二十四話「文化祭の話・一」
噴出した挙句に咽るマナー力ゼロの私に、山吹様は優しかった。
優しく大丈夫かと聞いて、首を縦に振るとそうですかとあっさりと引く。
「というのは置いておいて」
「置いとくんですか!?」
「置いておかなくていいんですか?」
こちらを向いた山吹様は、緩く首を傾げてにっこりとした。その笑顔は、なんだか普段の三割り増しで輝いているように見える。これぞ、山吹様必殺の後光スマイルだ。
後光の眩しさにくらみながら、私は、ぶんぶんと首を振った。置いておいてもらえるのなら、是非高く遠くどこかへ置いておいてほしい。そしてそのまま忘れ去っていただけるのを希望しますとも!
私の必死さが可哀想になったのか、山吹様はこちらを憐れむような目で見る。だが、それもつかの間のことだった。
「実は、卯月さんにお願いがあるんです」
「は、はあ」
ひとつ頷いて、狐が草むらから遠くの狼を見るような慎重さで山吹様を見る。なにがあっても、もう驚かないぞ。驚かないったら驚かないぞ。……しかし、山吹様はどういう意図で、今のやりとりをしたんだろうか。一女子高生ごときに彼の思考が読めるはずもないけれど、地雷源のごときバッドエンド群を通り抜け、彼を降参させた(ゲームの中で)実績を持つ私である。
わけがわからず翻弄されるままでよいのか。いや、絶対によくない! 私は拳を握りしめた。心の中で。そして、気合いを入れるためにも現実で拳を握る。実は今にも逃げ出したいのを堪えるためでもある。山吹様はこわい。
私は、じっと山吹様の次の言葉を待った。山吹様は、そんな私の緊張を見抜いてか、緊張をほぐすかのように、ほんのり柔らかく笑って……。
「僕のクラス、文化祭で劇をするんですが、一緒に出ていただけませんか?」
今度は噴き出さずにすんだ。けれど、私の思考をフリーズさせてから、爆発させるだけの威力はあった。止まったまま爆破させられた思考は、あちこちに飛び散らかって、拾い集めるまでに三刹那くらいの時を要する。
文化祭? 劇? ――うん。なにいってるんだろうこのひと。
「劇、ですか? でも、山吹さ、んと私は、別クラスですよね」
山吹様の制服のボタンあたりを見ながら問うて、心の中で冷や汗を流す。私としたことが、様付けで呼ぶところだった。思えば、山吹様の名前を面と向かって呼んだのはこれが初めてである。もう六月なのにね。出会ったのは初日なのにね。過去を振り返る私に、山吹様が、ええと首肯した。
「紅緋学園は、五月末の体育祭の後に、すぐに学園祭があるでしょう?
開催まで一か月もないですから、学年の縛りはありますが、クラス合同での出展が認められているんです」
山吹様の淀みのない説明に、私はしっかりと頷いた。そういえば、ゲーム内でもそういう説明がされていたなあ、と今更ながらに思い出す。……今更すぎる。
もっと早くに思い出して、しっかりと確認していれば、山吹様に数々の失態を知られずにすんだだろう。
最近、勾玉探しに気を取られていたからというのは言い訳にならない。これは完全に私の落ち度である。文化祭のことなんて、つるっと喉越しよく忘れていた。
ちなみにゲームでも、ニ組と一組は合同で劇をしていた。好感度によって、劇の相手役や演目が変わる仕様である。懐かしさに不思議な気分になりながら、私は頭を働かせた。
たしか、ええと。この後は――
「ええと、それは分かりましたが、何故、私なんですか?」
「はい。それなんですが……
卯月さんはしっかりしていますし」
『あなたはしっかりしていますし』
「茜と仲良くできる女子は珍しいんですから」
『茜と仲良くできる女子は珍しいですから。
すみません――』
「気分を悪くさせてしまいましたか?」
なんだ、これ。山吹様の声が、二重に聞こえる。
ちがう。幻聴だ。幻聴のはず。
だけど、今の言葉はまさしく、「千年の恋歌」のセリフ。他クラスの主人公が、劇で山吹様のお相手に選ばれる時のヤツ。
ゲームそっくりのイベントが起こることは、別におかしいことじゃない。プロローグも紅緋さんイベントも起こったしね。だけどやっぱり動揺する。私は本当にゲームの世界に居るんだと思い知るから。
でも、だからなんだ。これからどうするかは、もう考えたんだから――!
「山吹様!」
「……はい?」
「馬なら歓迎します!」
山吹様が、金色の目をまん丸くした。そこで私は、心の中で高笑い、自分に拍手だ。
もちろんゲームの選択肢にこんなものはなかった。ゲーム主人公は、馬とか言い出す子ではなかった。ちょっと天然ボケ入っている真面目で優しく礼儀正しい――ほんと、さゆちゃんみたいな子だった。
故に、山吹様は私に呆れる。同じイベントだろうとゲームとはまったく別の展開になる!
――もしかしたら、ゲーム知識を使えば、山吹様や蘇芳くんといい感じになることもできるかもしれないが、はっきり言おう。無理!無理です!
だからこそ、目的だけはブレないでおきたい。
世界を救って、さゆちゃんの味方をするのだ。
でも、主役は、ちょっと残念だ。山吹様の演劇イベントの題目は、「かぐや姫」。山吹様は帝、主人公はかぐや姫なのだ。かぐや姫の衣装、十二単衣ですよ、十二単衣。和風の極みみたいな衣装じゃないですか。着てみたいよね。
「……卯月さん」
「はい?」
「演目はかぐや姫なので、馬は登場しないと思います」
「あ、ハイ」
そう、ダッタヨネー! ほら、かぐや姫ならおじいさんおばあさんとか、月とか!そっちでよかったじゃないか!
苦悶しているうちに、私は気づいたら、「協力する」という言質をとられて解放されることと相成った。「馬が居ないかは、いちおう聞いてみますね」と、山吹様はきらきら笑顔で請け負ってくれた。おそらく、憐れまれた。
私は山吹様が去った屋上で、一人顔を覆って項垂れた。
この世は、無情。転生乙女ゲーム残酷物語である。
というかですね。山吹様のあの爆弾発言にはなんの意味があったのだろう。
項垂れつつない知恵を絞ったが、「私をびっくりさせてぼろを出させる」とか「会話のイニシアチブを握る」とか、それっぽく聞こえる程度のものしか思いつかなかった。
残念な頭である。大学生とはなんだったのか。
「……くくっ」
あと、扉が閉まる前に、押し殺した笑い声が聞こえた気がするけれど、気のせいかもしれない。気のせいだよね、絶対。
翌日。
私はクラスについた途端、阿修羅のごとき顔をした桧皮さんにとっつかまった。
「どういうことですの!?」
「な、なにが!?」
「だーかーらっ。どういうことですのー!」
がっくがっく。揺さぶられる。シェイクされる。
中身は出そうにないが、だんだんと気持ち悪くなってくる。視界の端で、先に席に着いていた蘇芳くんがゆっくりと顔を上げた。ああ、蘇芳くん助けてくれていいんだからね!?
冗談ですお願いします助けてください。心の中で頭をへこへこ下げながら蘇芳くんを見ると、彼はこちらを見て――。
「……、桧皮、その辺にしてやれ」
ぴたりと桧皮さんの手が止まる。さすが蘇芳くん。ありがとう蘇芳くん! ありったけの感謝のまなざしを蘇芳くんに送ると、彼は真摯な瞳を私に向けた。
「朽葉のこと、頼んだ」
「……はい?」
いったい蘇芳くんはなにを言っているのだろう。彼に友人のことを頼まれるほどのことは……ああ! ひょっとすると、蘇芳くんも山吹様が心配なのかな。そうかそうか、二人はお互いを想いあう友人同士なのね。これからも仲良きことはうつくしき……あれ?
そうだとすると、何故桧皮さんまで?
寝起きのように働かない頭をくるくる三回転させて、私はようやくポンと手を打った。そうか、劇か!
蘇芳くんの態度はちょっと大げさのような気もするが、それで納得が出来る。桧皮さんは、山吹様から直接頼まれたことがバレたのだろうか。
ちらりと桧皮さんを見る。今度は般若だった。こわい。
「ええと、あの……桧皮さん、蘇芳くん。劇のことだったら、私、ちょっとお手伝いはすると言ったし、出来る限り努力する、けど……」
言葉が尻すぼみになっていく。蘇芳くんは瞬き、桧皮さんの眉はドンドンと釣りあがっていく。
桧皮さん。その顔かなり怖いです。美少女の怒った顔は、とても綺麗で怖いです。
桧皮さんは、怒った顔のまま、小さく息を吸って吐いた。蘇芳くんは彼女が落ち着く様子を見て、開こうとしていた口を閉じている。キッと、鋭く苛烈に桧皮さんは私を睨みつけると。
「なにをとんちんかんなことを仰っていますの。
あなた――これから大変ですわよ。山吹様から告白された女子は初めてですから」
私は、昨日に引き続き思考を爆散させられた。山吹様の次は桧皮さんである。
もしかして、私は黄色と相性が悪いのだろうか。




