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五十話「蒼の屋敷と極小の可能性」

蘇芳くんのヤンデレルート。

それは、攻略キャラ中もっとも怖くないヤンデレルートだと言われている。

理由はただ一つ。蘇芳くんが基本的に優しくて、魅了を使いたがらないから。

普段使いしている山吹様や、バッドエンド確定時に使ってくる新橋ゴット会長。ヤンデレルートでは魅了使ってない時がない隠しキャラ鳩羽くん。――腹ペコ忍者な深緑くんは、諸事情により魅了は使えないがヤンデレルートは、それはそれはアレなのでここは置いとく。

……と違って、蘇芳くんは魅了をヤンデレルートの一回しか使わない。

それが、主人公を他の鬼の一族から守るため、なんだよね。

ともかくヤンデレルートを詳しく思い出してみる。たしか……、エンディングは三つだ。


まずは、好感度が低くて特定のフラグを踏んでいる場合は、蘇芳くんは「主人公の学園で過ごした記憶を失くさせる」。

記憶を失くした主人公は他校に転校する。エンドロール後、見知らぬ町で友達と楽しく過ごす主人公は、ふと見知らぬ誰かとすれ違い、「さよなら」を告げられるのだ。

主人公が振り返った時には、誰もいない。寂寥感の残るエンディングだった。

もう二つは、好感度一定以上と特定のフラグを踏んでいない場合。

蘇芳くんは魅了の内容を変えてくる。「自分たちは好きあっていて、婚姻をする約束した仲だ」と。自分の婚約者にすることで、微妙な立場の主人公を守ろうとするわけだ。

そこからがまた長い。父親と同じことをしてしまった蘇芳くんの心が壊れていく様子。突然始まった婚約者生活に戸惑いながら、優しい蘇芳くんに絆されてゆく主人公。

その裏ですすむ、ラスボス悪鬼・紅花による蘇芳くんの心への浸食。

そしてクライマックスの二人の婚姻の儀。ここでまた分岐があって……

一つは、血は争えないねエンド。逃げようとした主人公を暗い部屋に閉じ込め、手かせと足かせをつけて「ごめんな」とそれまでで一番優しく笑うやつです。

もう一つは、その名も血まみれの婚姻の儀。

紅花さんに心を乗っ取られた蘇芳くんが、主人公以外の儀式参列者を虐殺するエンドだ。


「あかん」

「なにがだ?」

「お客さんが……」


横の赤い瞳が、ぱちぱちと瞬く。

そうだった。ここは転霊の間。隣に蘇芳茜が居るのでございましたね!! そして今から、山吹家と新橋家へご挨拶にゆくのでしたね!!

頭を抱える私の沈黙を怯えと受け取ったのか、蘇芳くんは「すこし休むか」と聞いてくれた。そうだね、いますぐ休みたい……休みたいけど、もう一か月近く休んだのも同然だから。

とにかく……とにかーく!

魅了×婚姻の儀×蘇芳くん。この組み合わせはヤバイ。

――故に。


「う、ううん。大丈夫!

 山吹家と新橋家、行こう!」

 

蘇芳くんの手を引っ張って、転霊石に歩み寄る。

――この婚姻の儀式、潰すしかない!


 

鬼の婚姻の儀。小豆先生によると婚約からおよそ七か月と十の準備段階を経て、ようやく行われるものらしい。けして三か月で行うものではない、厳かな契約の儀なのだとか。血縁や血統を貴ぶ鬼にとって、この儀は大事なものらしく、紅緋の義妹と蘇芳の次期当主であってもこれ以上の「簡略」とか「お急ぎ」は許されない。

だから、婚姻の儀は9月。これは動かないと思う。8月中に潰しておきたいな。

よし。期限が決まれば、後は方法だけなんだけど……。


「来たか、人間の娘よ」


齢80を越そうかという老人が、天から睥睨するようにこちらを見下ろす。その隣できっちり正座していた新橋会長が、窘めるように「おじいさま」と老人を呼んだ。


「卯月。今のは「我が家へようこそ。歓迎します、お嬢さん」という意味だ」

「儂は新橋鉄紺。色を預かる新橋家の現当主。

 人間とは恒久的な共存と繁栄を望む者だ」

「人間とはずっと仲良く、賑やかに暮らしていきたいです。

 ……と言っておられる」

「……」


ピシッと白い眉を吊り上げ、腕組した鉄紺さんが、会長の言葉にゆっくりと頷いた。

どっちも堅物で自分に厳しく、でも仲良しな祖父と孫だ。

隣の蘇芳くんは、以心伝心な二人に複雑な視線を向けている。


「第二・通達の儀、新橋は確かに承った。

 しかし、卯月殿に儂は問わねばなれぬ儀がある。

 学校はどうされるのだ。あなたは高等部の生徒ではなかったか」


緑がかった青い瞳が再び私を見る。


「え? ええと、たしか、十月までは……」

「新橋が口を出すことじゃない」


私の言葉を遮った蘇芳くんを、新橋会長が鋭く見据える。対する蘇芳くんもすっと赤い目を細めた。


「卯月さんは一般入学の生徒だ。

 彼女の学生としての権利と義務に関われるのは、彼女自身と彼女の家族だけのはずだが?」

「ああ、そうだ。だから言ってるだろ。

 許嫁の遠縁の親戚が口に出すもんじゃないって」


そして二人は互いを睨む。もちろん空気は帯電したかの如く、ぴりぴりしはじめた。

鉄紺さんはといえば、顎をさすりながら二人を眺めている。

うーん。新橋家的には、私の人間の生徒が鬼の冠婚葬祭で学校に行けてないことが気にかかるって感じなのかな。

三鬼に気づかれないよう、唾を飲み込む。

これ、チャンスかも。学校に行ってないことをアピールすれば、新橋家が味方に――その場合、蘇芳くんのイメージだだ下がりでは!? でも、婚姻の儀での大虐殺よりは……!


「そのあたりは、夏休み中にゆっくり話し合うのつもりなので!

 ご心配かけてすみません。ね、茜くん」

「……ああ」

 

蘇芳くんの頷きに、新橋家の二人は舌鋒をおさめてくれた。新橋家に言ってみるのも手かもしれないけど、それは今じゃない。あとやっぱり、蘇芳くんの株はできるだけ下げたくない。

新橋家の転霊の間に向かう最中、横を歩く蘇芳君がちらりと私を見下ろした。


「学校のこと、悪い。ちゃんと話してなかったよな」

「ほんとだよ~……ってすっかり忘れてた私が言うのもアレですけどっ。

 ぜんぶ終わったらまた戻れたらいいな」

「……桧皮が気にしてた」

「桧皮さんマジ女神。あっ、委員長は……」

「三葉?」

「いえなんでもないです」


すっと背筋を正す。桧皮さんにくわえて、委員長にまで気にかけてもらおうなんて虫が良すぎた。学校で私のことはなんて言われているんだろう? 卯月?あっ、転校したよね~とか?

黎や、お父さんやお母さんは……。

ふと足が止まった私を、蘇芳くんはまっすぐに見る。

渡り廊下を照らす夏の日差し。赤い瞳。息をのむほど、綺麗な鬼。

まるで真昼の夢みたいで、どうにも現実感がな――

軽く腕を引かれ、後ろを振り返る。新橋会長が奥歯を噛みしめて、こっちを見ていた。


「少し彼女と二人きりで話がしたい」

「……なんで」

「生徒会長として学園生徒への話だ。いいか、卯月さん」

「は、はあ。構いません、が――」

「さきに行ってる」


そう言うと蘇芳くんは、転霊の間に入ってゆく。えーと、では私は新橋家の渡り廊下で会長に腕を掴まれてて二人きり……神と二人きり!?

なんて恐れ多いんだ。ぶるりと震えると怯えているかと勘違いされたのか、会長が腕を離してくれた。


「す、すまない」

「いえこちらこそとんでもない!」

「「……」」


そして、訪れたのは沈黙だった。このまま待つべきか。それともこっちから話を振るべきか。迷っていると、新橋会長が口を開いた。


「しきたりとか、種族とか、誰かの性格とか……何でもいい。君が怖いと思うことがあったら、この家に来てくれ。力を貸す」

「ありがとう、ございます」


礼を言うと、新橋会長が軽く首を振る。


「こんなことしかできなくてすまない」

「いいえ。一生徒に対してここまで気にかけていただけるなんて、とてもありがたいのですが――」


なんでそこまで?と疑問に思う。何せ、今の言葉は、私が新橋家に逃げ込めば、助けてくれるってことだろう。もちろん私を助けても、会長にはメリットなんてない。家のこととか、家族のことを考えれば、デメリットだらけでしかないのに。


「会長って、お人好し……いえお鬼好しって言われません?」

「言わんとするところは分かるが、その程度でめくじらは立てないよ」


軽く苦笑めいた笑みを浮かべた会長は、「こんなことしか言えなくてすまない」と頭を下げてくる。会長、どこまで親切心に溢れていらっしゃるのか……! クーデレの皮を被った真面目な神優しい優等生……! でもヤンデレルートはなんでああなっちゃうんですかね!?


「一つ。聞いてもいいですか?」

「俺に答えられることなら答えよう」

「私と蘇芳君は、どうして婚姻の儀をするこ……あっ、なんでもないです。今のは聞かなかったことにしてください」


どんどん皺が寄ってゆく会長の顔に慌てて手を振る。どうやらこの話題は避けた方がいいらしい。青い瞳が、一瞬だけ濁った泥水のように曇る。


「……すまない。

 俺には分からないが――蘇芳なら知っているだろう」


だが、聞くのはお勧めしない。

続けられた言葉に小さく頷く。婚姻の理由が分かれば、潰す方法も見えてくるかと思ったけど、これは迂闊に探ることはやめたほうがいいかもしれない。

新橋会長に別れを告げて、蘇芳くんの待つ転霊の間へ向かう。

周囲への聞き込みができないなら、残る方法はもう一つ。


持ち主を不幸や禍から守る勾玉の欠片。

紅緋学園高等部の石碑の下にある、三つ目の勾玉の欠片を手にいれて、自分にかかっているだろう魅了を解くのだ。



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