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縁あわせ 37 狂気と正気※イラスト有り

読んでくださりありがとうございます。

今回、小説の最後に挿絵があります。

挿絵表示 する にしていただければご覧になれます。

ザッと描いたものですがよかったらどぞ!

 


 クロスの去った、というか誰も彼の背すら見ていないことから消えたと称してもいいほどの出撃(?)は空気をも緊縛したようで、双葉亭にしばしの間沈黙が落ちた。





「……すごい執着だね」


「よく短期間であれだけオトしたもんだねうちの娘は。たいしたもんだ」


 ようやく我を取り戻した双葉達が口々に呆れ声で言うと、それ以上の呆れ声をアスラファールが返す。


「お前達も少しは心配したらどうですか」


「あたしらはあの子が生きて楽しそうならいいんだよ。まぁ、幸せそうな寝顔だったわ」


 双葉達は瞳を元来の緑色に戻して細く(すが)めた笑みらしきものを作りあげると、底意地悪げに声を揃えて言った。


「「意趣返しってやつだよ」」


 先ほど以上に呆れ顔を作るアスラファールをせっついて双葉亭を出ると二頭居たはずの陸馬は一頭になっていた。


「肝心のところは冷静みたいだね。可愛いくない男。走ればいいのに。じゃ、あたしは残るよ。明日は店を開けなきゃならないし、片付けることが多そうだからね」


 さっさと余韻無く、一人は店内に戻ってゆく。


「そいじゃ、あたしが見届けてくるよ。アスラ、行くよ」


 陸馬に双葉の片割れがよじ登り、アスラファールが渋々前に(またが)ると腰に手を回してくる。


「……お前、リーンだな」


「あんた、時々あたしらの区別がつくんだねぇ」


 この界隈からヴィネティガ駐屯兵団のあるテサン中央への道のりは泥水だらけで、陸馬は「いやー」と足を震わせながら歩くのだった。





 クロスの方は陸馬の拒絶などもろともせずに威圧を込めて手綱の制御をしていた。

 レーンの口から出た言葉は『誰かに抱きしめられてる』であって、決して『男』にとは言っていないのだが、どうしてかクロスの頭の中では『男』がマァナに覆いかぶさっている情景に変換されていて、心がギチギチと押しつぶされる。

 この世界では通じない良識を持ち出して娘を『子供』に見立て、待てる、待たなければならないと思い続けていたのは、マァナを大事にしたいからという理由に他ならなかったのだが、それが今やなんの意味も成さなくなってしまったかの様にクロスは感じていた。

 ほんのつい先程までとりあえず制御できていた男の欲を孕んだ想いは、誰かに横から奪われる段になってようやく完全に戒めが解けた。

 あれは俺のものだと全身が主張を始める。


 誰だ、誰がマァナを……

 テサン騎士団の男か。テッツ・ローディア……そういえば親しそうにしていた。

 だとすればノルド・ガイドという男もわざわざ娘が行方不明の折には双葉亭まで来ていた。

 確か、テサン騎士団内では有望株の二人だとヒーツ・ロア団長が話していた。

 そんな二人が(つる)んで出てきた事自体がおかしい。

 厨房に居るマァナに声をかけていた男も怪しい。『マァナちゃん』などと呼んでいたわけだし。

 いや、それを考えるとあそこの客の大半は当たり前のようにマァナの名を呼んでいた……

 宝石屋の店員もそうだ、店を出る頃にはマァナに脂下(やにさ)がっていてイラついた。

 そもそも、マァナは笑顔をばら撒きすぎなのだ!


 クロスは今までこっそり抱え込んできた嫉妬をあげ(つら)ね、終いには娘にまで牙を剥きつつ、記憶を混ぜ返しに混ぜ返し続けた。

 途中から自分でもわけがわからなくなり、今まで出会ってきた数々の面倒な輩の顔が浮かび上がってくる始末。

 頭上から水球爆弾を落としてきた者。

 戦略行動を爆発の一つで台無しにした者。

 行軍中に精神力が尽きたから背負ってくれと言い出す者。

 全身余すところなく陣図を刻んだ者。

 自分の魔法で死にたいとおかしな懇願をしてくる者。

 戦況が悪化すれば悪化するほど高笑いを始める者。


『今の一発で何人死んだか調べてきてくれ』


 そう言った最悪な者も居た。


 面倒な魔術師達と渡り合って来たこれまでが、さながら走馬灯のように脳内を賑やかし飛び交う。

 そんな中、不意に最近よく聞く(かす)れた不機嫌声が耳に響いた。


『マァナ・リードは双葉達だけでは飽き足らずクロス団長まで狂わしてしまったのですね』


 先程のアスラファールか……


 狂っているように見えたのだろうか。

 娘を心配していた自分の姿はいつか見たあの双葉達の狂い(ざま)と同じだったというのか。

 そしてクロスはいきなり気がついた。それはさながら天啓のように体の隅々まで行き渡る。


 今の自分こそは狂っていないのだと。


 たとえ、嫉妬や後悔に欲望、殺意すら入り混じった状態で娘を心配する心が(むしば)まれていたとしても今の自分は正気だ。

 狂っているのだとすればそれは今までの自分であったと、実に12年の歳月を経てクロスはようやく思い至った。

 空手の師範は言っていたはずだ。道場や試合以外で無闇に拳も足も人様に向けるのではないと。それが武術を修める者の鉄則であり、矜持である。

 自分が生まれたあの場所では食料を自ら手に入れるために殺生する事も無く、ニュースやフィクションの中でばかり暴力や無惨な死の影があり、眼前にそれが迫り来る事はただの一度も無かった。

 家庭環境はともかく良識的に育った陣一郎には人間どころか、どんな生き物でさえ手にかけることなど考えたこともなく、また、出来るはずも無かった。


 それなのにこの世界に来てからの自分はどうだろう。

 ヴゥグル。始めに出会った人の顔を持った獣。ずっとそいつと戦い続けている気がする。

 アレに容赦は出来ない。

 傷つけ殺す事を(いと)わない、手段は選ばない、持っている全てを駆使して生きながらえてみせる。

 度々湧き上がる、良心は、成るようにしか成らないと押さえ込み続ける。

 きっとこれからもクロス・ハガードは必要があればそうする。

 それはぬるま湯に浸かって育った日本人がこの世界で生きるために必要な狂気だった。


 しかし、あの娘に関する全ての感情、行動だけは自分の確かな意思だと、そういう結論に達した時、目の前に自室の扉があった。

 いつの間に陸馬を降りたのかも定かではなく、それどころか乗った記憶すら曖昧。

 水祭後の団内は弛緩(しかん)しており、ここに来るまでクロスは誰ともすれ違わなかったのだが、それもどうでもいいことだった。


 扉を開いて男を 握りつぶして 消し殺す。


 生まれて初めて正気の殺意を抱いてしまった。

 今までの戦争や任務に駆り出されてのやむにやまれぬ殺意とはわけが違う。

 苛烈な想いは視界を赤く染めあげ、後戻りの効かない覚悟を促す。

 蝶番(ちょうつがい)が悲鳴を上げる暇もない速さで扉を開くと夜明かりだけが差し込む狭い室内へクロスの持ち込んだ灯りが交じり、その激情を表すかのように全てを揺らし照らした。

 見ればマァナは床に座り込み、力無くベットに寄りかかっている。

 娘を背後から抱いているのはヴィネティガ駐屯兵団の黒い制服。



 ヴィネティガ駐屯兵団の黒い制服 のみ。



 消し殺すべき中身が無い。



「……」


 娘の表情が見える場所へ移動した途端、クロスは腰が抜けたようにすとん、と床に尻餅をついた。


「マァナ……」


 呼びかけに娘は(かす)かな吐息で応える。穏やかで幸せそうな寝顔がそこにはあった。

 ヴィネティガ駐屯兵団の制服の袖に片腕を通し、そのまま羽織っている状態。

 寸法が合うはずがない。それはどう見てもクロスの物で、肩は落ち、通した袖から指の先すら出ていない。ベットにもたげた頭は敷き布にふわふわした髪を広げ、桃色の光を散らしている。

 クロス本人は正気と思っていた激情はその色にかき消された。

 もう、指一本すら動かす気力も(つい)え、今しがたまでの想いや覚悟は力なく宙に浮いて滑稽な様になっている。

 あの双葉共にまんまと一杯食わされたのだとわかっていたが怒りが湧いてこない。

 普通気づくだろう簡単な罠に全く気づかなかった自分にもなんら感情を持てない。


 今日一日で何度俺を殺しかけるつもりだ、この娘は……。


 力の入らない指から灯りを床へと手放し、心臓上を緩く握って悪心を追い出すように息を深く吐くと、ようやく空気の揺れを感じ取ったのか娘は睫毛を震わせて瞳を開く。


「あ。クロ……っ! ご無事っ?」


 名前を呼ぶのも中途半端にマァナは目の前のクロスの顔に腕を絡めて抱きついて、そのまま小さな胸に押し付けてくる。

 面食らったのは思わぬ娘の力で前のめりになったクロスの方だった。

 自分は汗だくで、とても綺麗とは言い難い。

 娘の方も足元は泥が乾いたような状態で汚くはあったが、冷えた肌にあるのは清涼感だけで、いつも通りの香りがした。食事処の娘らしい食べ物の香りがクロスを包み込む。

 縁あわせ当日と同じ状況だった。

 ただ違うのは、お互いの事を知るために重ねた時間と、クロスの(たが)が完全に外れているということだけだった。


「ご無事なのね? 酷いことされなかった?」


「……むぐ」


 返事をしようにも小さな胸に阻まれて気持ちがいいばかり。

 虚脱状態の体を奮い立たせ、意思を持って娘の体を制服ごとかき抱くと、ようやくマァナは我に返った様子で今度は胸に顔を埋めるクロスの頭を押し返し始める。


「どうしてここへ?」


 くぐもる声でクロスは尋ねる。


「ぃ、医務室に居なかったから」


「ぅむ。では何故医務室へ?」


 的外れな答えもクロスは淡々と受け止め、先を引き出す。


「クロス様を守りに来たの」


 ぶるぶる震える娘の体を存分に味わってからクロスは身を起こした。

 目の前には真っ赤に頬を染めあげた幾分涙目のマァナ。

 逃げられては困るので抱きしめていた腕はそのまま娘の腰に絡めて動きを封じたのだが、実のところは未だに膝が笑っていて腕くらいしか動かせなかった。


「守りに?」


 双葉達の乱暴な呪いに恐怖して助けを求めに来たのではないのかとクロスは訝しむが、覗き込んだマァナの瞳は至極当然といった輝きで見つめ返してきた。


「闇の魔術王様がお怒りなの。もう、言葉神様のお名前を言っては駄目ですよ?」


 そうきたか。


「俺には魔法が効かぬので魔術王の害は無い」


「あ」


「寝物語は聞き逃していたか?」


 そう尋ねるクロスの言葉に対して、マァナは「そういうことにしておけばよかった!」という表情を作ったが、あからさまに思い出したような声を発してしまった後では誤魔化しようも無い。


「聞いていたのだな。俺に魔法が効かぬと。一度聞いておきながら完全に忘れられる人間はこの世界で君だけだろうな」


 クロスはマァナを捕まえたまま、疲れたとばかりに自分もベットに寄りかかり、硬く黒い髪を敷き布にすりつけた。

 その様子を見ていたマァナは再び「あ」と何かを思い出したような声をあげる。


「くろす じんいちろう様?」


「ん」


 ベットにもたげた頭を動かして薄目で見た娘の表情には柔らかい笑顔が浮かんでいる。


「あのね、今日、アスラファール様とこのお部屋を掃除した時にいいことを聞いたの」


 部屋を見渡すとそういえば片付いている。

 今の今までクロスはマァナの姿しか視界に収めていなかったのだ。

 あの補佐官はまだこの部屋の掃除を諦めていなかったのかと半ば呆れ、それに加えて確かマァナを双葉亭に送ると言わなかったかと眉根にしわを寄せた視線の先に不思議なものが映った。

 机の上。火の消えたランプはいいが、その横に石鹸が一つ。ぽつん。


「あのね、公用語、クロス様の世界の言葉には魔法が乗らないんですって。クロス様に魔法が効かないのはそのせいじゃないかしら? 今思いついたんじゃないよ? ちゃんと考えてたの。だけど、ちょっと忘れちゃってて闇の魔術王様から守らなきゃって思っちゃったのよ?」


 そんな話よりも石鹸の方が気にかかったのだが、マァナはクロスの興味をたたえた視線の先に気づかず返事を待っている。


「魔法が効かない事に関しては異世界人だからではないかと推測している」


 自分の体質についてそれ以上知る必要も興味も沸かなかったのは、周囲が騒ぎすぎたためと、元来の冷めた性格からだった。

 そして、この事に対して興味を向けてくる相手をクロスは良しとしない。

 完全に忘れて、闇の魔術王から守ろうとしてくれた、そんなマァナで居てほしいのにと、嫌悪まではいかない不安を抱いた。


「もっと優しい理由が欲しいの」


 何故か突然マァナの言葉の意味がわからなくなったので、仕方なく石鹸への興味を打ち切り、あまり考えたくない直前の話題に頭を巡らせる。

 しかし、クロスは疲れきっていた。そして(たが)が外れている自覚があるので変につついて欲しくなかったのだが、娘は構わず、それこそ大鉈(おおなた)を振るう勢いでクロスをつつき倒そうとしていた。


 予感めいた心の声が冷静に告げる。


 また、俺の心が殺されそうになるか、もしくは俺がキレてこの娘に無体を働くか、どちらかになる気がする。








挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)



作者も感情爆発の余韻で腰が抜けたことがあります。

愛猫がベランダ(5階)に脱走して手すりに飛び乗ったのを捕獲して家に入った途端、ガクリ。


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