縁あわせ 30 水祭③降る水の花※イラスト有り
読んでくださりありがとうございます。
ちょっと長いです。まとまりませんでした。
今回、小説の最後にイラストがあります。
挿絵表示 する にしていただければご覧になれます。
ちょっと大きいです。すいません。よろしかったらどぞ。
二人は型崩れした食事を黙々と食べた。
クロスの食事量を短期間でマァナは把握しており、自分の食べる分の三倍強の大きさで作ってきていた。大小、親子ほど大きさの違う紙包みにお互い顔を突っ込んでおかしな食べ方をせざるを得なかったのだが好都合と言えた。
二人は混乱する頭をこね回すのに忙しい。
首を見ていたら口付けせずにはいられなかった。年端もいかぬ子供に何をしているのだ。
待てないのか……。
首に口あてられたよね、あれはそうだよね、クロス様の生まれた世界では普通とかかな、柔らかくて温かくて……怖かった。
「噛みつかれなくてよかった……」
マァナは一言こぼしてしまった。
お互い言葉少なく、水の花撒きの時間にはテサン中央広場に戻ってきた。
テサン一番の大道が伸びる東関門からここ中央広場まで点々と花撒き用の足場が組まれている。
その数およそ60台を超える。近隣の商店主や住人の有志によってほとんどが勝手に組まれるので正確な数はわからない。高さも不揃いだ。そして年々派手になっていく飾りつけもひとつの見所だった。
昼過ぎの少し厳しくなった日差しの中、色とりどりの足場の下で人々は水の花が降ってくるのを今か今かと待ちわびていた。
「まだみたいですねー」
空に黄色や緑の色粉がひっきりなしに上がって空を賑わしている。
テサン騎士団の『印』だ。
あちこちで示し合わせているのだろう、問題が多発しているのかもしれない。
去年より多いかも、とマァナはぼんやり考えた。
ひとつの足場からほど近い場所に二人は居た。
毎年ターニャと陣取る水の花を程よくしっかり浴びられる場所。すぐ脇に裏路地があり、大騒ぎになる人々や水の花からいつでも逃げられる絶好の位置だった。
石造りの壁を囲うクロスの腕の下にマァナはそっと寄り添っていた。
手は離していた。この界隈は知り合いも多いのでなんとなく気恥ずかしくて繋いでいられない。
今朝はそこまで頭が回らなくて行き着けの湯屋にまで不覚にも行ってしまったが。
絶対、次、お風呂に行ったらからかわれるわ……。覚悟しなきゃ。
こぶしを握って神妙にしているマァナの耳にクロスの不可解そうな声が入ってきた。
「そんなに水をかぶりたいのだろうか」
その視線の先を追うと、足場の真下を陣取ろうと人々が軽い小競り合いを起こしていた。
上に乗って花の準備をしている若い男二人はたまったもんではない、という顔をしている。
「足場の真下はなんか特別みたいな感じかな?上の人が力いっぱいぶつけてくるらしいです。『水に流す』って言葉神様の教えをもじって穢れ落としだと思ってる人も多いからとりあえず、濡れないとこのお祭りの意味はないんです」
「言葉神……。現在使われている公用語を全て創造した人物。名を知っているか?」
今までの無言で微妙な空気を払拭すべく、マァナは身を乗り出して元気に答えた。
「もちろん! でも言っちゃ駄目なの。言葉神様を愛してやまない闇の魔術王様がお怒りになるの」
言葉神の紡ぐ柔らかい発音をヴィネティガの闇の魔術王がいたく気に入って公用語としたのは有名な話で、気に入りすぎてその名を他人が口に乗せるのすら厭ったと伝えられている。
「神坂 結」
ポツリと、周囲の喧騒にまぎれてクロスがその名をこぼした。
「あー言っちゃった! 聞いちゃった! 今晩、火を消しちゃ駄目だよー! わーん! クロス様のせいで怖くて夜眠れないよぅ!」
マァナは顔を覆ってしまった。
言葉神の名を言ったり聞いたりしたら、夜の帳に混じって闇の魔術王が舌を抜きに来るのだと、わぁわぁ騒ぐ。周囲の人々が全く気づかない程度のか弱い一人大騒ぎだ。
それに対してクロスは呆れたように「それは閻魔大王の親戚か」とマァナのよくわからない事を言ってから、ふわふわの髪をひと房指に絡めて「すまない」と謝った。
マァナが落ち着くのを待って再びクロスは話しかけてきた。
「……俺の本当の名は聞いていたか?」
何故、今それを尋ねてくるのかマァナには男の真意がわからなかったが、具合が悪かろうが眠かろうが、聞いていないわけが無い。覚えていないわけがない。
彼の名前なのだ。それはクロスの声でそのまま耳に残っている。
黒い瞳をしっかり見据えてマァナは異世界の香りがするその名を初めて口にした。
「くろす じ ちんちろう」
「……」
……あれ?なんかすこーし違ったかも。もう一回。
「くろす じ ににちろう……。くろす じんにちろう……。くろ……」
「も、もういい、やめてくれ」
クロスは腹を押さえて震えていた。
「じ、自分の名に殺される」と歯を食いしばったような声で呻いた後、「クハハッ!」と堪えるのを失敗したかのような笑い声をあげた。
周りにひしめく人々も何事かと目を向けてくるほど目立ってしまった。
マァナの中で、『クロス様は笑い上戸』、という認識が確立した。
『クロス様はせっかち』の二番手にソレを据えながら、抑えた笑い方でも迫力あるなぁ、と感心して見つめるばかりだった。
程なく、プアーン! という音の合図と共に水の花の投下が始まった。
足場上の男二人がザルで準備していた花弁を放り投げたり、茎付きの水の花束をそのまま振り回して花弁を落とす。大忙しだ。
水の花はそのまま落下するものもあれば、空中で分解して水の玉になるものもあった。
個体差や摘み取った時期の違いからそうなるのだ。
二人で摘んだのは水の花解禁初日だったので、きっと今頃はどこかですぐさま水の玉になっているだろう。
マァナはぼんやり上を向いたのだがクロスに腕を引かれ、大きな体の下に招き入れられた。
水の花がクロスの頭や肩を濡らし叩く音がした。
「案外、痛いな」
笑いの余韻を残した柔らかい表情に真上から見下ろされてマァナは赤面する事しか出来なかった。
しっかりと抱きとめられる形で上を向かされ、首が痛い。
「くろす じんいちろう」と大きな口が紡いだ。
そして丁寧に漢字でどう書くのかを説明し始めたのでマァナは驚いた。
何故なら漢字を名に使っていいのは言葉神だけだから。
「言葉神はどうやら俺と同じ異世界から来たらしい。言葉が通じるのが不思議で、以前調べた」
クロスは混乱するマァナをよそに結論をつぶやいた。
「だから敬えとは言わないが……噛み付いたりはしないと知っていて欲しい」
少し困ったように眉を下げて言う男の姿にマァナは胸を締め付けられるよな感覚をおぼえた。
「……それのために今の話?」
クロスが頷くと黒髪についていた水の雫がパラパラと揺れ落ちてマァナの頬を濡らした。
そんなはずはないのに、大きな獣が泣いているような気がして、マァナは男の頬へ手を伸ばした。
人の顔など撫でたのは初めてだった。張りのある硬めな皮膚の感触が指に染み込んでくる。
「ごめんなさい。さっき、あなたは傷ついたのね。もう言わないし、思わないわ」
マァナはクロスが異世界人だと秘密を打ち明けた意味をようやく自分なりに理解した気がした。
こんな繊細な人が孤独に傷つかないはずがない。
異世界人だと明かすことによってあたしに寂しいと伝えて、助けを求めているんだわ。
本人に言えば否定しかねない解釈だったが、あながち間違ってはいなかった。
マァナの小さな手に頬を撫ぜられ労わられた男は今までの人生における苦痛を深い溜息に乗せてそっと落とした。
そうして完全に二人の世界を作っていたものだから、頭上から大量の水の花が降ってくるのにも、ましてや刺すような視線を投げかけてくる人物がいる事にも気づかなかった。
一瞬、滝の下にでも立っていたか?というような状況にクロスは陥った。
水や花が石畳を叩く音が唐突にやむと、周囲の人々ごと水に飛び込んだのかというくらいびしょ濡れになっていた。マァナもクロスの体に隠れてはいたが、ふわふわの髪の毛は濡れてしなやかに肩へかかっていた。
頭上を仰ぎ見た二人の目に映ったのは、斜めに傾いだ花撒き用の足場。
耳には木のきしむ音と、人々の悲鳴が断続的に届いた。
大籠が一つ降ってきた場所もあったようで、まるっとすっぽり籠に納まってしまった人を救出しようと大騒ぎになっている。
始まる前から下で小競り合いを起こしていた時にでも傷めたのか、縄の縛りでも甘かったのか、どちらにせよ、見ている端から再び花弁とまだ茎付きの花が大量に落ちてきた。
上にいる若い男達も今にも落ちてきそうだ。
ゆっくりだが、このままでは人々の上に倒れるのは間違いない。
「マァナ、離れていろ」
そう言い置いてクロスは人垣に飛び込んだ。
「どけ! 足場を家屋側に倒す! 上の! とにかく屋根にしがみつけ!」
突然発せられた地を揺らすような大きな声に人々は飛びのき、思い出したかのように避難を始めた。
クロスは迷い無く邪魔な飾りをなぎ払って足場に組み付き、獣のような咆哮を上げた。
腕の筋を浮き立たせ、渾身の力を搾り出す。
足場自体が大きな丸太数本で組まれており、しかも傷めたのは家屋側でなかったためとても男一人が組み付いたくらいで倒れる方向を変えられそうになかった。
だが、意図を理解した周囲の男達も加勢に加わり、足場はゆっくりとその傾きを変え、上に居た若い男二人は足場が家屋に勢い良くぶつかる直前に屋根の上へ飛び移った。
クロスや男達の上げる獣じみた咆哮の余韻に激しいもの好きのマァナは魅了され避難もせずに立ち尽くしていた。
皆かっこいい。あたしもあんなふうになりたい……。
自分には無い力強さに焦がれてしまう。
収束していく事態にその場に居る人々の安堵が広がるとマァナは幸せに満たされた。
集中していた視界が開け始め、瞳の端に映ったのはこちらに向かって歩いてくる商店街の娘達三人だった。顔が嫌悪に歪んでいる。
マァナの肩がビクリと跳ねた。
ここは来るなと言われた中央噴水付近だった。今の今まできれいさっぱり完全に忘れていた。
クロスと一緒に居たところを見られていたのか。
またヴィネティガがどうこうと怒りを買ってしまったのかもしれない。
一度傷つく事を知った心はもろく、きっと何か痛い事を言われると思うと足がすくんだ。
今頃になって被った水がマァナの体の熱を奪ってくようだった。
クロスの声が遠くで聞こえた。何かまだ指示を出している。
助けに来てはくれないだろうし、助けてと言う資格も無いとマァナは震えていた。
約束を破ったのは自分。一方的に言い渡された事でもマァナの中では約束になっていた。
その時、逃げたくて仕方の無いマァナの腕を誰かが握った。
「!?」
振り向くと路地裏から見たことも無い男が身を乗り出して、マァナを引きずり込もうとしていた。
商店街の娘達とこの男と……どっちがいいのか、マァナは真剣に迷ってしまった。




