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縁あわせ 35 クロスの終わらない一日

 


 お世辞にも安眠とは言い難いクロスの眠りを妨げたのは足音だった。

 

 ……二人か。


 発熱が続いている気だるさと、寝違えたような首の違和感がある。

 腹は深く刺されはしたが内蔵は痛めていない。

 この分なら体の方はいいとして問題は心の方だと、のそりと体を起こしながら自分の精神状態を把握すべく思考をこね始める。


 ……悪い夢ばかりを見た気がする。


 いいや、夢ではないとマァナの白い首に刃が当てられた時の衝撃を思う。

 森で娘を保護した時と同じであって度合いをさらに増した冷や汗に心を殺される恐怖をまざまざと刻み込まれた。

 以前のままの自分ならばあの時どう対処をしたか。


 間髪を置かずに駆け込み、男に蹴りをくれただろう。

 その際、娘の安否は……成るようにしか成らない。


 思考の中でクロスは首を振る。

 腹を刺しても(ひね)って傷を広げるだけの知識が無い男だった。

 だからこそ余計に次の行動が読めない。

 仕掛けてくる相手より腕の中の娘を傷つけるかもしれぬ可能性を考えると、やはりあれ以外の対応を自分は出来はしなかった、そう今更のように納得する。

 マァナが行動を起こさなかったら、いつまでたっても睨み合いを繰り広げていたことだろう。

 結果的に彼女さえ無事であれば、自分が腹を刺されようが問題無かったはずなのだが、まさかそのせいで再び心を殺されそうになるとは。


 掛け違った歯車が悪い方へ、悪い方へと回るのを止める、そんな一打はどこにあったのだろうか。

 今もわからない。


 マァナの表情に、戦地で嫌というほど見てきた神の子と同様の無表情が重なった時、すぐに娘が腹を癒そうとしているのだと気づいてクロスは心底ゾッとした。

 癒される魔術師と衰弱してゆく神の子が脳裏に浮かぶ。

 美しい容貌だけにそれが枯れゆく姿は余計に無惨で見るに耐えない。

 ふわふわと笑い、可愛らしい言葉ばかりを唇に乗せるマァナに何があろうと無惨の一欠片すら(かぶ)らせるつもりは無かった。

 神の子の赤い光に似た、だが弱々しい桃色を放つ娘の精神集中を妨げるために何ができただろう。


 頬をひっぱたく?


 あの小さくて華やかに色づく頬を?


 冗談ではない。


 布地の跡がついただけで憤りを覚えたようなクロスにそれが出来るはずもなく、緩く開いて今にも覚悟を決めそうな唇に噛み付く他、考えつかなかった。

 その後、深くを奪ってしまったのは、単純に男の(さが)だったとしか言い様がない。

 失いかけた大事な娘を腕に抱いて、軽く済ませられる男がいるだろか。

 少なくとも自分は軽くでは済まない男だったようだと、クロスは初めて己を知った。

 口づけだけでは飽き足らず、本当に全てをその場で奪ってしまいたい激情と、真綿に包んで大事に扱いたい衝動の板挟みになり、半ば獣のように唸るのをとめられなかった。

 顔にかかる驚いたようにスンスン鳴る娘の鼻息だけが、クロスの引きちぎれかける理性を唯一繋ぎ止めるものだった。



 ……それにしても、なかなか入ってこないな。


 扉の前で足音は止まっていたが、今度はボソボソとなにか話している様子。

 仕方ないので威圧をこめて声をかける。


「中でやれ」


 一瞬の静寂の後で扉を開いて現れたのは見慣れた神経質補佐官の不満顔と、双葉の片割れレーン・リードの不遜顔だった。

 争うように入ってきたのだが、先に喋り出したのはレーンの方だった。


「ちょっと手を貸してくれないか。あんたのお得意な魔術師狩りだよ。もう居場所はわかっているから手間は無いし、好きなようにヴィネティガにでも献上してくれてかまわないからさ」


 その言葉に飛び上がるように反応したのはアスラファールだった。


「全てを伏せてうちの団長を使う気ですか!台頭の決定には従いますが説明責任はありますよ。あなただって知りたいですよね」


 あまり知りたくないし、手伝いたくもない……というセリフをクロスは飲み込む。

 部下はこき使うモノだが、乞われれば出来うる限りは応えてやる必要がある。

 無理難題でなければ、とクロスは致し方ない様子で聞く体勢をとる。


「テサンに外部の魔術師が紛れ込みました」


 苦々しく言う補佐官を前にクロスは寝違えたらしい首をほぐす。


「その存在は中天以前に確認しており、双葉共の眼に追わせておりましたが変装に次ぐ変装という古典的な手口により、伝達がうまくゆかずテサン騎士団が捕縛に至らぬまま、夕刻にテサン台頭(たいとう)が襲われる事態となりました」


「テサン本殿に入り込まれたのか?」


 苦々しいを通り越して、己の内蔵でも噛み潰しているかのような表情をするアスラファール。


「お恥ずかしながら! テサン台頭の顔出しは限られておりますので、近隣地域を保有する少なくともこちらと往来のある魔術師の仕掛けてきた事と思われます。それ故に、あなたにお願いしたいのです」


「台頭は?」


「お命に別状は無いのですが、腹を炎で焼かれたお(いたわ)しい状態です」


 俺も腹を刺されたお労しい状態なのだが? という思いはため息一つに乗せて吐き出し、ベットから出ると、待っていましたとばかりに上着と軽装鎧を身につけさせられ、剣を持たされる。

 この補佐官はいつも用意周到で、数分経たずにクロスは陸馬上の人となった。

 陸馬の速度はかなりだった。

 腹に響くが、いつかの戦場を思えば苦痛を感じるのもはばかられる。

 アスラファールは急いている様子で後ろに乗せたレーンを邪魔そうにし続け、レーンの方もこの男にしがみついてなるものかと陸馬の装具を握っていた。お互いの拒絶っぷりも堂が入っているところを見ると、相乗りが一度や二度の事ではないと知れる。

 一行は歓楽街にたどり着くとその街並みを少し外れた場所にある一軒の古ぼけた家の前で止まる。

 そこには双葉の片割れリーン・リードが中年の冴えない男三名を従えて仁王立ちしていた。


「遅い。早く始末つけたいんだよ。マァナを独りで家に置いてきてるんだ。さぁ、魔術師殺しも加勢にきたってことで、いこうか」


 リーンのセリフを聞くと、中年男達が明らかに震え上がる。


「言葉を選んでくださいよ双葉さん」


 鮮やかな金髪の人の良さそうな中年が(いさ)めるが、その声は毛量同様に弱々しい。

 三人はどれも凡庸とした中年にしか見えない上に帯刀しておらず、中には前掛けをしている者も居る。

 その違和感と、恐るように自分を見る視線故に彼らが魔術師だとクロスにはわかった。


 やはりと思う。

 テサンは狙われているのだ。ヴィネティガと平和的に渡り合ってはいるが、裏を返せば小競り合いが多発しているのだろう。魔術師不在地域というのも流れ者の魔術師達に狙われる要因にしかならない。

 その予防もしくは解決のため、テサン内部には施政方針に反した魔術師、つまりはこの双葉達のような者が居るのだろう。しかも、その数はわからない。


 1匹見たら40匹は居ると思え……


 突然しっくりくる懐かしい言い回しがクロスの頭に浮かぶ。


 いや、50匹だったか……


 テサンに魔術師は居ない、そう念仏のように心の中で唱えるしかなかったクロスだが考えること自体は放棄していなかった。

 ヴィネティガに脅かされないテサン、術報告し慣れた双葉の魔術師、足繁く双葉亭へ通うテサンの騎士達、昼日中に警備の薄い門、はては魔術師の子でありながら魔術の使えない補佐官。

 全てがテサンに魔術師の影を落としているとわかっていた。

 そろそろ、諦めて現実を見る時期かと面倒くささに辟易しながらも、とりあえずは直面している問題から解決すべくクロスは陸馬から降り立つ。

 それだけの事で戦慄(わなな)く中年男達はヴィネティガ魔術師達の興味を乗せた視線よりは幾分マシではある。


「ここは空家か?」


「はい。開発区なので現状貸し出されておりません」


 叩けば鳴る鐘のような補佐官の言葉に「ぅむ」と一つ頷くとクロスは間髪おかず指示を飛ばす。


「近隣は避難させているな。燃やせ」


 その場に居合わせたほとんどの人間は目を()いた。

 アスラファールだけが渋面を作って「言うと思った」とつぶやく。


「見れば広い上に古い。中に入って探すのは面倒だ。相手は炎を使うのだろう。どちらが先に燃やしたかという些細な違いだ」


家の構造を見るように木の壁に触れながらしゃがみ込み、老朽化している土台からこぼれ落ちたレンガを拾い上げてクロスは目を(すが)めた。


「隣家との幅もあり、風も無い。水祭のおかげで湿度も充分。燃え広がりは無いだろう。どうせ周辺にテサン騎士を配備しているのだろう。もしもの場合はあてにするぞ」


「はっ」


 これがクロスのやり方で、補佐官はすでに慣れていた。いや、慣らされていた。

 賊退治の時も酷かったのである。口では言えないような卑怯の数々……


「めちゃくちゃな男だね」


 思わずといった風にレーンがつぶやく。

 その横で淡々とクロスは予想逃走経路についてアスラファールと話を詰めていたのだが、突然の男達の騒ぎ声に作業が中断された。

 古い家の裏手から火が上がり、人影が飛び出す。どうやら当該(とうがい)の魔術師が籠城を辞めて出てきたらしい。裏手に潜んでいたテサン騎士達もバラバラと10人近く遅れて飛び出すが、家屋の壁を生き物のように這う炎に阻まれる。


「お前達は消火しろ!」


 クロスの大声が響く。今の今まで燃やす方向で話をしていた男が消火を促すので「どっちだいまったく」とリーンが毒付いた。

 その横でクロスは突然振りかぶり何かを投げた。

 それは走り去ろうとする魔術師の右太ももを射止めたようで、気味の悪い音と声を上げさせる。


「「な、なんだい、今のは」」


 声を揃えて怯える双葉達に「レンガでしょう。先ほど拾い上げておられましたから」と冷静に答えたのはアスラファールだった。

 すでに投げた本人は体勢を低く落とし獣のように地を駆っている。

 双葉達の目が追いつく頃には魔術師に飛びかかり、路上に縫い止め終えていた。


「くそっ」


 言うと魔術師はカッと口を開いて舌を長く出す。その舌の中央に『陣図(じんず)』があった。


 趣味の悪い……。


 クロスはその舌から放出されるであろう炎を避けるため首を左に傾ける。

 まだ寝違えているようだとしかめた顔のすぐ横を赤い炎が(かす)めるが、それはクロスの髪のひと房すらこの世から消すことは出来なかった。

 魔術師の口は第二発目を放出する直前、クロスに塞がれた。

 間違っても口づけをしたわけではない。

 丸めた布を押し込んだのだ。勢い、口の中は布に火がつくやら舌が焼けるやらで大火事になった様子。もがく魔術師が動かなくなるまで容赦なく馬乗りになっているクロスをテサンの魔術師達は呆然と眺めていた。


「双葉さん、あんたらホントにあのお人を御せるんですか? マァナちゃん大丈夫ですか?」


 金髪薄毛の中年がようやく我に返ってそう言う。


「メグライト、今言われても困るんだよ。あたしらだってドン引きなのさ」


「アスラ、あんたあいつの身上書偽ってたね」


「手段を選ばない男と明記しましたでしょう? それより私はあの布らしき物がどこから出てきたやらで悩んでいます。ああ、鎧の緩衝布か。隙間から取り出して丸めたのですね。ほんといつも感心します。よく一瞬で判断つくもんですね」


 そう話している間にクロスは魔術師の首根っこを握って立ち上がっている。


「おい」


 距離が離れている補佐官に声の音量をあげる。


「こいつを持ってテサンを出ればいいのか?」


 テサンを出なければヴィネティガの介在が出来ない規則を(おもんばか)っての発言なのだろうが、あまりに無造作にやってのけようとする姿に消火を続けるテサン騎士達までなんとも言えない表情を向けている。


「もうここで構いません。あなたさえ動けばヴィネティガ移送は決定事項です。ありがとうございました」


 気を失った魔術師を手ずからテサン騎士に渡し、裸に剥いて陣図の有無を調べるように指示してから補佐官のもとへ戻って来ると、クロスは淡々と切り出した。


「テサンは再三こうして魔術師達に狙われているのだな」


「そうでもなかったのです。ヴィネティガとヨムランが戦争をしている間は。大国は常に戦争でもして疲弊しているのが理想ですね。三年前に停戦という名のヨムラン敗戦が決まってから、手の空いた魔術師たちの目がこちらに向き、年々酷くなるばかりで。ですがあなたが赴任して来られてピタリと止んでおりました。魔術師殺しの異名は効果的ですね」


 補佐官は一度言葉を切ってクロスを見据えた。


「ですが今日、こうして以前にも増した手練の魔術師が来ました。このくらいになると、テサンの善良なる魔術師達の手には負えません」


「善良か」


「善良です。争いを好まず、静かに暮らしたい魔術師も居ます。ここはそういう者達の救済地域でもあります」


「しかしテサンは魔術師不在地域でなければならん。ヴィネティガへの反逆行為になる」


「大丈夫だよ」と軽く答えたのはリーンだったが、その説明をしたのはレーンだった。


「色々あって代々のヴィネティガ魔術王が容認してんだよ。それに今代の炎の魔術王はテサンから神の子を召し上げたから過分にこっちを擁護するよ。裏からだけどね。あんたのテサン赴任もその裏からの擁護だと勝手にロイは考えてるみたいだ。あたしらは楽できりゃどっちでもいいけどね。なんせテサンは魔術師を捕らえる事ができてはいけない町だから今までは捕まえても捕まえても適度にパァにして追い出すしかなかった」


「パァ……」


「精神破壊に近い記憶操作です」と補佐官がすかさず補足する。


 聞くのではなかった……。


「ようするに、魔術の効かぬ俺がテサンに居て、入り込んだ魔術師をヴィネティガに移送することが抑止力になると? 挑発にならんのか?」


軽く肩をすくめてリーンが言う。


「この上ない抑止力だよ。あんた自分がどれだけ恐れられてるかわかんないんだろ。まぁ、魔術師になりでもしないと力の効かない生理的な恐怖はわからないだろうね。テサン内の魔術師達だって戦々恐々ってもんだよ。見てみな」


 急に話を向けられた三人の冴えない中年魔術師達はすくみあがる。


「善良であるというのならば問題はない。間違っても俺に術が効かないかと試すような輩でなければな。とにかく帰りたい。腹が痛い」


 疲れたように言うクロスに「下痢でもしてんのかい?」と最悪な合いの手を入れるリーンの横で何故かレーンの顔色が悪くなってゆく。

 その瞳は見開かれ紫の光を帯びている。



「あの馬鹿っ! またあたしらの術やぶりやがった!」



 レーンのこの叫び声を皮切りに、クロスの終わらない一日の本番が幕を開けたのだった。






『間違っても口づけをしたわけではない。』


この一文をいれるかいれないかで散々悩みましたので、他がおろそかかもしれません。申し訳ございません。



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