二十一話「未来対策会議・二」
ゲームのこととか、井上さんの立場とかあれこれ話していると、時計の針が十時を指していた。
「そろそろ行きますわ」
井上さんは丁寧なお嬢様口調でそう言って立ち上がった。私が中身は年上と明かしてから、ずっとこんな感じである。可愛いけれど、すこし寂しい。いやそうではなく。
「もう夜遅いし、泊まっていっても……」
「サヨリさんは心配性ですね。
でも大丈夫です、私はバイクでここまで来ましたから」
「バイク!」
声を上げる私に、井上さんが嫣然とする。とても年下には思えない。いや見た目的には同い年だし、井上さんのほうがこの世界で過ごした時間は、ずっと長いのだ。
アレ? ひょっとして、中身の年齢もとうの昔に越えられているんじゃ……時間のマジックに恐々とする私に、井上さんは笑みを消した。
次に彼女の顔に浮かんだのは、遠い昔を思い出すような、手の届かない星を眺めるような。そんな、少しだけ切ない表情だった。
「今日、サヨリさんと会えてよかったです」
「……うん、私も」
私は頷いた。井上さん――東子ちゃんが、小さく笑う。また今度と手を振って、ベランダの手すりに縄を結び、来たときと同じように、軽やかに、そして颯爽と東子ちゃんは去って行く。東子ちゃんの姿が見えなくなるまで見送って、私はぽけーっとベランダの手すりに寄りかかった。
「はあ~……つかれた」
思えば、今日は怒涛の一日だった。さゆちゃんを探して走って、いろいろ取り戻して、紅緋さんから逃げるために走って、さゆちゃんの正体を知って、東子ちゃんと出会って。なんか私、走ってばっかりだな。今日の半分以上は走っていたと思う。
でも、さ。でもさ。
「よかったぁ……」
私、黎のこと弟だと思っていいんだ。私は、お姉ちゃんなんだ。お母さんも、お父さんも――私の家族なんだ。それに、前世の死因も思い出したよ。交通事故だよ。なんかドンギャリギャリ!っていう音しか覚えないけれど。あっちの家族のことを思い出すと、胸が痛んでしようがないけど。
おとうさん、おかあさん。二十歳になる前に死んじゃってゴメン。親不孝者で、ごめんなさい。でも、私は、ここに居ます。ここで、生きています。
夜空に向かって、手を伸ばす。私はここに居る。ここに居るよ。異世界の、お父さん、お母さん。届いたら、いいな。
ぎゅっぎゅっと手を握ってー開いてー、よしっ。がんばろう! まずは、お手製メモ帳パワーアップだ!
ぐるんと方向転換し、部屋に戻ってテーブルの上へメモ帳を広げる。
まずは、現状の整理をしてみよう。
ここは、「千年の恋歌」の世界。私や、東子ちゃんにとっては「ゲーム」の世界。
鬼という別の種族が存在し、彼らの根城ともいうべき紅緋学園に主人公がやってくるところから、物語は始まるのだ。
無数のバッドエンディング、何度も滅びかける世界、ヤンデレしかいない攻略キャラクター、プレイヤーに求められる恐怖耐性……ともろもろ、人を選ぶ要素満載のゲームだった。でもね、乙女ゲーとしてはよかったんだよ! やたらと力が入っているヤンデレルートが本題だとあちこちで書かれていたけれども、ノーマルルートの甘々っぷりはすごくとても砂糖でした。
会長のバカップルルート、山吹様のツンデレ(物語的な意味で)ルート、蘇芳くんの孤独に寄り添うルート、深緑くんと一緒にもろもろに立ち向かうルート、鳩羽くんに癒されるルート……。
もうっ。もう! フローリングの床をローリングしたね! 特に会長のルートと、山吹様のルートの砂糖っぷりったら……ひぎゃっ。
口元を手で押さえて、ぷるぷる震える。
あ、あれ? あれ、もしかして、そーういうことが私にも、お、起こりうる……!?
私主人公みたいだし!? 勾玉、持って、た……!
「でもここさぁ……」
急上昇したテンションが、直角九十度の坂を転げ落ちる。そうだった。……そうである。
例え、私が脇役キャラではなく主要人物であろうと、変えられないことがある。
それは、この世界が――もはや、ボッチルートだということだ。
千年の恋歌には、誰とも絆を結ばなかったルートというものも、もちろん存在する。それがノーマルルート、通称ボッチルートだ。
八月末までに、誰のルートにも入らなかった場合、そこから時間が一気に進み、九月の末となる。二学期も始まって一月、みんなの夏休み気分も消えてきたある日に、紅緋学園地下を震源とした大規模な地震が発生。紅花神社はもちろん、紅緋学園高等部も倒壊し、たまたま校庭に出ていた主人公は呆気にとられる。
一瞬で崩壊した校舎、あちこちから聞こえるうめき声、無数の血の匂い……。一秒前まであった日常が、訳も分からず終わってしまう。そしてそれは、やがてこの町だけではなく、日本全国に広がっていくだろう――そう感じさせる、エンドだった。
ペンを持つ手が、震える。
まだ五月の末だけど、私がもっとも行きやすいのはこのルートだ。なぜなら、私には「勾玉」がない。元から主人公が持っている勾玉がない現状では、他のグッドエンドやノーマルエンドを見られるかすら怪しい。
それならば、私が出来ることは……。
勾玉の欠片を集めること。
そして、鬼無を手に入れること、だ。
鬼無――最強の鬼・紅花が創って、人に与えた刀。勾玉の欠片を集めきれなかった場合にのみ、手に入る鬼殺し。
私はそれで、世界を崩壊させる原因を――神社の地下に封印された鬼・紅花を、殺さなくてはいけない。
ポケットに入れていた勾玉の欠片を取り出してみる。
歌声は聞こえない。頭痛もない。ただ、勾玉の欠片は、私の手の中で輝いている。淡く、ぼんやりと。
大丈夫、できる。できる、はずだ。
よし、今日はとにかく寝よう!そうしよう! ……と思って、寝たはずでした。
足の裏がじゃりじゃりする。微かに痛くて、微妙にくすぐったい。
けれど、私は歩いていた。まっすぐ、まっすぐに。
辺りは暗くてよく見えない。でも、私は立ち止まったり、辺りを見回したりすることもない。
ある場所の前で立ち止まり、ポケットの中から財布を取り出した。
それから、財布の中より五円玉を取り出し、賽銭箱に投げ入れる。
鈴を振り、合図をしてから、二礼二拍手一礼。
そうして目を開けると、目の前には……彼が居た。
「……卯月、ごめん」
刀――鬼無と似た刀を持った、蘇芳くんが立っていた。
目を開けるとそこは、自室だった。急いで起き上がる。なんか凄く重要っぽい夢を見た気がする。だけども、うーんっ。うーーーん!!
唸る。唸る、けども! もちろんまったく思い出せない。
私は憤慨した。こういうものは、覚えていてこそ役に立つというものなのだ。なんというか、フラグというか、伏線の匂いがする。
うーん。うーん……ぐ、ぬぬぬ……。
よし、もう一回寝よう! 考えても仕方ない!
ベッドに逆戻りして、木目の天井を見上げる。いったいなんの夢だったのだろう。気になるけれど……そう思っているうちに、いつのまにか、ふっと意識は闇に落ちて行った。




