四十七話「茜色の鬼はうっそりと笑う」
やばい。
小さな扉をガチャガチャ押してみる。開かない。
空の座敷牢に鍵ってかけるの!? いやわかんないけど!?
ひとまず、ひとまずだ。冷静になろう。こんなどことも分からん場所で、パニックになったら……
「よし、切り替えた!」
ふんっと鼻息あらく、自分を励ましてみる。やるぞ、サヨリ。お前が諦めたら、お前の人生座敷牢ですよ。
……イヤすぎでは? この明らかに放置された座敷牢で最期とか、どこの暗黒大正横溝正史だよって感じでは?
とりあえず、ここは座敷牢だ。どこの座敷牢かは不明。仮にも乙女ゲームな世界観に、座敷牢とかちょっとかなり引くけど、千恋なら納得してしまう。どの屋敷もありそうだもんね。あの新橋会長の屋敷にだって、「封鎖した座敷牢」みたいなのがあるよ、きっと。
「たぶん、四色の屋敷のどこかよね。
……今は誰も居ない鳩羽の屋敷、とかだったら詰むけど」
額から汗が垂れる。
そ、それはないと思う。よくわかんないワープシステムのバグで、今は使われていない廃墟にとか……ホラーゲーだとありえるけどさ……。これはホラーではなく、乙女ゲー世界なので一応……。
「だ、誰かー!居ませんかー!?」
座敷牢の正面は、壁だ。苔が生えたコンクリートの壁に、自分の声が吸い込まれていくのが分かる。誰も来る気配はないけど、定期的に声をあげてみよう。そう一つ決めてみると不思議なもので、ちょっぴり心強くなってきた。あと、今できることってなんだろう。南京錠はさすがにぶち破れないし、パニックにならないことかな……
パニック、か。
膝を抱えて、体育座りする。
左手を見てみると、手の甲にちいさなひっかき傷ができていた。ちょっと痛い。
梅ちゃんの態度は、声こそなかったが、パニックって感じだった。ワープにトラウマがあるんだろうか。でもそれなら、小豆くんが代わりに私の手を引いてくれたんじゃないのかな。
他に……なにか……
「そういえば、バッドエンドでも座敷牢って出てこないよね」
思考がとぶ。でもそれを言うなら、転霊の間もゲームにはなかった。だからそれほど気にするほどでもない。ないのだけど。
……あの七不思議ループ空間のとき、私、どうやって外に出たんだっけ?
「……?」
そうそう。バッドエンドでも、座敷牢って出てこないのよね。
出てきてもおかしくはないっていうか、蘇芳くんとか山吹様と、なんでないの?という感じじゃないだろうか。和風で陰鬱でバッドエンドといえば、座敷牢にヒロインインではないか?
何せ千恋は、エンド数が約50個だった。先人たちの攻略チャートを見た時、思った。この会社は気が狂っている。攻略キャラクターには通常ルートとヤンデレルートがあり、どっちのルートにもエンド数が三~四個。選択肢はもちろん、勾玉の欠片や太刀の有無で細かく分岐。山吹様の妹の小麦ちゃんや、思い出してみれば三葉委員長と思しきモブキャラにまでエンドがあり、実質紅緋さんルートとかいうエンドも……
「……?」
そうだ。バッドエンドでも、座敷牢って出てこないんだよね。
木枠をガリガリと爪で引っ掻いてみる。あ、ちょっと削れた。その細かい作業を何度も繰り返す。何度も、何度も。
「……」
そうなのである。座敷牢って、バッドエンドでも出てこないんだよなぁ。
五十個もエンドがあるのに。偏見ながら、山吹様とかすごく座敷牢に主人公入れそうなのに。
ボロボロの指先で、木枠をなぞる。おかしい。
「エンドが、三十八個しか思い出せない」
背筋がぞわっと粟立った。
見てないイベントはともかく見てないエンド?
そんなわけない。前世でどれだけ千恋をやりこんだと思っている。20周だぞ。プレイ時間換算すると300時間越えだぞ。
誰かが私に、魅了を使った。記憶を書き換えた。ゲームのことを知ってるの? でもなんでこんな中途半端な……
カンカンと甲高い音が、室内に響く。誰か、来たんだ。声をあげなければいけないのに、――喉奥にのっぺりと張り付いてしまったかのように、声が、出てこない。軽やかな足取りは、ゆっくりとこちらにやってきて……止まった。
――びじん。
口が勝手にポカンと開く。
薄紅色の打掛を羽織った女性は、桧皮さんや白鷺ちゃん(菫くん)を見慣れていた私でさえ、息を呑んでしまうものだった。華やかな桧皮さんや、可憐な白鷺ちゃん(菫くん)とは違う、春の夜の夢のような、儚い美しさ。
え? 誰? 誰なの? でも、なんかこのひと、どこかで会ったような……
「だいじょうぶ?」
「あ、はい。……い、いえ! その、転霊の間でちょっとミスしちゃって」
「こわかったわね」
美人は、きゅっと眉を寄せた。それだけで胸が締め付けられる。
ひぇっ。うつくしー!悲しむ姿だけで、こんなに胸を打つとかありですか!
ただ頷くと、美人は木枠の隙間からそっと手を伸ばした。ひらりと手を振られて、おそるおそるとその手に触れる。柔らかいし冷たい。どうやら幽霊じゃなさそうだ。
「くるしかったわね。いま、だしてあげるからね」
「は……はい! ありがとうございます!」
美人はきょとんとしてから、口元に笑みを浮かべた。――笑うと、可愛いなぁ。でもやっぱり、どこかで会った気がする。美人は懐から鍵を取り出すと、南京錠にはめた。かちゃりと音がして、扉が開く。
「ありがとうございます。もうほんと、どうなることかと……」
扉をくぐろうと身を屈めると、パタンと目の前で扉が閉められた。
え? え? なぜ?
扉の前に美人は座り込んで、南京錠にまた鍵をさす。くるり、かちゃり。
「え? え? ちょっと待ってください!?」
「だめよ。でちゃ」
「出られないと大変に困るのですが!」
「だめよ。わたしはでちゃだめなの」
むずがる子供に言い聞かせるように、美人は優しく語りかける。
宝石のように美しい黄味がかった黒い瞳は、石のごとく無機質だった。
違う。瞳じゃない。
目の形だ。目の形が、そっくりなんだ。目の色は、違うのに。
「す、蘇芳くんの、お母様ですか……?」
「すおう? あかいろはすきじゃない。
わたしは刈安だもの。もうすぐ――もうすぐ、山吹様が迎えに来てくれるの」
頬を染める様は、まさに恋する乙女だ。だが、私の体感温度は下がっていく。
「だから、わたし、ここでまつの。
まっていたら……むかえに……むかえに」
美人が振り返る。私はとっさに耳を塞いだ。
「うん、来たよ。僕の奥さん」
鈍色の髪に、鮮やかな赤い瞳。柔らかな微笑を称えた青年の姿を見て、美人は絶叫した。髪を振り乱し、むちゃくちゃに手を振り回す彼女を、蘇芳鴇は笑顔のまま抱きしめる。
「あ――あ、あ、あ―――!」
「うんうん。彼女を探しにきてくれたんだね。
茜の未来のお嫁さんにも優しいなんて、とっても素敵だ」
「ちがう――ちがう――わたし――山吹様! 山吹様!!」
「萌黄。その名は、呼ばないで」
赤い目が、輝く。
美人の体は力を失って、鴇さんの方に倒れていった。
絹のように艶やかな彼女の髪をひとしきり撫でてから、赤い目がこっちを向く。
「やぁ、サヨリさん。
お久しぶりだね。また会えて嬉しいよ」
今更ながら思う。
山吹朽葉と蘇芳茜の関係性、ドス重くない? 家同士の対立に加えて、両親のドロドロ愛憎劇だよ? なのに本人たちは親友同士なんだよ?
意識を彼方に飛ばしつつ、私はどうにか唇を愛想笑いの形に持ち上げた。




