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三十七話「混乱のるつぼ・一」


体育館は、しんと静まり返った。頭が痛くなりそうなほどの沈黙が、人々の間に下りている。


「ぁ、」


パイプ椅子に座っていた――目を丸くして、黎を見ていた――お母さんが、くてんと体をお父さんの肩に預ける。一方、お父さんは、椅子の背にずるりと寄りかかった。

お父さんとお母さんを皮切りに、二年の女生徒が、中年の男性が、まるで急激な眠気に襲われたように。一人、また一人と意識を失っていく。

抜き放った鬼無を黎が軽く一振りすれば、私と黎と東子ちゃん以外の人間は、全員意識を失った。


「くっ、はは……! やっぱりきついわね、鬼無(おになし)


東子ちゃんが、くつくつと笑う。眼鏡の奥の瞳をぎらぎらと光らせて、東子ちゃんは人間以外の存在を見た。

 

「ぐ、ぅぅぅぅ」


額に血管が浮き出るほど、歯を食いしばり、東子ちゃんと黎を睨み付ける黒スーツの男性。ぱくっと目と口を開けたまま、微動だにしない女性。

そして、眉間に皺をよせ珍しく焦った表情である壇上の山吹様。


「これは、鬼無の力、ですか……」


静かな体育館に、山吹様の声がよく通った。

鬼きりの刀、鬼殺しの太刀。最強の鬼が創って、人に与えた刀。――それは人を傷つけず、鬼の自由を奪う刀でもある。


「そう。よくお分かりですね? 山吹朽葉。

これは、あなた方の魅了のようなもの」

 

にこっと笑って山吹様に話しかけた東子ちゃんを、黎が仏頂面で見た。


「……アンタ。これ、俺に渡してどうするつもり?」

「あら? あーらら。もう戻ってるかと思ったんだけど、まだ? まだ足りない感じ?」

「意味分からないんだけど」


ふんと鼻を鳴らした黎が、お父さんとお母さんを心配そうに見る。そして、視線が私の方を向いて……はっ!?


「黎、それお姉ちゃんに渡して!」

「……なんで」

「それはとっても危ないものなんです。私が持ち主に返しておくから、さあほら早く!」


一歩、黎に近づく。うっ、すごい重圧。勾玉が、ちりちりと熱を持っている。なにに反応しているんだろう? 鬼無?

とにかく、とにかーくっ。なんで鬼無を抜いても黎は平気なのかといろいろあるけれど、今は鬼無を黎から貰わなければ!

黎を見ると戸惑うように私と刀を交互に見ている。東子ちゃんは、黎に近づく私を一瞥するとすうっと目を細めた。


「……いいのかしら。その刀、お姉さんに渡してしまって」

「と、東子ちゃん!君は後でおせっきょ」

「ソレは、――あなたのものなのに?」


蜂蜜のように甘く魅惑的な、声だった。

あ、あつー! ポケットがめっちゃ熱い! これはひょっとして、鬼無ではなく東子ちゃんに反応しているのでは!? ど、どうしよう。東子ちゃんを止めるべき? いや、私は初志貫徹。黎、とにかく黎とそれから鬼無を確保するっ。


「黎、はやくこっちに……!」


両手を差しだす。投げてくれても構わんよ、と上下に振った。黎は、うう、難しそうな顔をしている!  でもあと少し、もう少しだから……っ。


「……四色の山吹が命じる。戒めは虚ろ、我が言葉が真」

「お前ら、動け!」


檀上と背後から。山吹様の涼やかな声と、蘇芳くんの一喝が響いた。純血の鬼にもっとも近いふたりの鬼の言葉が、支配が、鬼たちを鬼無の戒めから解放していく。

背中でどばっと冷や汗が出た。まずい。鬼たちが一様に見ているのは、東子ちゃんじゃない。夕焼け色の瞳で、水色の瞳で、鬼無を……黎を見ている!


「黎!」

「ああ、ほんと」


音も無く黎が刀を振る。黎の後ろから殴りかかろうとしていた鬼の男性が、どうっと倒れた。シャツがぱっくりと切られており、お腹が、見えて。

 

「――俺のだ、鬼無」


黎の黒い瞳が、金色に染まっていく。金色の瞳を細めて、私の弟は、いらないものを押しつけられたみたいにため息をついた。

私はポカンと口を開けて、黎の顔を見た。黎の瞳の色は、私と、同じ。お父さんとお母さんと、同じ。まるで鬼の一族みたいに、――山吹さまより少しくすんだ金色に、変わるわけがない。

それに、え? なんで黎さん、刀を、刀を……。

って、気圧されている場合じゃない! 倒れた鬼の人は気になる、確かに気になるっ。お父さんとお母さんも心配! だけどっ。


「黎っ」

「……卯月!」


ぐいっと後ろに引っ張られて、その場でたたらを踏む。一拍遅れて、鬼無が綺麗な残像を描いた。


「サヨ姉。これは、俺のだから」

「はい!? いやそんなのどうでもいいから、それはっ」

「邪魔しないでって言ってるの」


零度の冷たさで言い、横から飛びかかってきた女性を容赦なく斬りつけた。女性がスローモーションで倒れていく。気付けば、東子ちゃんはまだ動きの鈍い鬼に足払いをかけ、転ばしている。床に倒れた鬼を、黎が鬼無で刺す。


「他の奴らを呼べ!」

「いやそれより、人間をよそにやらないと」

「どうでもいいだろそんなもん!」


鬼たちの怒号が、声が響く。黎が、東子ちゃんと背中合わせで何かを話している。鬼たちが、二人を囲んで……。


「黎っ、とう……ふぐっ!?」


駈け出そうとしてピン!と腕が限界まで伸びた。痛い!そういえば私、誰かに腕を掴まれていたんだった痛い。あれかな、こいつの命が惜しければ大人しくしろっ的なポジションになっちゃう感じかな!?私!?

そうなったら、ダメだ。とにかく。鬼が、人が、倒れている。とにかく。黎が、東子ちゃんが。とにかく。二人の、所為だ。とにかく!

むんっ!

お腹に力を籠める。とにかく、とにかく……分かんないことだらけだし、圧倒的に加害者は私の弟と友人だけども! 二人を逃がす! 

そう決意を込めて鬼を見上げると、なんということだろう。私の腕を引っ張っていたのは、ついさっきやってきた蘇芳くんだった。おお、サヨリ。鬼のボスに捕まってしまうとは、なんと……いや。

これは、ひょっとするとチャンスではなかろうか。蘇芳くんなら、他の鬼より話は通じるし、何より他の鬼たちに命令できる立場にある。


「す、蘇芳くん。あのお怒りごもっともですが、私の弟と彼女は」

「……後で聞く」

「そう言わず今聞いて頂きたい!」


眼力を籠めて、必死にお願いする。それと、体育館の扉が、けたたましく破られ、新たな鬼が乱入し、黎と東子ちゃんが逃げ出すのは、図らずしも同じタイミングだった。体育館の下駄箱があっという間に混戦の場になり、蘇芳くんが、腕を引いて私を体育館の奥――ちょうど山吹様の居る壇上の方へと連れて行く。


「あの、蘇芳くん!?」

「衣裳部屋に使っている部屋があったよな。そこに隠れとけ」

「や、やだよ。だって、黎も東子ちゃんもお父さんもお母さんも!」

 

ぐっと私の手首を掴む、蘇芳くんの手に力が籠った。赤い瞳が、幽かな光を帯びる。


「俺がどうにかする」

「そう言われても!」

「……だろう、な。でも、お前の家族は、俺が守るから」


そう言って、蘇芳くんは私を励ますように小さく笑ってくれた。わあ、蘇芳くんの笑顔貴重ですね、だけど今見ても特に何も思わない! ああ、もう! 黎は大丈夫かな、東子ちゃんなにしちゃってるの、お父さんお母さん無事ですかーっ。


「蘇芳くん、私、自分の家族は」

「悪い」


しゅっ……。

鮮やかな手刀が私の首裏に決まり、私の意識はぷっつりと途切れた。



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