二十五話「文化祭の話・二」
私は、桧皮さんと蘇芳くんに事情を話そうとした。
しかし、まるでこれから始まるぐずぐず泥沼劇を予想させるように、口を開くと同時に先生が入ってきて、HRが開始される。桧皮さんは少し離れた席へ。蘇芳くんは隣の席へと戻っていく。
床に散らばって落ちた思考を、身を屈めて拾いながら、私は考え込んだ。手の甲で顎を支えるかの有名な、考える人のポーズである。まず、ちらりと蘇芳くんに視線を向ける。いつもどおりに見える。
だが、こういう誤解を解くことは素早い方がいいのである。恋愛ドラマでも小説でも、主人公もヒーローも悪くないのに、タイミングが悪く重要なことを話せずに、一話、二話。一巻、二巻と二人の距離は広がって。誤解が誤解を呼ぶのだ。
私は先生の話を聞き流しながら、ノートから頁を裂きシャーペンを握った。
そうして、さらさらと自分の言い分を書く。
『山吹さんとは三回しか会ったことはありません。
蘇芳くんと仲いいからと、文化祭の劇に一緒に出てくれないかと頼まれただけです。
なにがどうなったのか分かりませんが、さっきほどのことは誤解。誤解です』
改めて振り返ってみると、「友達と仲がいいから一緒に出てほしい」っていうこれ、おかしいよね。別クラスの人間なのにね。
まあ山吹様のクラスでは、ヒロイン役のかぐや姫に全女子が立候補したり、鬼の一族VS人間という図式が発生したりと、いろいろと大変らしい。
だから仕方ないのである。すべては山吹様の魅力のせいです。
私はそれから更に誤解だと三回くらい付け加えて、謝って、その紙を二つ折りにしてそっと蘇芳くんに差し出した。
「……」
ちらりと蘇芳くんがこっちを見る。
目線でなに?と聞かれた気がしたので、私はひたすらに自分の差し出した紙を見つめた。
蘇芳くんが二つ折りにした紙を開く。そこで、HRが終わった。日直の号令が教室に響く。
蘇芳くんは、二つ折を更に二つ折りにした。
「後で読むから」
「あ、はい。お願いします」
それからも、私のまるで少女漫画のモダモダ展開のような間の悪さは続いた。
一時間目は移動教室。桧皮さんに話しかけようと足を踏み出した所で、先生に呼び止められる。休み時間に蘇芳くんに話を振ろうとしたら、目を吊り上げたお嬢さん方がクラスの外から睨んでいたので、咄嗟に寝ている振りをする羽目になる。
――などなど。
昼休みまでに、起こったタイミングのずれの数々は悠に十個を越え、私を苦しめた。なんだか集中砲火を受けている気分である。
しかし、それもここまで!
昼休み!昼休みこそ、私は桧皮さんと蘇芳くんの誤解を解く!
そして、なんか広がっている誤解も解く!
私は握りこぶしして、蘇芳くんを見る。蘇芳くんもちょうどこっちを見ていた。
タイミングかいい。幸先がいい。
もしかしたら、私の午前中のタイミングの悪さは、お昼休みの為にあったのかもしれない。
ここを乗り切れば、きっとあっという間に誤解が……。
「蘇芳くん、ところで……」
「茜、こんにちは。あ、卯月さんも、こんにちは」
がらっと扉が開いた先には、諸悪の根源がビニール袋を持ってこちらを見ていた。
理不尽に平手を食らわせたいくらい、爽やかな笑顔で。
やきそばパンに豆乳という不思議なラインナップの山吹様が、ぷしっとストローをパックに刺す。
その横で、蘇芳くんが私と同じく寮母さん特製らしいお弁当に箸をつけた。
……蘇芳くんの前で、私も、お弁当箱を開く。
ここで山吹様の近くに座るなどと言う愚はおかさない。私は、今日の数々の失敗で警戒しているのだ。
「卯月さん」
山吹様が、豆乳を飲み始める前に私のほうを向く。私は、お弁当箱から山吹様の首の辺りに視線を移した。
顔を見てはならぬ。魅了を警戒しているわけでもあるが、下手に――顔を見てはだめだ。
緊張して何を言い出すかが分からない。形ある義弟でも持て余しているのに、形ないもだもだのタイミング神など、どうやって相手にすればいいのだ。
「なん、でしょうか」
「茜と桧皮さんから聞きました。
僕とあなたとのことで、なにかおかしな噂があるとか」
手元が狂って弁当箱の蓋を、蘇芳くんの方に飛ばしてしまった。
蘇芳くんがナイスキャッチして私に返してくれる。ごめん。そしてありがとう、蘇芳くん。受け取って頭を下げてから、山吹様の焼きそばパンを見る。
「そう、みたいですね」
一体全体、彼はこの人目につきすぎる昼休みの教室で何を言い出す気なのだろう。
まさか、私とそして周囲に引導を渡すつもりなのか。「これからよろしくお願いしますね」とか何とか言って、既成事実を……いやいない!いないから! 自意識過剰で猜疑心にあふれすぎているから、今の私!
クラスメイトたちが、こちらの様子を窺っているのが分かる。私も、焼きそばパンを見つめながら、山吹様の返事を待った。
「すみません。僕が卯月さんに頼みごとをしたのを見られていたようで、
周囲におかしな誤解をさせてしまったみたいです」
周囲がざわめいたのが分かった。私は咄嗟に顔を上げた。見たらダメだと動物的直感が働いていたが、あげてしまった。
山吹様が笑っていなかった。申し訳無さそうに、眉を下げ、小さく俯き、こっちを見ていた。
「……あ。ああ、はい。わたし、は大丈夫でしたよ?」
私は、がっくりがっくがくと頷いた。なんだ今のはずるい。あんな顔をされたら、あれやこれやを水に流すしかないではないか。
こんな人の目の――ああ。ひょっとして、だからここで言い出したのだろうか。
みんなの前で、誤解を解くために。くっ。なんだか山吹様いい人?と思っちゃっている自分が居る。いや、思い出せ私! 山吹様に関わっていなかったら、私の午前中は平穏無事だった!
「ありがとうございます。卯月さん。もし、なにか気になることがあったら言ってくださいね」
「いえいえ、特に何も」
ほんとに何もなかったよね。私の空回りくらいだ。
その後は、話はひと段落といった具合で、山吹様はさらりと引いてストローに口をつけ、私も箸を持ち上げる。蘇芳くんはというとこちらの会話終了まで待っていてくれたみたいで、お弁当の中身がまったく減っていなかった。優しいか。
後はもう、主に話すのは山吹様と蘇芳くん。私は背景。時々振られた話に返事をする係。
――へ、平和だぁ。山吹様と蘇芳君という二大目立つ鬼二人と一緒に居るのに、平和……!
「そういえば、卯月さん」
「はいはい」
私はなんとなく慣れた気分で、山吹様の学ランから上を見ることができた。
山吹様はたぶん笑っていた。にこにこと。それはもう楽しそうに。
「卯月さんには、かぐや姫を「よろしくありません」
反射的に遮ってしまった私は、遠目に見える桧皮さんの冷たい目を見て我に返った。
慌てて山吹様を見る。笑顔だった。でもさっきとなにか違う。楽しそうなのは変わりない。しかし、こうわくわく?どきどき?みたいななにかがあるようなないような、そんなバカな。私が山吹様の気を引いてしまっているとかそんなアホな話があるわけがない。あるわけがない!
「かぐや姫を、お願いしたいなって思っているのですが……
協力してくださるって、いいましたよね?」
しかし。私が戸惑っている間に、山吹様はつらつらとすらすらと言ってしまった。
教室が、水を打ったように静まり返る。私は膝からずり落ちかけたお弁当を死守しながら、かたかたと震えた。フラグはまだ折れていなかった。
そして先に結論を言うと、私はこのフラグを折ることができなかったのであった。




