五話「寮生活の幕開け」
窃盗の前科一犯を犯した私は、とぼとぼと寮への道を歩いた。
今更、財布の中の勾玉の欠片を、摂社に戻すことはできない。今日以外は(今日も居たけど)、常に神社に人が居るし……あ、夜とかどうなんだろう。いやいや、迂闊なことはしないぞ。夜に神社でなんかごそごそしているなんて、見つかったら言い訳すらさせてもらえないだろう。
それに、あの摂社の扉が開くのは一度だけなのだ。つまり、私はもう、この勾玉の欠片を元の場所に戻すことはできない。
「はあ……」
ほんっとに、大変なことをしてしまった……。
祭られていたものだし、正当な持ち主じゃないし。窃盗、窃盗。ぐぐ、清く正しく十九年生きてきたのに、異世界に来て一日で罪を犯すなんて。私のモラルは、紙より薄いのか。
だん!と私は地面を蹴った。
寮まで、後数メートル。これくらいで挫けてはいられない。私は、後二回、窃盗の罪を犯さなければならないのだ。ついでに不法侵入と、石碑の下の掘り起こしだから、若干の器物破損と……。
「ああもうー!」
私は、鈍足ながらも、数メートルを走りに走った。そして、扉の前で急ブレーキをかけて、大きく息をつく。
「……君、大丈夫か?」
女子寮の扉の前で、生徒会長が心配そうに私のことを見てくれました。
え? なんで会長、ここに居るの? ここ女子寮だよね? と言いますか、今の聞かれ……
「だ、大丈夫です!! ご心配どうもありがとうございましたっ」
私はコメツキバッタのようにぺこぺこ頭を下げ、全速力でその場を走り去った。女子寮は、まだ先でした。
よろよろどころか、ずるずると足引きずりながら、女子寮に入る。寮母さんに自分の部屋を聞くと、「あ。相部屋の子ねー」と言われて、ぽんと鍵を渡された。相部屋? 相部屋……。
そ、そうだー! 主人公の友人ポジキャラは、主人公と相部屋!二人部屋!なのだ。
つまり、白鷺ちゃんと私が相部屋? 相部屋とかしたことないんだけど、大丈夫かな……でも、知らない人と一緒よりは……いえちょっと嘘言いました、白鷺ちゃんならいいです。美少女と仲良くなりたいです。
「荷物は部屋に置いてあるから、確かめといて。なにかなかったら知らせに来てね」
にこにこ笑ってそう言ってくれる、おばちゃん寮母さん(ピンクのエプロンが似合う)に、私は、にまにま笑って返した。
「はーいっ。ありがとうございます、わかりました!」
さっきまでの諸々を、コロッと忘れて、私は三階建ての寮――木造で、ちょっと古い感じはするものの、清掃や手入れが隅々まで行き届いており、古いぼろいじゃなくて、レトロな感じがする。ええと、たしか205号室だったよね。
扉のプレートを見ながら歩いていると、205号室はどうやら角部屋らしい。手元の鍵のタグと、扉のプレートを見比べて、一度深呼吸してから扉をノックする。
「はーい、ちょっと待ってください」
白鷺ちゃんの声が聞こえて、ついでごそごそという物音。もしかしたら、荷物の分別をしていたところだったのかもしれない。
「うんー、ゆっくりでいいですよ」
そう返した途端、足音が聞こえて扉が開いた。
「あ、やっぱり卯月さん。遅かったですねー。どうぞ入ってください」
「あはは、まあちょっといろいろ迷っちゃって……」
主にこれからの未来に。
私の答えに、白鷺ちゃんは「ここ広いですもんね」と小さく苦笑して同意を示してくれた。
白鷺ちゃんから、寮の説明を受けながら、ぐるりと部屋を見回す。
バストイレ別、洗面所、エアコン付き。リビングは約九畳。洗濯物を干すのに最適なベランダもあり、小さいながらもクローゼットも。ベッドは備え付けで二つあって、小さな冷蔵庫もある。まあ小さいといっても、一人暮らしには充分なサイズで、冷凍庫もついていた。
「はー。なんかけっこう豪華だね」
「うん。お風呂までついてるなんてびっくり。後でためてみようね」
その瞬間、私は大いなる衝撃を受けた。
し、白鷺ちゃんの言葉遣いが、丁寧語から、敬語から、くだけてる……!
これはあれかな、私に合わせてくれたのかな?それとも、白鷺ちゃんも私と仲良くしたいと思ってくれてたり……くれたり……しちゃうのかなぁ。
「卯月さん?」
「あ、いやなんでもないです。そうそう、コインランドリーもあるんだっけ」
「うん。一階の寮母室の近くにあるって。給湯室もすぐ近くだよ。
火を使うときは、寮母さんに一声かけてから。
コインランドリーは有料だけど、朝、洗濯物を頼めば寮母さんが洗ってもくれるって」
白鷺ちゃんは、指折り数えながら、ほかに伝え忘れがないか教えてくれている。小さな子供のようなしぐさに、私はまるで彼女の姉のような気持ちになった。いちおう、同い年なんだけどね。でも、白鷺ちゃんが妹かー。いいなぁ。
「えっと、朝食夕食は一階の食堂で。
お昼ごはんは、お弁当も作ってもらえるけど、
前日の夜までに伝えておかなくちゃダメで、ちょっとお金がかかるの」
「うんうん」
「一食三百円だったかな。
あ、電気ケトルとかまでならいいけど、コンロとかそういうのは持ち込み禁止だって」
「うんうん」
「……卯月さん、ちゃんと聞いてる?」
白鷺ちゃんが、じとりと私を見た。私は高速で首を振る。ちょっとちょっとだけ、妹がいるのってどんな感じかなって思ってただけだよ、あと考えてないよ!
「だ、大丈夫大丈夫!
朝食夕食は一階食堂、お昼は三百円でお弁当も作ってもらえる、
ケトルとかならいいけど、コンロ等は持ち込み禁止!」
「うん、そうそう」
白鷺ちゃんが、疑ってごめんねと小さく謝ってくれた。
可愛いです。ちょっとバツの悪そうな感じが。青い目が、へにょと下がってるところとか。
「……あ、あのっ。白鷺ちゃん!」
「ん?」
「これから三年間ずっと一緒かは分からないけど……
相部屋、よろしくね。私、白鷺ちゃんとなら、楽しく生活できそうって思っちゃって、」
私はそこで言葉を止めた。白鷺ちゃんが、目を丸くして、ぽかんと小さく口を開けていたからだ。ちょ、調子に乗りすぎた? 仲良くなりた過ぎて先走った!? 戦々恐々とする私に、白鷺ちゃんは、ふ、と小さく笑った。
「うん、わたしも……卯月さんとなら、大丈夫だと思う」
「っっ」
気分はまさに、大砲で心臓を打ち抜かれた気分だった。仲良くなりたい、白鷺ちゃんと。できるなら、友達になりたい。うわ、なんかこれ、すごく恥ずかしい……!!
私はやや俯きながら、白鷺ちゃんに向かって、手を伸ばした。
「あ、あの、これからよろしくの、握手、してもらってもいい?」
「うん、もちろん」
視界の上の方で、白鷺ちゃんが笑って手を差し出してくれるのが見えた。差し出された白鷺ちゃんの、真っ白な手を、そっと握る。
すこし、冷たいけれど。柔らかくて、温かな手だった。
「……卯月さんって、なんかちょっと心配だ」
「え?」
顔を上げると、白鷺ちゃんは笑って、「なんでもないよ」と言った。
白鷺ちゃんと握手を終えてから、私は自分のベッドの近くに置かれたダンボールを見つめる。ちなみに、ベッドの位置は、私が窓際で白鷺ちゃんが壁際となった。
ちらりと白鷺ちゃんがの方を見る。大きなダンボールが二つあった。対して私のダンボールは、それよりふた周りも小さいダンボール一つである。私、どんだけ荷物少ないんだ。むしろこのダンボールに服は入っているの?
「えと……」
開けていいのかな、いいよね。そっとダンボールに貼られたガムテープに手を伸ばした、時だった。携帯がかすかに振動する。メールが来たのかな。
そういえば、まだまだ携帯についてよく調べていなかった。スカートのポケットから携帯を取り出し、開いてみる。新着メールが一通。ん? でも、あ、れ?
――既読メールゼロ件……?
高校入学を期に、携帯変えたんだろうか。そうなのかもしれない。でもそうすると、私って友達居ないボッチ?微妙に落ち込んできたので、とりあえず、新着メールを開いた。
『From:母
Title:サヨリへ
入学式お疲れ様。寮はどんな感じ?
ダンボールの中身は確かめてみた?
何か足りないものがあったらメールしてね』
あたたかい母親の言葉に、私は、ぎゅっと、携帯電話を握り締めた。
さっきとは別の意味で、頭を殴られたような……打ち抜かれたような気分だった。だって。どうしよう。私、ちっとも分からないのに、分かっていなかった。
私は、この「母」を知らない。
「母」とどんな会話をし、どんな風に過ごし、どんな思い出を作ってきたのかも、わからない。
母だけじゃない。父も、もしかしたら、他に居る家族だって。
私、なんにも知らないんだ。わからないんだ……。
口を開けて、閉じる。今日一日、まさに浮かれポンチだった自分が、ものすごくアホのように思えてきた。
どうしよう。どうしよう。記憶がないことを打ち明ける? 別人かもしれないことを、話す?
『To:母
Title:Re:サヨリへ
ありがと、寮はなんか凄いよ。
ダンボールはまた開けてない。
了解!』
送信ボタンを押して数秒間、私は睨みつけるように携帯電話を見ていた。
窃盗の次は騙りですよ。モラルズタズタ。意外に繊細でもないハートは、良心の苛めでノックダウン寸前だ。
財布の中の勾玉の欠片を思いながら、私は拳を握った。世界を救うなんて……そんな大それたこと、考えなくて。私、私さ。この人のこと、「お母さん」のこと思い出した方がいいんじゃないかな。お母さんに不安を打ち明けて。話して、それで――
そしたら、どうなるだろう。もし、娘がこんな事を打ち明けてきたら……。
「……よしっ」
携帯電話を閉じて、段ボールに向き合う。
ここはゲームじゃないから、サブキャラの私にも家族が居て。きっと大事で。
だから。だから……思い出せなくても、世界を救うのは諦めちゃだめだと思う。
「記憶喪失」のことも、家族に話しちゃだめじゃないかな。だって、だってさ、もし「母親」なら、「家族」なら。会いに来て、話して、場合によっては病院に連れていかれるかもしれない。そうなったら、多分――私は、もうこの物語に関わることはできないだろう。
自分のことを思い出したとき、世界崩壊寸前とかなんて嫌だ。ぜっったい嫌だ。
記憶を失う前の私が、どういう人間だったか分からないけれど、心配してくれる人が、居るんだ。それなら、今は……それだけで十分だ。うんうんと頷いた私に、白鷺ちゃんがこっちを向いた。
「あ、卯月さん。カッター使う?」
「使う!」
私は断言して、白鷺ちゃんに深々と頭を下げたのであった。
とりあえず、今は段ボールをやっつける。なにせこの中のものは――卯月サヨリのものだろうから。