縁あわせ 38 娘の思春期
クロスは寝物語に全てを打ち明けた夜の事を思い返す。
前後不覚の娘は眠っているようで、自分の抱えている状況や想いを語るには絶好の相手。
聞いているようで聞いていない、そんな娘に甘えてしまったのだ。
それに、無自覚に試していたのかもしれない。
異世界人だというのは無論、魔法が効かぬ稀有な体質と知ってもなお、見上げてくる柔らかな笑顔を変えてくれるなと。
たった今、向けてくるような興味本意な視線は欲しくなかった。
「クロス様は、くろす じんいちろう様に守られているの」
マァナは気怠くベットに頭をもたげたままのクロスへ告げた。
娘が語るには、『黒須 陣一郎』という魔法の乗らない言葉で作られた名が魔法を跳ね返しているのではないかという仮説だった。
確かにこの世界において『名』というものの扱いは少し変わっている。
魔術王が、開国もしくは国の継承と同時に生まれながらの名を弱味にしかならないからと完全に捨て去るのは有名な話。罪人排出の家系に後天的に別称を付ける罰もあれば、名誉付与のように授けられる名もある。
そういった『名』の扱いを知っているマァナが漢字で構成されたクロスの名に目をつけたのは特におかしなことではない。
だが、その仮説がこの男に及ぼす影響までは知りようがなかった。
ゆっくりと気配を変えてゆく目の前の男に気づかず、娘はとどめを刺す。
「クロス様は生まれた世界に守られているんです。ご家族がつけてくれた名に」
ならば、自分は捨てたはずの家の名にずっと守られてきたという事になるのだろうか。
疎遠な両親や、跡継ぎとしてしか子を見ない厳格な曾祖父。
それらとの縁は名を通じて今も自分のもとにあるというのか。
娘の腰に回した腕に力が入り、筋が浮き立つ。囲んだ者を傷つけないために踏みとどまっていた。
血の繋がった彼らに仄暗い嫌悪と拒絶をいつも覚えていたクロスにとって、その『仮説』は捨て去ったはずの世界が再び目の前に現れたかのような不快感をもたらすものだった。
離れていた時間が長かったし、元々それほど強烈な感情ではないのだが、先刻から激しく流動する心に引きずられて常より過剰に反応してしまう。
この異世界に来て、切れたはずの縁。
それをマァナが無邪気な好奇心で手繰り寄せてくる。
瞳を閉じてクロスは自分を落ち着かせようとしてみたが、不快な方へと傾いた感情を一向に立て直せない。可愛らしい言葉しか紡がない理想通りの娘が自ら崩れていくようで許せなくなっていた。
娘の無事な姿を前に虚脱していた体に力が戻れば、クロスの中にある想いは一つだった。
大事にして、他の男に奪われるくらいなら今ここで手に入れてしまえばいい。
やはり箍は外れきっていた。
奪って、戒めを与え、自分の理想に練り直せばいいと、物騒な思考を巡らせ覚悟も新たに目を開いたクロスだったが、そこにあったのは予想していた無邪気な娘の顔ではなく口をへの字に曲げて今にも泣き出しそうなマァナの顔だった。
思わず首を起こして姿勢を正し、娘を膝に乗せるよう丁寧に抱き直してしまう。
「やだ。あたし、自分で言ってて悲しくなっちゃった」
ごしごしと目の縁を擦って赤みを付けながら早口に、言い訳のように語りはじめる娘はまるで子供のようだった。
「今までどっちの世界でも独りだったみたいにクロス様が言ったからとても悩んだの。
それでわかったの。そんなことは無かったって思いたかったみたいなのね、あたしが。
きっと、誰か、何か、貴方を大事にしてた、守っていたはずだって。大事な人には昔だって幸せそうにしてて欲しくなるものなのね。だから優しい理由を見つけて喜んでたんだけど。
ほら、離れていても家族が守ってくれてるってロマンチックじゃない?」
「ならば、何故泣く?」
今にもこぼれ落ちそうになっている涙の粒を親指ですくい取り、そのまま舌先に舐めとったクロスの仕草は、考え考え、言葉を紡いでいるマァナの目にはとまらなかった。
「なんだか今、比べてみたら情けなくて。クロス様の生まれた世界は貴方を守ってるのに、こっちのあたし達ときたら傷つけてばかりでしょ? 戦争をいっぱい手伝わせたのでしょ? 怪我もいっぱいでしょ? なのに今日、あたし、また傷つけて……その上、癒すことも結局しなかった。すごい、役立たず」
マァナの語る言葉はどれも思春期の娘特有の感傷のようなものだったが、綺麗事だと掃いて捨てるには少し違うような気がしてクロスはその言葉の意味に意識を向ける。
誤魔化すような泣き笑いを浮かべた娘の言葉を待つ。威圧も何も込めず淡々と。
そうでないと本当の事を言いそうになかったので。
「あっという間に優しい理由が悔しい理由に成っちゃうんだもの。ちょっとびっくり」
どうやら『優しい理由』とやらはマァナにとっての優しい理由であって、しかもすでにそれは『悔しい理由』に変貌しているらしい。
理由を自分で持ち出し、そしてそれに自分で傷つく娘を前に先ほど湧き上がったクロスの嗜虐心は行き場を失い、かわりになんとも面映ゆい感情がにじんだ。
『悔しい』それがマァナの涙の出処だとわかったから。
「昔も、あたしが守れたらいいのに。って今も守れてないのに何言ってんだろーね」
届くはずのないところへ伸ばされた手は、それでも確かにクロスへ届いたようだった。この手を握って離さないようにすれば自分の中にわだかまっている毒も薄まるだろう予感があふれる。
「ねぇ、クロス様、今寂しい?」
「いや、君の思考回路を理解するのに忙しい」
「ごめんなさいね、最近情緒不安定なの。普段はとってもわかりやすと思うよ? でも、寂しくないならよかった」
マァナはホッと息を吐いて瞳を閉じる。
そうすると聞いているようで聞いていない、いつぞやの夜と同じになる。
「マァナ」と声をかけると返事は無く体は無防備にもたれかかっていた。
「今日はすまなかった」
そう、クロスは切り出した。
何故、マァナが今日襲われる事になったのかを包み隠さず語る。
テサン近隣の盗賊事情、それを自分が巧く処理できず恨みを買ってしまった結果だったと。
ああ、またこれは懺悔のようだと思いつつ。
マァナは全て聞いているだろうと確信を込めて話し続けた。
「怖い思いをさせてすまなかった」
柔らかな髪を撫でると、フッとマァナの唇がほころびた。
「クロス様がいてくれたから怖くなかったよ」
「……その俺も怖かっただろう。今も怖いから寝たふりか?」
一向に開かない瞳や、無防備な体はある種の拒絶の表れのようにもとれる。
「んー。……あのねぇ、クロス様が怖いのは最初からわかってたよ」
「なんだと」
「近寄ると心も命も奪われそうだったもの。実際そうだったよね。あたしの心なんてすぐに転がったし、命だって……」
ゆるりと瞳を開いたマァナは迷いなく言い放つ。
「命だってもう奪われちゃったよ。クロス様のためならあたし、神の子に成れるって今日知ったもの」
クロスはぐうの音も出せずにマァナの首筋に顔を突っ伏した。
いつもそう。ぐずるマァナの手を最初に捕まえるのは自分だった。
怖がられていたのかと思うと傷つき、それでも命をくれると言っているかのような口ぶりに優越感で満たされる。
決して命など貰わないと思いつつも、その言葉自体が心に淡い色を落とす。
逃げられないほど小さな体をかき抱きながら「怖いのなら、逃げおおせばよかったのに」と首に噛み付く素振りで言ってみてもマァナは無防備なままだった。
「肌が熱くて気持ちいいんだもの。クロス様に捕まえられるといつもそこで逃げるの終わりなの」
熱いと言われた肌がひときわ熱を帯び始めるのをクロスは自覚し、それを収めるためではなく煽るためにマァナの唇を目指したのだが、途中で阻まれた。
今の今までされるがままだったマァナが手の平でペチンと音がなるほどクロスの顔を叩いたのだ。
「ぶ」
「口づけするなら真っ当にお願いします。クロス様の生まれた世界では普通なのかもしれないけど、人の口の中を舐めるのはちょっとどうかと思うの。あ、それと……」
まて、無いのか? 駄目なのか? というか、まだなにかあるのか……
「クロス様の良識で結婚可能年齢はおいくつ?」
マァナの唐突な質問にクロスは少しだけ頭を悩ませた。
成人年齢とは違って結婚年齢は興味が無いためにうろ覚え……だったのだが、ふと両親の結婚した年齢を思い出した。
それこそどうでもいいはずなのに、記憶の端に残っている自分にやや戸惑う。
母は若くして歳の離れた父と結ばれた。曽祖父は常識スレスレな年齢だとぼやいていた。
確か16歳。
父は母に家へ入って欲しかったが歳を追うごとに母は起業して働きたがったと聞く。
意見が合わず、子を見向き出来ないほどに互いの事しかなかった二人。
それはある意味熱愛だったのかもしれない。
そんな彼らの無関心に傷つく幼かった自分自身をクロスは見つけた。
「ねぇ、おいくつ?」
真剣に問いただしてくる娘の瞳はクロスへの関心で煌めく。
家の跡取りだからではなく、異世界人だからではなく、魔法が効かないからでもなく、ただ、クロスの意見を知ろうとする瞳。
毒を薄めるような柔らかい声と眩しい髪色に魅入られ、娘がそれを問う理由など考えもせずにぼんやり返事をする。
「確か16歳だ」
「あと二年もあるの? のんびりした世界なのねぇー。仕方ないわ」
何が仕方ないのかわからなかったが、マァナはまるで物事を諦める大人のようなため息をつく。
「20歳までの子供扱いはもう我慢します。けど、16歳になったら、あたしを女扱いしてください」
真剣に言うマァナを前にクロスは思った。
今すぐ女扱いできない状況に陥ってないかこれは?
「そういう約束で、『縁おわり』を撤回してあげます」
下から見上げてくるのに上から目線で言うとマァナは満足したようにクロスの胸に顔をうずめて再び無防備に体を預けてくる。
結婚に関する決定権は、式に着用する衣装以外は全て女性の下にある。
この約束を受け入れなければ『縁おわり』の撤回は無い訳で、クロスは「そうか、それはありがたい」以外に言うべき言葉が無かった。
やはり娘に殺された。なんてことだ生殺しだこれは。
いいようもない嘆きに囚われそうになった瞬間、その思考を聞き慣れた不機嫌声に阻まれた。
「なにやってるんですか! あなたは! 二人きりの時は恥ずかしげも無くいつもそんな状態だとでもいうのですかっ!? 扉も半開きで!」
ベット下の床で抱き合っている、というか一方的にクロスが抱え込んでいるようにしか見えないであろう状況にアスラファールが騒いでもマァナの体は弛緩したまま。
それに異常さをようやく覚えたクロスは今日、何度目かの冷や汗をかいた。
「騒ぐな、マァナがおかしい」
くてっ、となった体を離して様子を調べると手足は冷たいが、胴の体温は高いように感じる。
立ったまま覗き込んでくるアスラファールの背後からリーン・リードが影のように出て来て、同じように立ったまま覗き込む。
「あんた、どうしたんだい。ぐてぐてじゃないかぃ。ほら、返事しな」
あろうことかリーンがマァナの頭をはたく。
クロスがそれに唸って威嚇する合間にマァナは口を開いた。
「さっきからずっとお腹が痛いのー。動かさないでー気持ち悪いみたいなのー」
「あんた、この男に下痢でもうつされたのかい?」
「下痢はうつらん!」
クロスは思わず、下痢を否定するより先に感染を否定した。
そして、もうひとつの可能性、腹の傷を癒されてしまったのではないかと、今日もう数えるのも嫌になるくらい味わい続けている『娘に殺されかけ気分』に襲われて暗転しそうになった。
マァナがぐるぐるすると作者もぐるぐる。
クロスは常にぐるぐるですけど。
とにかく、まとまり無いぐだぐだ長い文章で申し訳ないです。




