三十五話「文化祭本番・二」
紅緋学園高等部の体育祭は、外部の見学が不可だ。お母さんへのメールにそう返信した時、お母さんはとっても残念そうにしながらも次の予定を聞いてくれた。
『From:お母さん
Title:Re:サヨリちゃんへ
それじゃあ文化祭は?
文化祭はどうかな((o(^-^)o))わくわく』
よくぞ聞いてくれました、お母さん――文化祭は、外部の見学が、可なのです!!
といってもゲーム知識だったので、念のため調べてみるとやっぱり外部見学可だった。大丈夫だよ!お母さん見に来てくれる?と返すと、なんと父さんから返信が来ました。
『From:お父さん
Title:
さんにんていきます
からたにきをつけて』
お、お父さん……!
濁音がない、漢字がない、句読点がないけどっ。お父さんから、メールがっ。二通目のメールが来たー!
私は、『分かった楽しみにしてるね。お父さんも体に気を付けてね』と返して、何度も父と母からのメールを見直した。
えへへ。
ふへへへ……。
「ぐ、ふふ……はっ」
怪しい笑いが漏れている口を覆って、室内を見回す。うん、こういう時だけは一人部屋でよかったと思うよね。
そんなこんなで、今日この日、文化祭当日。お父さんとお母さんと黎が、私を訪ねてきてくれるというわけです。劇も見に来てくれるらしい。写真はちょっとと言うと、「動画は駄目?」と聞かれてしまった。もっとダメだよ、それ!
そして今日、風になって走り出した私は……十五分後。
何故か、蘇芳くんと共に保健室に居た。
理由はとても簡単だ。風になった私が、ちょうど逃げるように体育館の裏手からやってきた蘇芳くんの前でスッ転んだからである!
床に膝をつき、私の足首を曲げたり伸ばしたりしていた蘇芳くんは、ちいさくふぅと息をついた。
「うう、蘇芳くんありがとうございます。私は君を拝む」
「おい、拝むな。マジで拝むな」
「ハイヨロコンデ! ところで、その、蘇芳くん……わ、私、ちっとも痛くないんですが!」
「みたいだな。あれだけ派手に転んでたのに」
「ちょっと芸術的だった?」
「理解不能という点では」
真顔で言われて、青菜に塩がかけられたようにしんなりと項垂れる。でも本当に助かったよ、蘇芳くん。まさか駐車場への道へ、こんなトラップが待ち構えていようとは。
車でなくても急発進・急停車はだめだよね。うん、覚えた。
地面に這いつくばる私に手を貸して、蘇芳くんは校庭の救護テントではなく、保健室の方へと来た。たぶん、ライブの後の面倒事を避けたかったんだろうけど、私という面倒事にぶち当たってしまったというわけだ。ほんとうに申し訳ない。
しかし、蘇芳くんは手当てがうまいなあ。保健室もどこになにがあるか分かっていたみたいだし、入り浸り度はけっこう高いとみた。
そうこうしているうちに、もう十時四十分! そーっと足に体重をかけてみる。うん、大丈夫そう。
「蘇芳くん、蘇芳くん。ありがと、大丈夫そう!」
「ん。よかったな」
そう言って蘇芳くんが立ち上がる。目線で立ってみろと言われた気がして立つと、うん、ちょっと足首に違和感があるけど痛いとはかない。大丈夫そうだ。
一年二組は、劇の始まる一時間半前……一時までは、自由行動だ。家族と過ごせる時間は、たった二時間しかない。劇が終わった後もちょっとは話せるかな、どうかな? そういえば、蘇芳くんは、自由時間をどうするんだろう?
と思っているうちに、立ち上がった私を見届けた蘇芳くんは、すたすたと保健室を出ていく。走らないように気を付けながら後を追いかけると、入った時と同じく何処からともなく保健室の鍵を取り出して、鍵を閉めた。
「駐車場でいいんだよな?」
「へ? というか何故私の行き先をご存知で?」
「さっき、倒れてた時にブツブツ言ってた」
「ハイ、駐車場デス……」
こくこくと頷くと、蘇芳くんが歩き出す。追いかけてみると、「走んな」と注意が飛んでくる。
その後、蘇芳くんは無事に私を駐車場まで送り届けてくれた。「いろいろありがとう!」と手を振ると、蘇芳くんがチラッと顔だけ振り返って、「もう転ぶなよ」とのお答えが返ってくる。
は、はああ……。
「蘇芳くん優しいよ、優しすぎるよ……あれが噂の、ハイスペック男子高校生……!」
拝むのは駄目なんだよね。だとしたら、私にできることは、お菓子を貢ぐことくらいだ。文化祭が終わったら蘇芳くんに貢ごう。
えっと、今の時間は……十時五十分! 本来の待ち合わせ時間を考えると、ちょうどいい具合である。私は、スチャッと愛機ガラケーを構えて通話ボタンを押した。電話をかける先は、黎だ。1コール……さすがに出ない……2コール……うん、出ない……3コー、あっ。
「れ、「サヨ姉、ちょっとそっ」……い!?」
黎の声と私の声が同時に途切れ、私は誰かに後ろからぎゅうっと抱きしめられた。柔らかい感触と、石鹸の匂い。あと柔らかめの甘い匂いの香水……。
「サヨちゃあああんっ」
と、後ろの人は私の名前を呼んだ。首を向けて後方を振り返ると、お母さんが居る。「お母さん?」と呼ぶと、私のお母さんはきゅうっと目を瞑って、うん、と小さく頷いた。
ちょっと離れたところで、携帯を耳元に当てていた黎が、肩を竦めて私たちを見ている。その横には、お父さんが居て――あれ?お父さんは?
そう思った瞬間、ぎゅーっの第二波が私を襲った。正確に言うと、お母さんごと後ろから、包み込むように抱きしめられる。
上を見上げてみると、いつもロボットみたいに表情の変わらないお父さんが、目を瞑っていた。
「お父さん?」
返事の代わりに、ぽんっと頭を撫でられる。ちょうど黎が私たちの前にやってきて、首筋に手をやり、ハア……とため息をついた。
「……ココ、凄く目立つからあと三十秒でやめてくんない?」
「あと五分はこのままでいるううー!」
真ん中で潰れながらのお母さんの声に、お父さんが「黎のいうことはもっともだ」という風にポンと肩を叩いていた。
明るく騒がしいお母さんに、冷静にツッコミを入れる黎。そんな二人をまるっと見守っている、お父さん。
……私の家族。家族、なんだよね。
ファインダー越しの光景を眺めるように、一歩、引いたところから見る。当然のことながら、私の前世の家族とは違う。けれど。
「サヨ姉?」
声を上げた黎が、尻尾をふまれた猫みたいにぎょっとする。私はあわてて掌で、涙を拭った。ちょ、ちょっと待って!ちょーっと待とう!? 今、ここ駐車場だし、人の目があるしっ。お父さんもお母さんも黎も近くにいるし! うん、だけど、今ここで流す以外、どこで流すというっ。
「サヨちゃん、サヨちゃん、大丈夫?」
「……サヨリ?」
「うん、だいじょ――ぶっ!?」
「使って」
その一言ともに黎が私の顔面にハンカチを押し付ける。黎、ちょっと待ってそこ鼻! 鼻だから! お姉ちゃん、息ができないからっ。
緑色のチェックのハンカチをずりずりと移動させ、涙を拭う。
お父さんと、お母さん、黎。
私はようやく私の家族に、出会えたのだ。
お祭り会場と化した紅緋学園高等部の校庭は、まだ開場したばかりだというのに、大勢の人々が行きかっている。うちの家族みたいな、自分の子供を見に来た様子の親御さんはもちろん、隣町にある紅緋学園中等部の生徒らしき子も居た。あ、今喫茶店のマスターが居た気がする! もしも我がクラスが来年、食べ物系や売り物系の出店をすると実に大変そうだ。
「すごいわねえ……」
左横のお母さんが、ぽかんとして斜め横のお父さんが「ああ」と頷く。黎はなんだかちょっと離れた位置で、この年で家族と横並びで歩く葛藤みたいな様子を滲ませていた。ふっ、黎よ。私みたいに、三十を超すとそういうのも気にならなくなってきますよ!
うぐっ!? なんだか地味に私の胸にダメージがっ。胸をさすさすと擦ってから、しゃきんと手を上げる。
「ねえ、お父さんお母さん黎。なにを見たいのかとかどれ食べたいとか決まってる?」
「うーん、そうねぇ。サヨちゃんの劇は絶対に見たいんだけど……それ以外はあんまり決まってないかも」
んーと首を傾げるお母さん。ちらっと横を見てみるけど、お父さんは何も言わない。黎は「……好きにすれば」と、人ごみが落ち着かないのかと素っ気ない。
「そ、それじゃあですね……私の案、聞いてくれる?」
「もっちろん!」
「ああ」
「……だから、好きにすればって」
お母さんが元気よく、お父さんは一つ頷いて、黎はさっきと同じ言葉を繰り返した。
十一時過ぎといえば、ちょっと早いけれどお昼時。食べ物系の出店をしているテントには、行列ができているところもある。一番の行列はなんとカレー専門店。家庭科室で作って、できたてを鍋ごと運んできているらしく、あっつあつのカレーの湯気とスパイシーな香りがたまらない。
その横を通り過ぎ、事前に用意していた食券で、たこ焼きと焼きそば、フライドポテトやナゲットを買う。飲み物もあったので、みんなの希望を聞いて買ってから、私は校舎の方へ向かった。
校舎の西側は、反対側――紅花神社がある方とは違い、ちょっぴり整備されていない。草はけっこう伸びてるし、校舎の裏手をグルっと囲む雑木林は不気味だし……。
しかし。
そこに、ささやかなベンチとテーブルがあることは意外と知られていない。誰も居ないことを確認して、さささっとテーブルとベンチを掃除して、私は家族にまくしたてた。
「みんなと一緒に文化祭回りたいのもあるんだけどっ。その前に、ゆっくり食事をとりたいなーとか、いろいろお話したいなーとか!とかですよっ」
「とか多すぎ」
「ナイスツッコミありがとう、黎! と、まあ、その……な、なにか、そんなかんじで……」
校庭に用意されている飲食スペースでもよかったけど、四人はちょっとした人数だし、なにより家族を独り占めできる時間が欲しかったんです! 私にご家族をください、お父さんとお母さんと黎とゆっくり話しをする時間をください!
案というほどの大げさなものというより、単なる私の我がままである。どうかな、だめかな。というかいきなりこんなうっそうとした場所まで連れてくるべきではなかったかも!?
ぐるぐる頭と目を回す私に、お母さんと黎が同時に動いた。あ、二人が顔を見合わせる。
「黎、先にいいのよ?」
「……母さんから先にすれば」
「いえいえ黎が」
「……あ」
黎が小さく声を上げる。気が付けば、真っ先にお父さんがベンチへと、ちょっぴり窮屈そうに収まっていた。
買ってきた食べ物をテーブルの上に広げると、お箸を手に取った途端、お母さんが口火を切った。
「すごいわねー。ほんとすごいわ! 私立の学校の文化祭ってどこもこんな感じなのかしら」
「どうだろう? でも、紅緋学園は、すすごいと思う」
「……学校は、どうだ。慣れたか」
「う、うん。クラスの人はみんな仲良くしてくれるし、勉強も大丈夫だよ」
「サヨ姉、緊張しすぎ」
「ふぐっっ」
我が弟からの的確なツッコミに、胸を押さえる。だけどその鋭い愛の鞭のお蔭か、私の口は順調に滑るようになっていった。五月まで一緒に寮に居たさゆちゃんのこと、体育祭のこと、なぜか劇に出ることになってしまったこと……。
お母さんは楽しそうにしながら、「白鷺さんとも会ってみたかったわあ」と残念そうに眉を下げた。真面目なさゆちゃんもとい菫君がお母さんに会っていたら、思う存分引っ張りまわされていたかもしれない。
でも、どうも忙しいらしく文化祭への誘いは断られてしまった。夏休みに木山町に来るらしいので、ぜひともそこで日時を合わせて会いたいものである。
「そういえば、サヨ姉。バイト」
「あっ。ど、どうだった……?」
ポテトとナゲットを交互につまんでいた黎が、今度はポテトを摘み上げ、ちょっとだけ笑う。
「いいって。……でもなんか俺が教育係になったけど」
後ろ半分を黎が不満そうに零す。ええい、お姉ちゃんの面倒を見るのは嫌と申すか! ……なんて口が裂けても言えない。なにせ私には、小学生にして弟に面倒を見て貰っていた前科がある。その上、バイト先までアレコレ世話をかけていいのか? いや、よくない!口を開け、言葉を発しようとしたその時に、ナゲットを口の中に放り込まれた。
「ふぁい!?」
「手ぇぬかないから。……ヨロシク」
眉を吊り上げ、こちらを眼光鋭く睨み付け、額には青筋を立てる。そんな黎の顔を見ながら、もぐもぐと鶏肉を咀嚼していると、お母さんがにこっと笑って「黎はお姉ちゃんが大好きね~」と言った。
お母さんには今のやりとりが、「はい、あーん」「あーんっ」みたいに見えていたのかな?と思うくらいの笑顔である。うちのお母さん可愛い。でもね、お母さん。黎が私を好きとか私はめちゃくちゃ嬉しいけど、この場合は禁句だと思うの!
案の定、黎はツンとそっぽを向いて「ふーん」で会話をし始めた。お父さんとはまともに会話をしていたけれど、お母さんと私とは「ふーん」だった。
お母さんと私は顔を見合わせ、一緒に肩を落とす。
ごめんね、サヨちゃん。ううん、お母さん……。
まさに以心伝心。言葉にせずに伝わるあれです。
そんな風に、時間は飛んでいく矢のように過ぎていった。アラームをセットしておいたガラケーが鳴り、時間を確認しようと腕時計を見ていたお母さんがぱちっと瞬く。
「あら、もう時間? 早いわねえ」
お母さんの声に頷いて、どっこいしょという気分でベンチから、よろよろと立ち上がる。
正直、話し足りない。家によくくる猫の話も、バイトの話も、お父さんの仕事の謎も、もっと聞きたかった。けど、うん!
「頑張って来い」
そう言って、ぽんとお父さんが頭を撫でてくれた。黎はちらっとこっちを向いて、「見にいくし」とちいさく呟いた。
「うん、いってきます!」
勢いよく言って、くるっと踵を返して走り出す。「転ばないようにね!」とお母さんの注意が聞こえる。大丈夫、一日に二度も転んだりは……!
「っ、」
走り出していた足を、止める。雑木林が途切れ、校舎の影から校庭へと出る辺り。私が、今向かっている方……。
「まっ……!」
私の声に反応したのか、彼は影に溶けるようにさっと消えた。急いで彼が居た場所に走り寄っても、もちろん誰も居ない。ううん、……足跡は、残っている。もしかしたら、まだ近くに居るかも……!
「ふかみくん! ……ふかみくんっ!」
だけど。
心配した黎が駆け寄ってきて、集合時間の十五分前にかけたアラームが鳴っても、私は、深緑くんを見つけることができなかった。




