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縁あわせ 34 マァナの終わらない一日

 


 クロス団長の巣は三時かからず片付いた。

 散らかし方は凄まじかったものの、元が手狭な部屋なので思ったよりは楽だったと言える。

 主に汚れ物を洗濯所に運ぶのが大変で、洗う人々の苦労を思うとマァナは頭が下がり、受け取ってくれた年嵩の女性に謝り倒したりもした。


「汚さないように(しつけ)てくださいよ? それと、できましたら縁終わりの撤回は三日ほど待っていただきたいです。きっとその方が我々の業務も(はかど)りますし、謹慎中の一番隊長もゆっくり休めますので」


 そうアスラファール補佐官は両手に紙面の束を提げて言う。

 持ち帰り、きちんと目を通して処分するとのこと。マァナはその苦労にも頭が下がる。


 なんだろう、クロス様のせいであたし、頭下がりまくるよ?


 お辞儀をする娘の髪は陰りはじめの光を受けて桃色に輝いていた。


「……貴女の髪色を見ていると労われている気分になるわけだ」


「はい?」


「いえ、不確定要素の多い調べるべきではない事です」


 益々首をかしげるマァナの背後から男が一人駆けてきた。

 ここヴィネティガ駐屯兵団では珍しいテサン中央本部 文官の白い制服。


「アスラファール様、こちらにおられましたか!」


 普段走り慣れてないのだろう、息切れが激しい。

 そのままぶつかるように組み付いて耳元でぼそぼそ何か言うと、息が耳にかかるのを嫌そうにしていたアスラファールも血相を変えた。


「マァナ・リードさん、残念ながら双葉亭までお送りできそうにありません」


「おかまいなく?」


 ぼんやりした返事でマァナはアスラファールを見送った。

 男達の仕事は忙しく勢いがあるものなのだと、その最中(さなか)にクロスも日頃は居るのだと思うと誇らしく胸が高鳴る。


 部屋は汚かったけど、仕方ないのかも。いやいや、仕方ないで済まされないよーあれは。


 心の中で思考を遊ばせながら、医務室に行きたい気持ちを押しとどめてマァナは帰路についた。

 以前、通って覚えたテサン騎士団経由の道のりをゆっくり歩く。

 その速度はクロスから離れ難いマァナの心境を的確に表していた。



 テサン騎士団でノルドにばったり出会って少し話したくらいで、夜の始め頃にマァナは双葉亭への路地に戻ってこられた。

 ノルドに『マァナの唇が奪われた』と騒ぎ立てられたのには困ってしまった。

 何故か『縁おわり』発言まで筒抜け。噂話の蔓延(まんえん)が早い地域性を痛感させられた。

 縁あわせなんかするもんじゃないとまで言い放って、マァナを通せんぼしたノルドに自分はなんと言ってあの場から逃れたか。

 思い出すだけで恥ずかしい。


『クロス様ならあたしに何をしてもいいのっ。縁あわせ終わりはもうやめたからいいのっ』


 『縁おわり』の撤回はまだしていないというのにそう言い返してしまった。

 この嘘がクロスの耳に入ってしまったら恥ずかしくて死んでしまいそうだとマァナは歩みを止め、泥にまみれた靴先を見下ろす。

 逆に、『何をしてもいいの』の部分に関して羞恥は全く無かった。マァナの中ではいつのまにやらそれが不文律になっていた。

 ただ、口づけは人のいない所でしてもらわねばと握りこぶしを握る。

 あと、もう少し真っ当に……。

 

 今日はさすがに疲れた。あと少し歩けば安息の地。

 気を緩めながら水と泥にはまりつつ(足の踏み場もないのだ)双葉亭の前に来た時に異変は起こった。


 怖いのだ。 何かが。


 その何かは早く双葉亭に入れと急かす。


 扉に手をかけると鍵が締まっている。常には無い事態に動転しながらも鞄から鍵を探り出し、素早く中に入り、閉めた勢いでまた施錠する。

 すると今しがたマァナが立っていた外に一人の男が立って居るのだ。

 それが扉越しに わかる。

 昼間、マァナの腕を掴み、クロスの腹を刺した男。

 殴られ過ぎた顔のまま 居る。


 マァナは扉から少しでも早く離れようと厨房の方へ駆け込む。その際、木製の客席を蹴倒していたが気づかなかった。汚れている靴の事もすっかり忘れ、床に泥を散らす。

 毎日閉店後に丁寧に水拭きをし、定期的に油を塗って大事にしている床だというのに。


 そのまま厨房にも留まらない勢いで双葉達の部屋に飛び込んだのだが、夜明かりだけの室内が二人の不在を知らしめてくる。


 厨房に戻り、慣れた動作で、けれども震える指先に苦労しながらランプに火を入れる。


 その明かりを勇気に店内へ視線をやると、先ほどは気づかなかったが紙が一枚、大机に乗っているのが見えた。それと、見覚えのある木箱。

 クロスが買ってくれた石鹸だ。届いていた事に少し胸が暖まるのを感じた。


 しかし、扉前にはまだあの男が 居る。


 ランプは厨房に置き、這うようにして店内から紙と何故か石鹸一個を回収する頃には体が氷のように冷えてしまった。手にした石鹸の方がまだ温かいくらいだ。

 柔らかい油と淡い花の香りを深く吸い込み、手の中の紙をランプの明かりにかざす。

 カサカサと音を立てる紙には見覚えのあるレーンの文字があった。



 知人が怪我をしたので急ぎ見舞う 今日は帰らない



 マァナが震えるので紙は一層カサカサと音を立てていたのだが、最後の一文を読むとその震えが止まった。



 隣のばぁさんは一食くらい抜いても死なない 外にはもう出ないように 留守番たのむ



 ええええ!ミヨコさんに食事作って行かなかったのぉ!?


 マァナはすっくと立ち上がり、厨房を見回す。

 よくよく見ると朝の食器も回収してないどころか、双葉達は昼食の後片付けもしていない様子。夕食用に水浸けしていたメコ粉もそのまま。

 一食でもこちらの都合で抜かすなんてことはマァナには耐えられなかった。

 ミヨコの調子が悪くて食べられないのとはわけが違う。

 マァナは敢然と腕まくりをした。いつもならもうミヨコに食事を配達し終えている時間だ。


 きっと待っている。早く作らないと。


 今やマァナを突き動かすのは商売屋としての意地だけであった。

 外の男は、とりあえずクロスがボコボコにした姿なので大丈夫と自分に言い聞かせた。




「マァナちゃん?」


 ミヨコ・ラドラーは今夜も定位置に座っていた。

 庭に面して大きく開放されたテラス。テラスと言っても今は亡き旦那様が家を破壊する勢いの不器用さを駆使して作ったものなので、そんなに立派なものではないのだが彼女はここがお気に入りなのだ。

 机も椅子も無い板張りの床にミヨコは『ザブトン』を敷いてぺたりと座り込んでいる。


「どうしたの? お顔が真っ青よ。それにここから見ていたのだけれど、裏口で踊っていたのはなぁぜ?」


「こんばんは。ミヨコさん、あれは踊っていたんじゃないの。警戒していたの」


「なぁにそれは? 石鹸? お盆と一緒に持つのは大変でしょう? ランプをかして。落とすと大変よ」


「今は石鹸を持ってないと落ち着かない状況なの。それより遅れてごめんなさい」


 変な状況ねぇ。と首をかしげるミヨコの横に食事を並べながら、マァナは周囲への警戒を怠らなかったのだが、どうも先ほどより怖くない。

 思えば自分の怖がりっぷりは滑稽だったかもしれない。

 だいたい、男の姿を確認したでもなくただ恐れていたのだ。

 今になると、本当に 居た のかすら怪しい。


 疲れているんだわ。


 そう自分に言い聞かせて双葉亭の方を見やると、今しがた通ってきた裏庭に白いものが揺れている。

 ゾッとしたのは一瞬で、それが取り込まれていない洗濯物だとわかると脱力して、ミヨコの隣に腰を落とした。


「二人とも洗濯物も取り込まずに出てったなんて……」


「あら、双葉さん達おでかけなの? なら今日はこっちにお泊りする?」


 うん、と言ってしまいたかったが、子供じゃないんだし留守番くらいできるという矜持(きょうじ)が頭をもたげる。


「ありがとう、ミヨコさん、でも大丈夫。明日はお店開けなきゃだから二人が居ないならあたしが準備するの」


 マァナが断るのをニコニコと聞いているミヨコの小さな体の後ろに、花瓶に活けられている水の花が見えてマァナは「あ」と息を飲んだ。

 ターニャと一緒に水祭に参加して、土産に茎付きの水の花をミヨコへ渡すのは毎年のことだった。

 それを今年は綺麗さっぱり忘れていた事にマァナは驚き、そしてすぐに悲しくなった。

 今まで育ててくれた人達を大事にしたいから兵役逃れを頑張っていたはずなのに、いつの間にかそれを忘れてしまっていたような感覚に襲われる。


「あらあら、泣きそう。どうしたの?」


「あたし……水の花、ミヨコさんの忘れてた……それ、ターニャでしょ?」


「あらまぁ。そんなこと」


「そんなこと?」


 今度は毎年の水の花のお土産が要らなかったのだろうかと悲しくなる。


「毎年楽しみにしてるけど、気にしなくていいのよ。今年はマァナちゃんの特別な日になったのでしょう?」


 クロスとの水祭り参加を言っているのだろう。

 しかし、マァナの本日の記憶の大半は怒り狂うクロスと、汚いクロスの部屋と、自分の『きらい』という酷い発言で占められている。

 そういう感情が顔に出たのか、ミヨコが少し困ったように笑う。


「そうね、そんなに気にしてくれるなら、来年は忘れないでいてくれる? きっと今度はターニャちゃんが忘れちゃうから」


 来年はターニャが縁あわせをしているはずだ。彼女も恋愛とは縁遠いから。

 コクコクと頷く頭を優しい手で撫ぜられた。

 ミヨコにはずっとこうして育てられた。双葉達の解りにくい優しさでは得られない暖かさをもらい続けていた。気が緩むと頭の中でくすぶり続けている言葉が口をついて出てしまう。


「あたし、子供かなぁ?」


「どうかしら。昔より人間らしくなったと思うわよ? 今はそう、おとなこども? そんな感じに見えるわ」


「じゃ、クロス様には『こども』の部分しか見えなかったのかなぁ」


 肩を落としながらマァナはクロスの言葉を思い返す。


「俺の常識で成人は20歳。君は立派に子供だ。って言われたの」


「あんらまぁぁぁ」


 ミヨコの相槌がおかしい。


「ミヨコさん?」


「うにゃうにゃ。気にしないで。ちょっとびっくりしちゃったのよ」


 まだちょっとおかしいが、この非常識な『成人20歳』発言にはそれくらいの衝撃があるとマァナも思っていたので追求はしない。


「だよね。20歳まで子供扱いされたら、あたし恥ずかしぃ。無理」


「……そういう地域もあるのかもしれないわ。えっと、お相手はおいくつだったかしら?」


「29歳だって。今朝聞いたの。」


「けさ……29歳……そうね、団長さんだったわね、まだそれでも若い方よね……マァナちゃん、結婚するには大人になるよりも相手にとっての女になる方が重要なのよ? 考えてみて、テサンの法だって成人年齢よりも結婚可能年齢の方が若いでしょう? 彼に結婚可能年齢の常識を尋ねてみたら?」


「10歳だよ?」


 ちちち、とミヨコが指を振る。


「それはマァナちゃんの常識でしょ。成人が20歳って言う人よ? きっと結婚可能年齢も一味違うはずよ。その年齢にマァナちゃんが達したら……多少は後ろめたくなくなるかも……いやでも一回り離れてるのかぁ……マァナちゃんの見た目もねぇ……」


 言葉尻は聞き取れないほど小さくしぼむ。

 マァナは耳をそばだてるのを諦め、ため息まじりに言う。


「10歳だったらいいな」


「それは良識的に無理だわ」


「え?」


 聞き返したマァナを誤魔化すようにミヨコは用意された食事に手をつけ始めた。

 恐怖のあまり、まともに作れなかった茹でた鶏肉と野菜をパンで挟んでソースをかけただけの物を美味しいと言ってくれる。このままここに居たらますます子供になってしまいそうで、マァナは「ゆっくり食べてね。おやすみなさい」と言うと、勢いをつけて立ち上がった。



 裏口に差し掛かると再び異変がマァナを襲う。


 やっぱり怖いのだ。 何かが。


 先ほどと同じ、あの男かもしれないし、他の何かに変わってしまいそうな気もする。

 不自然に心を脅かすおしつけがましい恐怖に負けてしまえば、マァナは大人しく双葉亭の中に入って朝まで布団をかぶって留守番(?)をしただろう。

 しかし、そうならなかった。

 ある事に気づいてしまったのだ。


 きっとまだミヨコはゆっくり食事をしながらマァナが家に入るのを見守っているはず。

 振り向くとその通りだろうから見ない。今日は表から入るのよ、という素振りで裏庭を通過する。

 そして、表通りに出た途端にマァナは走り出した。

 揺れるランプと石鹸を抱えて。

 あの男が双葉亭の店前に居ない事はわかっていた。



 闇の魔術王様、クロス様に酷いことをしないで! 言葉神様のお名前言わないように躾けるから!



 マァナは恐怖の原因を闇の魔術王に見出していた。








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