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和風ヤンデレ乙女ゲームの脇役に転生しました?  作者: 千我
二章「夏は日向を、冬は木陰を」
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十八話「白紙の記憶」


その日、私はうきうき気分で二階の自室から飛び出した。

春である。この世の春である。

そして、春の次に夏があった。草木生い茂る、雑草たくましい、更なる喜びのある夏である。

廊下を降りてリビングに向かう。

まずはテレビ、もしくは新聞紙だ。できればテレビを見たい。時事ニュースとか、とても詳しく。けれど、リビングには先客がいた。真剣な顔でテレビの中のクマさんと向かい合っている男の子である。


「……」


誰だろう。もしかして、もしかすると、「弟」だったりする?

私に弟、居ちゃったりするの!? 逸る興奮と好奇心を抑えるため、一回、二回。

呼吸を整えてから、もう一度、リビングをのぞき込む。今度は、扉の合間からそーっとである。

そーっと扉を開き。

そーっと中をのぞき込む。

万が一にでも驚かせちゃいけないから、慎重に……慎重に。

相手は私よりちっちゃいんだから。私はお姉ちゃん(希望)なのだから!


「あっ」


早速目があった。

黒い瞳がまあるく見開かれる。

私には分かった。なにせ弟は居ないが、従兄弟や親戚の子は見たことある。遊んだこともある。主に、髪の毛ひっぱられてどつき回される係だった。舐められ担当だったともいう。

――だからこの子、私のきょうだいだ!

きょうだいってもうあれだよね。めっちゃ可愛がっていいんだよね。嫌がられなかったら、頭撫でたり、本を読んであげたり……していいんだよね……!

胸がドキドキする。更に扉を開けようと伸ばした手はしかし、途中で止まった。


「………っ」

 

見開かれた黒い目が潤む。分かる。泣かれる五秒前だ。

これはいったん出直すしかない。私は扉を閉めなおした。実に冷静な対応だったと思う。

うそです。弟もしくは兄に怯えられ、ハートが砕けました。

ぷるぷる震える腕で、ぐしぐしと乱暴に顔を拭う。べ、別に泣いてないからね! ちょっと目やにが……心の汗が。


「ううっ……」


閉めた扉に背を向け、リビングへの扉からちょっと離れたところで腕組みする。

うーん。テレビはダメ。共用のタブレットや固定電話の類も見当たらない。新聞も購入していないようで……

――つまり、残るは大人!大人に聞く!

と思いつつも、自分の今朝の記憶を振り返り、すぐに首を傾げる羽目になった。


「えええ。なんか……ふわふわモヤモヤ」


例えばここが自分の家だということは分かるけれど、さっき怯えられたきょうだいの名前は分からない。自分の名前は分かるけれど、年齢をはっきりと言えない。

まるで宙にフワフワ浮いてるような。なんかそんな感じなのだ。

――混乱してるのかなぁ。そうかもしれない。まだ前世の記憶、思い出したばかりだもんね。

私は卯月サヨリ。前世は若くして死んで、今世はなんとあの……


「いや冷静に考えると、とてもまずくない?」


首元のペンダントを見て、独りごちる。

「私」が生まれた時に持っていた石に、チェーンをつけてペンダントにしたものだ。私はこれからコレの所為で、無事故無病息災で居られて、友人知人から裏切られ、弟は誘拐未遂に遭い、父の会社は倒産し、母は身内を次々に亡くし……果ては家庭崩壊だ。

だけどコレを捨てたら、あれでそれで20年以内に世界が終わる。

でも身内を不幸まみれにしたくない。あとできれば、両親、弟(仮)や親戚には、末永く優しく接してもらいたい。


「………~~」


ぷすん。

頭から煙があがる。私はすぐに考えるのをやめた。

部屋に戻って、「おうちのまわりをさんぽしてきます」というメモを残し、慎重に階段を下りて、音を立てないように、玄関に降りる。

三和土の隅にあった小さな赤い靴を履いて、私はそろそろと玄関を開けた。

横に引くタイプだった。

からからという音が鳴るたびに、私はびくびくと肩を揺らす。

聞こえるかな。分かっちゃうかな。さすがに、これは……怒られるかな? でも、ちょっと! ちょっとだけだから!


外の――


世界が、見えた。

後ろ手で玄関を閉めて、息を飲む。

家に居たときより、たくさんの音が聞こえる。

頬をなでる風の音。

どこかの家の犬が吠える声。

自動車の走る音に、人の話し声。


……。

見える。聞こえる。感じている。


「私、生きてる」


頬をつねっても痛い。夢じゃない。夢じゃないんだ。

後ろを振り返る。二階建ての建売住宅の表札に書かれている苗字は、「卯月」。前世と同じ名前だ。名前も同じ。卯月サヨリ。今はたぶん5歳。

だけど家の外観に見覚えはなく、たった今目に映っている景色にちっとも見覚えがない。

前世の私には、弟なんていなかったし……お父さんもお母さんも、違う人なんだろうな。

それでも、私の家族だ。きっと大事になっちゃう。

 

「………ちゃんと考えなくちゃ。

 できれば、こう家族に迷惑かけなくて、11年後までまだ世界がある方法……」


また頭から煙が出そうになる。ええいと足を踏み出し、私はそっちを見た。我が家があるあたりはそこそこの住宅街らしく、周りには似たような一軒家が立ち並んでいる。等間隔に並ぶ家屋の隙間に、その公園はあった。


「まずは、情報収集しよう」


胸元のペンダントをぎゅっと握りしめて、私は公園へと歩き出した。



公園は意外と遠かった。

近くに見えても、歩けど歩けどたどり着かない。まるで蜃気楼――って、私、5歳だから。歩幅もそれ相応に狭いのだ。


「……それっにしても、時間……かかりすぎだとっ」


大人だったら1分の距離を、5倍かけて歩く。額から流れ出る汗を拭って、私はようやくたどり着いた公園を眺めた。

――ひとが、居ない。えっ。子供は? ブランコとか滑り台とか砂場とかで縦横無尽に走り回る子供たち……は居なかったけど。

公園で一等大きな木の下で、ぼんやりと立っている男の子が居た。年はいくつだろうか。ちらりと様子を垣間見るけど、男の子はこっちに気づいた様子はない。ただひたすらに、ぼんやりと木を見上げている。近づいて横に立ってみた。……うん、何の反応もありません!


「なに見てるの?」

「………」

「わ、私、怪しいモノじゃないよ! たぶん君と同じくらいの……」

「………」


反応がない。声どころか視線もこっちを見ないのである。

これ、大丈夫かな。熱中症じゃないかな。

はらはらしながら彼の前に回り込む。そこでようやく、彼の目に私が映った。


「………」


今度は、私が口を閉じて黙る番だった。

紫色の瞳。濡羽のように黒い髪。少女めいた顔立ちの、どこか陰のある男の子。CGで見た顔である。――鳩羽、菫。「千年の恋歌」の隠しキャラクターである。


「大丈夫」

「う、うん。それは、よかっ……」

「でも、妹が大丈夫じゃないんだ」


平板な声音で、鳩羽菫が続ける。

――千羽鶴も。お守りも。祈祷も。もちろん病院の治療も。怪しげな薬も。何もかもダメだった。

桜を見上げながら、淡々と言う彼の顔は、ひたすらに淡々としている。悲しみや苦しみを押し殺し、ただ埋めようとする人がこんな顔をするのかもしれない。


「この木、桜の木かな」

「たぶん」

「もう、花咲いてないんだね」


『――次の年の桜を見る前に、妹は死んだんだ』

『ごめんね。君に少し、似てるんだ。

 ごめんね……』


そう言って、ゲーム中の鳩羽菫は切なげに主人公を見る。何となく妹に似ているからという理由で(作中で妹の姿は描写されないけども)、鳩羽菫は主人公を気にかける。通常ルートでは、妹ではなくちゃんと主人公を見てくれるようになるけれど、ヤンデレルートでは、完全に妹と混同し主人公を溺愛してくる。

どっちでもまあシスコンなんだけども、他キャラクターより、血みどろの結末が少ないのもあって、ゲームプレイ中の印象は「ヤバイけど怖くない」って感じだった。

押し黙る私を気にした様子もなく、鳩羽菫はぽんやりとつぶやく。


「死んじゃうのかな」


まるで。

まるで現実味のない悪夢を語るような声だった。

こんなイベントなかった。そうはっきり断言できる。彼のイベントやルートはよく覚えているのだ。何故なら一番最後に攻略したキャラクターだったから。

ゲーム中で、鳩羽菫の妹は最初から死んでいる。

11年前に原因不明の病で倒れ衰弱死。死にたくない、桜が見たいという妹の言葉を、鳩羽菫は主人公に打ち明ける。いつも穏やかに笑っていて、誰にでも優しく、転校生なのにあっという間にクラスに馴染んだ人懐っこい少年のもろい一面。

それを見て、主人公は彼を支えたいと思うのだが、彼の家系は実は大罪を犯した鬼の家系で――というのが、鳩羽菫の物語だ。

――でも。でも。でも。生きてる。鳩羽菫の妹が、生きてるんだ。

胸元のペンダントを握りしめる。

なにかしなければ。焦燥感が胸をちりちり焦がす。

でも、私には何もでき……でき……


「死なない」

「……」


鳩羽菫は何も言わない。ただ、こっちを見た。濃い紫色の瞳が、私をまっすぐに見る。


「これは、持っている人を守ってくれるお守りなの。貸してあげる」

「そんな――」

「いいから」


胸元のペンダントを無理矢理、鳩羽菫に押しつけた。それから、その効能をとくと説明した。彼はうさんくさげだった。怪しげな勧誘や物の押し付けもあったらしいから、仕方ないだろう。だけど、これ……これ、めっちゃすごいものなんだから!

私は熱を込めて語った。

青い瞳。くるくるふわふわパーマの髪の女の子。

その子が持っていた間に起こった、風邪から打撲、隕石落下まで。

鬼とかそういう部分を省いて、分かりやすく。それでも、鳩羽菫は半信半疑だった。

まあ、ちょっとはわからなくもない。どんな医者にかかっても、どんなに祈ってもダメだったものが、これひとつで治ると言われても信じられないだろう。それに。


「大切なものなんだよね。やっぱり――」


返すよ。手のひらに乗せられた、ペンダントを返される前に、私は首を大きく振って、胸元でバッテンを作った。


「だめ! 妹さんが元気になったら、返しに来て」


家はあっちだからと指そう思って、はたと思い出す。鳩羽菫は、本当にこの近所に住む子供だろうか。私の覚えている限り、主人公と彼の間で実は幼馴染だったと言うイベントはない。それどころか彼は、父親から逃げるために母親とあちこちを転々としていたはずだ。ゲームでは、母親が亡くなってしまい、父親が保護者になって――六月に転校生としてやってくる。

ペンダントを渡せば、彼は学園に来ないかもしれない。たぶんその方がいいんだと思う。――でもペンダントは絶対に返してもらわなくちゃいけないわけで……

ややこしい。ただでさえややこしい事態を自分から悪化させている気がする。


「11年後!」

「え?」

「貸してあげるから、11年後に紅緋学園高等部で返して。それからこのことは、誰にも秘密にしてね!」

「べにひ……?」


鳩羽菫は、大きく目を見開いた。真剣な私の顔に、気圧されたようである。


「菫! どこなの!?」


切羽詰まった女性の声に、鳩羽菫が弾かれたように公園の出入り口を見る。明るい髪の美人なお姉様が、鳩羽菫――菫くんの顔を見て、ほっと安堵の色を顔に浮かべた。

たぶんこのひとが、菫くんの母親だ。――めちゃくちゃ美人だけど、ぜんぜん知らない人……!

自分の胸で、ちいさく渦巻くものがあるのが分かる。「母さん」と菫くんが呼ぶのを聞いて、胸の渦巻きがぱっと散った。

うん。私も会おう。聞きたいことは、ぜんぶ家族に聞こう。弟の名前も、両親の名前も。今日のことも、自分のことも――話したい。


「それじゃあ、菫くん」

「ちょっと待って――!」

「またね!」


晴れやかに笑って手を振ると、菫くんがぽかんと口を開けていた。そんな子供の手を引いて、菫くんの母親は急いで公園を出ていく。

――美人の気苦労をこれ以上増やしたくないし、紅緋学園の名前を聞かれていないといいなぁ。 

菫くんの母親は人間だ。おまけに鬼のことを知らないけれど、鬼である父親から息子と娘を守るため、逃げ回っているらしい。彼女はたぶん紅緋学園の実態は知らないだろうけど、学園のある木山町のことは知っているだろうし……。


「……無茶だったかなぁ。ペンダント、捨てられたらどうしよう……」


とぼとぼと歩きながら、お家の玄関をくぐる。いいや、鳩羽菫はそんな子ではない。ゲーム知識を生かした行動をしたのだから、そのゲームの知識を信じないと。


「妹さん助けられるかもだし、勾玉の一時避難もできた。あとは……」


ぐわんと視界が揺れた。え? なに――


「うう」


たまらず三和土の上に座り込む。

気持ち悪くない。頭も痛くない。どこも、痛まないのに。

ただ。

目の前の風景が――意識が、遠ざかっていく。


「おか――、おと……」


なんで。どうして。私。

――まだ何も、できてないのに……!



上がりまちをよじのぼっていると、眉を吊り上げた「お母さん」に怒られた。

私は神妙に反省する。従順に頷く。

だけど、「私」は、わたしじゃない。なに、これ。

しょんぼりとした顔の弟に謝られた。ごめんなさい、と言われたので許した。

そのうち夜になって父さんが帰ってきて、ただいまと小さく言ったので、お帰りなさいと返した。


『……お、まえっ』


頭が痛い。

けれど、「私」は頭が痛くない。

母に言われてベッドで眠り、目覚ましで目が覚め、弟と一緒に幼稚園へ。弟がちらちらとこっちを見ていたけれど、私は何も言わずに、ただ車の後部座席に座っているだけだった。


『!!』

『!!!』


幼稚園でも、「私」は何も変わらない。受け答えはする。けれど、自主的になにかを始めることは皆無だった。そんな「私」を大人は、「大人しくて手のかからない子」。子供は「つまらない子」と見た。ただ、なんにでも簡単に頷くので、小学校低学年の時は掃除当番や荷物運びをよく押し付けられた。


「卯月さん、これセンセのところまで代わりに持っていってー」

「うん、いいよ」

「ありがとー助かる!」


きゃあきゃあ頷くクラスメイトの少女に、彼女が担任教師に持ってくるようにいわれたプリントを渡された。そのうちあれもこれもと渡される。

廊下に出るとき、「私」はプリント三十枚と、ノート二十六冊を両手に持って、よたよたとしていた。


「サヨ姉!」


後ろから弟の声が聞こえて、「私」は立ち止まって振り返る。


「また押し付けられて……断んなくちゃ」

「うん」

「っ」


弟が、きっと「私」を睨み付けた。だけど、すぐに反省したように目を伏せて、「手伝う」と素っ気無く言い、ノートを全部持ってくれた。「私」はそれをぼけっと見つめた後、ありがとう、とお礼を言った。弟はちょっと嬉しそうにそっぽを向いた。

翌日。私はまた宿題のノートとプリントをクラスの子に押し付けられた。弟が渋い顔をして、「私」とノートとプリントを見る。


「サヨ姉、断らないと」

「うん」


「私」はよどみなく頷いた。弟は、一瞬息を飲んだ後、ねえ、と震える声で尋ねた。


「サヨ姉。

 ……僕がプリント持っていってっていったら、やっぱり持ってくの?」


弟は顔を伏せている。「私」は、それを見ながら頷いた。


「うん」

「っ、」


ひゅっと、弟が息を飲んだ。顔を上げる。弟の顔は、真っ赤で涙目だった。


「おねえちゃんのバカ! バカ!! ……だいっきらい!!」


そう大声で言い捨てて、弟は走り去った。廊下中に響き渡った弟の声に、みんながみんなこっちを見ている。

「私」は弟の背を一秒ほど見送った後、彼に背を向けて歩き出した。職員室に資料を届けるために。


弟は、学校で「私」を見ても、それ以降、声をかけてくることはなくなった。家でも「私」を見るとぷいと顔を背けてしまう、だけど、「私」にプリントノートが押し付けられることは、なくなっていった。きっと弟が、担任にそれとなく伝えてくれたのだろう。それに、「私」は何も言うことはなかった。気づいてすらいなかったのだ。

中学に上がっても、「私」は何も変わらず、時々雑用を押し付けられ、成績はほどほどの位置をキープし、部活には特に何も入らなかった。父が「やりたいと思わないなら、部活をするのはやめておきなさい」と言ったからだ。

反対に、弟はテニス部に入った。毎日夜遅く帰ってきて、朝早くに出て行く弟に、母は「楽しそうねえ」とにこにこしていた。

三年生になって、私は担任の先生に進路を聞かれた。


「卯月の成績なら、よっぽど難関じゃない限り問題ないだろう。

 ただなあ。卯月、お前、なにかやりたいことないのか?」

「高校の資料をください」

「いや、そういうことじゃなくてだな」


先生は、頬をぽりぽり掻きながら、「私」に分厚い資料をくれた。それは、他の生徒に渡したものより数段分厚かったのだが、そんなこと「私」には分からない。ただ母に言われたとおり、資料を手に入れただけだ。


「ここからは先生の独り言だがな、卯月。

 お前にはなにもやりたいことがないように見える。

 いつも、誰かに言われるまま、その言葉を素直に受け取って、単純に行動してるだけだ。

 確かに誰かの言ったことに頷いておけば、誰かの言うことだけを聞いてれば、その時の自分は楽だ。

 だけど、未来の自分は楽じゃない。

 お前が何も考えなかった分、躓いて、転んで、苦労するのは、未来のお前なんだよ。


 なあ、卯月。お前は何がしたいんだ?」


先生が真剣な顔で「私」を見る。「私」は頷いた。


「わかりました。ありがとうございます、先生」


「私」の言葉に、先生は頬をかいてひらひらと手を振った。



夕食後、リビングのテーブルで母が資料を広げた。


「うーん。どこがいいかしら。ね、サヨリちゃんどこか行きたいところある?」

「うん」

「うんうん、それは悩むわねえ」


母は明るく言って、娘の「私」の頭を撫でた。

よしよし。まるで小さな子共に対する扱いのようである。しかし、「私」は特に反応を示さない。向かいの席に座っていた弟が眉を寄せた。だけど何も言わない。

ここ数年、弟とは挨拶以外で口を利いていなかった。


「こことかどうかしら。

 うちから自転車で十分! T大に入学した人も居るんだって」

「うん」

「んー。でも、サヨリちゃんは、今までいっぱい勉強頑張ったもんね。

 ちょっとくらいはっちゃけたほうがいいかも? 

 あ!」


ぱらぱらと母が資料のページを捲る。

「私」はそれを見ていた。


「ここ! ここはどうかしら。

 すごくいっぱい部活があるわー。カルタですってカルタ! 

 地歴部ってなにかしら? 華道に茶道、アーチェリーにラグビーに」


母が指折り数えている。私は頷きながら、資料を見た。かすかに、頭が痛んだ。

時々、こんなことがある。

緑色のものを見たとき。街中で誰かの声を聞いた時。約束、と昔、弟に言われた時。

『私』。

卯月サヨリは、誰なんだろうと思う。

思う。

思う?

そんなことはない。私は、もう死んだのだ。

大学に行く途中、トラックに轢かれて、十代で死んだのだ。ここに居るのは、名前だけ同じの別人。

だけど、私。私は……


「サヨリちゃん、ここ……気になるの?」


母が真剣な顔をして、「私」を見る。

「私」の手が、ある資料のページを押さえていた。

私立紅緋学園高等部。……紅緋。紅、緋?


『……お、まえっ!!』


『――どうして今更手放したんだ!!

 あれは、兄上の心で、お前に、わたした……

 唯一のっ、』


『ああ。

 でも、そんな、簡単に手放すくらいなら、

 僕が貰ってもいいですよね、


 義姉上――!!』


頭痛がする。

誰かが、頭の中で叫んでいた。こめかみを押さえる私に、母が心配そうな顔になる。


「おとうとに、」


正面の弟が瞬く。母もそっちを見た。


「怒られた」

「……別に、怒ってないけど」


こっちの弟が、そっぽを向きながら言う。

うんと頷いて、「私」は黙った。結局、「私」は何も分からぬまま、自分の意思さえないままに、紅緋学園高等部を受験し合格した。

そして、一人の美少女と出会い、思い出す。

自分が誰だったかを。


そしてそして。今の私、卯月サヨリは布団の中で丸まっていた。

十年分の記憶と呼べない……意思のない、行動記録は、私を芋虫にするに充分だった。


ちょおおおおおっとまってええええ!!

ていうか転生で当ってたの!?

私、なんで勾玉もってたのってか、菫くんに上げてるの!?

いやわかる。あのときはそうしなくちゃと思った。わかるよ。あわよくば、彼の双子の妹を助けられると思ったのよ!そうすれば、菫くんの不幸連鎖は事前ストップできるもんね! なんだか分からないけど、あるなら試したくなるよね。

勾玉だし。勾玉だし! 主人公のチートアイテムだし!! でも持ってたら、主人公は不幸になるし!?

けどその後!その後ですよ!! なんで全部記憶を失ってるのっていうか、人格すらないじゃないですかー! 都合のいいバシリ扱いされてるじゃないですかー!

そして。

黎にめっちゃくちゃ酷いことしてるじゃないですかああああ!!

――あと、中学の先生ごめんなさいまじごめんなさい。お父さんもお母さんも本当にすみませんでした。娘があんな状態だったら、気が気じゃなったですよね本当にごめんなさい。


もうダメだ。何をやってもダメな日ってある。きっと今日はそういう日。

そんな時には何をするか――このまま寝るのが一番だよね。起きたら全てが夢で、私は未だに記憶喪失の高校生かもしれない。


深く目を瞑って、開ける。うん。現実逃避は、許されませんよね。

目を開けた先には、深い藍色の羽織を纏った……紅の瞳、黒い髪。少女めいた顔立ちの、和風美少年。紅緋が居る。


「思い出していただけましたか、義姉上?」


彼は、手の中でころころと勾玉を転がした。間違いない。あれは、私が菫くんに渡した勾玉だ。「勾玉」は、無理やり奪ったり盗ったりすることはできない。誰かに譲渡する場合は、勾玉の所有者が望んで手放さなければいけないものだ。

私が勾玉を渡したのは、菫君。昨日まで勾玉を持っていたのが、……さゆちゃん。いま、勾玉を持っているのは、――紅緋さん。

さゆちゃんの泣き顔が、浮かぶ。それから、幼いころに会った鳩羽君の顔も。

もしかすると、さゆちゃんは……鳩羽君の、妹なのか。鳩羽君の妹の容姿について、詳しい描写はされていなかったけれど、鳩羽君の双子の妹だったということが語られている。鳩羽くんから私の話を聞いて、代わりに約束を果たしに来てくれた――あり得ない話じゃない。

だけど、なんで。さゆちゃんは勾玉を紅緋さんに渡したのだろう? なぜ、あんなに泣いて……。

ううん、今は。今は、置いておこう。


「それ、返してください」


起き上がって、この世で唯一、純粋な鬼である紅緋と向き合う。しかし、紅緋はちっともこれっぽっちも、私の話なんて聞くつもりはなかった。


「魂と引き離され、ただ在るだけの義姉上も面白かったですし、

 記憶を探して右往左往する様も楽しかったですけれど。

 やっぱり、こうして自分の記憶と自我を取り戻された、義姉上と向き合う方が嬉しいですね」


いい笑顔である。つられて笑顔になったりはしない。私は、引きつる頬を必死で笑顔の形に持っていこうと頑張ったが、無駄だった。


「さて。本題に入りますか。

 義姉上……という呼称にきっと疑問を感じておられるでしょうね。

 といっても、僕とあなたは血が繋がった姉弟ではありません。

 ただ、前世の。ずっと昔の、話ですよ」


ゲームと、ほんとんど同じ台詞である。眩暈がしてくる。ここにきて、ここにきて。

プロローグ以来のゲームそっくりイベントの登場である。


「僕の兄上とあなたは遠い昔に心を通い合わせ、結ばれました。

 すみません。今のあなたには関係のない話ですね。

 こんなことを急に言われても、戸惑うだけでしょう。

 

 だから、率直に申し上げます。

 これ、と」


紅緋さんが、勾玉を掲げる。私は廊下をちらりと見た。誰かがやってくる様子もない。


「対になっている、勾玉を――その欠片を、あなたはお持ちですね?

 それは、とても危険なもの。

 世界を憎んだ兄の力の欠片、破滅を呼ぶ鏑矢。

世界に終わりをもたらしかねないものなんです。ただの人間であるあなたが持っておくには、危険すぎる。

 だから、僕に渡してくれませんか。

 大丈夫。

 僕は兄と同じように――ただの人ではないのです」


す、と紅緋さんが掌を差し出した。真っ白な手。紅緋は、真摯にこちらを見つめている。

ちなみにこのシーンは、CG付きだ。

紅緋さんには、専用BGMもあったりする。だから、もしかしたら攻略キャラなのかも、と初見ユーザーは思っちゃったりするのだ。隠しキャラだね。私もそう思っていた。

おまけに紅緋さんが言っていることはほとんど本当。嘘はついていない。

でも、――もちろん言われるがまま、勾玉を渡してはいけない。

紅緋さんは、いやこのヤンデレ義弟は、千年の恋歌のあらゆるバッドエンドの大半の原因である。世界崩壊フラグもちの終末系ヤンデレだ。

兄・紅花のこと以外どうでもいい、寧ろ滅んでいい存在だと思っている。特に、勾玉を持って生まれてきた「女」は。

ちらりと廊下の方を見る。誰も来ない。誰も来る様子がない。


つまり、これは……私は、世界は――。


「義姉上?」

「……。」


私は無言で、紅緋さんを見つめた。

五月の末日、紅緋さんとの会合。

ゲームでは例外はあるが、好感度が一定以上に達しているキャラクターの関係者が登場する。もちろんこの時でなくても会うことはできるけれど、最低限、夏休みまでにサブキャラたちと会わないと、攻略キャラクターのルートには入れない。よっぽど選択肢をミスりまくるか、寝まくるか、計算して配分するかしないと、大抵は誰かが来るものだ。


――だけど、誰も来ない場合もある。


多分、さゆちゃんなら蘇芳くんの関係者が来ただろう。さゆちゃんが本来の勾玉の持ち主で、今ここに居るのであれば。しかし、今ここに彼女は、居ない。居るのは私である。私が、攻略キャラで一番仲いいのは、深緑くんだ。友達だしね!


そして、重要なことが一つある。


ふかみくん、

この会合イベントが終わってから、

好感度あげないと、

攻略できないキャラなんですよ……!!!


具体的に言うと、このイベントの前に仲良くしすぎると、ルートフラグが消滅する。

ここでサブキャラも出ないし、深緑くん関係のイベントが進行することもない。

つまり深緑くんと友達の域まで達している私は自動的に、「誰とも仲良くないルート」に入った可能性がある。

今こうして、紅緋と向き合っているのが私で。

攻略キャラのフォローが期待できなくて。

そもそも、彼の手に、勾玉があるのなら。


「うそ、でしょ……」


もう詰みとしかいいようがない。

紅緋の手に、主人公の勾玉が渡ってしまう終わり。それが五月の終りのバッドエンド。


主人公が軟禁されるエンドなのである。




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