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和風ヤンデレ乙女ゲームの脇役に転生しました?  作者: 千我
二章「夏は日向を、冬は木陰を」
35/63

間話「昔日高庇」


夢を見た。

藍色に変わる前のほんの一時。すべてが茜色に染まる誰彼時の夢を。



「紅緋、こっちにおいで」

「……やだ」


山で一等高い木の後ろに陣取って出てこない紅緋に、紅花がくしゃりと髪をかきあげる。

この山の麓にある小さな村に、鬼の兄弟が身を寄せて早五年。弟は、ちっとも人間たちに慣れてくれない。紅花が少しでも目を離すと、山に登って行ってしまう。


「べに、木霊たちと遊ぶ約束してたのか?」

「……」

「そいえばそろそろ梅の花が咲くなぁ。もうちょっとしたら、ここの主さんも起きて」

「兄上。……いつまでここに居るの」


ぽっすん。木に寄りかかる音が聞こえて、紅花は頬を掻いた。小さな国の小さな村にやってきてから、もう五年も過ぎているのだ。鬼と人間では、力も寿命も容姿も……何もかもが違う。いくらこの村の人は二人を温かく受け入れてくれていようと、時間の流れは止められない。

――潮時かもな。

母を亡くしてからというもの、幼い弟を連れて紅花は、浮草のように流れに流れて旅をしてきた。碁盤の目のように整理された都に行ったこともあるし、陸の一番端に行き、海というものもみたこともある。

どこでも人間が住んでいて、同族の鬼と出会うことは稀だった。鬼たちが集まって暮らす、山だか里だかの噂も聞いたけれど、行く気にはなれない。

母は、同族である鬼に殺された。父は……、人間に殺されたと母が言っていたけれど、何分、紅花が生まれる前の話なので、真実かどうかは分からない。父親違いの紅緋を、死んだ紅花との父との子供だと言い張るような、母だったから。


「そうだなぁ。そろそろ、行くか」

「うん」


途端、ひょっこりと木の陰から顔を出した弟に、兄はしてやられたと目を細める。

だが、まあいいか。

ちょいちょいと小さな弟を手招きすると、紅緋は心得たようにひょいっと飛び跳ねた。次の刹那に、左肩に軽い重みが加わって、得意気な弟が座っている。


「兄上。次はどこに行くの?」

「んー。べにはどこ行きたい?」

「ずっと遠くがいい。人間とかいないトコ」

「うーん……山の中とかか?」


あたりを見ようと右を向いた紅花に、左の肩の紅緋が、眉間にちょっと皺を刻んでうーんと声を上げる。どうやら、山の中がいいというわけではないらしい。 

枝葉をかき分け、しっかりと地面を踏む。一歩、一歩、確かな足取りで、紅花は麓の人間が息を切らせながら上り下りする山を、あっという間に降りていく。麓の民家が見えてきて、紅緋がきゅっと唇を結んだ。


「人間が居ないトコなら、どこでもいい」


紅緋が生まれてから、人の世で三十年。そのたった三十年の間に、弟はすっかり人嫌いに育ってしまった。近頃は特に顕著で、山に籠る回数も頻度もぐっと増えている。


――この子は、人と暮らすのは難しいかもなぁ……。


別に、人が嫌いでもいいと紅花は思う。人と鬼は違うモノだから、無理に関わる必要もないのだ。ただ力や命の長さは違っても、容姿や生き方は似通っているから、人の暮らしに混ざることは鬼にとっては容易い。紅花もその容易さの恩恵に遠慮なく預かってきたが、人に混ざることに拒否感を持つ鬼は当然居るのだ――違うものなのだから。

それならば、鬼の住まう場所にいけばよいと紅花も何度も考えた。紅緋が人嫌いの兆候を示してからは、以前会った鬼と連絡を試みようとしたこともある。

だが。

――同族に母を殺された紅花と紅緋は、同族と会っても大丈夫なのだろうか?

母を殺されたあの雨の日。首が据わったばかりの紅緋を連れて逃げた日から、紅花には、ずっと同族への警戒心がある。

いっそ、どこかの山に弟と二人で籠ろうか。退屈や倦怠は生まれるだろうけれど、安全には違いない……。


「あ、あのっ!」


目の前の草むらがガサガサと揺れ、一人の少女が飛び出してくる。びっくりした紅緋が紅花の頭にしがみついてから、キッと少女を睨み付けた。


「なんなの!いきなり!」

「あ。べにひさん、ごめんなさい。驚かせちゃったみたいで」

「驚いてないし!」

「ええと、突然、お邪魔してすみません……?」

「ほんとだよ!」


まるで警戒する兎のように、紅緋はバンバンダンダンと足を揺らす。彼よりちょっと年上の(人間の年齢で言えば)少女は、神妙に弟の怒りを受けたあと、紅花のほうを向いた。


「あ、あの。くれないさんっ。お二人ともどこかに行っちゃうんですか?」

「ん? うん、すぐにじゃないけどそのうち「なに盗み聞きしてたの!?」」


紅花の声を遮って、紅緋が信じられないと声を上げる。「すみません」としょんぼりとした少女だったが、すぐにパッと顔を上げて紅花と紅緋を見た。


「あ、あのっ。その、また来てくださいっ。私、待ってますから!」


まっすぐな黒い瞳に、まるでまやかしを突き破れらたような気分になる。少女の目に映る紅花と紅緋の瞳は、彼女と同じく黒だろう。だが、本当の色は二人とも、夕暮れの茜よりも濃く鮮やかな緋の色だ。

なぜ、そう思う。なぜ、こんなに心を揺さぶられる。なぜ。


「……うん、ありがとう」


紅花は微笑みながら、そっと少女の額に手を伸ばした。ぴゃ、と彼女が妙な悲鳴を上げ、弟の眉が吊り上がる。少女の額から手を離した瞬間、彼女はぼうっとした顔になって、くるりと二人に背を向けた。

同族である鬼に疑いを持っている以上、痕跡は残せない。村から立ち去る時、紅花はいつも人間の記憶を書き換えていた。

五年前にやってきた、兄弟は居なかった。

今、目の前で話していた誰かは、居なかった……。

――だから、「また」はない。

ほのかに熱の移った指先を見下ろしてから、ゆっくりと歩き出す。


「べに、行こうか」

「うん、兄上」


紅緋は紅花の服を、小さな手できゅっと握った。

 

すべての村人の記憶を書き換えて、旅の準備を済ませた頃には、太陽は空の端にひっかかるようにして残っているばかり。背後にある村を振り返った紅緋の頭を軽く撫でて、紅花は弟の手を引いた。

次にどこに行こうか。――そもそも、いつまで行き先も、目的もなく、ただ逃げるような旅を続けるのか。

なにも決めていないけれど、ひとつだけ決めていることがある。


「行こう、紅緋」

「はい、兄上」


空が藍色に変わる前。太陽の残り火が、あたりを茜色に染めていく。二つの影ぼうしが長く伸びて、やがて消えて行った。



「……っ」


視界に浮かんだ涙の切れ端を、紅緋は強引に拭った。夢だ。掌に握っていた、勾玉を引きはがす。夢だ。

兄の魂が見せた――ただの夢だ。


「なんで、こんな夢を見せるんですか……っ」


枕に拳を叩きつけて、すぐに口を閉じる。「嘘です」。葛藤や苦しみよりも早く声に出して、勾玉を再び握る。

最初におぼろになったのは声だった。紅花が居なくなったとき、まだ声を録音するという技術は発想すらなかった。

次にあいまいになったのは感触だった。幼い頃、自分の手を引いてくれた兄の一回り大きな手。いつも見ていた背中。……今の兄には、柔らかな体なんてものはない。

今でもちゃんと覚えているのは、紅花の顔だけだ。

困ったような顔、仕方ないなあと笑う顔、大丈夫だと頭を撫でてくれる顔……瞠目し、裂けた口で絶望を叫ぶ顔。


「嘘です」


もう一度言い、固く目を閉じる。

顔が見えなくても、紅緋以外の誰かを相手にしていても、なんでもいいから。

夢でもいいから、もう一度。


あいたかった。



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