縁あわせ 32 娘と補佐官
読んでくださりありがとうございます。
今回も長いです。ごめんなさい。
小説の最後にヴィネティガ駐屯兵団制服設定イラストがあります。
挿絵表示 する にしていただければご覧になれます。
ザッと描いたものですがよかったらどぞ!
ヴィネティガ駐屯兵団の医務室にて仁王立ちの男二人が対峙していた。
「……」
無言で熱気を放ち続けるクロス・ハガード団長と
「申し訳ありません。組み試合の人手に使っていたのですが途中で行方をくらましたようで。
管理不行き届きの咎はガナディア一番隊長に課しますが、謹慎三日くらいでいいですよね。人手不足ですし」
言葉を重ねるごとに冷気を発し始めるアスラファール補佐官。
熱の入った刃物に冷水をかけているようなやり取りが続く。
よくよく見るとその間のベットに小さい娘マァナ・リードが挟まっており、その表情は完全に茫然自失で力なく座り込む姿は痛々しいほどだ。
マァナは未だに自分の発した『言葉』に動転し続けていた。
人を傷つけようと使った言葉は自身を傷つける。
幼馴染のターニャが言った『毒』とはこれのことだと朦朧となる意識下で噛みしめた。
「どうやら流刑になった女が恋人だったらしいです。偶然仲睦まじい貴方達を見て腹が立ったのでしょうね」
「……」
クロスは何か言いたげに口を開きかけるのだが、補佐官はその前に次の言葉を発する。
「賊達の罪状差し戻しは不可能です。今回の件にしてもテサン内で起きた事です。刺されたのがあなたとは言え、手は出せませんよ。せいぜい追放ですね」
「……マァナに、年端も行かぬ子供に手を出したのだぞ」
……また子供って言うし。
『子供』という言葉にマァナの意識は不機嫌をまとって覚醒する。
腹を刺されたクロスが仁王立ちで、指先と首の裂傷程度の自分がベットに座らされているトンチンカンな状況をどうすればいいやら。
クロスはあの後、片時もマァナを傍から離さなかった。
けれど、マァナの顔を全く見なかったし、言葉も聞いてくれなかった。
それはもう恐れるかのように。
とにかく自分がこの場を離れない限り、負傷者(のはず)の男がベットで休息できないのだとマァナは決意し、クロスの熱気と補佐官の冷気がぶつかった一瞬の空白を縫うように鼻をすすった。
「ずぴ」
室内に恥ずかしいほど鼻音を響かせてしまったことに赤面するマァナをよそに、男二人はおろおろと慌てたような視線を寄越した。
なんだ、泣いたらこっちみてくれるんだー。
あざとい手段を新たに習得しつつマァナは「あたし、帰ります」と、小声を部屋に響かせ、クロスが伸ばしてきた手をかいくぐって扉から駆け出した。
逃げたようなものだが、そうでもしないとまた捕まってしまう。
ここに来るまでに何度か離れようとしていたのに、ことごとく失敗していたのだ。
クロスの手は宙をかき、そのまま今までマァナが座っていたベットへ娘の存在を求めるかのように崩れた。
「まぁ、そうでしょうね。あなたのやりようを見て傍に留まる女は居ないでしょう」
「手加減はした」
「あなたの手加減って半殺しですからね。一度苦言申し立てようと思っていたのですよ。
賊退治の時だって騎士達が目を背けるようなやり方ばかりですし。
だいたいが全てあなたの撒いた種です。私が最初に極刑だと申し上げましたでしょう?
その後の処理も非常識でした。真剣を罪人に握らせるなんて誰も考えつきませんよ。
まるで恨みを自ら買うような行為と言えます。戦争屋相手ではないのですから」
ここぞとばかりにベットに力無く座るクロスへ補佐官は早口で言葉の刃を刺した。
少し満足したように溜息をついて、しかしもう一度刃を閃かせる。
「『終わり』を告げられたそうですね。男性はそれを覆せません。
とりあえず、双葉亭に送ってきます」
補佐官の冷徹な最後の一撃を受け、クロスはとうとうベットに倒れ付した。
そんな事はマァナに貰った『正しい結婚までの手順書 男性用』で知っている。
閉じられる扉の音が絶望感を伴って耳をつく。
「死ぬかと思ったんだ。二度も……」
腹の傷ではなく、胸を押さえ、獣が回復を待つかのように丸くなる。
血管という血管が沸騰している感覚は徐々に落ち着いたが、今度は痺れたように全身から力が抜けていった。
マァナはヴィネティガ駐屯兵団の中庭に面した廊下でうずくまっていた。
朝から歩き回ったとはいえ陸馬車を使った贅沢な移動で体力的にはまだ元気だったのだが、どうにも身動きがとれない。
昼過ぎの光を反射する緑にいつもは元気を貰えるはずが、今は見れば見るほど落ち込んでゆくのはどうしたことだろう。
ターニャ、毒ってすごいね。もう言わない事にしたいけど、クロス様に子供って言われるとあたし、どうなるかわかんないかも。
心の中で幼馴染に語りかけて衝動をやりすごす。
間違っても『きらい』なんて二度とは言いたくないのだ。
「マァナ・リードさん。大丈夫ですか?」
声をかけられた方向には先程まで冷気をだだ流していたアスラファール補佐官が立っていた。
「……」
「クロス団長なら熱も出てきたのでそのうち寝るでしょう」
何もまだ言っていないのに的確に返事をよこしてくる。
そのまま肩をすくめつつ近寄り、手を差し出してきたのだがマァナが彼の手を掴むことは無かった。首を振って立ち上がると今度は少し眩暈がして木々の見える窓枠にしがみついてやり過ごした。
「縁をあわせ損ねましたね。大変ですね兵役まであと一年ですか」
あ、とマァナは思い出した。
そういえば兵役逃れの縁あわせであったのだ。
だが、それだけでいいのなら『縁終わり』を宣言する必要は無かった。
クロスはマァナの理想で、好きにならないわけが無く、だからいつの間にか欲深になってしまっていたのだと胸が疼く。
「彼の欠点が許せませんか?」
欠点? 欠点なんてあったかしら……
「完璧を求めすぎではありませんか? 思春期の娘の恋などそんなものなのでしょうが、そろそろ現実を見ていただきたい。あの人も人間です。紳士然としていますが実は大変粗野な乱暴者です。戦争屋から足も洗えていない。」
どうやらアスラファールは『縁終わり』の理由をクロスの乱暴な所業によるものだと思っているようだった。
マァナが否定の言葉を発する間を奪ってさらに言葉をつなげる。
「縁終わりの宣言は勢いですよね? 追ってきた私が間に合うということはそういうことです。
ですが、宣言を撤回する前にもう一つ彼の不完全極まりない部分を見て頂きたいのです。膿はいっぺんに出した方がいいですから。私も貴方達の縁あわせに振り回されたくないので」
どうして関係の無さそうなこの補佐官が振り回されるのか、マァナは考えようとしたのだが間髪いれず背を向けてつかつかと歩き始める男の姿に思考を奪われた。
まるでついて来ない想定はしていないのか振り向きもしない。
マァナはいろいろと麻痺気味に、ぎこちない足取りでその後ろ姿を追うしかなかった。
「ここも以前は手入れが行き届いていたのですがね。今は予算がありませんので、お見苦しくて申し訳ありません」
ふいに中庭の方に顔を向けて言われたのでマァナも視線を木々が影を作る庭へ向ける。
多少、雑然とした雰囲気があるのは植物が伸び盛りな季節なので仕方ないと思ったし、双葉亭の庭を考えればこの場は片付きすぎているようにさえ感じる。
だが、神経質そうな男の目には余る様子で窓枠から進入している枝葉に忌々しげな視線を送っていた。
「さぁ、到着です。クロス・ハガード団長の巣……じゃなくて住居です」
少し薄暗い廊下の先には点々と扉と火の入っていない壁掛けランプが一定間隔で続いている。
そこはヴィネティガ駐屯兵団の共同宿舎だった。
「赴任時にテサンの一等地に住宅が与えられたのですがね、当日に引き払ってここに入り込んだのです。しかも、最下位兵の入るような一番手前の部屋を陣取ってしまわれましてね。今では宿舎なのに誰も気が休まらない状況です。隣室の兵など自分はイビキをかくのでとここに帰ってこなくなりました」
「え、じゃぁその方はどこで眠っているのでしょう?」
「さぁ。昨日は陸馬房で見かけましたが。覚悟はよろしいですか?」
一番手前の扉に手をかけて、スパーン、と開け放つ。
この人、人の部屋勝手に開ける人ーっ?!
あんぐり口を開けたマァナは信じられない顔でアスラファールを見つめていたのだが、開け放たれた扉の方からただ事ではない不穏な気配を感じてそっと視線を向け……ひとこと。
「ひどっ!」
「そうでしょう。言葉神は的確な言い回しを作ったものです。これこそ『百年の恋もいっぺんでぶっ飛ぶ』状況でしょう」
なぜかアスラファールは得意満面で嬉しそうに言う。
彼としてはマァナがズルズルとその場にへたり込んだのがとても気に入った故の上機嫌だった。
誰かとこの部屋の惨状を憤慨したかったのだ。
部屋の奥の小窓から差し込む光が晒しているのは混沌とした室内だった。
足の踏み場も無く、散乱しているのは布か、紙面か、瓶か、とにかく定かではない。
簡易机の上はかろうじて紙が一枚乗る程度開いているが周囲は書類や本が塔のように連なっている。
椅子の上には木製食器が積み上がっているので座って書類仕事をすることはないのだろう。
立って、うろつきながら紙面になにか書き込み、またうろつくクロスの姿がマァナには容易に想像できた。そして椅子の上の食器の一番上から何か摘んで口に入れ、ベット脇の水差しに口をつける……
ああああの水、大丈夫じゃないと思う。まさか飲んでないよね?
想像の中のクロスは水差しの中身を底に溜まった沈殿物が揺れ動くのにも構わず飲んだ。
うぇぇぇぇ。
「マァナ・リードさん。大丈夫ですか?」
「だいじょうぶじゃない……どうしてここまでこーなるの?」
涙目になってしまうのはクロスの無法っぷりに対する衝撃からか、はたまた部屋の中から漂ってくる異臭のせいか。
仕事柄、男臭さに慣れ親しんでいるマァナではあったが、今、鼻先を漂う匂いは耐えられる種類のものではない。
「基本的にここでの生活は自己管理で成り立ってます。衣服などは洗ってもらえますが、それも洗濯所に自ら持っていかねばなりません。最初は最下位兵が運んだりしていたのですが、人手不足が深刻化しましてね。それすらままならないのです。素直に用意された屋敷に住めば使用人も手配してありましたのに」
突然、アスラファールは カッ と靴を鳴らして拳で左胸を叩く畏まった礼をした。
「ヴィネティガ騎士団一同、クロス・ハガード団長が貴女と結婚してここから出て行ってくれることに一縷の望みを繋いでおります」
茶化しているのか大真面目なのかよくわからないが、マァナはとりあえず座り込んだまま頭を下げた。
「ご本人は元来綺麗好きだと豪語されております。それが虚実でないならば、何故、今こうなのでしょうか」
敬礼を解いたアスラファールは座り込むマァナと室内を一望できる壁に背を預けて腕と足を組み、自問するような口調で言う。
「部屋を汚すのも、上着をやらた撒くのも、私の目には彼がこの世界に跡を残そうとしているかのように見えるようになりました。異世界に来るとは、どんな気持ちなのでしょうね」
アスラファールもクロスが異世界人だと知っている事にマァナは軽く驚いた。
そういえばクロスは他にも話すような口ぶりだったかもしれない。
あの日、下で飲み会をしていた人間は知らされ、その場に彼は居たのだろう。
自分だけが秘密を明かされたと思っていたのが急に恥ずかしく、そして悲しくなった。
「アスラファール様はどうしてそんなこと思いつくのですか?」
目の前の補佐官の方が自分よりクロスを理解しているようで羨ましい。
「ちょっと想像すればわかります。貴女もそうするといい。人間とは人の立場に立って物事を想像し、考える事のできる生き物であるべきなのです。むやみに人の境遇を嘆け、と言うわけではないですよ。思いやれ、ということです」
大変汚い部屋を前に「私はもう、団長の散らかし魔を思いやれませんけど」と補佐官は軽く肩をすくめた。今まで多少はこの惨状を打破する努力をしていただろうことがうかがえる。
俯くと、視界に黄緑の淡い光が映った。
腹を立てるばかりで忘れていた今日がじわり、じわりと舞い戻ってくる。
買って貰った首飾り。
物は要らないと思っていたのに嬉しかった。
歓楽街の華やぎより、大きな手に包まれている事にはしゃいだ。
水の花から避けるように体の下に入れてもらった。
毎年ならターニャと本気で水の花をぶつけ合って楽しむところだが、それとは別格のおもはゆい喜びがあった。
塗れたシャツからうかがえるクロスの体は綺麗だった。とても、とても。
そして、触れた彼の血は水より粘度があって……指に吸い付くようで……
傷の処置の時に見た彼の体は濡れたシャツ越しではわからなかった傷跡が無数にあった。
スッとマァナは心が冷えた。
自分は楽しませてもらって、石鹸や首飾りを買ってもらって、そしてなにをした?
戦役とやらで怪我をし続けただろう男に今日も怪我をさせ、縁あわせの終わりを告げた。
どう思っただろう、彼は私をどう思っただろう!
アスラファールが言うように想像することなどできそうにない。わからない。
マァナは突然、走り出そうとしていた。クロスの元へ。
それを誰かが腕で押しとどめる。
娘の表情をじっと観察していたアスラファールだった。
彼には考え顔から急に蒼白になった娘の次の行動が手に取るようにわかっていた。
「まだ、貴女は血を見て恐慌状態です。同じく、団長は貴女の血を見るかもしれなかった事に対して恐慌状態です。なにもかも後日にしましょう。今詰め寄ってもあの人の怒りが再燃するだけです。あれで一応負傷者ですし。いいですね?」
マァナはコクリと頷き、大変汚い部屋へ視線を向けた。
ベットの上だけが幾分ましだ。クロスは一応、ここへ眠りに帰ってくるのだろう。
「あの、掃除……」
「したいですか! それはこの惨状を見た上での『縁終わり』撤回と受け取っても?」
詰め寄ってくる補佐官の期待に満ち満ちた視線から逃れつつ、マァナはそれでも譲歩した。
「……一時、おやすみです」
アスラファールは肩をすくめて、「首尾は上々。許可します」と言った。
どうやら部屋主の許可は必要でないらしい。
制服、詳細つめて考えていません。なんか黒ければいい感じです。
そして、クロス団長は左利きだったと判明。
帯刀位置を描き間違えただけですが、問題ないのでどっちでもいいかと。




