黄昏の墓守
渾身の一作!お楽しみください。
墓守、このつまらない世界にはそんな特殊すぎる職業が存在する。
墓地にて死者を弔い永久の安らぎを保証するもの。
死にきれぬ者に、その手を下し無駄な生を立つ者。
夜、暗闇を司る、星聖教会が掲げている二大主神の内の一柱、魔神シャーマンの加護と番人としての力を授かった者。
死と生の境界線上に立ち、おおよそ人間と呼べなくなった者。
そんな男が、ある街の郊外にいた。
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ある街の郊外に佇む墓地。割と大きな街にあるためか墓地も大きく、当然のように管理などろくにされていない。鬱蒼と木々が茂り、昼間でも薄暗い墓地は大人でも気味悪がって近づかない場所だ。そんな場所にできる、かろうじて人一人が通れる獣道程度の砂利道が誘う小高い墓地の最奥には、一人墓石の脇へもたれ掛かる青年がいた。
耳を隠すくらいに切りそろえられた散切りの黒髪に、白い肌。長袖の黒い平服に黒革のズボン、足首の少し上まである革のブーツといった特徴の青年。至って平凡な服装も珍しい黒髪も、足首まである黒いぼろマントが覆い隠している。
むしろ、そんな青年が肩に担ぐ墓守としての証――黒鉄の大鎌が異彩を放つ、風変わりな青年だ。
青年に名前はない。墓守でなかった頃に呼ばれていた幼名はあっても、何代か続く役目を継いだ今ではただの墓守であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。
名を捨ててでも全うする墓守の職務は、この墓地を守ること。もしくは浮浪者や病人などの死に損ないにとどめを刺して、弔うこと。街で暮らす人間が敬遠する死に関する仕事を率先してこなすのが、墓守の仕事だった。
身寄りなどいない彼は、今日も育ての親が眠る墓に寄り添って黄昏れる。空気は相変わらずよどんでいて、薄暗い。数代続く中で人一倍やる気の少ない墓守である彼は、生い茂る草木を一瞥することもなく革袋に入った飲み水を煽る。ざわざわと揺れる木々が静けさを余計に引き立たせた。
またこの日も何もないまま終わるのだろうと、墓守は毎日するように予想をする。自分の肩まで浸った静寂から出した予想は、珍しく裏切られた。
人が来たのだ。
よろよろと歩いてきたのは明るい色の茶髪をつむじの辺りで一つにまとめた小柄な女性。清楚な印象を与える丈長で長袖の白いワンピースに髪色と同じような色合いのカーディガン、その上から幅の広いチェックのストールを羽織って自分の肩を抱いている。
彼女の顔色は悪く、表情もどこか儚げに俯いて暗い。墓守は、そんな彼女に興味を持った。
大方、自殺志願者だろうが人と話せるというのはそれだけで嬉しいし、うるさく喚き散らすようなら首を落として無名塚に弔ってやればいいのだから。
そんなことを思い観察を続けていると、女性は道の中程でぱったりと倒れてしまう。ピクリとも動かない彼女に、墓守は職務を果たさねばならないかと近寄った。
見れば見るほど綺麗な顔をした女性だ。ただ生きているようだったから、この場に放っておく訳にもいかない。墓守は溜息をつくと、少々躊躇いながらも女性を肩に担ぎ上げる。そのまま大鎌で足下に飛び出た雑草を払いながら、自分の寝泊まりするあばら屋へ運び込んだ。
がらがらと戸を引く墓守は、地面に寝るよりはマシという程固いベットの上に寝かして、ゆっくりと冷たい水を飲ませる。のどが静かに上下するのを確認すると、大鎌を壁に立てかけてベットの脇に座り込む。
読み過ぎてボロボロになった分厚い装丁の本を再び読み返していると、女性はやがて目を覚ました。
「――! ここは……」
「目、覚めたのか。なら、早く出て行ってくれ」
勢いよく体を起こして辺りを見回す女性だが、墓守を見つけると石のように固まる。そんな女性に墓守は愛想の良くない対応をして、目線を再び本に戻した。墓守としては誰かが来て自分の小屋に運んだだけでも十分だったのだが、女性はすぐに姿勢をただして頭を下げた。
「本当に、ありがとうございました。墓守さん。こんな私を助けていただいて」
「……あそこで死なれても、仕事が増えるだけだからな。それが分かったら、のたれ死ぬ前に帰ってくれ」
「……本当に、ありがとうございました」
突然のことに混乱する墓守は、平静を装って素っ気ない態度を取る。女性は一旦息をのんでから、もう一度深く頭を下げてあばら屋から出て行った。
墓守は、読んでいた本をぱたんと閉じてベットに突っ伏す。『言葉を発する』という行為がひどく不慣れな墓守は精神的にぐっと疲れていて、そのまま食事を取ることもなく深い眠りについた。
翌日、墓守は今日も墓地の最奥で黄昏れる。死に神と揶揄される墓守は、敬遠されたことはあってもあそこまで感謝されることはなく、昨日の混乱をずるずると引きずっていた。落ち着き無く貧乏揺すりをする墓守がふと顔を上げると、また、あの女性。衣服の色合いは違うが、おおよそ昨日と似通った服装をしている。
倒れては困ると、墓守は墓石の上から上へ走り移って女性の元へ近づく。黒マントをなびかせながら、軽快に最短距離を走り抜けた墓守はあっという間に女性のすぐ近くへたどり着いた。
「あら、墓守さん。今日もお元気そうで何よりですね」
「……そう、か。あんたは、暇なようだ」
「ええ、時間ももったいないので早速来ちゃいました」
誰の物ともつかない墓石の上にしゃがみ込む墓守に気づいた女性は、にこやかな笑顔で明るく頭を下げる。墓守は肩の担ぐ大鎌をまるで怖がらない女性に妙な感覚を覚えつつも、いつも通り素っ気ない返事をした。女性はそんな返事にもコロコロと笑って返す。
それからの話は、何の変哲もない世間話。墓守はうんうんと相づちを打って、日の暮れないうちに家に帰した。
その翌日、墓守は今日も黄昏れる。昨日、おとといと自分を訪ねた女性は、一体何を思ってこんな郊外まで来るのだろう。そんな事を恩師に墓に問いかけて見るも返事はない。そろそろ昼食時になろうと言うときに、またまた女性は現れた。今日は、何かを両腕に下げている。
墓守は、昨日のように最短ルートを辿って女性の元へ駆け寄った。
「毎日毎日、飽きないな。そんなに、暇なのか?」
「時間がもったいないので。ほら、墓守さんも食べましょう。今話題になってるお店のサンドイッチです。なかなかおいしいですよ?」
「あ、ああ……」
いつものごとく愛想のない墓守に、女性はいつものごとくにこやかに笑う。その明るい雰囲気に、墓守はすっかり気圧されてしまった。墓守が大鎌で雑草を払って綺麗にしたところに、女性が敷き布を引いてちょっとしたピクニックのようになる。墓守の中にうずく妙な感覚はどきどきと心臓のように脈打ちだした。
またその翌日、またまたその翌日と、女性は一日も開けることなく墓守の元を訪れる。
ある時は流行りだというコーヒーを。ある時は多人数用のゲーム盤を。ある時は新品の分厚い伝記の本を。ある時はおもしろい話題を。
女性は墓守のために様々なものを持ち込んで、墓守は女性の差し出したものを素っ気ないながらも受け取る。そのたびに明るく笑う女性に、墓守の中にうずく妙な感覚は次第に姿形を帯びて、ついに女性となった。
女性を拾い助けてから十一日目。墓守は今日も黄昏れる。胸の内を女性の事でいっぱいにして、ずっと女性が通ってくる道の先を見つめていた。午前中を回っても、特に変化はない。
昼を過ぎて、墓守は女性がくれた本を取り出して読み出す。これより遅い時間に来た事もあるから、きっと来るだろう。
午後も過ぎて、徐々に空が赤く染まってくる。ここまで来ると淡い期待でしかないが、謝りに来られては大変だとその場で待ち続けた。
夕方を過ぎて、月が上がってくる。結局、彼女は来なかった。墓守は、静かに立ち上がる。
「何が、あったのか……」
墓守は不思議と怒りを感じない。むしろ彼女を気遣っている。墓守はそんな自分を不思議に思いつつ、何もないあばら屋に戻った。
女性を助けて、十三日目。墓守は今日も彼女を待ち続ける。その腕にはお守りのように彼女がくれた分厚い装丁の本があった。墓守の表情はいつになく暗い。
うつむく、というより膝を抱く墓守は、こちらに歩み寄ってくる人影を感じた。急いで顔を上げると、そこには彼女ではなくいつも面倒ごとを運んでくる役人の顔がある。
至って平均的な容姿をした男。短く刈られた金髪と鳶色の瞳を持つ役人が墓守より握り拳一つ分ほど小さく、線も細い。頼りなさそうな印象を受ける役人は茶色のスーツをぴったりと着こなしている。
墓守は招かれざる客人に、舌打ちを一つ落とした。
「おいおい、僕が何したって言うのさ、墓守。むしろ職業安定所的働きをする僕に、それなりの恩義を感じてくれてもいい気がするけどね」
「面倒ごとしか、持ってこないお前に、何を期待しろと?」
軽い口で飄々と思っても無いこと言う役人へ、墓守はこの一週間あまりで身につけた皮肉を苛立ちと一緒にぶつける。役人は、何故か驚いていた。
「……いつの間にか口がうまくなったね。何があったのか――ごほん、まあいい。仕事内容は重病人へのとどめだから、しっかり僕に付いてきてくれ」
役人は驚きと戸惑いをすべて見せた後、すぐに踵を返す。照れ隠しなのか単にこの場所が嫌なのか、役人は足早に街の方へと歩いていく。墓守は彼女のくれた本を持ったまま役人の背中を追いかけた。
役人の向かった先は、同じく街の郊外にある病棟。本当の病院は街中にあるのだが、隔離しなければならなかったり手厚い看護が必要だったりする患者は、今いる特別病棟に送られる。重病患者がよくやってくるところでもあるので、墓守が一番人を殺すところだった。
墓守の中にうずく妙な感覚が虫と一緒に騒いでいるが、墓守はそれらを無視して病棟の中に入っていく。慣れたものから多少声をかけられつつ歩く墓守は、とある病室の前で役人に合わせて止まる。
嫌な予感が頭の中をひしめく中、役人がそのドアを開けた。
「この人が、今回の執行対象者――って、どうした墓守?」
役人の開けたドアの向こうには、十日にわたり自分の元を訪れた彼女の姿があった。墓守には、役人の言葉など特に聞こえていない。ショックを受ける墓守はよろよろと彼女の元へ近寄った。
墓守は少々躊躇いながらも、ベットの傍で膝をついて彼女の手を握る。ぬくもりの消えかかった手に少しだけ力を込めると、彼女はうっすらと目を開けた。
「あら、墓守さん……いらっしゃったんですか……」
「ああ、来て、しまったよ」
力無くにこりと笑う女性に、墓守は涙混じりの声でそんな事を言う。唖然とする役人など眼中にない。
そんな墓守に、女性は笑いかけた。
「……あのね、墓守さん。初めてあなたに会ったとき、私、死のうと思ってた。お医者様から、もうこの病気は治らないって、言われちゃって……だから……あのとき疲れて倒れた時は、もう終わるんだって……寂しく思ってたの」
小鳥が羽ばたけば消えてしまいそうなほどか細い声で、彼女はぽつぽつと語り始める。墓守の目からは涙がつらつらと流れて、彼女の頬にも同じように涙が伝った。
「でもね……墓守さんは、私を、助けてくれた。ずっと噂しか聞いて無かったけど、一目見て、気づいたの。すごく優しい人だって。一つしかないベットを、私に使わせてくれて……こんな、もうすぐ死んじゃう私に、良くしてくれて、とっても嬉しかった」
彼女の声にも、徐々に涙が混じる。墓守の流した涙は、真っ白なシーツにいくつもシミを作った。
「私ね、とっても、安心したの。あなたみたいな、優しい人に弔われて、大好きなあなたの傍で、ずうっと安心して眠れるんだって……そのときから、私は、死ぬのが怖く無くなったの。ありがとう……」
彼女は、気丈に笑う。墓守も精一杯不器用な笑顔を返した。彼女は、ふと墓守がベットの上に置いた本へ目を落とす。彼女は、少しだけ驚いたような顔をしてから、心からの嬉しそうな笑顔になった。
「私のあげた本……こんなに大事にしてくれて、ありがとう……ぅ……」
彼女は、それっきり話すことはなかった。墓守は服の袖で乱暴に涙を拭うと、床に置いていた大鎌を手に取る。黒光りする刃をそっと首筋に当てると、静かに頸動脈だけを切った。
真っ白なシーツが彼女の血で染まっていく。マントを破って作ったひもで本を腰にくくりつけた墓守は、片手で器用に大鎌を持ちながら幸せそうに眠る彼女の体を抱き上げた。
案内役の役人は、開いた口がふさがらない。墓守の行動にショックを受けつつも、近づかれるとそっと道を空けた。
墓守は、そんな役人に一瞥することなく病室を出る。墓守の足はまっすぐ墓地へ向いていた。
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とある街の郊外に、とある墓地がある。その墓地は手入れがなされ始めたばかりで、とても安心して墓参りなどできない墓地だった。
だが、その墓地に入りたいというものがあとを絶たない。すべてはその墓地を管理する墓守の人徳だった。
小高い丘の上、そこに一日中陣取る墓守は、いつも本を読むだけで何もせず、二つある墓にもたれかかっている。真新しい方の墓の墓石には、毎日毎日、シロツメクサで編まれた冠がかけられていた。
そんな墓守は、今日も黄昏れる。
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