二十六話「文化祭の話・三」
「さあ。どんどん行きますわよ」
ぱんぱんぱん!
桧皮さんが、柏手を打ちながら私に迫る。私は大きく頷いて、同じくらい大きく息を吸い込んだ。
「おじいさんおばあさん、みやこからえらいひとがおたずねになったとか……」
ぱし!
手を打つ乾いた音が聞こえる。桧皮さんがこっちを見ていた。いや体育館中の視線がこっちを向いている。
「なんですのその棒読みは!」
「は、はいっ」
「あなたの技術力なんて箸にも棒にもかからないレベルなのは知っています! ですからせめて、棒は棒でも感情的な棒になれですわ!」
意味が分からない。感情的な棒ってなんだろう。大げさにすればいいのかな。
「お、おじいさんっ。おばあさあああん」
「喜劇じゃありませんのよ、かぐや姫はー!」
だんだんと地団太踏む桧皮さんに、私はとにかく大声ではいっと頷いた。
……それから、二時間ほど後。
私は、放課後の屋上でたそがれていた。いいね、屋上。この誰も居ない隅っことか。びゅうびゅう吹く風とか。誰も居ない隅っことか。
桧皮さんに怒鳴られること数十回。覚えた台詞をど忘れすること数回。
おじいさんおばあさん役の子たちに、「大丈夫?」と優しく声をかけられること、二三回。
お芝居って大変だなあ。空を見上げてため息をつく。
ふう。あ、もう一回。ふー。……うん。
あの後、最後まで反抗するつもりだった私は山吹様のたった一言に陥落してしまった。
『きっとご家族のみなさんも喜ばれると思いますよ?』
――である。
目から鱗が落ちた気分だった。
前世で文化祭は何度もやったけど、劇なんてしたことがなかった。そもそも劇というものは、演劇部の劇か2.5次元の舞台しか見たことがない。
今世となる今だってそうだ。千年の恋歌に劇イベントがあるのは、私はもちろん東子ちゃんもわかっていた。だけど、山吹様と蘇芳くん限定イベントだし、好感度がかなりいる。おまけに本筋にまるで関係ない学園イベントだ。
だから、文化祭関連は満場一致でスルー。東子ちゃんの「千年の恋歌の学園イベって、本筋にぜんぜん関係ないですよね。キャラクターの魅力を楽しむガン振りっていうか」という言葉で、この先も学園イベントはスルーされることが決定したような気がする。
――とにかく!
前世から、劇というものに縁遠かったのよね。
だから、劇に出たら、誰かが喜ぶ……家族が喜ぶという発想にまったく繋がらなかった。故に目から鱗。山吹様の言葉に衝動的に一言返事していた。
もちろん、答えは「はい」である。その瞬間、クラスのみんな(マイナス蘇芳くんと委員長)も「はい!」と答えたことにより、二組全員の参加が決まってしまった。いいのかな、みんなはそれでいいのかな!?
「うん……とりあえず、おいとこう」
みんなで楽しく劇をする。そして、家族に娘の元気な姿を見せる! でもってなんかこう、クラスメイトともうまくやっている的な感じでひとつ!
……がんばろう。がんばろう!
私は、哀愁を捨ててやる気を取り戻し、屋上を後にした。
それからの日々は、過酷を極めた。
朝は桧皮さんに叩き起こされ、昼休みはおにぎりかサンドイッチを麦茶で流し込み。
放課後は日が暮れるまで、練習練習。もちろん休日なんて、優雅で楽しいものはない。
屋上でたそがれる余裕もない。みんなの目は燃えていた。
山吹様に恥をかかせるような真似は許さないとめらめらと訴えていた。いっとう燃えているのは、言わずもがな桧皮さんだった。
「やってもできないというのならおやめなさい!」
「あなたのような人がどうして山吹様に……!!」
「やった、やりましたわ!」
上二つはとても聞き覚えがあったが、最後、私の手を握り、嬉しそうにくるくる回った桧皮さんを見て心配というか恐怖的なものは消えた。その後、恥ずかしそうに咳払いしつつ、山吹様を見ていた桧皮さんもとても可愛かった。
山吹様は、桧皮さんと私を見て穏やかに笑っていた。なんか気になる顔だったのでちょつと見ていると、それに気づいた桧皮さんに頭をはたかれた。
山吹様の方を再び見ると、さっきとは違い楽しそうに笑っていた。
他にも東子ちゃんといろいろ相談したり、家族とメールをしたり、深緑くんを探したり――日々は過ぎていき、六月の中旬。文化祭は六月二十二日――夏至の次の土曜日なので、文化祭まであと一週間の日。私は、ベッドの上で正座をした。
少し離れた所には、あれでなにで地味な存在感を放つ携帯電話がある。
明日は、日曜日。そして午後からではあるが、久々に私に休日がやってくる日。
そして、そして、そして――。
ぷるぷるんとゼリーのように震える手で、携帯を持ち上げてすでに何度も開いた一通のメールを開く。
『From:黎
Title:RE:RE:黎へ
分かった。じゃあ明日、一時に駅前で』
私は、枕に向かってダイブしようとした。けれど、勢い余って正面の壁にしたたか頭をぶつける。
「~~~~っ!?」
痛い!かなり痛い!おでこが直撃したよっ。ふぉぉぉっと額を押さえて呻くも、勝手に口元が緩んでいく。
「う、え、へへ……ふ、ふ……」
額を押さえながら、うめき声ではなく緩み切った笑い声を上げる。これはだめだと理性がすぐに判断を下す。うん、だめだね。変質者だね。黎にドン引きされる未来しか見えないよ……!
『え? なんでそんな笑ってんの、怖いんだけど』
とか言われそう。ああ、でもそんな黎の顔を見てみた……くはないよ!? うん!そこまでお姉ちゃん、鋼鉄の精神してないっ。
ひとしきり緩み切ったうめき声をあげてから、私は立ち上がった。このままではいけない、黎の為に、そして私の輝かしい明日の為にも!
誰にも見つからないように、抜き足差し足忍び足でこっそりと寮から出る。外は薄暗く、この半袖の夏服ではちょっと寒い。腕をさすりながら、裏庭の方を見る。壁から繁みから、花壇の陰まで見終えて、私のテンションはちょっとだけ下がった。
それから、私は黙々と歩き続けた。けれど、一向に頭のふわっふわとした熱は去ることなく、口元も気づけば緩んでしまう。すれ違った女子生徒に、ちらっと見られた程度では、動じない。
むーむー……コホンゴホン。これは一度、状況を整理してみるべきではないか? 私。
私が地に足がついてない感じで浮かれている理由――。
それは、ずばり、明日……!
「卯月?」
「ふひゃあっ!?」
その場でぴょんと飛び上がり、私は奇声を上げる。いつの間にか目の前に立っていた蘇芳くんが、びっくりしたように赤い目を見開いた。
「あー……邪魔した?」
「えっ? べ、べつに邪魔とかないですよ?」
「ならいいんだけど。お前、こんなところで何やってんの?」
「こんなところ?」
「ここ、男子寮の裏庭だけど」
「ひぇぁっ!?」
飛び上がって辺りを見回すと、確かにすぐ近くに男子寮――女子寮とは壁の色が違う――がある。そして、なんだか女子寮の裏庭と似た感じに、花壇やら、なんやら……。
顔から血の気が引いていく。全然、前とか後ろとか横とか見ていなかったけれど、ひょっとしてさっきの女の子、「どうして男子寮の方に行ってるんだろう?」的に見てたのかな!?
「その様子だと迷ったか?」
「そ、そうですそーですそーです!!」
「女子寮まで、ひとりで帰れるか?」
「もちろん!」
勢いよく頷くと、蘇芳くんがはぁと軽くため息をついた。
「近くまで送ってく」
そんな滅相もないと全自動の首振りコケシになったものの、蘇芳くんはさっさと歩きだしてしまった。男子寮の裏庭なんてものに、女子一人ポツンと置いて行かれるわけにはいかない。慌てて追いかけると、少し走っただけで蘇芳くんに追いついた。
「あのー、蘇芳くん」
「なに?」
「えっと……ありがとう」
「気にすんな。むしろお前を放っておくほうが気になる」
まあね。迷って男子寮の裏庭をふらふらしているクラスメイトとかめっちゃ気になるよね。私も、蘇芳くんが女子寮の裏庭に居るのを見たなら、自分の目と頭を疑うもん。
……でも、どうして蘇芳くんは私が裏庭に居たのに気が付いたんだろう?
裏庭に行くところを見られていたとか? それとも、蘇芳くんの部屋から裏庭が見えるのだろうか。
ちらっと見上げると、赤い瞳とぶつかった。
「……一応、聞いとくけど。朽葉に用だったのか?」
「なんでやねん!!」
「は?」
「ごめん、あまりにも予想外なこと言われて……」
そ、そんな風に思われてたのかっ。だから第一声が「なんでここにいる?」じゃなくて、「邪魔した?」だったのか蘇芳くん!!
すこし前の日々。私にまだ自由時間があった頃のことを思い出す。山吹様に屋上に呼び出された時も、蘇芳くんに勘違いされたんだよなぁ。――ここは、誤解を根っこから引き抜かなければいけない気がする。なにがいけないって私の心の平穏の為に!
「えっと、蘇芳くん。私が、迷ってあそこに居たのは考え事してたからなんだ」
「……考え事?」
訝しげに蘇芳くんが目を細める。続きを促されているような気がして、私は清水の舞台から飛び降りるような気持ちで口を開いた。
「明日、弟に会うんですっ」
「……」
「めっちゃ楽しみなんですっ」
「……」
「正直、浮かれすぎて引かれそうな可能性・大!で悩んでいたというか……。
あの、蘇芳く」
ん、という単語が、宙に浮く。蘇芳くんは赤い瞳を細めて私を見ていた。優しい眼差し、だと思う。でも、なんだろう。なにかが違う。いつもの、蘇芳くんと。
「朽葉が、言ってたんだ。
卯月は文化祭の手伝いを引き受ける時も、家族が喜ぶからって引き受けたって。
卯月は、家族が好きなんだな」
心臓を手で掴まれたように、時間が止まる。蘇芳くんにとっての家族の話題は、地雷スレスレのグレーゾーンだ。気が狂った母に、泣き叫ぶ母を愛する父。狂った家族の中で、唯一、まともな蘇芳くん。
でも、蘇芳くんはこれまで黎の話をしても、何も言わなかった。私のことなんてあまり興味ないのかな。いいや、蘇芳くんが優しいからかなって思っていた。
蘇芳くんは、優しい。それは間違っていない。
だけどそれだけじゃない、蘇芳くんは信じているのだ。
世の中には互いを想い、守りあう家族が居ることを。鬼の力のように確かではなくても、目には見えない愛情があることを。
だから、……だから。
「そういうの、いいな」
顔から火が出るくらい、私は恥ずかしかった。だって、蘇芳くんが眩しいものを見るような目で、私を見ている。ずっとこんな風に見られていたのだろうか。ずっと、こんな風に……手に入らない遠くの星を見るような、目で。
「あははー、うん。私もそう思う! すごく……すごく、しあわせっ」
「ん」
「明日、会えるのは黎だけなんだけどねっ。夏休みは、実家に帰るつもりだから、父さんと母さんにも会う予定!」
「そうか」
「今から楽しみで、もー寝られません!」
「ちゃんと寝ろ」
ぴんっとおでこを弾かれた。ちょっと痛い。視界の端に涙がにじんだのは、たぶん気の所為だ。そうこうしているうちに、女子寮が見えてきて、蘇芳くんがじゃあなと手を上げて踵を返す。私は右手を高く上げて、ぶんぶんと手を振り蘇芳くんの姿が見えなくなるまで、見送った。
自室に戻って、ベッドにダイブし天井を見上げる。
家族の問題を抱えているのは、蘇芳くんだけじゃない。攻略キャラだと山吹様もあれだ。山吹様と蘇芳くんの家庭の状況は少し似ている。心を病んだ母から過剰なほど期待をかけられ、父親は既にない。山吹様の家族と呼べるのは、年の離れた妹だけだ。
ファンの間では、山吹・蘇芳の二人は「家族」。深緑・新橋の二人は「信じるもの」が、テーマとなってるんだよねーと言われていたっけ。ちなみに鳩羽くんは、「家族」と「信じるもの」どっちもである。
「……私、すっごい、すっごい、……幸せなんだ」
きゅっと拳を握って、開く。誰かのあこがれになるくらい、当たり前の幸せを享受できている。それを、忘れないようにしよう。
ごろごろとベッドの上で転がってから、もう一度、携帯を手に取りメールを見ると、新着メールが一件あった。黎からだ。
『早く寝ろよ』
ぶっきらぼうな一言に、胸がきゅんとする。黎ってば、お姉ちゃんの睡眠時間まで心配してくれるなんて、ほんと優しい子なんだから!




