縁あわせ 26 おひらき
マァナにそっと布団をかけ、ふわふわの髪の毛をひとなでしてから階段を下り、厨房から出てきたクロスを待っていたのは四人の胡乱な瞳だった。
アスラファールの「長かったですね」との言葉に皆一様に頷く。
何もしていない、という自己表示のためにクロスは両手を肩口あたりまで上げた。
それは降参の仕草とも言えた。
今日、別にクロスは腹を割るつもりではなかった。面倒くさそうな双葉達を煙に巻く事も考えていた。
だがそうしなかった、出来なかったのは、双葉達が最初から腹を割るどころか裂くほどの勢いでぶつかってきたから。そして、マァナが遠くに行くなら双葉達も連れて、と言ったから。
そんな単純な理由で今まで誰にも言わなかった秘密を暴露する自分に驚きと、孤独に生きる限界を感じていた。
「クロス・ハガードは、 その一、魔法が効かない。 その二、散らかし魔である。 その三、異世界人である」
なんの前置きも無くクロスは一息にそう言うと身構える様子も無く元の席についた。
途端に他の三人は我先にと喋りだした。
テサン台頭だけが無言で、少し驚いたようにクロスを見ていた。
「散らかし魔! ご自覚があったとは喜ばしい限りです!」と、神経質補佐官。
「魔法が効かないんだろ、調べ済みなんだよ。魔術師殺しの異名付きめ」と、レーン・リード。
「え、じゃぁ、あたしは異世界人にしとく」と、リーン・リード。
三者三様……性格がにじみ出るな、とクロスは口の端を吊り上げた。
「全て正解だ」
「「「は?」」」
見事な三重奏が返ってきたので余計に楽しくなってしまった。
「全て正解だ。別に三択とは言っていない」
場は静まり返った。
「あんた、地味に性格悪いよね」とレーンがため息混じりに言うと、先ほどと同じように全員が頷く。
そしてアスラファールは無い眼鏡を指で押し上げる仕草をしながらやたら慎重に話し始めた。
「異世界人、と言えばヨムランで『シュタルブの愚行』というのがありましたね」
「ああ、異空から突然わいた生物達を虐殺したってアレね」
「大変醜悪な見た目だったためらしいですが、最後の一匹を捕縛し、数年かけて意思の疎通をしてみたところ彼らに悪意は無かったと判明したのです。それどころか、彼らは類まれなる不思議な技術を持っていることがわかりそれを手に入れようとヨムランが動き出した途端、寿命か何かでその異世界の生き物は息絶えてしまった」
「ちゅーと半端に技術を残してね。だから未だにヨムランのシュタルブ地方では進む気配の無い技術に投資し続けているんだよ」
そういえば停戦で接収した地域にシュタルブという名があったような気がするな、とクロスはぼんやり考えていた。おかしな形の機械のようなものを無尽蔵に生産していた。ボタンらしき部分を押して「今回も動かない!」とさわぐ風変わりな人々を思い出す。
「で、それがなんなのよ?」
「だから、私が言いたいのは、こんな見た目は我々と変わらないですが、大きくて魔法が効かない、その上言葉の通じない生き物がわいたら事件になっているはずでしょう?私はヴィネティガに人脈がありますが、この人に関していえば剣聖の隠し子という鳴り物入りでヴィネティガ騎士団に入団し、魔法の効かない特異体質に関しては黙認されています」
「だから、それがなんなのってきいてんのよ」
「ようするに、異世界人発言は虚言ではと、言いたいのです」
「回りくどいんだよ! 話がっ!」
双葉達は一斉にひねったおしぼりをアスラファールの顔面めがけて投げつけた。
律儀に二本とも顔面で受ける補佐官を不憫な男だと思いつつ、クロスは端的に騒ぎにならなかった理由を告げた。
「言葉は最初から通じていた。なぜならここの公用語は俺が生まれた世界の日本語だからだ」
「「「にほん語?」」」とテサン台頭以外の三人が鸚鵡返ししてきたがクロスは聞き流した。
「それに俺がわいたのは山の中だったし、剣聖ネイト・ハガードしか居なかった。
あの人は世界が終わったとしても動じない人だ。騒ぎにならん。
魔法が効かない事に関しては異世界人だからではないかと推測される。
無論、剣聖は恩人と言う名の師であり血縁関係は断じて無い」
淡々と語るクロスを前に皆、押し黙る。
「マァナを今更『化け物』にやらんとは言わせん。聞いたが最後、逃れられんのはお前達の方だったというわけだ。この話はマァナにもした。求婚も今、受けてもらった」
「前後不覚な娘に返事させるなんて!」
「その前後不覚にさせたのはお前達だろうが」
淡々と返す男の口調に双葉達は歯軋りしていた。
アスラファールはおしぼりを二本握ったまま虚空を見つめて何か考え事の最中のようで、テサン台頭はどんぶりに顔を突っ込んでなにやらモグモグやっていた。
どんぶり?
ここに至って、初めてクロスは自分以外全員の前にどんぶりが置かれている事に気づいた。
先ほど双葉達が厨房で作ったものだろう。思えば、ここにきてからクロスは水の一杯も飲まずに居た。
机の上を見回すと、ほとんど空の皿ばかりだ。彷徨う視線がレーン・リードとかちあった。
「冷めると味が落ちるからあんたの分は作ってないんだよ。そんな目でみるんじゃないよ」
そういうとレーンは厨房へ消えていった。
少ししてクロスの前に湯気の立ったどんぶりが置かれた。表面は甘辛そうな肉の細切れと彩のいい茹で野菜で埋まっていた。木製の匙で中をすくうと、下から白くて粒々したものが現れた。
米に似ている。
口に含むとそれは確かにクロスの思うところの米だった。形が不揃いで多少違和感はあったが、独特の甘みと粘り気が単純に懐かしい。
この世界には残念な事に米というものが無かった。麦はあったのに。おかげで主食はパン一本。しかも香辛料などは豊富らしく、特にヴィネティガでは味の濃いものばかりだったので慣れるまで辟易した。テサンに来て、少し味が薄まり、ほっとした。しかも双葉亭での食事はそれより薄味な物が多く、テサン騎士団行きつけの店でなかったら通いたいくらいだとクロスは思っていた。
そこに、こんな米を食べさせられてしまったら、明日からどうしたらいいのだろう。
通いたい……。
「マァナの考案した夜の……なんだっけ、労わり? だよ。朝はこれをドロドロにしてさっぱり定食にするんだ。隣のばぁさまが薄味好きでねぇ、あれこれマァナに奇妙な入れ知恵するのさ。出し汁かけるかい?」
「かける」
クロスが子供のような返事をすると目の前のどんぶりは茶漬けになった。
先ほどのテサン台頭のようにどんぶりに顔を突っ込んでモグモグやっていると向かいの双葉達が話すともなしにマァナのことを話し始めた。
「あの子に料理を教えるのも大変だったんだよ。最初に魚をさばかした時は酷かったね。『おさかなさんかわいそう』とかぬかしやがってね」
「まぁ、言うだろうさ。『おさかなさん おぼれてる』って言って川に飛び込んで溺れるような馬鹿だったからねぇ」
ブッと吹きそうになるのをクロスは間一髪こらえた。
「ここまでは普通の夢見がちな馬鹿娘で済むんだけどね。包丁持ったまま固まってるマァナに北方の海に行けばその魚共が人間を食い漁ってるよ!って教えてやったんだよ。そしたらまぁ、『じゃぁ、おあいこさまね』っつーて魚の頭をスポーンと一刀両断」
「ありゃ、怖かった。しかも包丁で自分の指先削って流血沙汰なのに笑ってたし」
「一事が万事そんな調子で、神の子が育てづらいってのはこういう事かと思ったもんだよ。良くも悪くもまっさらに狂ってるんだよ。魔術師とは反対なんだよ」
「そうそう、魔術師は年々狂っていく。神の子は年々狂いを回復していく。そんな感じだね。あの子が今、ああしてマシになってるのはあたしらのおかげさ。神の子を売る村じゃないが、貰えるもんならいくらでも貰いたいね」
双葉達はどんぶりから顔を上げたクロスを意味深な笑顔で見つめてきた。
「金で切れる縁なのか? 出すものを出せばお前達はあの娘から離れるのか」
真っ向から切り返してきた言葉に双葉達は肩をすくめた。
どうやら無理らしい。
「「異世界人だろうが化け物だろうが、マァナさえ笑ってりゃそれでいいよ。その体質は気に食わないんだけどね」」
「散らかし魔なのはいいんですか?」とアスラファールがここにきて茶々を入れてきた。
彼はどうもいらぬ一言が多い。
「マァナが片付けるだろ。掃除好きだし」
「想像を絶する無法者なのですよ?」
酷い言われように事実としてもクロスは反論したくなってしまった。
この世界に来るまで、彼の部屋は片付きすぎるほどに片付いていたものだ。いっそ、部屋には執着するものはひとつも無かった。
そう伝えると補佐官は鼻を鳴らしてからようやく黙って、再び考え顔になった。
クロスが夜の労わりを平らげた後、「とりあえず、来年の今頃までに結婚すませとくれ」という一見投げやりな双葉達の言葉で腹割り会談は解散となった。
食器を片付けた女達は早々に自室に入った。
一人が机の引き出しから紙の束を取り出した。
「レーン?」
「もう、要らないね」
そう言ったとたんに紙は紫色の光にまかれジリジリと一枚ずつ念入りに消えていった。
「クロス・ハガード……『魔術師殺し』なのに、神の子は決して傷つけない、殺さない。普通、真っ先に癒し役から手をつけるもんなのにね」
「剣聖の息子って肩書きなのに足技が得意ってのも笑えるね。なかなか剣は抜かず、その足技だけで何人も殺してんだ。人間凶器だよ。まぁ、多くの魔術師は自分の魔法を跳ね返されてやられたみたいだけど」
女二人はベットに体を横たえながら男の身上書こと身辺調査書の内容をつぶやいていた。
書類を消し去っても空で言えるほど読み込んでいた。自分達の娘のために。
魔法が効かない男の調査は面倒だった。アスラを使い、ヴィネティガ経由で情報を吸い出した。
『魔術師殺し』の異名を持つ男がヴィネティガでどれほどに忌避されていたか、それでも危険因子の放出を容認出来ない魔人の系譜達が彼をたらい回しのごとく互いに擦り付け合っていた情けない事実が今や消えうせた書面に連綿と記されていたのだ。
戦後処理に使うのも限界となりこのテサンに配属されたのは明らかだった。これは最終手段だったらしい。表向き魔術師の存在しないテサンへ、本人が希望していたとはいえ半ば流刑のように遣された。
クロス・ハガードのこれまでの歩みはさながら臭い者に蓋扱いだったのだ。
「ひとつ、予想外な事といえば、どうやらマァナを本気で好きになってるらしいね」
「ああ、あいつの趣味だけは身上書になかったからね。おかげで、あたしらが魔術師だってのはまるっと無視かね?」
「魔術師なんて見たくも無いんだろ。こっちの魔術師連中だってビクビクしてんだ。無視されたほうが精神衛生上いいだろ。それにしてもロイのこともアスラのことも追求してこなかったし。変な男だよねまったく」
くっくっ、と二人で笑い、手を伸ばさず、ランプの火を消す。
「「誤算だが、まぁ、いいんじゃないかぃ」」
暗闇に満足そうな女達のつぶやきが染みて消えていった。




