二十三話「今日の運勢:苦手克服の機会は突然やって来るでしょう」
六月三日。
私は、第三安置室こと開かずの扉から、ゾンビのように顔色悪く、のろのろと出てきた。私は舐めていた。甘かった。今この場で砂糖を飲み干せるくらい、べろんべろんに甘かった。なにを言っているのか自分でも分からないです! でも甘かったのです!
「……クリックゲーってまだ楽だったんだ」
淡い光を放つ、緑色の欠片を見てため息をつく。
ようやく、見つけることができた。始めてから早三日。毎日、毎日、ひたすら壁と向かい合う日々。一時間かと思ったら、ただの十分。十分かと思ったら、まだ一分。
そのうち時計を見るのも辛くなってきた。しかし、時計を見るのをやめることはできない。寮の門限があるからだ。
けれど、日程の半分で見つかったのだ。これも、毎朝、占い番組を見ていたお陰だろう。
時々、うさぎのチャームや団扇などのラッキーアイテムをつけて赤面していたお陰であろう。
これで、東子ちゃんにいい報告が出来る。そして毎日のように送っている勾玉・報告メールを消去する時に、目から汗を流さなくてすむのである。
「はぁぁぁ~」
大きく息をついて、ぐん!と背筋を伸ばす。
私は晴れやかな気分で廊下を歩き出した。腕時計を見てみると、時刻は5時56分。
およそ一時間半、あの暗い部屋に閉じこもっていたのだ。
もう一回、大きく息を吸って、吐いた。
うーん!うまい!
ああもう、通りがかる人、こっちを向く人から、窓の外の木に止まっている鶏じゃなくて鳥も! 全部が輝いて見えるね! 今日の私は、くじを引けば大吉、宝くじを引けば300円以上が当たること間違いな――。
「……あ」
「あ」
金髪金目の王子様が、私を見て小さく口を開ける。
私も、金髪金目の王子様を見て、大きく口を開けた。
もちろん私は、くるり颯爽すたこらさっさと逃げようとした。
山吹朽葉を見たら即逃げろ。やつを見たらフラグだと思え。二つの命令は、私の脳内隅々まで染み渡っている。
「卯月さんですよね」
くるりとターンを決める前に、つま先がぴったりと床に張り付く。顎を落とさんばかりに口をあんぐりと開ける私へと、山吹様はニコッと爽やかに笑いかけてくれた。
「蘇芳くんと同じクラスの」
二か月あまりの苦労が、たったその一言で粉砕された。蘇芳くんの知り合い=山吹様の目に留まる。そういう図式が頭に浮かんでは消えていく。やめてー!
蘇芳くんと一緒の所を、山吹様に見られないように気をつけてはいたけれど、世の中に完璧はない。いや私は完璧からほど遠い。そもそもね! 蘇芳くんという山吹様のご友人と関わっているのに、いつまでも山吹様を避けられると思うのが、土台無理な話でして……。
でも、蘇芳くんと関わらないっていうのは無理だし。嫌だし。だ、だけど、やっぱり山吹様に見つかるのも嫌だったかな……!!
いや待て卯月サヨリ。ただ単に知り合いを見つけたから、声をかけてきたのかもしれないよ? 山吹様、表面上は誰にでもフレンドリィだからね。加えて蘇芳くんが山吹様の友人なのは、全校レベルで周知の事実だからね。
だから、ひょっとしたら、「私」じゃなくて蘇芳くんの知人に、挨拶してくれたのかも……。
笑みの形を描いていた砂金の瞳が、一度じっと私を見てから、ふんわりと細められた。
「卯月さんにお聞きしたいことがあるのですが……、
すこしお時間を頂いてもよろしいですか?」
あっ。これアカンやつですわ。
山吹様に連れられてやってきたのは屋上だった。
そういえば、ここは山吹様と蘇芳くん専用といっていいほど、彼らしか現れないポイントだ。そして、山吹様は保健室にも現れるお人だったな……。
どうして忘れていたんだ私。懐のメモ帳が泣いているぞ。
六月初めといえば、梅雨の印象が強いが、今日の天気は曇り。降り出しそうで降らない天気に、屋上の人気はなかった。山吹様は、まず扉横の自販機前に立ち止まると、私の方をちらりと振り返った。
「卯月さん」
「ハイ!」
「何がお好きですか? お付き合いさせてしまったお詫びに、奢らせてください」
微笑を浮かべた山吹様に、背筋がゾクッとする。な、なんだろう? ちょっと風があるから? それとも汗のかきすぎで、ちょっとばかりひやっと……。
うん、ほんとは分かってます!恐怖の背筋ゾクッです!
いやいやいや……山吹様には他意はない。さすがに失礼だぞ、私。ここはご厚意に甘えるべきだろう。
「えっと……お、お茶でお願いしマス」
「はい、どうぞ」
山吹様がぴっとICカードをかざして支払いを済ませ、私の方へと冷たいお茶を手渡してくれた。その後、山吹様はふたたびICカードをかざし、自分のペットボトルを購入した。炭酸だ。そういえば、山吹様って王子様な外見に反して、ジャンクフード好きっていう特徴があったっけ。私は自分のペットボトルのお茶に視線を移した。って、ああ!
「あの、ありがとうございます。お茶」
「どういたしまして。無理に連れてきてしまったお詫びと、お礼ですから。お気になさらずに」
「ハ、ハイ!」
優しげに微笑む山吹様に、私は従順な犬と同じくらい早くハイと叫んだ。見よ、このスピード。あなたの家のワンチャンにも負けないぞっ。
ペットボトルを購入し、屋上の中ほどに設置されている木製のベンチに二人で座る。もちろん私は即座に隅っこを確保した。山吹様もとく何も言わずに、ベンチの端に座ってくれた。
ど、どうしよう。何を喋ったら、といいますか。「お話」ってやっぱりそれであれで勾玉ですよね! 勾玉の欠片を二つ持っている今の状態ならば、山吹様の魅了にも抗えると思う。だけど、色持ちの――始祖の鬼、紅花の血をもっとも濃く引く「五色」の山吹。その家のご長男である山吹様の魅了に一般人(仮)が抗えたら、それはそれで端から端までベリーベリーアウトーッ!なんですけど!
こ、これはあれだ……いざとなったら、私の名演技力で何とかするしかない……。
「卯月さん、お茶、飲んで貰って構いませんよ」
「そ、ソウデスネ! わーい、ごくごく美味しいなー」
「それはよかった」
にこっと爽やかに笑って、山吹様はペットボトルの蓋をくるりと回した。ぷしっといい音がする。私もひたすらお茶を飲むことに集中する。そうしていると……うん、なんかちょっと落ち着いたかも。
私の様子が少しばかり改善したのを見計らってか、山吹様が私を一瞥してから正面に目を向ける。さすが山吹様。私があなたに見られていると落ち着かないのを分かっていらっしゃるとも! でも、たしか魅了って相手の瞳を見ていないと、いけなかったような気がするんだけど……。
「卯月さんは……蘇芳くんと、いえ茜と仲がいいと聞きました」
身体からちょっと力が抜ける。なんだ、蘇芳くんの話題かー。なんだー……いやいや、油断禁物! 油断大敵! 警戒を緩めるなですよ、卯月サヨリ!
「そうですね。蘇芳くんとは席が隣なので、仲良くさせてもらってます」
「……茜は、クラスに馴染んでいますか?」
山吹様が小首を傾げる。その表情は、笑顔からちょっとだけ変化していた。柔らかな笑顔が、すこし心配そうな笑顔にである。
「そう、ですね。私のほかだと、女子はこの前転校した白鷺さんと、あと桧皮さんともよく話してます。男子生徒とも、ちょこちょこ話しているのを見かけますよ」
滅多に人と話さない蘇芳くんだが、最近は少しずつクラスメイトと交流している。
まあ、件の男子生徒たちは、主に私や桧皮さんと話している時に、割り込みされている気がしないでもない。――私は知っている。
彼らの狙いが、男子とは滅多に話さない桧皮さんとお近づきになりたいからだと。
元々人気が高かった桧皮さんであるが、体育祭からさゆちゃんお別れ会という一連の流れで、更にファンを増やしていた。
近寄り難い綺麗な人から、友達思いの優しく綺麗な人へ。高嶺の花から、高嶺はそのままに、親しみやすさがプラスされた感じである。
私? もちろん、桧皮さんへの取っ掛かりである。今は転校したさゆちゃんへの繋ぎを取りたいという人にも人気だ。か、悲しくなんてないし! 桧皮さんのお陰で、クラスメイトの女子とは馴染めてきてるし!
「……そうですか。
茜は、あまり人と付き合いたがらないところがあるんですけど、
とてもお人よしで、人のことが好きな奴だから。勿体無いなって思っていたんです」
そう言う、山吹様の横顔はなんだろう? ふわふわしていて、不思議だ。柔らかいってこういうこというのかな。
なんかなー。なんだかなー。
ぴんっと体に張り巡らせていた緊張が、どんとん緩んでいくのが分かる。山吹様が私をここに連れてきたのは、てっきり鬼関係か、勾玉関係だと思っていた。油断させてから、この人気のない場所で洗いざらい吐かされるのかなーとかうんちょっぴり思いました。
でも、違ったんだ。蘇芳くんと、山吹様は幼馴染。私はそこを迂闊にも見落としていた。
疑心暗鬼になっていたなあ、反省反省。蘇芳くんの話題ということならば、ガンガン喋ろう!
「蘇芳くん、すごく優しくて面倒見がいいから分かる気がします。
でも蘇芳くん、今の調子だったら、そのうちクラスの人気者になっちゃったりするかも!」
「人気者の茜っていうのも、ちょっと想像しづらいですけど」
まるで鯨が空を飛んでいることを想像するかのように、空を見上げる山吹様に、ちょっぴり噴出してしまう。たしかに、人気者の蘇芳くんって、蘇芳くんには悪いけどすこしばかり想像できない。
なんというか、「俺についてこい!」っていう男気溢れるリーダータイプっていうより、「俺は勝手にやるから、お前らも勝手にしな。ただし、他人に迷惑かけんなよ」というカリスマ放任主義だから……。
いや、でもやっぱり想像できるかも。
お別れ会の日、きっと暗い顔をしていただろう私に話しかけてくれた蘇芳くんを思い出す。
蘇芳くんはなんたって、とっても面倒見がいいから。
それから暫く、私は山吹様とあれこれ話した。
内容は主に蘇芳くんのことだった。蘇芳くん、いい友達持ってよかったね! これからも末永く仲良くね!
しかしこの、特定の話題で盛り上がる感じ……覚えがある。そう、まるでさゆちゃんと弟のことで仲良くなったあの時のようだ。
知り合いや共通点を介して仲良くなっていく……つまり、私は、さゆちゃんや深緑くんのように、山吹様とも友達に!?
想像して私は思わず心の中で、全身こんにゃくのようにぷるぷる震えた。
ついで、深緑くんのことを思い出した。深緑くん元気かなあ。最近、寮の裏庭をうろうろしても会えない。もう会えないとは思いたくない。いや、「深緑千歳」とは、七月になれば会えるといえば、会えるのだけれど……。
とにかく、深緑くんのことは、鋭意努力だ。早起きだ!
しかし、山吹様、話してみたら意外といい人だった。これも一種の食わず嫌い? ツンデレ?
視界の隅で、山吹様が炭酸ジュースの蓋を閉めるのが見えた。私は最後の一口を慌てて飲む。時計を見れば、そろそろ六時半。辺りはまだ明るいが、寮の門限は7時である。
もう帰らなくては。
私はそう思い、最後の一口を飲み干し――
「ところで、開かずの扉で何をしていたんですか?」
笑顔で首を傾げる山吹様に、思いっきり噴出した。




