事件の解決
「兄さんが犯人だったんだな……」
先ほどの突然の取り乱した一也の姿を見て、内心では大体の予想はついていたのだろう。英介は顔こそ驚いてはいるものの、一見したところ比較的落ち着いているようだ。
「違う。殺人は俺じゃない。拳銃は君たちが死体に気を取られている隙を見て、さっき拾ったんだ。だがこれで、俺が財産を手に入れることができる。さあ、そこをどけ」
「兄さんは会社も継いで、この家の当主にもなって、それなのになんで、隠し財産なんてはした金まで欲しがるんだよ」
「わかってねえなあ。俺はさ、全部が欲しいんだよ。俺が何のために、これまであのジジイに取り入ってきたと思ってるんだ? 折角大企業の会長の孫として、ここまでやってきたっていうのに、遺言は蓋を開けてみたら、隠し財産は最初に見つけたものに渡すだあ?」
一也は、あの耄碌ジジイが! と怒号を上げて、ごつい南京錠の付いた大きな葛籠の上に置かれた小物を、腕で薙ぎ払った。音を立てて落ちる小箱。蓋が開いて、中身の古い巻物が床を転がった。
「ふざけんじゃねえよ。この家の金は全部俺のものになるんだよ」
とうとう本性を現した一也。そのあまりに身勝手な発想に、俺はすっかり呆れ果ててしまった。それはどうやら英介も同じなようだったが、拳銃があるために、恐れ戦いて反論もできない。
「そこの名探偵君。犯人は一体誰なんだ? 君はもうわかってるんだろう? 俺が犯人じゃないことを、こいつに証明してやってくれよ」
俺に銃口を突きつける一也。確かに、犯人が誰かは分かっている。しかし、未だに合っているかの自信がない。だがこの状況では、話すほかなかった。
「最初の殺人は時間的にも誰にだってできるでしょう? 問題なのは、第二の殺人です」
「そうだ。あの場にいた全員にアリバイがあった。俺たちには不可能なんだろう?」
「そうです。でも、いるでしょう? たった一人だけ。アリバイなど関係なく、あの状況でも自由に行動することが可能な人物が」
「何?」
「それは……儂の事かな」
聞きなれないしわがれた声が、突如蔵の中に反響した。その声の主は、入口に立って俺たちを見つめている。
「な、なんでお前がここにいるんだよ」
眼球を飛び出させんばかりに目をひん剥いた一也。英介はその人物を見て、すっかり絶句してしまっている。
そう。その人物は、数日前に死んだことになっていた、槻源蔵であった。
腰はかなり曲がっているものの、杖を突いて自分の足でしっかりと立っている。その堂々たる佇まいは、足の障害を忘れさせるほどだった。
「やはり、そうでしたか」
俺は彼がここに現れるなどとは思わなかったので少々面食らった。しかし、彼の登場は自分の推理が当たっていることの何よりの証拠。俺は自分の考えにようやく自信を持った。
「いつから気付いていたんだね? 儂が生きていると」
「最初に不審に思ったのは、第二の殺人現場に残っていた、何かを引きずった跡ですよ。貴方は戦中に事故で負傷して以来、左脚がいう事をきかなくなっていたそうですね。それを思い出したんです。つまり、あの跡は脚を引きずった跡ということです。」
「だが、あの跡は玄関まで続いていたんだぞ。俺たちが死体に駆け寄るまでの間に、どこかでばったりでくわさないのか?」
一也は驚きながらも、現実を受け入れようとしている。
「ここの日本庭園は、大きな草木や岩で、かなり見通しが悪いですよね。隠れる場所ならいくらでもあります。恐らく源蔵さんは彼を殺した後、俺たちが来るまでの間にできるだけ死体から離れたところで繁みに身を潜めて、走ってやってくる俺たちをやり過ごしたんですよ。そして、俺たちが死体に気を取られている間に、ばれないように玄関まで引き返したんです。俺たちが死体に近づくまで、あの跡に気付かなかったのは、慌てていたからではなく、死体を見つけてから出来た跡だったからですよ」
「しかしなんでまた、そんなリスクを冒してまで、家に戻ろうとしたんだ? 山のほうに逃げればよかったじゃないか」
「実は家に戻るほうがリスクが少ないんですよ。位置関係からして、山側に向かって逃げてしまうと、背後の玄関から俺たちがやってきていることに気付かずに、見られてしまうかもしれない。それならば、玄関を確認しつつ逃げられる、家側に向かうほうがいいんです」
「成程。しかし、それだけで儂が生きていると?」
源蔵は一歩進みでた。違和感はあるものの、杖や動かない左脚にもすっかり慣れた様子のその足取りは、普通の老人とも大差ないほどに思える。
「いえ、それだけではありません。その時は俺も、貴方が死んでいると思っていましたし、あまりに荒唐無稽な考えだと思いました。現にあの跡を見ても、英介も一也さんも気付かなかったですし。俺は、あの暗号文にも、貴方が生きていると示唆されていたことに気付いて、少しずつ確信を得ていったんです」
「……どういうこと?」
ようやく口が利けるようになった英介が訊く。
「あの暗号、最後の文章がなくても成り立つだろ? それが不自然に思ってね。最後の文章は『其の者たちの首を討ち、真に物事を見据える眼を手に入れ給え』。つまり、それまでの文の頭文字を取って並べれば、真実が見えてくるということさ。そして、『我が宝玉――』の『我』、『未知の土地――』の『未』、『死せずして――』の『死』。これらを並べて読むと『我未死』、すなわち『我、未だ死せず』となるんだ」
「その通り」
源蔵は感心そうに頷く。
「そして、最後に気付かせてくれたのは、蔵の中の鉢植えです。貴方の死後、遺言の謎のために、お気に入りだったこの鉢植えは、ここに置かれている。しかし、誰も世話をしていないはずなのに、土はいい状態で保たれていた」
「この鉢植えはもう一人の儂のようなもの。とてもこんなところで放っておくことができなかった。しかし、暗号のために移動させることもできない。それで、儂が隙を見て手入れをしていたんじゃ」
「しかしなんでまた、こんな、死んだふりを……?」
「儂の老い先はあまり長くない。そこで、誰にこの会社を継がせるか、誰にこの家を継がせるか、若い衆の成長を見て決めることができないと悟り、光子さんや知り合いの弁護士や医者に協力してもらって、一度死んだことにして、隠し財産の話を持ち出し、それに対してどのような反応を見せ、どのような対処をするか、見てみることにしたのじゃ。こういう時にこそ、その人物の本質が明らかになると思うたのでな」
「松下さんもグルだったのか」
英介が目を見張る。
「だから彼女はこの扉に気付いても、何も言わなかったんだよ。まあ、流石に殺人のことは言ってはいなかっただろうけど、あの足を引きずった跡を見て、彼女も犯人が貴方だと気付いたようですね」
俺は確かめるように源蔵に訊いた。彼はゆっくりと頷く。
「そうじゃ。儂一人で隠れて生活するのは色々と不便だった。彼女には色々と手伝ってもらったよ。ただ、春彦の死体を見て、儂を問い詰めてきたがね。そこへこの騒ぎ。それで、急いでここにやってきたという次第じゃよ」
さらに源蔵は続ける。
「ともかく、儂はこの三人の兄弟なら、協力して謎を解き、発見した財産も三人で分けるだろうと踏んでいたのじゃが、それは儂の見込み違いだった。
謎を解いた竜雄は、一也を殺して会社や家までも自分のものにしようと企んでいた。それに気付いた儂は、あの朝早くに竜雄が山に行くのを見て、後をつけた。携帯で一也を呼ぼうとしているのがわかり、儂は竜雄を止めようと、そこへ出ていった。自分が死んでいる事になっていることも忘れてな。
儂の姿を見た竜雄は相当に驚いて、それで足を滑らせて、谷底に落ちていってしまったのじゃ」
「つまり、あれは事故だったのか」
「客観的に見ればそうかもしれんが、儂が殺したようなものじゃろう。既にメールは送られてしまった後。携帯も竜雄も谷の底。新たにメールを出して、一也を引き留めることもできない。一也に見つかれば、確実に警察を呼ばれてしまう。だからその前に、光子さんにも手伝ってもらって、ここに来るまでの道を封じておいたのじゃ」
「そんな時間稼ぎに、一体何の意味があるんだ?」
英介が口を挟む。
「春彦を殺すためじゃ。竜雄の死で計画は狂ってしまったが、最初から奴は殺すつもりだった。不肖の息子を始末しておかなければ、儂や孫たちに悪影響が出る。ずっとそう思っていた。実際、儂が死んだと聞きつけて、相続する権利がある、と出張ってきたからのう」
「だったら、相続させない様に、遺言状に書いておけばいいだけじゃないか」
「金を手に入れるためなら、どんな手もいとわないような奴じゃ。そんな事では、奴は諦めなかっただろう。そして、手に入れられないとわかったら……、それこそ、何をしでかすかわかったもんじゃない。
出来ることなら、もっと前に始末しておきたかったところだったのじゃが、奴は苗字が変わっていて、見つけることができなかった。しかし、奴の性格なら儂が死んだことを知れば、遺産目当てに飛んでくるに違いなかった。予想通り、奴は殺されるとも知らず、のこのことやってきた。そして、一人になった隙を突いて、殺したというわけじゃ。
しかしまさか、一也までがそんな俗物的な考え方をしているとはな。儂の眼にも大分ガタが来ていたようじゃ。だが、隠し財産の話は全部でっちあげじゃよ。もう後戻りはできない」
「うるせえよ。まあいい。会社と家だけでも十分だ。ここにいる全員を始末して、あのお手伝いに罪を着せれば、俺はどうとでもやっていける。まずはあんたからだよ、クソジジイ。今度こそあの世に逝きやがれ」
一也が不敵な笑みを浮かべて、拳銃を持つ手の人差し指に力を入れる。
俺は思わず目を背けたが、その瞬間銃が爆発し、頭部を黒く焦がした一也は、未練がましく手を空中に彷徨わせて、倒れこんだ。
しかし、彼にはまだわずかに息があった。掠れた声で、
「くそが。畜生め」
などとうわ言のように呟いている。
源蔵はそんな彼を見下ろし、懐から何やら、小さな無線機のようなものを取り出してみせた。
「ふん、儂の使っていた拳銃だ。何の仕掛けもしてないわけなかろう。某国から取り寄せた輸入品じゃ。スイッチを押せば腔発する仕組みになっておる」
それから、源蔵は残念そうな顔で俺を見た。
「こんな事に巻き込んでしまって、君には済まないことをしてしまったな」
警察のサイレンがどこからともなく聞こえてきた。ようやく道が使えるようになったのだ。その音が徐々に大きくなっていき、俺はだんだんと安心して、全身の力が抜けていった。
こうして、莫大な遺産によって巻き起こされた、槻家の忌まわしい事件は幕を閉じたのであった。