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縁あわせ 36 振り出しにもどる

 


 娘、マァナ・リードが家に居ないと双葉達が騒ぎ立てたのはつい先程。

 独りで留守番をさせたことがまだ一度しかなく、その一度の留守番をマァナがまともにこなせなかったという驚愕の事実を、双葉亭に急ぎ戻る途中、陸馬上でリーン・リードが度々舌を噛みそうになりつつ語った。


 ただ一度の留守番。

 常ならば隣に預けるのだが、あいにく隣人は丁度外出だったらしい。

 夜半にマァナは起きだして、隣の陸馬ゼタを双葉亭に連れ込もうとしたのだそうだ。


 寂しそうにブヒンって鳴いたんだもの。


 後にマァナはそう語る。陸馬は総じてブヒンと鳴くものだ。

 そもそも双葉亭の裏口から大きな陸馬が入れるはずもなく、マァナは一階の双葉達の寝室の窓に目をつけた。窓は大きい。着目点はよかったが、ゼタの意思はまるっと無視で、なんとか押し込めようとしつこく尻を押し続けたらしい。

 結果、堪忍袋の緒が切れたゼタに後ろ足蹴りを喰らい、娘は肩を脱臼した。

 腕をぷらぷらさせるマァナを前に、帰宅した隣人は「人を後ろ足で蹴るなんて!」と賢いと折り紙つきだった陸馬を怒り、双葉達は「ゼタを怒らせるなんてあんたが悪いに決まってる!」と常々馬鹿だと思っていた娘を怒った。

 罰の折衷案(せっちゅうあん)は陸馬房に食事抜き禁固刑(きんこけい)一日。

 しかし、すっかり馬臭くなった娘はご機嫌で、ゼタの方が哀れなほど疲労する一方的な罰になってしまったとか。

 ついでにマァナのぷらぷら(脱臼)は当分癖になったらしい。

 しかも恐ろしいことにこれがマァナ13歳の頃の話という。


 去年……。


 そういえば、とクロスはゼタの様子を思い返す。

 水の花摘みの帰りにマァナと二人でゼタと会った時の事。

 陸馬はしょっちゅう横目でマァナの確認をしていた。

 (なつ)いている故かと微笑ましく思っていたが、あれはただ娘が何かしないかとヒヤヒヤしていた目つきだったのかもしれない。


 慌てても仕方ないと自分をなだめつつ、マァナの留守番事件(立派にこれは事件だ)を咀嚼して双葉亭までの道のりを誤魔化した。

 クロスの後ろに相乗りしているリーンはしきりと「テサンからは出ていないから大丈夫……なはず」と頼りない事を言って余計に不安を煽ってくるので厄介この上ない。

 日中、侵入者である魔術師に探索の術式を集中させていたが故に双葉亭に帰る必要があった。

 あの店こそが双葉達の術式制御の場なのだとアスラファールが明かし、今まで自分は足を向けないように苦心していたのにとぼやいた。双葉達は当たり前のように陸馬に乗れないのでクロスがリーン、アスラファールがレーンを連れてゆくより他なかった。

 そして、ようやくたどり着いた双葉亭の状態を見て、三人は狂い始めることとなる。


 三人。


 リーンとレーンと、それに加えてクロス。

 以前、双葉達の狂気を一声で(おさ)めた男はもうどこにも居ない。


 店内に明かりを灯すと目に飛び込んできたのは、倒された木製の椅子。泥にまみれた床。

 そして、その床には何故か大きな木箱と転がる石鹸。

 まさに全てはマァナ自身の所業であったが、それを三人が正確に受け止められるはずもなかった。


「空き巣に入られたのかっ!」

「「しまった! マァナが外に出ないようにするのに気を取られて侵入者避けは考えてなかった!」」

「そんな魔法はいつでも常に施しておけ!」

「馬鹿いっちゃいけないよ!んなことしたら疲れるじゃないか!」

「そもそも何故に隣に預けなかったんだ!」

「いつもならそうしたさ! でも今日はあんたと一緒だったからじゃないか!!」

「幼馴染と遊び歩いてんなら連絡手段もあったさ!でもあんただった!魔法を嫌い、あたしらの正体にこれっぽっちも探りを入れてこなかったじゃないか!本当にマァナと結婚する気があるのかい!」

「あるに決まっているだろうが!!!」

「「なら魔法が効く体におなりっ!」」


 ドッと机を叩く音が響く。

 叩いたのはクロスでも双葉達でもない。

 三人が音の出処に視線を移すとアスラファールの冷めた目があった。


「現場を荒らさないでください。足跡。小さいでしょう。娘自身のものではありませんか? まったく、マァナ・リードは双葉達だけでは飽き足らずクロス団長まで狂わせてしまったのですね」


 三人は一斉に無言でしゃがみ込み、泥の足跡に食い入る。

 その様子をイタイものを見るようにしながらアスラファールは問いかけた。


「一体、お前達は娘にどういった魔法をかけたわけですか? 一度帰宅すると扉が開かなくなるような魔法ですか?」


「そんな難しいのはできないよ。ただ、外に恐怖を感じるように呪っただけさ。呪いは扉を閉めることで完成されたはずだ。マァナが歓楽街やら、テサンの外に出ないようにかけていた暗示と同じようなもんだから免疫がついてしまったのかもしれないね」


 レーンが手の平で足跡の寸法を測りながら頷くとリーンもクロスも安堵の息を吐いて狂気を(しず)めたが、逆にアスラファールは表情を曇らせる。


「免疫ならいいですけどね。行ったことのない、または行く必要の無い場所に恐怖を感じるのと、突然活圏内だった場所へ恐怖を感じるのとでは精神に及ぼす影響は違うと思いますよ」


「それがなんなのよ?」


「あの娘は綺麗好きでしょう? 私にはわかります。こんな風に泥の付いたような足で不用意に家には入りません」


「だから、それがなんなのってきいてんのよ」


「わからないのですか。娘は混乱、もしくは発狂状態ではないかと私は疑っています」


 クロスは立ち上がって「本当に居ないか見てくる」と手近にあったランプに火を分けて奥の厨房へと移動した。そうでもしないと再び双葉達を罵ってしまいそうだった。

 アスラファールの見解が正しいとわかってしまう。

 それは泥の足跡のせいではなく、床に転がった石鹸のせい。

 あんなに喜んだ品を床に撒いて放置するような娘ではない。

 たとえそれが今日、『縁あわせ終わり』した相手からの品であったとしても。


 厨房も酷かった。開きっぱなしの戸棚、転がる木製の皿。そしてこれは塩だろうか?床にこぼしてしまっている。片膝をついて床へと明かりを落とすと、他にも諸々こぼれている。

 小さな足に踏みしめられた野菜の葉が一枚。

 マァナの混乱振りがうかがえて、息苦しくて仕方がない。


 昼間も怖がらせてしまったというのに、今もまたどこかで怖がっているのだろうか……


 双葉達を正面切って罵れないのは負い目があったから。

 魔術師としての女達と向き合うことを先延ばしにしていた自分。

 それに加え、魔術が効く体ならば何らかの連絡手段を得られたのだろうと思うとやるせない。


 薄くなっている泥を追うと厨房の奥の廊下に続きその奥の部屋、確か双葉達の部屋だ、そこの扉が開いた状態になっている。

 中を覗くが誰もいない。

 ふと廊下の奥にある裏口に目が行く。

 表から入って恐怖を覚えた娘は裏口から出たのかもしれない、そうクロスは単純に思った。

 裏口の少し小さめの扉を開けて、クロスは目を見開いた。


 真っ白で小さな老婆が目の前に立っていたからだ。

 情けないかな悲鳴をあげそうになり、バチンと音が鳴る勢いで自分の口を手で覆った。


「あらまぁ、こんばんは。どちら様かしら?」


 白い老婆の方も驚いたように黒い瞳を丸々と輝かせるが、おっとりとした挨拶をよこす。

 どうやら幽霊ではないらしいとクロスは口から手を離したのだがまだ声が出ない。

 口を開けば心臓が飛び出そうだった。


「灯りが急について騒がしくなったからなにかしらと思ったのよ。マァナちゃんも変な感じだったし、気になってしまったの。ごめんなさいねぇ。お化けかと思った? そういう顔してるわ貴方」


「こちらこそ、失礼した。私はヴィネティガ駐屯兵団所属のクロス・ハガードと申します」


「あらまぁ、マァナちゃんの縁あわせのお相手さんね」


 のんびりした(たたず)まいの老婆に合わせず、クロスは性急にマァナの様子を問いただした。

 留守番をすると言いつつ表通りの方へぎこちなく出て行った事を聞き出すと用はもう無いとばかりに(きびす)を返したが、背にかかる老婆の言葉に動きを止める。


「貴方ね、マァナちゃんを子供扱いしないであげてね。傷ついていたわ。20歳で成人なんて言われると驚いてしまうのよテサンの娘は」


「……」


 ふいにクロスはこの老婆の口調とマァナのそれが似ている事に気がつき、合点がいった。

 あの双葉達に育てられたのに可愛らしい言葉遣いなのはこの老婆のおかげで、そして悩みを相談するほどに仲が良いのだろうと。

 よく考えればこちらの隣といえばゼタの主だ。

 もう少し丁重に話を聞けば良かったと少しばかり後悔しつつも背を向ける。


「ねぇ、『(ごう)に入りては郷に従え』って言うでしょ? 頭の隅においてね? マァナちゃんは貴方の前で子供ではないはずよ」


 応えようが無く、クロスは「失礼します」と裏口の扉を閉めた。


 子供でいてもらわねば困る。……自分の(たが)が外れてしまうではないか。


 あの細い体の線がもっと丸みを帯びるまで、視線が近づいてくるまで。

 クロスはまだ自分は待てると思っている。

 

 双葉亭に戻ると眼前の光景に既視感を覚えた。

 店の真ん中を占める大机の上に白い線で目玉の落書き。それを挟むように長身で細みな女二人が向かい合い、紫の光に顔を埋めている。


「「ぎゃぁ!」」


 突然叫んだ双葉達にいつぞやのような襲われるマァナの姿でも捉えたのかと心臓が縮む。

 見ると双葉達は二人共しゃがみ込み、リーンは右目、レーンは左目を手のひらで押さえて互いを罵りだす。


「リーンの馬鹿! いっつもあたしが粉屋は見るだろ! なにこっちの『識石』に目玉飛ばしてくれてんだい!」


「レーンがなかなか戻さないからそっちに居たのかと思ったんだよ! つか、避けれるでしょ普通! どこに目ぇつけてんだい!」


 壁に背を預けているアスラファールの顔に「またか」とありありと刻まれているところを見るといつものことらしい。

 クロスは苛立ちが滲むのも隠しもせず二人の間に割って入った。


「マァナを見つけて、俺に報告してからもめろ」


「見つけようにも目玉ぶつけちまったんだよ! めぼしいとこに居ないのはもうわかった! 後は術式変えるしかないんだよ!まったく、あの炎男さえ居なけりゃこんな手間かかんなかったのに!」


(わめ)く暇があったらさっさと変えろ!」


 お互いに声を荒げてどうすると、理性ではわかっていたが止めようもない。

 どうしても双葉達の行動は鈍く感じられる。魔術という門外漢の部分において、クロスにはその水面下の準備など察しようがない。


「あんたねぇ、魔術ってのは繊細かつ面倒くさくて融通効かないもんなんだ。術を広げるより、範囲内の探知精度を上げる方が難しいんだ」


「ピンポイントで現場を見る眼を今こそ使わんか。普通はあの辺、この辺、程度の精度だ」


「ぴん? お望み通りに『あの辺、この辺』で教えてやろうかまったく」


 不満気な表情を浮かべつつ双葉達は呪いの言葉を紡ぎ始める。

 それは初めて聞くこの女達の詠唱。濁音だらけの言葉を低く怪しく紡ぐ。

 クロスの耳にはぐじゅぐじゅ言っているようにしか聞こえない。

 旧公用語を耳にすると条件反射で相手の首を絞めたくなるのだが、かろうじて覚えている攻撃魔法関連の単語は一切拾えないので警戒してしまった体の緊張を解く。


 女達の瞳はぐるぐると気持ちの悪い動きをする。先ほど『目玉をぶつけた』影響か互いに片目が不自由そうだ。術式が安定すると双葉達はどちらともなく喋り始めた。


「ああ、見えづらい。そっちはどうだい?」


「射程範囲外となると、限られてんだけどね。久々にやると目が回るよ」


 軽い口調にイラついたクロスだったが、それほど待たされずに待ち望んだ声を聞くことができた。


「あ、居た」


 リーンの声にクロスは舞い上がった。高校受験やセンター試験の合否発表でも、ましてや黒帯を取った時もこれほど華やいだことはない。

 隣でアスラファールが気持ち悪いものを見るような目つきをしているのも気づかなかった。


「どこだ」


「あんた機嫌がいいと気持ち悪いね。通常営業に戻してくれないかい?」


「……どこだ」


 律儀に平坦な声で言い直す男にリーンは笑顔で応える。


「わかんない。まて! 喚かないで耳元で! 話を聞けってんだよ。まったく……」


「転々と灯りが灯る廊下……奥は突き当たりだね。一番手前の一室。中庭に面してるのか。中の灯りが消えてて見えづらい」


 その言葉にアスラファールが「あ!」と叫ぶ。

 今まで唯一冷静であった男が悔しげに騒ぎ始めた。


「私は何故気づかなかったのでしょうか! 恐怖を覚えた娘は助けを求めるものです」


「で、それがなんなのよ?」


 レーンのなげやりな応答にもめげることなく興奮したような状態でアスラファールは言う。


「そこはクロス・ハガード団長の巣、じゃなくて住居です」


 巣……って言ったなこいつ。


 クロスは娘が何故自分の部屋を知っているのかひっかかりつつも、はやる気持ちで状況を聞く。


「ぐーすか寝てるよ、まったく……」


 目眩を催すほどの安堵に手近な椅子へと腰を掛け、腹部の鈍い痛みを思い出した瞬間、全てを台無しにする言葉が目を()らすようにしかめるレーンの口から軽く飛び出た。


「誰かに抱きしめられてるねこりゃ」


 木製の椅子が派手に倒れる音が鳴り響くと同時にクロスの姿は双葉亭から消えた。






別名タイトル『クロス・ハガードの受難』

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