二十八話「姉と弟の初めまして・二」
「黎、早すぎっ。まだ一時間以上前なんだけど!」
「俺は一本バス乗り間違えたの。サヨ姉の方が早かったじゃん」
ベンチから一刹那で立ち上がり、猛ダッシュで駆け寄って抗議した私に、黎の目がすーっと細まって、実に不機嫌そうに唇が結ばれる。
「それに、嘘もついたし」
「それは黎だってそうだと思う!」
「ふーん」
こちらをじっと見ながら、おなじみの素っ気ない響きが聞こえる。なんだろう、生で聞くとちょっと心に隙間風が吹いてでも嬉しい気がするのは。い、いやいやっ。私は冷たくされて喜ぶような性癖はないぞ!……ないよね?
「……サヨ姉」
「うん?」
「顔見てたらむかついてきた。抓っていい?」
「なんですと!? お姉ちゃんの頬をお餅のように好き放題しようとするなんて、お姉ちゃんはそんな子に育てた覚えはありませんっ」
「やっぱいいや」
私の長台詞に気がそがれたのか、単に興味を失くしたのか。黎がそっぽを向いて拒否してきた。私!なんか!とても黎に弄ばれてる気がする!
しかし私はお姉ちゃん、ここは寛大な心で接するべき。そう、海のように広く、山のように深く……。
慈愛の笑みを浮かべた私を半眼で見て、黎は紙袋を持った方の手を上げた。
「これ、母さんたちから。服だって」
「え? 嬉しいけどなんで?」
「……寮で着たきり雀してるんじゃないかって心配してた」
「ふぐっ」
思わず視界を掌で覆った。うぐぐ!家族の優しさが骨身にしみわたるっ。開始5分で、娘の涙腺を決壊させないでください、お母さんお父さん、ありがとう! 大好き!
「持ってきてくれてありがと、黎。あとでメールするけど、母さんたちにありがとうって伝えておいて――」
言いながら伸ばした私の手がスカッと宙を切る。黎が紙袋を下に下げたのだ。
「えっ。なに? 受け取ったらまずいものだった?」
「なんでそういう考えになんの。……帰る前に渡すから、覚えてて」
いつの間にかスマホを仕舞い、開いた左手を黎がぶらっと振る。ええと。これはひょっとして、その、つまり……。
「重くない?」
「それなり」
「は、恥ずかしかったりは?」
「なんで」
「ええと……黎が、持ってくれるの?」
黎の眉間に皺が寄る。ふいっと顔を背けると、我が弟はちいさく「さっきからそう言ってんだけど」と零した。
「れ、黎、か、かわいいい……!」
「サヨ姉はバカじゃない?」
「ば、ばかってばかって……!」
ぷるぷる震える私を置いて、黎はさっさと歩き出す。あわてて追いかけるとすぐに追いついた。黎は私より、ちょっと背が高い。165センチはあるかな? 中学生だから、きっとまだまだ伸びるよね。……あれ?
「黎、ひょっとして照れてる?」
癖っ毛がかかっている耳の縁がかすかに赤い。黎は答えずに、さっきよりちょっと速い速度で歩き出した。
木山駅から徒歩30秒。駅チカというより、駅スグの商店街は、休日の昼間ということもあってなかなか人通りが多かった。日よけグッズに身を包んだ熟年のマダムから、私と同じくらいの高校生らしき青少年たちまで。
たぶん、紅緋学園の生徒だよね。ここら辺にある学校って紅緋学園だけだし。ちょうど横を通り過ぎた、女子3人組をちらりと見る。見たことない顔だったけれど、見たことあるような気がするよ!
「ねえ、あの子かっこいい」
「わー、ほんとだ」
「んー。ミチはもうちょっと筋肉がある方が好きだなぁ」
そう言って三人娘は、ちらちらと私たちの方を見ながら去って行った。うん、あの子たちもこっちのこと見覚えがあったのかな? ……私、マッチョじゃないから違うかも。
「なに難しい顔してんの」
「あ。ごめんごめん、知り合いかと思ったんだけどちがうっぽかった」
「あー……さっきの」
そう言ってちらっと黎が、三人娘の去って行った方向を見る。そのとき、そっちの方から女の子の可愛い「きゃっ」が聞こえた。――三人娘のうち二人が、こっちを、否。黎を見て頬を染めている。
こ、これは! これは、これは、これは、これは……っ。
私は固く拳を握りしめた。背後ではザバーン!と岸壁に波濤が打ち付けている。
私の弟、ひいき目なしにかっこいいんだ……!!
「なに、金魚がガラスにぶつかったような顔してんの」
「ぅえ?」
「今度は巻きずしを無理やり詰め込まれたような顔してる」
「う、うぐぐぐっ」
珍妙な例えになにも言いかえすことができない。
だ、だって、だって、弟がもててるんですよ! お姉ちゃんとしてはどうすればいいんですかね!? 「ひゅー!さっすが私の弟。もてもてじゃーん」て突けばいいの、何も知らない振りして「さ、行こうか」なんて手を取ればいいの。ああ教えて全国のお姉ちゃんお兄ちゃん……!!
「れ、黎、喫茶店に入らない? ええと、商店街の東の端のほうに、アイスコーヒーが美味しいお店があるんだって」
そう言って私は、3人娘たちの行き先とは別の方を指した。敵前逃亡である。黎はちらりと私の指先の指す方を見ると、「や、」とちいさく否定する。
「雑貨屋とかスーパーがあったら行きたいんだけど」
「いいけど、なにか買い物するの?」
「アンタの。……足りないものあるんじゃないかって、母さんたちが」
ちょっぴり面倒くさそうに言ってから、黎は商店街の西のほうに歩いて行く。速い!今日で一番速い! 黎は、面倒事をさっさとすませたいタイプっぽい。人の波の間を縫いながら、あわてて追いかける。ちらっと辺りを見回してみたけれど、三人娘の姿はもうなかった。……なんだかちょっと安心。
雑貨屋、スーパー、それから西の端にあった古い骨董店と三軒梯子し、私は小物や生活用品を手に入れた。いや、生活用品とか学園でも買えるんだけど、やっぱりちょっと商店街のほうが安かったのだ。骨董店は、ショウウィンドウに古ぼけた木刀があったので立ち止まって見ていると、黎がささっと入って行ってしまった。
骨董店の気のいいおじいちゃんに見送られ、ぎざぎざに切られた木の看板の下を黎と一緒に通り抜ける。
「黎、なにか気になるのあった?」
「んー……カルタが綺麗だった」
「あっ。あの桐の箱に入ってたやつ?」
「そう、それ」
そう言って黎がちらっと骨董店に視線をやる。なんだか視線がちょっと名残惜しそうだ。ここでお姉ちゃんが買ってあげるよ!とか言えたら、かっこいいんだろうけど……。
タオルや髪ゴムやらなんやらが入った紙袋をひしっと掴む。
これのお金を出してくれたのは、むろん黎である。私、一銭も、出してない。なんでもお母さんたちからお金を預かって来たそうで、財布を開ける隙もなかった。私だってお小遣いとしていくらか貰っているし、払えたと思う、んだけど……。
でも、小物は買えたとしてもあれは無理だ。
だって、ついてる0が5つだった。5つだったんだよ! しかも見本のカルタも直接手に取って見られるやつではなく、なんとガラスケース入り!
お小遣いではさすがに足りぬ。0が一つ足りぬ。それに、できることのなら……。
「バイトしたいなぁ」
黎の目がきょとんとした。そうするとほんと猫目だね、君は。
「バイト? サヨ姉が?」
「うん。夏休みの間だけでもできないかなー。バイト」
確かこれも許可制だった気がする。頭の中で、生徒手帳をぱらぱらとめくっていると、黎がぽつっと零した。
「俺の働いてるとこでバイトしてみる?」
「えっ!? 黎、バイトしてるの!?」
思わず食い気味に聞いた私に、黎が「あ、言ってなかったっけ」とどうでもよさそうに付け加えた。どうでもよくない。その情報は、至極どうでもよくなくはないよ!
「喫茶店でバイトしてる」
「コーヒーとか紅茶とか入れてるの?」
「そっちはほぼマスター。俺がしてるの接客」
「制服はギャルソンですか?」
「そんな感じだけど、なんで丁寧語なの」
半眼で睨まれた。だって乙女ゲーマーにとっては大事なことですから! バイト先の制服って、プレイ中に1回しか見られない私服と同じくらい価値のあるものですから!
ふぉぉぉ、待て待て落ち着いて、落ち着いてっ。さすがにずっとこのテンションだと、黎に引かれる。ドン引かれる……。
「って、なんで黎はバイトしてるの!?」
「マスターの親戚だから。バイト料も、小遣いと偶に飯食わせてもらってるだけ。……来年からはちゃんとバイトになるけど」
黎はただいま中学三年生だ。今はお手伝い程度だけど、ちゃんとバイトとして雇ってもらうのは来年からってことなの、かな?
ふむふむと頷きながらも、先ほどの黎の一言が頭から離れない。
「……あの、黎さん。その、親戚って」
「アンタも知って……知らないか。父さんの親戚。顔は似てるのに、かなり性格違ってびっくりする」
「そっか……」
足元に視線を落とす。私の記憶が戻ったとしても、分からないことはなくならない。親戚のマスターが分からなかったのは、多分、……私、会ってもいなかったのかも。お父さんの親戚で、お父さんとそっくりの顔で、かなり性格が違ってびっくりするマスターの親戚……。うん、やっぱりさっぱり分からないや。
「ねえ、黎。マスターに頼んで貰っていい? 私、夏休みにバイトの許可貰ってくるから!」
ぐっと拳を作って握ると、黎が前髪を弄ってから、「ぅん」と頷いてくれた。
「喉が乾いてきた。逆側だっけ」
「うん。東だって聞いたよ、行ってみよっか」
東の方を見てから、最後にすこしだけ骨董店を眺める。待っててカルタ様!9月にきっと会いに来てみせるから!
東の端にあった喫茶店は、私の貧弱な喫茶店知識が思い描く場所そのものだった。茶と黒の落ち着いた色合いで統一された店内。クラシックの音色がかすかに聞こえて、カウンターの方を見るとなんとレコードプレイヤーがあった。
ひぇぇぇ!と私の中の庶民魂が悲鳴を上げる。これがCDプレイヤーや、音楽再生機器だったら安心して落ち着けただろうけれど、レコード!プレイヤー!
入り口で立ち止まった私の横を、黎は特に気負うことなく通り過ぎていく。私の弟、凄い……。カウンターの奥から、目の端にわらい皺のある初老の紳士が出てきて、にっこりと黎と私に笑いかけてくれた。
「お二人様ですか?」
「はい」
「奥の席にどうぞ。橙色の象が居るテーブルがお勧めです」
そう言って紳士は茶目っ気たっぷりにウィンクする。心臓がどきどきしてきた。橙色の象ってなにそれ気になる。それにおじい様がかっこよくて、私、転生してから初めて異性にときめいたかもしれない……!
「ありがとうございます。サヨ姉、気になる?」
後半はちょっと小声だった。びっくりして黎を見ると、「目、輝いてる」と半眼で突っ込まれる。うう、私の弟は姉のすべてをお見通し!
「きになります……」
胸のあたりまで手を上げて挙手をする。黎は「じゃ、そこで」となにやらぶっきらぼうに言いつつ、さっさと奥の方へと行ってしまった。
橙色の象とは、陶器の砂糖瓶のことだった。中に入っているのは粉砂糖。象の頭がぱかっと開いてお砂糖は投入され、象の体を傾けると鼻の部分からお砂糖がさらさら出てくるみたいだ。ひとしきり眺めてから、正面に座っている黎が見ていたメニューを覗き込む。メニューに並ぶ値段は、例えば全国チェーンのレストランとかよりは高いけど、珈琲を一杯飲んだだけで、千円札さんが旅に出るほどではない。
ちょっと贅沢したい時。ゆったりとした時間を楽しみたい時。そんな時に来るところなのかも。
「黎、なににするか決まった?」
「んー……。珈琲……紅茶……ソフトドリンクは外したんだけど」
「お姉ちゃんは寛大なので、ゆっくり待ってあげよう!」
「珈琲で」
「即答!?」
黎が手に持っていたメニューをぱたんと閉じる。いやいや、黎はきっと私をあまり待たせるのも悪いと思ったのだろう。うんうん、私の弟は優しいからね!なんか「この姉ちょっとうざくない?」みたいな顔してないからね。
「じゃ、たのもうか。すみませ……」
声を上げようとして、上げた手が宙で止まる。奥の席からは、出入り口の様子もよく見えた。新しいお客に、マスターが対応している。そのとき、二人組のお客の一人……草色の和服を着た男性が、こちらを見た。二十代半ばに見える男性が柔らかく微笑んで、隣の中学生くらいの少女に囁きかける。
彼女は、私の方を見ると小麦色のツインテールをぴょんと飛び跳ねさせて、「あ!」と声に出した。
「やっと見つけた! もー、蘇芳のおじ様とこのあたしにどれだけ探させるのよっ」
「ああ、やっぱり? 小麦ちゃんありがとうね、僕じゃちょっと自信が無くて……」
「いいのよ、おじ様。小麦の目はお兄様譲りなんだから!」
マスターと、弟の視線が一気に突き刺さる。黎は出入り口の方を振り返ってから、行儀悪く頬杖をついて私の方を向き直る。
「……知り合い?」
いいえ、知っているけど知らない人です。




