暗号の解決
何かが閃いたような気がした。
しかし、これはあまりに突拍子もない考えだ。俺は自分のその推理に、確信がもてなかった。
何か、何かもっと手掛かりになるようなものがあるはずだ。
「何かわかったのか?」
俺の表情の変化を読み取ったのか、英介が期待のこもった声で尋ねる。
「まだ何とも。それより今は、遺言の謎を解いたほうがいいと思うんだ」
肩を竦める俺に、英介は呆れたように溜息を吐いた。
「こんな時にその話かよ。それは後でもいいだろう?」
「いや、今やっておいたほうがいい。どうせ警察が来るまで、現場は保存しておかなきゃならないし、それ以上に俺たちが今やれることはないよ」
「確かにそうだけどさ……」
俺たちは槻邸に引き返し、英介に遺言状を源蔵の部屋から取り出してきてもらい、それを居間のテーブルに広げた。いかにも気分を悪そうにしていた光子は、トイレに向かったようだった。
残った三人で、そのテーブルを囲い、遺言状を眺めた。
「実を言うと、昨日の夜からいろいろ考えて、大体これかなって答えに辿りついたんだよ」
「そうだったのか!? だったら教えてくれたらよかったのに」
俺の言葉に、英介は驚いて目を丸めた。
「だから今言ってるんだろ? 朝からの騒ぎで、それどころじゃなかったんだから」
「それで? どう解くんだ?」
自分で言っておきながら、前置きは二の次だとばかりに、英介は先を急かす。
俺は溜まっていた息を深く吐き出し、肺に新たな空気を取り入れると、乾いた唇を舌で濡らして、説明を始めた。
「まず、『我が宝玉の在処を知るは十二の獣』。これは文字通り、後にずらずら書いてあった、一見何の規則性もない十二支の羅列が、隠し財産の在処を示していることに他ならない」
「それはそうだろう」
そんな事、お前に言われなくても当然だ、とさらに付け加える英介。
「まあ、最後まで聞いてくれ。次に『未知の土地に於いて迷える旅人を導し四方の聖なる獣と、頭上高く昇る竜は刹那の断末魔を叫ぶ』。前半は四方――すなわち、東西南北――を表す獣のことを指し、後半はそのまま、竜――すなわち、十二支で言うところの辰――を表している。その後に続く、『死せずして後に残った獣たちは永遠の慟哭を挙げ続けるであろう』の『残った獣』は先に述べた以外の獣のことを指している」
「それで、『刹那の断末魔』と『永遠の慟哭』はなんなんだよ」
「それがずっとわからなかった。だけど、行きの新幹線でお前から聞いた話を思い出したんだ。お前のお祖父さんは戦時中は、海軍の船員として従事していたんだろう?」
「そうだよ」
まだ英介にはピンと来ないのか、だからどうしたと言うように、怪訝そうな顔である。
「それで気付いたんだよ。これはモールス信号を表しているんだって」
「モールス信号?」
英介は小首を傾げた。
「そう、長点と短点――ツーとトンと言ったほうがわかりやすいか――この二つを使って、五十音を表す、主に通信で使われている信号の事だよ。海軍の船員だったなら、知らないはずはない」
「そうか。つまりは『刹那の断末魔』と『永遠の慟哭』は、それぞれ短点と長点の事を指しているんだな」
ようやく合点がいったようで、英介はポンと手を叩いた。
「その通り。そして、先ほどの十二支の羅列をモールス信号に置き換えて、更にそれを日本語に直すと、宝の在処がわかるって寸法だよ」
「なるほどなあ。それで、その肝心の四方を表す獣ってどれなんだよ」
俺が答える前に、それまで黙っていた一也が、突然その言葉を奪った。
「昔は十二支で時刻や方角を表していたんだよ。北は子。東は卯。南は午。西は酉。そして、暗号文中のその四つと、辰を加えた五つの文字を短点、残りの文字を長点で置き換えてみると、こうなる」
近くにあった紙と鉛筆を持ってきて、一也は書きながら説明を続けた。
『-・-・ -・- ・・-- ・-- --・- ・・--
-・--- --・・- ---・- ・-・・ -・- ・・・』
「このモールス信号を、日本語に変換すると、『ニワノヤネノエヒスカワラ』となる。つまり、『庭の屋根の恵比寿瓦』だ。この家の庭の屋根と言ったら東屋の屋根で、その天辺にある恵比寿瓦のことを指しているということは、ここまでくれば容易にわかるだろう」
「なんだ、兄さんはもうわかっていたのか?」
「実を言うと、昨日のうちにその考えに至ってね。夜更けのうちに調べに行ったんだよ。だが、色々いじくってみたものの、何の仕掛けもなかった。末田くん、残念だが、君のその推理は外れだね」
一也は自らの考えが外れたというのにもかかわらず、得意げに喋っていた。
しかし、俺の解いた答えは、彼のものとは違っている。
「いや、恐らく貴方の考え方は、源蔵氏の仕掛けたひっかけに、まんまと嵌ってしまっているんですよ」
「どういうことだ?」
彼は怪訝そうに眉を歪めた。
「先程、十二支で方角を表していた。と、言いましたが、陰陽道では、それとは別の四体の聖獣が四方を表すことがあるんですよ」
「陰陽道?」
「ええ、北は玄武。東は青竜。南は朱雀。西は白虎。これらを総称して、四神と呼ぶ事もありますね」
「し、しかし、どうしてそうだとわかる?」
俺の自信が崩れない様子を見て、一也は何やら焦っているようだった。みるみるうちに、額から汗が垂れてくるのがわかる。暗号を解かれたくないのだろうか。
「陰陽道では、この四神に加えて、中央に黄竜を配置し、合わせて五神と呼びます。もうお分かりでしょう。『頭上高く昇る竜』というのが、この中央の黄竜を指しているんですよ。すなわちこの文は、四方の獣が四神であることを示唆していたんです。そして、これらを十二支の動物で表すと、青竜と黄竜は辰。朱雀は酉。白虎は寅となるんです」
「玄武ってのは何だい?」
英介が尋ねる。
「玄武は亀のことを表しているんだ。亀は十二支には存在しないが、実はこの亀は蛇を巻き付けている亀だったり、その尻尾が蛇だったりする亀なんだよ。つまりここでは、玄武は巳を表していると考えるんだ。そうして、それらを短点として、それ以外を長点としてモールス信号にすると」
言いながら、俺は一也に倣って、テーブルの上の紙に、そのモールス信号を書いていった。
『・・・- ・・・ ・・-- ・-・ ・-・・ ・・--
--・-- ・---・ ・・-・- ・・-- ・・- ・・・』
「こう書き表される。これを日本語に直すと『クラノナカノアセミノウラ』。『アセミ』は馬酔木の別名だから、つまり、『蔵の中の馬酔木の裏』となるんだよ。これが本当の隠し場所さ」
それを聞き終えるかしないかという内に、血相変えて一也は走り出していた。明らかに、庭にある蔵に向かっている。さっきからどうも様子が変だとは思ったが、財産を先に見つけに行こうとしているのだ。
反応の遅れた英介は、その一歩後に続いて家を飛び出した。俺もそのあとに続いて走っていく。
俺が蔵に着いたときには既に、一也が中にあるものを全てひっくり返さんばかりの必死の形相で、目当てのものを探していた。彼はきっと植物に疎いのだ。馬酔木がどれかを知らないのだろう。
俺は、蔵の中に並べられている、多くの鉢植えの植物を眺めた。程よく湿った土から生えている、その植物たちの中に、馬酔木の鉢植えがいくつか連続してあった。
それらをどかしてみると、なんと、驚くべきことに、隠し扉があったのである。
「こんなところにこんなものがあったなんて……」
英介は驚いて立ち尽くしている。
「でも、この鉢植えを運び入れたのは松下さんだよ。こんな扉があったら、彼女は気づいたはずだけど……」
俺がそれに答えようとしたとき、
「そこか!」
気づいた一也が、扉の前に立っている俺たちに向かって、隠し持っていた拳銃を向けた。