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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

生なる食卓

作者: 玄野志向

 1.マンドラゴラを食べる


 私は旅人である。

 特段誰かから旅人であるというお墨付きを貰ったわけではないので、自称旅人といったところだろうか。

 旅人とは自由の象徴であるかのように物語において語られるものであるが、それは大きな間違いであると旅人志望の者には言っておきたい。

 旅人とは、法という庇護から逸脱した存在である。ある意味で、自由という言葉にもっと最も縛られ、最も不自由な存在であるといえよう。

 誰も守ってはくれず、誰も仇を打ってはくれない。

 自分というものを完全に責任下に置かなければならないのだ。それはこの世に存在する魔物という生物や蛮人からの自衛という意味でもあり、また――何を食い、生きるかという責任も自らが負うのである。

 故に、我々旅人は常に食い物のことを考えていると言っても過言ではない。

 何を飲む。何を食う。何を狩る。先人の知恵や自らの経験則、すべてを活かして行うこと。それが、旅人の食事である。


 渡れそうもない広い川を迂回するため、私は山を歩いていた。

 自然の景観というにはあまりに素っ気なく、見飽きた高い木が周囲を囲む。土木の茶色と葉の緑。過剰な草木の繁殖はもはや暴力的ですらある。

 石や木の根がバスキン(コルク製の軽い密閉されたブーツ)の底を凹ませる。そのたびに私の身体は傾けられ、無駄な体力の消費となる。

 前に傾斜した登り道をしばらく進む。やがて見えてきたのは開けた空間だ。だが日当たりは悪く、高く伸びた樹木の葉が日光を遮っているようだ。そのため、この空間の樹木は育たず、丸い円を描くように地面がある。

 私は気にも留めず通り抜けようとし、既のところで「それ」に気付く。

「!」

 危うく踏みつけるところだった。私の足元には、特徴的な、鋸の歯のような形をした植物の葉があった。これは地面から飛び出している、マンドラゴラの葉である。

 マンドラゴラとは、旅人でなくとも多くの人間が知っている危険な植物だ。分類は根菜類であり、根の部分は人型になっている。マンドラゴラは同時に動物としての側面も持ち、根の部分は多少の意思を持つ。人型の白い根には大きな口が付いており、引き抜くとそこから人間の脳を破壊する音波を発するのだ。

 偉い科学者の解析によれば、どうやらマンドラゴラの発する声は人間の脳とぴったり共鳴する音波だそうだ。故に、近距離でその音を聞くと音波で脳が共鳴し脳が激しく揺さぶられて破壊されてしまうらしい。

 今日が雨や嵐でなかったことをありがたく思う。何しろここは山。雨で土がぬかるむと、マンドラゴラが勝手に抜けることもある。以前聞いた話では、嵐で巻き上げられたマンドラゴラの声を聞き全滅した旅団もあるとか。

 マンドラゴラの恐ろしさはその人間を殺す音波だけでなく、その繁殖能力にもある。山地でも湿地でも、環境を問わず繁殖するため、マンドラゴラは大陸の各地で目撃することができる。下手につまずいて抜いてしまえばお陀仏というわけだ。

 そして、どこにでもあるからこそ、旅人の重要な食糧になるのである。


 市民の間で出回っている一般的なマンドラゴラ採取方法は、葉にロープを結び、声の届かない距離から引っ張るというものである。抜けてから約一分間経つとマンドラゴラの声は止む。

 しかしこの採取方法には問題がある。マンドラゴラの声の持続時間は個体差があり、また葉の外見や土壌などの外部要素から個体差を見抜くことはできないのである。

 また、葉に麻酔成分を含んだ薬品を塗りつけることで根の部分を眠らせてから安全に引き抜く方法も発明されているが、一回の採取にやたらとコストがかかるのが問題だ。

 極たまにしかマンドラゴラに出くわさない一般市民や麻酔を持ち歩く余裕のある学者と違い、旅人は何度となく野菜の栄養摂取のためにマンドラゴラを引き抜く必要がある。そのため、より確実で、ついでにおいしくマンドラゴラを食える方法が編み出された。

 それはつまり、蒸し焼きである。

 私は群生しているマンドラゴラから、丁度よく他のものと孤立している位置にある葉を見つけた。そのマンドラゴラの周りから落ち葉を払い除け、葉と茎を完全に露出させる。

 次に、周辺の木から細かい枝を折り、マンドラゴラの葉を中心に焚き火のように山状に配置。火をつけやすいようその上にいくつか落ち葉を置き、火打ち金に石を叩き付けて火をつけた。

 火種が徐々にその勢いを増し、枝の山の頂に火を灯した。息で風を吹き込み、燃え広がらないよう注意する。火の勢いと向きを誤って山火事にでもしようものなら大惨事だ。

 火に炙られてマンドラゴラの葉が焼ける。その熱は茎を伝い根に届く。土に阻まれながら根は蒸し焼きにされ、死ぬ。実に単純かつ安全な方法である。

 不思議なことにマンドラゴラは引き抜かれない限り絶対に悲鳴を上げないのである。例え死の危機に瀕しようと、蒸し焼きにされようと、じっと死の瞬間を待つ。であれば抜くときも黙っていて欲しいのだが、神の造りたもうた物に文句を言っても始まらない。

 茎の根本あたりが赤く変色し始めると丁度いい時分である。火を消して焚き火を崩し、葉を掴んで一気に引き抜く。安全だとわかっていても、この瞬間ばかりは未だに肝が冷えるものである。

 引き抜いたマンドラゴラからは細かな土がポロポロと落ちてきている。声を上げる様子はなく、きちんと死んでくれたらしい。とはいえ、この状態ではまだ火の通りが均等でないため、スケルトンの骨粉――陸地でスケルトンから調達できる、塩の代わりになるもの――を全体に刷り込んだ後、先ほど崩した焚き火の炭の中に突っ込む。

 そのまましばし待つ。調味料の瓶を見ると中身が減ってきていた。機会があればすぐに補充をしておかなければ、栄養に偏りが出てしまう。栄養の偏りは旅人が必ず避けるべきもののうちの一つだ。栄養失調で死んだり、旅の中断を余儀なくされた旅人は数知れない。


 そろそろ焼けた頃だろう。葉を掴んで炭から取り出す。

 土と炭、塩をはたき落とす。表面は所々黒く染まって、すっかり食べられるようになっているようだ。肉を焼いた時ほどの香ばしさはないが、実にうまそうな匂いだ。

 発する湯気を吸い込むだけで口の中に塩の味が感じられる。少し塩を振りすぎたらしい。だが構わない、葉と根を掴んでこのまま齧り付く。

 はじめに感じる味覚は塩味ばかりだったが、マンドラゴラ自身の持つ水分によって中和され、口内で良い塩梅となった。

 それでもやや塩辛いので、もう一口齧る。焼いたマンドラゴラからは、果汁のごとく汁が出てくる。単なる水だが、栄養は多く、また塩味の中和剤としても役立つ。

 表面の塩辛さを中和するため夢中で齧っていると、思いの外すぐに食べきってしまった。残った足(のような形の部位)を口に放り込み、完食する。

 一気に食った割になかなかの満腹感が得られた。ただ、満腹感といっても所詮は野菜をひとつ食っただけのこと。腹五分目、と言っても過剰なほどか。

 調味料に使用したスケルトンの骨粉の小瓶を見たあと、先ほどの街で貰った地図を眺める。この山から少し下った先、橋に向かう途中で洞窟があるらしい。

 おそらく、調味料はその場で確保できるだろう。ならば、小瓶の容量を開けてやる必要がある。……私は再び火打ち金を取り出した。




 2.スケルトンの骨粉を作る


 私は旅人である。

 ところで旅人とは、人間でありながら非常に非文化的な生活を強いられるものである。

 人間は常に自然を壊し、自らや動植物に苦境を強いる。水車や鉱石業などが良い例だ。米や麦、トウモロコシを挽くことを楽にするための水車は周囲の住人を騒音で困らせ、畑に冷水をかけては収穫を悪化させる。

 金や銀といった人を飾り立てる石は、作るたび川を汚し、魚を汚染し、挙句その魚を食った人間すらも汚染するものだ。このように、人間は便利さや見栄を求める結果、彼らは自らや環境に負担を強いる。その負担の代替に、人は「人間らしさ」を得る。

 旅人は違う。人間の発明の恩恵や文化を捨て去る必要がある。

 雨風を防ぐ屋根のある家も、料理を楽にするかまどもない。物々交換の金貨や銅貨も、町村に行ってから手に入れるものだ。外の世界では、他のもので替えなければならない。

 その代わり、旅人は決して自然を汚しはしない。その汚れがやがて自らの首を絞めることになると知っているからだ。

 そうした心得を旅人は欠かさない。いや、それを欠いたものはもはや旅人ではない。必要以上の殺戮、不必要な植物伐採。どれも旅人には関係のないものだ。

 また、自然への配慮はもし相手に命がなくとも例外ではない。


 山を降りてしばらく歩き、私は食糧調達のために洞窟を訪れた。

 先ほどまで歩いていた山の一側面の穴である。近くに川があるところを見ると、おそらく昔はこの山の根元まで川があったのだろう。その時の水流に削られたものか。

 洞窟には高確率で魔物が棲息している。魔物の種族に関わらず本能のようなものらしい。

 また、この近辺は数度戦争の余波を受けたらしい。つまり、辺りの死体はそう少なくない。

 洞窟をしばらく進む。誰かが何かに利用した形跡もなく、内部にはなんの灯りもない。唯一の光源は私の背後にある太陽の光である。奥の様子はほぼ伺えない。

 松明でも持っていれば少しは奥が見えたかもしれないが、生憎切らしているため、洞窟の踏破は難しいだろう。目的さえ果たせればそれでいいからだ。

 右手に握った剣を突き出しながら進む。同じく、聴覚や嗅覚も常に研ぎ澄ます。僅かな物音の聞き逃しが命取りに繋がることもある。

 その時――すぐ近くから、風を切る音が聞こえた!

「!」

 咄嗟に剣を横に構えつつ後ろに跳ぶ。私の剣に何かが叩きつけられた感覚があった。音は高い。金属製、或いは硬い爪のようなものを武器にしているようだ。

 これは最初から当たりを引いただろうか。私の狙い通りにスケルトンだとすれば、動きはそう速くない。洞窟の石に足を取られぬよう、ゆっくりと後ろに下がる。

 前方にいる魔物と距離を離さず後ろに下がる。外の光が洞窟に届く位置まで下がると、やはり私の前にいたのはスケルトンであった。

 人骨。骸骨。本来筋肉や内臓が詰まっていなければならない場所は空洞で、真っ白な骨だけがひとりでに動いている。左手には短剣、右手にはボロボロの木製バックラーを持っている。私の誘導に素直に従い、奴はただ前に歩みを進め続ける。

 スケルトンとは、死者の骨に土地の魔力が宿り動き出したもので、いわば精霊のようなものである。

 明確な意志は持たないが、元になった骨の人物が戦いの中で死ぬなど、闘争本能を体に刻んだまま息絶える場合がある。その場合、復活したスケルトンは生前の行動に引きずられ、近くにいる生物を無差別に攻撃したりもする。

 とはいっても所詮は骨で、関節もないので動けば動くほど骨が擦り切れていく。それを防ぐため動きは遅くなり、ある程度まで動けなくなると魔力が抜けて単なる骨になる。旅人にとっても一般人にとっても脅威度は極めて低く、放っておいても何ら問題はない。

 ただし、食材にする場合はその限りではない。


 視界が確保できる位置まで下がり、足を止める。追いついたスケルトンが短剣を振り下ろしたため、剣でそれを弾き飛ばした。短剣が飛んでいったため、奴はもう丸腰である。

 危険を排除したスケルトンに、腰の辺りめがけてタックルを繰り出す。無論、体がスカスカの彼に防ぐ手立ても踏ん張る力もなく、そのまま押し倒される形となった。

 地面に倒れた勢いで、スケルトンの一部の骨がバラバラに崩れる。元々動かない骨を魔力でむりやりつなぎ留めたものであるから、強い衝撃が加わると体が崩れるのだ。

 私はばらけたスケルトンから肋骨を二本ほど失敬する。人型ゆえ多少の罪悪感はあるが、いかんせんこれには痛覚神経も意思もない。ならば、食材になってもらうくらいはいいだろう。

 肋骨二本を採取すると、速やかに洞窟から脱出する。暗い洞窟から一気に走り抜けたため、太陽の光に目を焼かれる。

 風が雑草だらけの大地を撫でる。地平線の近くに川が見える。陽の光を浴びたその広い水源は、遠目で見るともはや海といっても遜色ない。

 とはいえ、景色に見とれている場合ではない。右手に持った二本の肋骨は未だカタカタと動いている。タックルだけでバラバラになるスケルトンがいつも人型を保っていられるのは、その骨が本体に戻ろうとするからだ。

 さて、スケルトンの骨粉の製造の難しさはここにある。スケルトンの骨粉とは、陸の塩とも呼ばれる塩分の強い味がしている。ただの骨がなぜしょっぱくなるのか? それは骨に宿った魔力が原因なのである。

 本来ならば骸骨など死の象徴ともいえるものだが、スケルトンの魔力はそれすらも生あるもののように動かす。つまり、その魔力には生命の魔力が満ち溢れているのである。

 ところで……原初、生命は海から現れ、陸に移り住んだそうだ。だからだろうか。スケルトンの魔力が宿った人骨は、成分がかなり海水に似ているのだ。

 しかしスケルトンの骨に塩味があるのは魔力がその骨を覆っている間だけである。スケルトン本体からある程度離れるなどすれば、その瞬間採取した骨はただの人骨に成り下がる。

 スケルトンの骨粉は、スケルトンから骨を奪い、その近くですぐ粉にしなければならない。スケルトンの骨は一旦粉にしてしまえば、本体のもとに合流しようともしなくなるのだ。


 私は先ほど通ってきた山で採取した大きめの葉を洞窟の入口付近で広げた。

 その上に二本の肋骨を置く。とはいえ、骨はきちんと抑えておかなければ洞窟の奥に引っ込もうとする。丁度、締められるのを拒む魚のような手応えを手の中に感じる。

 左手で骨を抑え、右手の剣の柄頭で骨を叩く。ボロボロと砕け落ちた白い欠片は動きを止め、緑の葉の上に彩りを添える。

 こうして骨粉を作る最中、警戒すべきは洞窟の奥である。タックルされたうえ肋骨を取られ、その相手が近くにいるとあればスケルトン本体がこちらに来るのは必定だろう。

 暴れる骨を逃さずに叩くことにも気を配りながら、洞窟の奥から短剣を拾い、怒り心頭で私の命を狙うスケルトンにも気を配らなければならないのだ。調味料を作るにも楽ではない。

 大きな形の骨がなくなった。欠片の大きさにバラつきはあるが、もう速やかに逃げよう。

 葉を筒状に丸め、小瓶の中に骨粉を落とし込む。これで暫しの調味料は確保できた。

 小瓶にコルクを嵌めたまさにその時、闇の中から滲み出すようにスケルトンが現れた。その手には短剣。歩みは遅いが、間違いなくこちらに向かっている。

 こういう場合は逃げるのみである。無駄な殺生――相手が死ぬかどうかわからない存在だが――は時間と体力を無駄に消費し、旅人の原則にも反する。

 と言っても少々歩幅を広げるだけで撒けてしまうのだが。私は当初の予定通り橋を渡ることにした。次の町につく頃には、夕日が沈んでいることだろう。

 何やら食い物が多く取り揃えられた街であるらしい。路銀はあまりないが、名物の一つでも食べられれば幸いだ。歩くごとに、水の流れる音が大きくなっていった。




 3.ドラゴンを――


 私は旅人である。

 旅人とは字の通り、旅を行う人間だ。

 なぜ人は旅に出るのか? 人間らしさを捨て、人間の叡智を放棄し、安定した生命の維持を蹴ってまで、旅ということに身を置く理由は何なのか。

 ある旅人は人を嫌い、人の作る文明を嫌い、その恩恵を受ける自分を嫌った。そこから逃げるようにして、彼は旅人となった。

 ある旅人は自国で罪を犯し、叩き出された。失った自らの安定を取り戻すため、未来にまた自分が街に住んでいることを夢見ながら、彼は旅人となった。

 ある旅人は愛する者を喪い、死に場所を求めるように流離った。ある旅人は芸術を究めるべく、見聞を広めようと歩き続けた。

 さて、私は何が理由であったか。忘れてしまった。

 なぜなら、そんなことを悠長に思い出している精神的余裕はないからである。

 私の前に、ドラゴンが倒れていた。


 旅人には、誰かが作った、もしくは自らが定めたルールというものが存在するものだ。

 自然に留意しろ。靴は左から履け。川の上流は裸足で歩け。強い魔物とは戦うな。無益な殺生はするな。

 これらが私の掲げるルールだ。しかしそれに反して、私の剣は血に染まり、目の前には倒れたドラゴン。これは一体どうしたことか。

 事の発端は、私が次の目的の街に行こうと橋を渡った後のことである。いや、発端などと大袈裟に言うようなことではない。要は、野生のドラゴンが襲いかかってきたのである。

 ドラゴン――巨大なトカゲのようでありながら、彼らの持つ鱗は鋼を拒み、彼らの持つ爪は鋼を断つ。羽ばたけばあらゆる植物が悲鳴を上げ、口から放つは地獄の炎。

 どこかでドラゴン同士の縄張り争いでもしたのであろう。そのドラゴンは鱗や翼膜にただならぬ深手を負っていた。そうして命からがら逃げ出し、この草原に墜落したといったところだろう。

 瀕死であっても、地上で最強といわれる種族の力は衰えを知らない。近寄る者すべてを敵とみなし、私にも襲いかかってきたのだが、その動きのなんと機敏なことか。

 ドラゴンは四足を地に叩きつけ、私に向かって跳んできていた。咄嗟に懐を潜り通らなければ潰されていただろう。

 ともあれ、火蓋は切られ、この視界の広い草原で逃げ切れるとも思えない。命を懸けた、一世一代の大立ち回りのはじまりである。

 着地の衝撃で体のあちこちから血を噴出させるドラゴンを見つつ、私は剣を構え、目を離さぬまま荷物を外して遠くに放り投げた。せっかく作った調味料の瓶が割れていないことを祈りつつ。

 振り返ったドラゴンは、右前足のキズを舐めてみせた。一瞬たりとも私からは目を外そうとしない。私も目を離すことはなかった。それは死に直結する行動だとわかっている。

 注意深くその口元を観察していると、何やら牙のあたりに空気のゆらぎが見えた。蜃気楼というやつだ。すなわち、急激な温度の変化。

 ドラゴンの多くは体内に高温のガスを溜め込む器官を有する。彼らの炎とは、その体内のガスを吐き出しつつ、牙を打ち合わせ火を起こすことで発生する。口元のゆらぎはその予兆なのだ。

 この場所で火を吐かれれば、私はほぼ間違いなく食べごろの肉に早変わりだ。ともかく火を避ける必要があった。後退の道はなく、私はただドラゴンめがけて走った。

 左前足が視界の端から高速で迫っていた。受ける手はない。体の左からは人間を軽く肉塊に変えるドラゴンの腕が、右には開け放しの、ガスを吐くドラゴンの口がある。

 主よ! と唱える間もなく、私はドラゴンの口の中を通り抜けた。鰐の如く顎関節の広いドラゴンは、頬の肉が緩いため、その気になれば左から右へと通り抜けられるのだ。

 私がドラゴンの口を通って左前足を躱した直後に、ドラゴンの口が閉じる。一瞬。僅かな遅れが私の命を救った。そしてまた一瞬。右前足が私を潰そうと動く前に、翻ってドラゴンの右目に剣先を突き立てた。

 その瞬間、音が消える。凄まじい平衡感覚の狂いとともに、鼻を血が伝うのを感じた。

 悲鳴を上げる肉体に反して、私の頭は冷めていた。ドラゴンの悲鳴という爆音に耳がやられたようだ。とりあえず離脱しなければならない。暴れるドラゴンの死角に入りながら、両手で耳を覆いつつ後ろ向きに走る。何やら間抜けな格好だ。

 こちらも視覚を潰してやったが、お返しに聴覚を持っていかれるとはたちが悪い。しばらくは音が聞こえないが、試しに大声を出したところ私の声が聞こえたため、完全な失聴ではないようだ。

 私の損傷も少なくないが、あちらはまさしく半死半生。元々あれがドラゴン同士の戦いで深手を負っていたからこその快挙ではあるが、右目は奪った。

 剣も刺さったままだが、まぁ心配はない。ここからは剣など必要ないだろう。

 ドラゴンが暴れ回るのをやめる前に、私は走ってドラゴンの左半身に回る。剣が深々刺さったドラゴンではこの位置は見えないのだ。

 ドラゴンは自分の片目を突き刺した憎い相手を探そうと何度か体を回す。そのたびに私は全力で左半身側に走る。それを繰り返すだけである。

 実に無様で卑劣な策ではないか。だがしかし、最善の策である。ドラゴンは動くたびに出血しているのだ。辺り一面はすでに赤く染まっている。

 もはやあのドラゴンは。いや、むしろ私と相対する前からあのドラゴンは限界だった。その巨岩のような肉体が崩折れる。虫の息となったドラゴンから剣を引き抜き、喉元めがけてとどめを刺した。


 さて、こうして私はドラゴン征伐という大仕事を終え一息ついていた。

 命の危機が去り、全身に疲労が駆け巡り、私の脳裏に浮かんだものは何だったか。そう、食事だ。腹が減ったのだ。

 だが、幸運にも私の目の前には食べ物の種がある。私は返り血を払いながら、来るであろうその声を待ち続けた。

 ふと右を見る。二人の男がいた。側にはそれぞれ一頭ずつの馬。二人の男は何事か私に話しかけているようだが、どうやら耳の調子がまだ悪いらしくほとんど聞き取れない。

 近くに行こうとすると、二人は露骨に後ろに下がってみせた。何かと思い自らを見る。……なるほど、確かに。全身には返り血、右手には血だらけの剣、すぐ側にはズタズタのドラゴンの死体。まともな人間には見えまい。

 剣をその場に捨てて両手を挙げ、敵意がない旨、耳が聞こえづらい旨を伝えると、ようやく彼らはこちらにやって来た。

 二人はどうやら私が目指していた街の住人らしい。けたたましい咆哮を聴き、何事かと馬を飛ばしてきたそうだ。

「それにしても、こんなものよく倒せたもんだな!」

「あぁ、このドラゴンに関してだが、頼みたいことがある」

「何です?」

「こいつを売りたい。あんたの街に運んでくれないか」


 ドラゴンを売り捌いた私は相当な額の金を得ていた。

 ドラゴンは貴重であり、また牙に目、爪、革、肉。すべてに商品価値があることから、一頭そのまま討伐すればその額はかなりのものとなる。

 牙や爪は武器となったり魔を除ける飾り物となったり、革は防具にも用いられる。肉は、私は理解できないが、食べたいという人間もいるようだ。

 ドラゴンの肉など何が旨いのか、私にはまったく理解できない。そういう人間の殆どは無駄に金を溜め込んだ人間だ。珍しく、「ドラゴンの肉」という付加価値があるからこそ食っているだけだ。

 そもそも、人間を一振りで肉塊にできる筋力を発揮する肉が旨いとでも思うのだろうか。とにかく、あれは固い。煮ても焼いても固くてまずい。

 ヒレ部分をステーキにするなり、他の部位でもシチューのように煮込めば食えなくはない。だがもっと旨い肉はある。わざわざ高い金を払ってまでドラゴンの肉など食べるのは愚の骨頂というものだ。

 まぁ、私もそういう人間のおかげで今から真に旨い肉を食えるのだから、あまり文句ばかりも言えまい。

 私はこの街で最高級だというレストランに足を運んだ。

 主菜を待つ間、出されたパンを食う。保存の効くライ麦ではなく、白パンである。なんと柔らかいことだろう。これがいつも私の食べるものと同じパンなのか?

 ふわふわとした食感はしばらく口の中で玩びたいほどに愉快だ。口内との親和性は抜群である。口腔の中に溶けるような感触。呑み下しても、また次を食べたくなる。

 名残惜しいが、二つの白パンはすぐになくなってしまった。だが、腹にはまだ余裕がある。主菜を受け入れる準備は整い――ああ! 肉の焼ける良い匂いが近づく。

「お待たせしました」

 ゴトリ、と目の前に鉄の板が置かれた。その中心でジュウジュウと肉汁を発し待つのは、おお、なんと牛肉のステーキである!

 黒く焼けた網目と赤朽葉色の肉のコントラストは芸術的ですらある。蒸気とともに登るその匂いは、どんな空腹の人間でも腹を鳴らすほど強烈だ。

 たまらずフォークを突き刺す。それだけでも肉汁は溢れ、焼けた鉄板の上で旨味の飛沫を立てるのだ。なんと豊潤なものだろう。ナイフで肉を裂けば、僅かな血とともに肉の汁が溢れ出した。あぁ、鉄板が熱くさえなければ飲み干してやりたい。

 だがまずは、食う。ソースに肉を浸し、熱く焼けた肉を口に含む。

 はじめにソースの甘いような味が広がる。次に来るのは、おお、なんと言葉にするのがもどかしい――旨味である。噛むたびに牛肉は旨味を提供してくれる。熱い、その肉が、口のどこにあっても塩と酸味の最高のバランスを私に与えてくれるのである。

 飲み込む時ですら、力強い感触が喉を刺激する。食事とはとどのつまり生きるための補給であるが、これはその次元を凌駕した。実に罪深い味わいだ。

 職業柄、私は魔物を食すことが少なくない。アクリスやバジリスクのような、動物といえなくもないものから、キメラやカトブレパスのような完全な化物までなんでも食った。

 だが、ああいった「食えなくもない」者たちと牛では食い物としての格が違う。まるで食われるために生まれてきたかのような圧倒的な旨さだ。私は一度も牛という生き物を見たことはないが、相見えることがあれば一度その旨さの秘訣を尋ねてみたい。

 その後も私は飢えた獣の如く食った。獣との違いはナイフとフォークの存在くらいだろう。むしろこれだけ旨い牛の肉を前にして手を止めることは失礼に値する。

 ワインの類を煮詰めたソースは、牛の旨味に疲れて怠くなった舌を引き締めてくれる。塩と胡椒で食うのも悪くない。噛みごたえある肉の味をそのまま補強してくれる。

 スケルトンの骨粉と塩は似ているといったが、実際に食べ比べてみれば塩のほうがやはり雑味が少ない。骨粉ではこの肉の味を崩してしまうだろう。

 目と耳、鼻、舌、歯ごたえ。五感全てを楽しませてくれた牛肉のステーキは、気付けばもう残り僅かである。最後の一口は、料理人に敬意を表しソースで食べることとする。


 肉の旨さとはどこから来るものなのだろう。自分の肉を旨くすることに進化的優位があるとは思えない。きっと牛は博愛精神にあふれた動物なのだろう。

 料理人に礼を言ったあと、金を払って店を出る。これほどの体験を経てもなお、金はなくなりそうもない。とりあえず、一週間ほどはここに滞在することとしよう。

 さて、明日は豚を食うか鳥を食うか。普段魔物を食っていると、どんなものでも旨そうに見える。

 ひとまず今日は宿を探すとしよう。硬い地面の上ではない、草の臭いのしないベッドを。

 街道は夜でも松明が灯り、人々の往来がある。私は人の流れを逆らうようにして歩いた。月が煌々と輝く夜だった。


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