一話「乙女ゲームの始まりは美少女と」
「ご、ごめんなさいっ。大丈夫?」
腰まで届く黒髪ふわふわロング、ぱっちりとした目は、青みがかっていて神秘的だ。
清楚で愛らしい。日本人形と西洋人形のいいとこどりしたみたいな美少女が、私に向かって手を差し出している。どうも、私はこの美少女とぶつかって転んでしまったようだ。
「はい、ありが……」
差し出された手に手を伸ばした私は、ぴたりと動きを止めた。
なにか引っかかる。とても、猛烈に引っかかる。私はもう一度、彼女を上から下まで見た。
可愛い。セーラー服黒髪美少女とは最高である。
けど、ほんとうに、こんな可愛い子が三次元に……三次元?
そう思った時、私の視線は彼女の胸元に吸い寄せられた。
彼女の胸元には、緑色の勾玉。の、ネックレス。勾玉の中央には、なにか文字が刻まれているようだが、よく見えない。
あのネックレス、というか勾玉、なんかすごーく見覚えがある気がする。
私の熱心な視線に気づいたのか、美少女が小首を傾げた。
「あの、どうかしましたか?」
「いえいえ、なんでもございません。
どうもありがとう。ぶつかっちゃってごめんなさい」
美少女の手を借りて立ち上がって、私は頭を下げた。美少女も頭を下げる。
どうもぼうっとしていた私に、急いでいた彼女がぶつかってすってんころりんというのが真相だったようだ。おしとやかな感じなのに、実はお転婆なのか。なにそれギャップ可愛い。
でも焦るのは分かるよ。だって、今日は――
今日は、なんだったのか。またもこれである。私はちょっと物忘れが激しいのではないか。
「それじゃあ、私は行きますね。あの、本当にごめんなさい」
首を傾げる私に、美少女が折り目正しく頭を下げる。
私も申し訳なくなってもう一回頭を下げた。いや、ほんとぼうってしていてごめんなさい。
徹夜でゲームとかするもんじゃないね。……昨日、したっけ。ゲーム?
すこし考えてみても、さっぱり思い出せない。したようなしてないような……曖昧だ。
情けさに溜息を吐きたい気分になりながら顔を上げる。あげて――口をあんぐりと開けた。
「あの、どこか痛い? 大丈夫?」
「え、あ……」
座り込んでいた時は気付かなかった。美少女の背後、ちょうど私の真正面に、洋館があることに。
明治とか大正に建てられたらしい和洋折衷な洋館は、グラウンドの脇に植えられた桜の並木も相まって――日本なのに、異国のような佇まいだった。その景観はなかなにか珍しいものではないだろうか。でも、めちゃくちゃ、とても見たことがある。だって、だってこれあれでしょっ。
――紅緋学園高等部だ!
私は口を開けたまま、とりあえず視線を美少女から逸らした。
周りを見てみると、どうも美少女と私は遠巻きにみられていたらしい。申し訳ない。美少女にぶつかられるとか、テンプレご褒美を貰って申し訳ない。
こんな素敵な美少女と曲がり角食パン的な出会い方をするなんて、女子でもうらやまけしから……いや、そうじゃなくて! 私、凄く混乱してる。うん、落ち着こう。壮大な自然風景でも思い浮かべて――むり!!
私と彼女を遠巻きに見ている人も、気にせず横を歩いていく人も、男子は学ラン。女子はセーラー服。いまどきの公立の高校でもなかなかありえない光景だった。
「さっきどこか打って……」
心配そうに首を振る彼女を、穴が開くほど見つめながら首を振った。
彼女に、見覚えはない。けれど、彼女のカラーリング。そして、なにより「勾玉」を持っていた。間違いないと決めるには早すぎるかな。
まあ、今それはちょっと棚上げにして、ああもう、できる気がしないけど、しないと!
「ごめんなさい。ちょっと、ええと睡眠不足の貧血で……」
「そ、そうだったの。ごめんなさい、私がぶつかった所為で、よけいに……」
「ううん、私の方こそ前方不注意で! 貧血の方はこの通りもう大丈夫ですから。
ほら、えっと今日って入学式じゃないですかっ。だから、こう緊張しちゃって」
べらべらと喋ってから、だよね?と周りに確認したい気持ちになった。
こんな場面、見覚えはない。だけど、もし「そう」なら今日は、入学式だ。嘘をついている罪悪感と(いやほんとかどうか思い出せないんだけど)、緊張で心臓が破裂しそうになる私に、美少女さんがほっとしたように笑った。
「あ、私も同じ。夕べは緊張しちゃって眠れなくて……」
「あはは、お互い入学式に寝ちゃわないように気をつけようね」
「ええ、ほんとに」
くすくす笑う美少女さんは、最高にキュートだった。変だぞ。胸がどきどきする。これは恋――じゃないよね。たぶん緊張のドキドキ!
言うなれば今の私は、クローゼットの奥にあった扉を開けて、鼻先を突っ込んでしまったところなのだから。
「そうだ。その勾玉綺麗だね」
「えっ……。あ、ありがとう」
ぎこちない動作で勾玉を隠す彼女に、私は気づかない振りをして目を逸らして同時に確信する。
やっぱり、彼女はこのゲームの主人公だ。
彼女の持つ勾玉は、彼女が幼いころから持っているもので、特別な力がある。その所為で、見ず知らずのひとに盗られそうになったこともあったんだよね。
だから、ふだんは勾玉を隠している。……ってごめんね!!嫌な確かめ方したねほんと!!
「あの。もうこっち向いていいよ?」
「ひぇ……」
ふんわりといい匂いがしてそっちを見ると、なんと、美少女が私の顔を覗きこ……致死率100%!
胸を押さえながら、そっと頷く。
「ごめんね。気を遣わせちゃって」
「あ、いぇ。ぜんぜんお構いなく……」
バレてるー!
私のなけなしの気遣い、今ここで無に帰すー!
もういいやと腹をくくる。彼女が主人公なら、私は……
「大事なものなんだよね。勝手に見ちゃってごめんね。
ええと……」
「そこに居るのは新入生か? あと十分で入学式が始まるぞ!」
鋭い声が聞こえて、美少女と私は飛び上がった。
声の主は明らかに上級生っぽいクール美少年。彼は眼鏡の奥から厳しくも優しい眼差しをこっちに向けて佇んでいる。
それにさーっと青ざめる美少女。そ、そうだよね。明らかに眼光するどくて怖いよねパイセン! 私も最初のプレイ時は……
くるりと振り向いた美少女が、先輩に向かって折り目正しく礼をする。
顔をあげた彼女は、ふわりと花のように笑った。
「ありがとうございます。すぐに行きます!」
「……」
先輩の青い目がかすかに見開く。そして無意識に自分のおでこを触って……はっとしたように、頭を振った。
「場所は分かるか?」
「はい。大丈夫です。
あの先輩は何年生ですか?」
「三年だ。三年の新橋縹。
困ったことがあれば、三年二組か生徒会室まで来てくれ」
「生徒会室?」
「ああ。俺は生徒会に所属している。
……っと。二人とも、早く体育館へ向かうように」
ではなと軽く頭を下げる新橋先輩。美少女さんは「いいひとだったなぁ」みたいな顔をしていた。
かくいう私は、どきどき高鳴る胸を押さえ、荒くなる呼吸をひそめて息を殺した。
ゲームだ……! ゲームでスキップしまくった場面が、いま目の前で起こったんですけど……!
「どうしたの?」
「い、いえ。なんでもな……あっ。
『や、やだー! あと五分しかないよ!』}
「ほんとだ。急ごう!」
走り出す美少女さんの後ろで、私はこっそり拳を握る。
間違いない。ほんとにほんとに、間違いない。
ここはゲームの中。彼女は主人公。さっきの先輩はクーデレ生徒会長!
そして私は……主人公の友人という名の脇役!
走りながら頬をつねってみる。思い切り痛い。
「……うそ……!
きちゃった……なんできちゃったの……!」
転生? 憑依? それとも私の勘違い?
ごくりと唾を飲みこむ。まずは何といってもこれだよ。
このゲームがどういうゲームかちゃんと思い出さ……
血にまみれた手で盃を飲ませる。それは三々九度。でも祝いの客はいない。
――彼が全員殺したから。
記憶を消した。愛してると教えた。記憶を消した。憎いと教えてみた。
――とうとう錯乱した彼女を、彼は抱きしめる。
学園を追われ、山に逃げ込んだ彼女を匿う。助ける。助けたかった。
――俺も同じ罰を受けるからと彼は泣いた。
鬼を人に変える儀式があるという。ならば人を鬼に変える儀式もあるはずだ。
――微笑む彼はそう言った。
愛してる。愛してる。愛してる。君以外のすべてを、全部なくしてしまいたいほどに。
頭を思い切りガラスに叩きつけたい衝動を堪え、私は悲鳴を押し殺した。
そうだった。……そうだった。
ラスボスもヤンデレ。弟もそもそもヤンデレ。
攻略キャラ全員やサブキャラにもヤンデレルート・エンディングがある。
おまけにヤンデレに関わると、よくて主人公が一生監禁。わるくて世界が滅ぶ。
もっと言えば、このゲーム、攻略キャラが揃いも揃って人外ばかりなのであった。
その人外の種族名は、鬼。
主人公は、鬼に執着され、鬼の眷属闘争に巻き込まれ、鬼に監禁され、鬼と恋をする。
そして、恋する鬼と世界の破滅に立ち向かうゲームなのである。
ジャンル? 和風伝奇乙女ゲームでした。