人で、一息ついて缶コーヒーを飲む。
村には沢山の作業員が働いており、トンテンカンと家を建築する音が響く。
水力による製材所も完成したので、巨大な丸のこで製材も始まった。
これで建築材料も生産できるようになったので、家の建築がはかどるだろう。
「ケンイチは、なにをしていたんだ?」
「前に話したろ? 湖にいるクラーケンを倒すために、爆雷を作る」
「ああ言ってたな……」
彼に、俺が使っているアンホ爆薬を見せる。
「肥料から爆薬が作れるって聞いたことがあるけど、ピンク色のこれがそうか?」
「ああ、これは作るのは簡単なんだが、起爆させるのが難しい」
「いままではどうやっていたんだ?」
「アネモネの小魔法を使って起爆させてた」
「爆発の種にするなら、小でもいいってわけか」
「そうなんだ」
アンホ爆薬を見たアキラが、不安そうな顔をしている。
「これって、戦に使われそうだが……」
「他に教えたことはないよ。もちろん侵略を受けたりしたら、防御のためには使うけどな」
「しかし、ケンイチは貴族になったんだ。これを使えって言われるかもしれないぞ?」
「それは時と場合によるな」
まったく無視ってわけには、いかないだろうしな。
さて、爆雷の目処はたったが、沖に出る船はどうしようか。
大工に船って作れるのかね? サンタンカの船はどこで作ったのだろうか?
あの村に船があるってことは、船が作れる大工がいるってことになるのだが……。
シャングリ・ラでボートを探してみる。豪華クルーザーとは言わないから、使えそうな船はないだろうか?
まさか、ゴムボートで戦闘をするわけにいくまい。
「おっ!」
前に検索したときにはなかった、中古の30フィート(約9m)の漁船が売りに出ている。
運転席がついていないオープン型の釣り船で中古の船外機までついている。
色は白でFRP製、値段は30万円――こりゃお買い得だ。
2艘売りに出ているので、買ってみて使えるようなら、もう1艘も買おう。
シャングリ・ラの商品は結構流動的で、新しいものが追加されたり、品物が廃盤になったりすることがある。
俺が、ダリアの森で買ったディーゼル発電機は、すでに廃盤になっており売っていないし、組み立て式の小屋も、新製品が追加されていたりする。
「アキラ」
「おっ? どうした?」
俺の悪巧みに、アキラが気づいたようだ。
「船の進水式をやろうぜ」
「船? あるのか?」
「ああ」
アキラも乗り気のようだ。目が輝いている。
「よっしゃ! レッツラゴー!」
「ははは! 船は任せろ!」
2人一緒に湖の岸に向けて走り出した。
「なんだ? 船に乗ったことがあるのか?」
「俺、船舶免許持ってるし」
アキラが、予想外の返答をよこした。
「ええ? マジで?」
「マジマジ――広島まで行って、免許取ってきたんだぜ、ははは」
「なんで、広島?」
「広島に船舶免許の試験場があるんだよ」
「マジで?」
「マジマジ――それで、もみマン買って帰ってきた」
もみマン――もみじ饅頭だ。
俺たちのあとを、獣人たちもついてきた。
湖畔に到着すると、水辺に買った漁船を出す。
「よし、召喚!」
白いボートが、水面に波を立てて落ちてきた。
お尻には黒くて大きい船外機が搭載されて、水面からスクリューを持ち上げられて斜めになっている。
さすがに使い込まれた漁船らしく、傷だらけでボロボロだ。
まぁ、こんなのは使えればいいから、傷なんてどうでもいいけどな。
こいつを出品した人も、まさか異世界で使われるとは思わないだろう。
「お~っ! 結構ボロい漁船だなぁ。30フィート船か」
落ちてきた船を見て、アキラが声を上げた。
メートルだと9mちょいなので、アイテムBOXにも入る。
「結構デカい船外機がついているが、スピードはどのぐらい出るんだ?」
「これは80馬力ぐらいだと思うが――25~30ノットぐらいじゃね?」
30ノットだと時速55kmらしい。湖の横断も1時間でできる速さだ。
「結構スピードでるなぁ」
「けど、なんでボロボロなんだ? 魔法で作るなら新品でもいいはずだが……」
アキラが、俺の使っているチートに疑問を持っている――まぁ当然だ。
「新品だと、対価で金を沢山消費するんだ。中古なら安い」
「ああ、そういう制約もあるのか? それじゃ、トラックやラ○クルが古いのも?」
「そう、ボロボロだと対価が安い」
アキラには、シャングリ・ラの説明をしていないからな。
彼だけではない、家族の誰にもシャングリ・ラの説明はしていない。
多分、説明をしても解らないだろうし。
「よし、早速動かしてみようぜ。船外機も中古だけど、動かないなら新品が必要になるかもしれないし」
「新品の船外機は高いぞ?」
アキラが、黒い船外機をペシペシと叩いている。
「そうだろうな」
アキラと一緒に船に乗り込むと、獣人たちもやってきた。
「旦那! その船を動かすのかい? 俺たちも乗せてくれよ」「ウチもにゃ」
「おお、いいぞ」
「にゃー!」
4人で船に乗り込むが、この船は大きいので、4人は余裕だ。
船外機はアキラに任せる。免許持っているらしいし。
「船外機は動くかな? これって2スト、4ストどっちだ?」
「こいつは古い船外機だから、2ストだな」
船の後部に赤い鉄製の燃料タンクがある――25Lと書いてある。
シャングリ・ラから、高い混合燃料を買う。
どのみち4ストでも、純ガソリンはシャングリ・ラでは売っていないので、高くつく。
「最近は4ストが多いんだろ?」
「そうだな、4ストでインジェクション、スーパーチャージャーつきとか、そういうのだな」
「へぇ、インジェクションで過給器までついているのか」
アキラがタンクを覗いている。
「ガソリンが少々入っているけど、捨てたほうがいいだろうな」
腐っているガソリンは、エンジントラブルの元だ。
「そうだな、タンクの中は錆びてないか?」
「大丈夫そうだ」
金属製のボウルを出して、ガソリンを空ける。こいつはゴミ箱に捨ててしまおう。
タンクを空にしてから、混合燃料を10Lほど入れる。
動くかどうかわからんので、最初はこんなもんでいいだろう。
「よっしゃ! いってみるか!」
ゴムボートにつけた、2馬力の小さな船外機は、紐で引っ張るリコイルスターターだったが、こいつはエンジンスターターが装備されている。
アキラが、スタートボタンを押したのだが、スターターが回らない。
「ケンイチ、こりゃバッテリーが死んでるぞ?」
「マジか。バッテリー容量どのぐらいだ?」
「多分、100Aだな」
シャングリ・ラでバッテリーを探す。12Vなので、車と同じものが使える――1万3000円だ。
獣人たちに避けてもらって、購入ボタンを押す。
「ポチッとな」
黒いバッテリーが落ちてきたので、そいつを船外機と接続した。
「お~し! スイッチオ~ン!」
アキラがボタンを押すと、燃料ポンプが動く音がしてから、エンジンが目覚めた。
「おお! 動いたな!」
「はは、まだ使えるぞ。この手の船外機は、使い倒すのが普通だから、丈夫なんだよ」
アキラが舵を握ると、船はゆっくりと水面を走り始めた。
それでも、ゴムボートよりは全然速い。
「すげぇ! 水の上をこんなに速く進めるなんて!」「にゃー!」
「こんなもんじゃないぞ、もっと速度が出る! アキラ!」
「よっしゃ! いってみるか?」
彼がスロットルを開けると、船は水面をジャンプするように走り始めた。
湖面は波がないので、海よりはスピードが出しやすいだろう。
「おお~すげ~!」「にゃー!」
獣人たちは、船の脇に掴まって喜んでいる。
車と違い目線が低いし、屋根がないのでオープンカーのようで、スピード感が凄い。
湖面を白い波を立てながら、切り裂くように進む。
この世界に、水面をこんなスピードで進むものは存在しないだろう。
いや、海に行けば、もっと速い動物がいるかな?
たとえば――トビウオ。
「アキラ、トビウオってどのぐらいのスピード出るんだ?」
「船舶免許の試験場に漁師の息子がいて、時速60kmとか聞いたけどなぁ」
「それじゃ、これより速いのか」
「速度が速いなら、カジキだぞ。あれは100kmぐらい出るし」
「あ~、カジキなぁ。マグロも速くなかったっけ」
船の速度が速いので、あっという間に岸が見えなくなる。
「アキラ、あまり沖に行くなよ。今、クラーケンに襲われたら、対処できない」
「あいよ~」
ぐるりと回って、岸に帰ってきた。
使えるのが解ったので、シャングリ・ラでもう1艘同じ船を買って整備を行う。
エンジンも始動できたし、無事に使えるようだ。
クラーケンを退治すれば、湖を1時間で横断して、エルフの集落にも通うことも可能になるだろう。
もちろん、彼らが望めばの話だが。
岸に戻ってきて――アキラと、クラーケン退治の話に花が咲く。
彼も、クラーケン退治に乗り気のようだ。
「そりゃ、ドラゴンスレイヤーに参加してもらうのは、心強いけどなぁ。でも、いいのか?」
「ははは、いいってことよ」
「危ないことは、うんざりなんじゃ……?」
「あの皇帝の命令で死地に向かうのと、自分の趣味でやるのは全く違うからな」
「自分で冒険に出るのはいいが、会社の命令でアマゾンのジャングルに突っ込まされるのは勘弁ってことか?」
「あはは、そゆこと」
彼が参加してくれるなら、マジで心強い。なにせ実戦の経験が違うからな。
「俺もやるぜ!」「ウチもにゃー!」
「ニャメナは、白い脚でパニックになってたのに……」
「そうだにゃー」
「うう――だからやるんだよ、旦那! 汚名挽回だ!」
「汚名を挽回してどうするにゃ? それを言うなら、汚名返上にゃ?」
「うるせぇ!」
ミャレーのツッコミに、ニャメナが激怒して、俺の周りをぐるぐると回り始めた。
「こらこら、喧嘩するんじゃない」
獣人たちを鎮めてアキラと話していると、新しくできた道を1台の馬車がやって来た。
赤い馬車で、金色の細工が施されている、かなり豪華な馬車だ。
アストランティアの子爵の馬車より豪華ってことは、さらに上の位階の貴族だ。
「ケンイチ、貴族か?」
「らしいな。なぜ、こんな所に……?」
「革命のお仲間にお誘いが来たんじゃね?」
「こんな海の物とも山の物ともつかない、できたての貴族にか?」
まぁ、冗談はそのぐらいにして、相手が貴族となると出迎えないわけにはいかない。
外にいたユリウスと一緒に、馬車の所に行く。
馬車から出てきたのは、黒い服を着たロマンスグレーのナイスガイ。立派な口髭を蓄えて、背も高い。
見るからに位階が高い貴族に見えるし、おそらくは王都貴族ではないのだろうか?
それがなぜ、こんな場所に――と思っていると、一緒に降りてきた見覚えのある女性。
黒いロングワンピースを着ていて、手を突っ込みたくなる胸の谷間と、スリットから覗く細く長い脚。
茶色の巻き毛が腰まで伸びている――王都の魔導師、メリッサだ。
彼女が一緒に来たということは、この貴族は彼女の実家、ナスタチウム侯爵か。
ユリウスに確認する。
「ユリウス、彼はナスタチウム侯爵か?」
「ケンイチ様、そのとおりでございます」
やっぱりそうか――しかし、なぜ? と思っていたらもう1人、暗い色のローブを被った老婆が降りてきた。
ありゃアストランティアの道具屋の、スノーフレーク婆さんだが、とりあえず貴族の仕事をしよう。
「ナスタチウム侯爵。こんな辺鄙な所へ、よくぞいらっしゃいました」
「本当に辺鄙ね。まだ屋敷もないじゃない」
メリッサが、ぐるりと辺りを見渡して、そう言う。
「そうなんだよ。とりあえず、ここに住む住民たちの住居の建築を優先しているからな」
「あんたは! 散々世話してやったのに、貴族になったって挨拶にも来ないで!」
婆さんが怒るのだが、世話してもらったっけ?
ダリアの爺さんには世話になったがなぁ……。
「忙しくてな。成り上がったばかりの素人貴族なので、やることがいっぱいなんだよ」
「ふん!」
「それで、婆さんはなんの用で来た――」
そう俺も言おうとして思い出した。このナスタチウム侯爵は、この婆さんが若いときに連れ去られた息子なのだ。
「ああ、解った! 婆さんと侯爵が一緒に来たってことは、ナスタチウム侯爵家と仲直りできたってことか?」
「まったく、余計なことをしてくれたね! 墓の中まで持っていくつもりだったのに!」
「ちょっと、お婆ちゃん!」
「この度は、辺境伯にはご尽力いただき、誠にありがとうございました」
侯爵が頭を下げてくる。
「いやぁ――私は、婆さんから聞いた話を、そのままメリッサに話しただけなので……」
「まさかあんたが、王都まで行って孫に会うとは思わなかったよ!」
「俺だって、そうだよ……まさか、こんなことになるなんて」
立ち話もなんなので、家の前までやって来ると、アイテムBOXからテーブルを出した。
「申し訳ございませんが、屋敷がまだできていませんので、人をもてなすのも外になっているのです」
「これが、噂のアイテムBOXですか……なにやら、他では絶対に手に入らないものも入っているという……」
「ははは、まぁその通りです」
「メリッサから聞いたけど、あんた真珠を持っているんだって?」
「ああ、持っているけど、真珠は売れないぞ? 一応、王族にだけ卸すってことで、話がついているんだから」
「なんだ、そういうことかい」
「その代わり、マロウ商会の王都進出に、便宜を図ってもらっているからな」
「上手くやったねぇ。あんたが、こんなにやり手だとは思わなかったよ」
婆さんはふてくされているが、真珠は売れないな。
「だが、婆さんが死ぬ前に、親子水入らずができてよかったじゃないか」
「余計なお世話だよ!」
「いいのよケンイチ。お婆ちゃんは、とても喜んで泣いていたんだから」
「メリッサ! 余計なことを言うんじゃないよ!」
そこに、リリスがやって来た。騒々しいので、様子を見にきたのだろう。
「誰かと思えば、メリッサとナスタチウム侯爵ではないか。息災かぇ?」
「お、王女殿下!?」
メリッサと侯爵が、椅子から立ち上がり平伏しようとして止められた。
「ああ、よいよい! 妾は、すでに王族ではないゆえ」
「ええ? 王女殿下、それはいったい?」
メリッサの疑問ももっともだし、この件に関しては、箝口令が敷かれているようだ。
それでも、イベリスにいた貴族たちにはリリスの紹介をしてしまったし、徐々に噂も広まっていくものと思われる。
「妾は、ここにいるケンイチの、正室になったのじゃ」
「ええ? 王女殿下が、辺境伯の正室とは……」
まぁ、普通なら正統直系の王族が辺境伯の正室になるなんて、考えられない話のようだからな。
話していないで、なにか食べ物を出そう。
飲み物も淹れている時間がないので、アイテムBOXからティーセットを出すと、シャングリ・ラで買った、ミルクティーを入れる。
オヤツもいるだろう――なにがいいだろうか? 少々迷い、3000円のいちごタルトを購入。
前も買った記憶があるが、あれはアキラに食わせたんだっけ?
マイレンを呼ぶ。
「お呼びでしょうか、ご主人様」
「このお菓子を切り分けて、皿で持ってきてくれ」
「承知いたしました」
マイレンの目が潤んで、喉を鳴らしている――多分、自分でも食べたいのだろう。
それは解るが、仕事が優先だ。
見えない場所に彼女が引っ込むと、すぐに小分けにしたタルトが、皿に載せられてやってきた。
目の前に置かれた、艷やかで真っ赤なお菓子に、侯爵たちが目を輝かせている。
「こ、これは見事な菓子ですな!」
「王宮から、料理人も引き抜きましたから、この領での料理も素晴らしいものになるはずです」
「ええ? 王宮の料理人ってもしかして、サンバクさん?」
「そうそう、彼が是非とも、ここで料理の研究をしたいと言ってな」
「ケンイチの側にいれば、このような見たこともない見事な菓子や、料理が食えるのじゃ。料理人として、避けては通れぬであろう」
リリスが、タルトを口に放り込み、ニコニコしている。
「ほう! これはなんと甘くて美味い!」
「こりゃ、たまげたよ! こんな美味い菓子が、この世にあるなんて!」
侯爵と婆さんが、タルトを食べて感激しているが、メリッサは俺と旅行をして、この手は経験ずみだ。
「美味そうなものを食べておるのぅ……妾にはないのかぇ?」
そう言って現れたのは、扇子を開いたアマランサス。
タルトには驚いていなかったメリッサであったが、アマランサスを見て仰天した。
「ええ?! 王妃様!?」
「ええ?! アマランサス王妃?!」
当然、侯爵もアマランサスを知っていたようだ。
「久しぶりじゃのう、ナスタチウム侯爵」
「な、なぜ、このような場所に王妃様が……」
「このような場所とは、酷いのう……」
「も、申し訳ございません!」
「よいよい、妾はすでに王族ではなく、聖騎士様の奴隷じゃからの」
「ケンイチ! あなた、王妃様を手篭めにして!」
「人聞きの悪いことを言うなよ。正式に国王陛下と離縁してから、俺のところに来たんだぞ?」
アマランサスに、俺の分のタルトをやる。
「それがなんで、王妃様が奴隷になるのよ!」
「知らんよ。アマランサスが、魔道具で自らを奴隷化してしまったんだ。隷属を解こうとしても、彼女が許可してくれない」
「そのとおりじゃ。妾は残りの人生を聖騎士様の奴隷として生きることに決めたのじゃ」
「なぜ、そのような……」
「これは、妾の心のホゾゆえ、人には話せぬの」
その話を聞いているのか、いないのか、リリスが声を上げた。
「ケンイチ、この菓子をもうちと、たもれ」
「はいはい」
シャングリ・ラから、もう1ホール買って、リリスの前に置く。
切り分けるのが面倒なので、そのまま食べてもらう。
「もう、ここで切り分けよう。おかわりが欲しいひと」
「はい!」「あたしにもおくれよ」
メリッサと婆さんも手を挙げた。
やはり女性だな。甘いものには目がないようだ。
メリッサは俺の話を信じていないようだが、事実なのだから、しょうがない。