十三話「体育祭の話・二」
これまでの経緯を、さゆちゃんが一所懸命説明してくれた。
「ええと、山吹くんがサヨちゃんの走りっぷりを褒めて、
リレーの選手にどうかなって言って、それを聞いた桧皮さんが……」
「山吹様の言うことに間違いはありませんわ」
このクラスの女子リーダー、もとい、一年二組の鬼の一族女子リーダー桧皮砂姫さんがふんぞり返った。授業は5時間目に突入しているが、ちょうど体育祭について学級委員が概要を述べているところなので、ちらちらと見られはするものの、蘇芳くんの隣かつ桧皮さんの近くとあっては、誰も文句が言えなかった。桧皮さんは、さゆちゃんの隣のいまだに空いている席に、我が物顔で座っている。
――ナルホド。
とりあえず分かった。山吹様に近づいてはいけない。
姿を見せないだけじゃ甘かった。蘇芳くんとさゆちゃんの近くに存在していると言うだけで、彼の興味を引いてしまうのである。魅了未遂事件から何にもないけど、あれも尾を引いてそうだしなぁ、
一応、急に逃げてごめんなさい的な手紙を靴箱に投函したけれど、そういえば山吹様は、ラブレターは読まずに捨ててしまう派だった。
もちろんその場で捨てるなんていう愚は犯さない。男子寮のゴミ箱に、燃えるゴミとして分別して出しているのである。意外なところできっちりしている山吹様だった。でも酷い。
「……事情は、分かったよ」
私は、こめかみぐりぐりしながら頷いた。
桧皮さんが、当然という顔で微笑んだ。金髪碧眼、そして腰まで届く長い髪は、ふわふわ天然ウェーブな彼女がそれをやるとどこかの女王様のようだった。
山吹様の御付の女王様、今度からそう認識しよう。そうなると山吹様は王様か……。王様と女王様の共同統治もありですね。
「でも、さゆちゃんも出たいの?」
「私は、その……サヨちゃんが、嫌々出る羽目になるのが、嫌なの」
だから代わりにと言いかけた所で、桧皮さんがさゆちゃんをぎろっと睨んだ。
「山吹様から指名を受けておいて、イヤイヤだということは絶対にありえませんわ」
「……そんなこと、ないと思う。
山吹くんはいい人だけど、好みってものがあるし」
桧皮さんの青い瞳に、さゆちゃんは真っ向からぶつかった。
胸がじーーんと震える。私はなんて友達思いの子を友人に持ったのだろう。さゆちゃんありがとう。その気遣いだけで、私はやっていける。
「なんですって……」
「ま、まったまったまったー!
私、ほらええとそういえば最近、走りに自信がある気がするし。山吹様って次期副会長とか言われてるんでしょ。そ、そういう人に、能力を買われるのは嬉しいかなー?」
個人的好みでは、あんまり近づきたくないが、そういう山吹様の優秀な面を押し出すと、桧皮さんが何故か私を睨み付けた。
「あなた……山吹様が生徒会出馬を考えていらっしゃるなんて、外部生徒なのによく知っていましたね」
瞬間、どばっと冷や汗が背中を流れるのを感じた。久々にやってしまった。
だが、私もこの一か月、何もせずにいたわけではない。
主に、さゆちゃんと黎にしか構ってないけれど。だが、私のセーラー服には、秘密兵器があることを忘れてしまっては困る!
「あはは、たしかに外部だけど。山吹様って外部の生徒にも優しいじゃん」
これは本当だ。内部進学の生徒だけではなく、外部からの――人間からの、山吹様の評価は決して低くない。嘘をつくときは、余計なことは言わないことだというのを私は学んだ。嘘に嘘を重ねると、それを隠すために嘘をつく。そしていずれはぼろが出るのですね。
「……まあ、そうですわね。不躾なことをして申し訳ありませんわ」
「い、いえいえー」
桧皮さんの殊勝な態度に、私の罪悪感は風船のように膨れ上がった。この紅緋学園は、人間との融和を謳っている。外部生徒と言うだけで、あれこれなんやかんや疑うわけにはいかない。そう、桧皮さんは納得したのだ。
一年二組の女子リーダーを自認する、桧皮さんの天晴れな態度だった。
私ももうちょっと口を慎もう。順調だからって浮かれうっかりで目を付けられるとかやってられないしね! 私はサブキャラらしく、影からひっそりと世界平和を目指すのだ!
「それで、学年別対抗リレー女子に出てくれる人―」
学級委員長が、やや面倒くさそうな声で挙手を募る。私は、そーっと手を上げた。
そして、同じくさゆちゃんと、そして何故か桧皮さんも手を上げた。
「サヨちゃんと一緒なら嬉しいし……」
「わたしも、やりますわ」
さゆちゃんの言葉にきゅんとした。桧皮さんの言葉に、また背筋を冷や汗が伝った。
「いや、女子はクラスごとに二人なんだけど、」
学級委員長の言葉を遮って、桧皮さんがすらりと立ち上がった。
「お立ちなさい、白鷺小百合、卯月サヨリ。……じゃんけんで、決着をつけましょう」
「望むところだよ」
何故か闘志満々のさゆちゃんが立ち上がる。
二人が立ち上がって、私も立ち上がらぬわけにもいかない。周りが誰か止めてくれないかと他力本願なことを考えるけれど、このクラスに桧皮さんを止める気な人は居なかった。
クラスの女子リーダーだもんね。鬼だと怖いよね、いろんな意味で。鬼じゃなくても、気分を害したくないよね。蘇芳くんは、目の前で起こった女子の争いに頬杖をついて、傍観体勢に入っていた。間違いなく、男子が傍観体勢なのは彼の所為であった。
「わ、わかったよ……」
最後の一人こと私が立ち上がる。こうして、じゃんけんバトルは火蓋が切って落とされた。
「勝ちましたわ!」
「やった!」
チョキを高々と持ち上げる桧皮さん。嬉しそうに飛び上がるさゆちゃん。
私が出したのはパー。最速負けだった。
「えっと、じゃあ学年別対抗リレーは、白鷺さんと桧皮さんで」
きゅ、きゅ。と委員長が、黒板に白いチョークで名前を書いていく。
今しがた起こった熾烈な争いをクラスメイトは楽しげに語りながら、次の種目をどうするかに移っていく。
桧皮さんも自分の席にようやく戻って行った。
その前に、さゆちゃんとガッチリと友情の握手を交わして。
さっきの敵は、今の友。それは古今東西変わらないらしい。うっかり涙が出てしまいそうな光景だった。
涙を堪えて席に着く。ぽっかりと空いた前の席を見つめて、私はようやくハッとした。
あれ……リレーって、私が出るんじゃなかったの?
結局、私は山吹様の推薦持ちということで、50m走に出ることになった。
期待していますよと桧皮さんから言われて、ひきつった笑顔を返さざるをえなかった。