男の料理教室
僕はアパートの自分の部屋にいた。
テレビを点けると、画面には一人の女が映っていた。
僕はその顔を知っていた。はるか先生だ。たぶんそうだと思う。何故か確信が持てない。
その女は裸の体の胸と腰に、白い毛皮らしきものを巻き付けているだけだった。胸の谷間が目につく。頭にもやはり白の、長いウサギの耳を着けていた。
「みなさんこんにちは。一週間、いかがお過ごしでしたか? 男の料理教室、今週もはりきっていきましょう。では先生、よろしくお願いします」
女が言った。
「はあい」
画面に男が現れた。男もやはり薄着だった。裸にエプロンを着けている。むき出しの筋肉質な両肩から手首まで、極彩色の和風な模様が描かれていた。アフロヘアーで、顔の半分は覆ってしまいそうなティアドロップ型のサングラスをかけていた。その男は浩二だと僕は思う。髪型も入れ墨も違うが、たぶんそうだ。
二人の前に音もなく調理台がすべり出してきた。
「今日はピザをつくります」
男が言った。
「ピザですか。いいですねえ、この季節にはぴったりですね」
「そうでもないです。ではまず、ピザの生地を用意してください」
「はい、こちらですね。先生、大きいですねえこの生地。これだったら家族みんなで食べられますね」
それはマンホールの蓋ほどの大きさだった。
「家族はいません。ではまず、生地にたっぷりと醤油を塗ります」
「醤油ですか。和風ですね、和風のピザなんて変わっていておもしろいですね」
男はその言葉を無視して、手に取ったハケの毛先で女の脇腹を撫で上げた。
「だめです先生」
女は男の腕をはらう。
男は何事もなかったかのように、ハケで生地に醤油を塗った。
「次は具です。まずは茄子と人参とキャベツとピーマンを切ります」
男が言った。
「野菜たっぷりですね」
「どっぷりです」
「は?」
「野菜どっぷりです」
そう言うと男は、台の上の棒状の物を取り上げた。それは日本刀だった。鞘から現れた刀の歯が光を反射して光る。
「うわあ、長い包丁ですねえ。先生、特注ですか?」
「誕プレ」
「たんぷれ?」
「誕生日プレゼント。もらったの。離れて」
男はまな板の上に並べられた野菜を、日本刀を振り下ろし切っていく。
野菜とまな板の破片が飛び散る。
「男らしい切りっぷりですねえ」
「オッケー」
大きさが全く不均一な野菜の破片が散乱している。
「では乗せていきましょう」
二人は野菜を生地の上にのせた。
「先生、随分厚くなりましたねえ」
「つぎはご飯」
「ご飯、ですか?」
「一合ね」
「でも先生、ピザにご飯て一体……」
女は怪訝な顔で男の顔を見る。
男は女の腰のあたりに後ろから手を伸ばした。あっ、と声を上げ、女は体をこわばらせた。どうやら男は女の尻を掴んでいるようだった。
「文句あんのか? なんか文句あんのか?」
男は女の耳元で囁いた。
「あっ、ありません」
女は吐息混じりに応える。男は手を離すと、また平然と作業を始めた。野菜の上にご飯を盛りつける。しゃもじで平に固めていく。
「次は先生、何でしょうか?」
「何がいい?」
「はい?」
「どうして欲しい?」
「どうしてと言われましても……。野菜とご飯ですからねえ。ちょっと私には……。やはりこの辺はお好みで、好きなものを入れて頂くということなんでしょうか?」
「苺ちゃん」
男はボウルからイチゴを取り出す。
「苺ですか。これはまた意外な組み合わせですね」
女は驚いた顔をして言った。
「ちゃん」
「はい?」
「苺ちゃん」
「あ、はい、すみません。苺ちゃんですね。意外な組み合わせですね、苺ちゃん」
男は苺をまんべんなくご飯の上に並べていく。
「白地に赤がきれいですね」
女がそう言うと、男は女の顔を一瞬だけ見て、鼻で笑った。
「マヨネーズ」
「マヨネーズ。何にでも合いますね、マヨネーズは」
男がまた無表情に女の尻を掴んだ。
「えっ?」女は驚いた様子だ。
「嫌いか?」女の耳元で男が囁く。
「いやっ」
「マヨネーズ嫌いか?」
女は首を左右に振る。
「す、好きです」
「にゅるっとマヨネーズ」
女は顔をしかめ男の顔を見上げる。
「言え。にゅるっとマヨネーズ」
「そんな」
「はやく」
男の手に力が入る。
「にゅ、る、はあっ」
「聞こえない」
「だめ、言えません」
「言え」
女は調理台に両手をついた。
「……にゅるっとお、はあっ、マ、マヨネーズ」
男は女から離れマヨネーズを苺の上にたっぷりかけた。
「じゃんじゃんいきます。次、チョコレート」
チョコレートの上にはパスタ、その上には、チーズ、ピクルス、あんこ、海老、ヨーグルト、牛肉、パイナップル、キムチ……。このようにしてピザは様々なものを積み上げられ、調味料も香辛料も世界各国のものが使われた。その間に女は材料の数と同じくらい男に尻を掴まれた。
一番上にはキュウリが丸ごと何本も載っている。
「すごい高さになりましたね先生」
女は息が荒い。顔が上気している。
「では圧縮します。座って」
「座る?」
「上に」
「私がですか?」
「仕上げだから」
「でも」
「でも?」男は女の顎を片手で掴む。
「座ります」女は歪んだ顔で言った。
女は調理台の上に乗った。こちらを向いて、両腕を股の間に挟んでしゃがみ、ピザに尻を乗せる。ためらいの表情をほんのつかの間見せたあと、女は体重を乗せた。挟み込まれた具やなにやらが、湿った音を立てて潰れていく。男は女の前に回り、顔を覗き込む。女の目は潤んでいる。
「いや」女は顔を伏せた。
「よし」
そう言うと男は女の両脇の下を持ち、調理台から軽々と下ろした。
ピザは10センチ位まで薄くなっていた。回りには収まりきらない具がはみ出している。
「後は、焼く、だけですね」女が息を切らせながら言った。
「焼くだけです」
画面が変わった。二人は白いテーブルの脇に立っている。テーブルの上には焼き上がったピザが皿に載っていた。
「さて、できあがりましたあ。いいにおいですねえ先生」
明るい表情に戻った女が言った。
「くさい」
「ここで、本日のゲストを紹介します」
女が僕の名前を言った。画面に僕の顔が大きく映った。
気がつくと、今までテレビ画面目に映っていた空間に僕はいた。目の前にピザの置かれたテーブルがあって、僕は椅子に座っている。さっきまで画面に映っていた二人が脇に立っている。右側に男、左側に女。
「さっそくですが、それでは食べていただきましょう」
女が言った。
僕は女を見上げた。白い毛皮に包まれた胸がそびえていて、その向こうに笑顔が見える。
反対側を見た。男は僕に頷いた。
僕は立とうと腰を上げた。こんなもの食べたくない。
男が僕の肩を押さえる。
女が胸を押し付けてくる。
「どうぞ召し上がれ」
女が言った。
「食え」
男は日本刀の先端を僕の顔にあてがって言った。僕は二つの凶器に挟まれたまま動けない。
「食べさせてあげなさい」
男が女に言った。
「分かりました」
そう言うと女は僕の膝の上に乗った。女の胸に顔が埋まった。
女はピザを一切れ取る。
「ああん」女が言った。
「食え」男が続いて言った。
ピザはひどい匂いがした。
「ああん」
「食え」
日本刀が皮膚を押す。
「いやだ」
言った瞬間、分厚いピザが僕の口に押し込まれた。