十六話「体育祭の話・四」
具体案が出せないまま、とうとう体育祭の日が来てしまった。
あれから、さゆちゃんに「どんな人なの?」と話を振ってみても、「秘密」と可愛く返されるだけ。かといって、さゆちゃんは外部入学なので、彼女の過去をこの高校に知る人は居ない。同じ学校の子も居ないんだよね。
なので私はとにかく、イベントの洗い出しをしていた。
とくに二週目限定イベントである。「千年の恋歌」には、周回プレイ要素がいくつもあった。サブイベント、恋愛イベントの派生イベントの追加から始まり、もちろん素敵なバッドエンド、大団円、ハッピーエンドへの道。あとは、コンプリート特典のオールクリアCGとお疲れ様会。その中で現在のさゆちゃんの状態に該当するものはないかと探したのだ。
毎夜、毎夜、紙とペンと向かい合う私の目は充血し、目元には薄らとクマができてしまった。
だけど私は、やめるわけにはいかない。
世界の為、家族の為、そしてさゆちゃんの為である。
しかし、私のちょっぴり徹夜が続いている残業マスターのような様子は、人を心配させてしまうものだったらしい。
さゆちゃんから「なにかあった?」と聞かれ、蘇芳くんから「寝ろ」と真顔で言われた。
二人を心配させるのは本意ではないので、大人しく従って――体育祭の前の日は、早く寝た。余談であるが、二日間の目の酷使で、視力がすっかり落ちた気がする。来月から眼鏡っこデビューしていたらどうしよう。
そして、待ちに待った体育祭の日。
私は、次々とこなされていく種目を自分の学年を応援したり、参加したり、華やかなチアリーディングや、力強い応援団の応援に見入ったりとそこそこ忙しかった。
あ。蘇芳くんも山吹様も、新橋会長も大活躍でした。
とくに山吹様のときの、黄色い悲鳴の群れは忘れられない。桧皮さんが最も凄かった。
楚々としたお嬢様風なのに、一番大きな声を出しているって何事だろう。
そんなこんなで午前中の競技はつつがなく終了。
桧皮さんとさゆちゃんと過ごした昼休憩も終わり、お手洗いに立ったさゆちゃんを見送って早三十分。
「帰って来ないね……」
「きませんわね……」
私と桧皮さんは顔を見合わせた。昼休憩は二十分前に過ぎている。
さゆちゃんの出番は、午後は最後の学年別対抗リレーだけだからいいけど、二十分も過ぎているとさすがに心配だ。五月とはいえ、今日は雲ひとつない快晴。熱中症で倒れた子も居たらしいし、捻挫したクラスメイトも居た。
お手洗いが混んでいるだけ、だったらいいんだけど。校舎の方をちらりと見る。体育祭の今日、学生が寮に戻ることは禁止されている。むろん、お手洗いも例外ではない。寮でさぼっちゃう子も居るらしいしね、こればっかりはしょーがない。
昼休憩が過ぎてから、三十分。そろそろ、午後の二つ目の種目が始まる。
「ちょっと探しに行ってもいいかな」
腰を浮かせた私に、桧皮さんが腕組みした。
「例年、体育祭や文化祭時は、お手洗いはいっぱいになりますが……」
「うん。それだけだといいんだけど、」
いつのまにか無くすのが怖いから、今日は紐を通したお守り袋に入れて、持っている勾玉の欠片がちりちりと熱い。
この勾玉の欠片は、持ち主を守護する役目がある。
持ち主。今は便宜上私だが、本来の持ち主の一人は、さゆちゃんだ。
嫌な予感がする。
「……なにか――あるかも知れませんわね」
「え?」
なにか聞こえた気がして、私は桧皮さんを見た。桧皮さんは、けれど。即座に笑顔を取り繕った。
「いえ、なんでもありませんわ。
私は、委員長に言付けてくるので、先に行っていていただけますか?
……後で必ず、私も探しに行きますから」
桧皮さんの態度は、少し引っかかった。けれど、それに迂闊に突っ込んで薮蛇になりたくない。脇キャラの私は、迂闊に藪を覗き込むと「あらそんなところに居たんですね。気づきませんでした」と、暗闇から聞こえる声にうっかりさっぱり消される可能性があるのだ。
「とりあえず、三十分探しても見つからなかったら、
一旦戻ってくるから!」
携帯があれば連絡もとりやすいのになぁ。お手洗いと同じく、携帯も本日は厳禁なのだ。
一階から三階のトイレは、ほどほどに混んでいた。といっても、多いのは一階のトイレで、ニ階、三階は、半分以上の空室があった。トイレから出てきたクラスメイトの子にさゆちゃんの行方を尋ねてみたが、彼女はトイレ方面ではさゆちゃんを見なかったらしい。
校舎内をざっと走り回った後、裏にまわってみたけれど、だれも居ない。
ここで約束の三十分が来た。急いで戻ったら、桧皮さんは居らず、五分後に戻ってきた。
「桧皮さん、どこ回った? 私、校舎とその裏手と……」
「寮のほうを見てきましたけど、いませんでしたわね。すれちがっているだけならいいですが……」
「桧皮さん、卯月さん! そろそろ用意して」
委員長が眼鏡くいくいさせながら、私と桧皮さんを見る。そういえば、次は借り物競争。
私が出る種目で、その次の騎馬戦には、桧皮さんが出る。あ、桧皮さんが苦虫を噛み潰したような顔になっている。
「仕方ありませんわね……」
「うん。あのね、委員長、白鷺さんが居ないんだ。今、桧皮さんと二人で探してたんだけど……」
「白鷺さんならさっき保健室で休んでるって聞いたよ!ほら早く!」
委員長は私の手を掴むと、ぐいぐいと選手の待機スペースの方へ引っ張る。あわてて桧皮さんを振り返ると、桧皮さんは口元に手を当ててなにか考え込んでいるようだった。
ひ、桧皮さんに確かめてって言いたい! すごく言いたいけど、桧皮さんも次なんだよねぇぇ……!
「三位以内には入って!」
よたよたと走り出した私の背を叩いて、委員長がシビアなことを言う。保健室は、借り物競争が終わってからだ。委員長に頷いて、桧皮さんに手を振り、私は一目散に走りだした。
借り物競争走では、三位をとった。我ながら改心の走りだったと思う。だだ、一位は二年生が、ニ位は三年生だったので、あまり点数に貢献できた気はしない。騎馬戦が始まる前に、近くで整列していた桧皮さんに捨て台詞のように「保健室いってくるから!」と言って、保健室に向けて走り出す。
保健室は、怪我はもちろん、熱中症の生徒の避難所になっているらしい。もちろん、実行委員のテントの近くにも、簡易救護所はあるのだけれど。
だー!と走りきって、懐かしの廊下の前まで着く。息を整えてから、保健室の扉をノックして、返事が来る前に扉を開けた。
「失礼します、一年の白鷺小百合さんは……」
……そこには誰も居なかった。
あらゆる場所を探したけれど、さゆちゃんは見つからない。いや、時々目撃証言はあるのだけれど、私か桧皮さんがそこに向かったときは、既にさゆちゃんは居ない。
一時間半後。
桧皮さんと私は、自分のクラスのテントの下、ブルーシートの上で頭を抱えていた。
「あ、頭痛い……」
「ちょっと、卯月さん。それ熱中症ですわよ。はやく飲み物のみなさい」
言いながら、こほこほと桧皮さんが咳き込む。そういう桧皮さんも、顔が真っ赤で辛そうだ。実家から送ってきてくれた水筒のコップに麦茶を注いで、桧皮さんに渡す。彼女は優雅に礼を言った後、一気に飲んだ。私も自分の分を一気に飲み干する。くー!おいしい!
「でも、どうしてこうすれ違ってるのかな……」
「……そう、ですわね」
桧皮さんは歯切れ悪く言って、空になったコップを見た。桧皮さんとはちゃんと話すようになってから、まだ一月も経っていない。だから、私の勘違いかもしれないが……やっぱり、すこし、様子がおかしい気がする。桧皮さん、なにか知っていることがあるのかな。ひょっとしたら、それは私に話せない、もしかすると、鬼の……。
うん。たぶん、それはない。だって、桧皮さん、顔は真っ赤で汗だくで。それでも、優雅な姿勢を崩さない。凄い。もしかするとなにか気づいていることがあるのかもしれないけれど、でも。
さゆちゃんのことを心配して、私と一緒に走りまわってくれている。
「私、探してくる。今度は神社のほう見てくるよ。桧皮さんはもうちょっと休んで!」
「ちょっと!」
急いで立ち上がり、走り出す。びっくりしたような声を上げる桧皮さんに片手を上げて、私は忙しく左右を見回した。
勾玉は、体の熱さとは別の熱を今でも持っている。触れている場所で溶けてくっついちゃうのではないかというくらいの熱さ。うん。ていうか熱い!熱いですから!
時々、走りすぎで喉やら、足やらなんやらが痛くて立ち止まりながら、私は神社への道を歩いた。走るだけの体力は既になかったのだ。うん。歩いていると、結構体力が回復してくる。今なら、もうひとっ走りできそう。
……ん?
「っ、……、っ」
声がする。けど、なんだろう。これ、誰かが泣いているような……
私は足音を立てないように気を付けながら、その声に近づいた。必死に押し殺したような、しゃっくりまじりの泣き声は、段々と大きくなってくる。
この声って……。
「さゆちゃ、」
ちょうど、神社の階段の手前で、彼女は座り込んで泣いていた。掌で涙を拭い、それでも、拭いきれない涙が、頬を伝い、首筋を通り、体操服をぬらしている。
「さゆちゃん……!」
私は慌てて駆け寄った。どどどどうしよう。泣いてる。さゆちゃんが泣いてる。ハンカチ!ハンカチはいずこ!
「さゆちゃん、どうしたの。なにがあったの?」
膝を突いて、さゆちゃんの顔を覗き込もうとする。ここまで、一切、さゆちゃんは私に反応していない。だけど、声をかけたとき。ぴくりと体が揺れた。
「もうっ、居ない……ここに来た意味が……っ」
「えっ」
さゆちゃんが意味のある言葉を口にしたのは、それだけだった。彼女はまた、泣き出す。嗚咽。肩を震わせて。しゃっくり。何度声をかけてもだめだった。
「うっ、うううっ、うう、ひっくうう、」
「さゆちゃん……寮に行こう。ここは暑いし」
「うぁ……あああっ……」
どうしよう。誰か他の人を呼んでくるべきなのだろうけれど、この状態のさゆちゃんを、一人きりにしてはいけない。絶対に。
そう思って、辺りを見回したときだった。
「卯月さん、白鷺さん!」
「桧皮さん!」
体育館のほうから、桧皮さんが走ってくる。天の助けである!うわあああん、ナイスタイミングすぎて女神に見えるよ桧皮さんー!
「桧皮さん、さゆちゃんずっと泣いてて、なに言っても、だめで」
立ち上がりながら説明する私に、桧皮さんの行動は早かった。
「卯月さんは、委員長か先生に、白鷺さんが倒れていると伝えてきてくださいな。
白鷺さんには、私がついてます、から」
途切れ途切れに言う彼女に、大きく頷いた。桧皮さんは、走ってきたばかりで疲れている。体力が回復している私が行くのがいいだろう。頷いて走り出す。
「待って……いや……!」
……さゆちゃんの声が聞こえた気がしたけれど、それはすぐに、涙と嗚咽に埋もれてしまった。
「いいーんちょうううー!」
過去最高の走り。恐らく、借り物競争より、午前中の50m走より速かった。これぞ火事場の馬鹿力。人というものは、追い込まれてこそ本領を発揮するのである。
「居た! 卯月さん!」
「委員長、白鷺さんが居たんだけどっ。倒れてて!神社の近くで、桧皮さんが付き添ってるから!」
テントにのめりこむような形で入って早々捲くし立てる。そんな私の様子に、真っ先に立ち上がったのは蘇芳くんだった。
「……保健室に運んでくる」
「お願い!!」
頭を下げる。蘇芳くんは「ああ」とちいさく頷いて、神社の方へと走り出してくれた。身体からすうっと力が抜けていく。これで大丈夫。蘇芳くんに任せれば、さゆちゃんと桧皮さん――あっ。桧皮さんは、山吹様派だ。いやうん、だいじょ……。
力強く肩を掴まれて、顔を上げるとそこには切羽詰まった顔をした委員長が居た。
「桧皮さんの代理は居るんだけど!
白鷺さんの代理が居ないから! 卯月さんね、卯月さんだからね!?」
「え? え? はい?」
戸惑いながら頷いた私に、委員長はバシバシと肩を叩いた。い、痛いっ。痛いか痛くないかで言ったら、微妙に痛くないほうなんだけど痛い!
「さっきの走りを、リレーでも頼むよ!白鷺さんと桧皮さんのことは任せて!」
くるっと身体を反転させられて、今度はバンバンと背中を叩かれた。痛い。い、委員長ちょっと手加減!もうちょっと手加減して私人間!
「ちょっ、えっ」
私は、背中叩きから解放された後、とりあえず委員長の言うとおりに集合場所に向かった。山吹様とそのお付きの人たちが見えたけど、今は気にならない。
そういえば男女混合だったなあ、だから桧皮さんが……と思ったけど、気にならない。
私は呆然としながら、体育祭のプログラム最後を飾る、学年別対抗リレーのトップバッターとして、コースに立っていた。




