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縁あわせ 25 回想

 


 黒須(くろす) 陣一郎(じんいちろう) が生まれたのは異世界だった。


 ヴィネティガでもヨムランでもテサンでもない。

 魔術師は居なかったが同等かそれ以上の脅威を内包している世界。

 けれど平和な時期に生まれ育った。戦争は身近では無かったし、貧困とも疎遠だった。

 ボタンを押せば暗闇は光に飲まれるし、炎は自在に操れる。乗れば恐ろしいスピードで移動する機械もあったし、空をも飛べた。


 誰も彼もが。


 至れり尽くせりで異様な世界に陣一郎は何一つ惹かれなかった。

 生まれながらにして興ざめを催しているような子供だった。

 笑いもしたし泣きもしたが、それは皮膚の一番上だけのことで一枚めくれば表情の無い自分が出てくると幼い頃から自覚していた。


 それは陣一郎が17歳の春のこと。

 彼が物心付く頃から冷戦をしていた両親がようやく離婚した。

 父の家柄が裕福だったために母が離婚を渋り続けた末のようやくの解決。相当な金銭でもって一家の縁は切られたらしい。そもそも、家族であったという認識が陣一郎には無い。

 彼自身は父方の曾祖父の(もと)に住まい、両親とは同じ家に帰る事が全く無かったからだ。

 その曾祖父の屋敷も眠りに帰るだけといった風で陣一郎は常々いかに家に居ないようにするかを苦心していた。許されるまま無節操に習い事をし、部活動に励み、それ以外は図書館にこもって時を過ごしてきた。繁華街も無いような田舎だったため遊び歩くと言う選択肢は無かった。

 年頃の娘が言い寄ってくれば相手もしたが、大恋愛だったらしい両親のことを考えれば心は冷えるばかりで誰とも長くは続かなかった。


 屋敷の桜が重苦しいほど満開になった頃、今年大学受験を控えた高校三年生の朝は休日でも早かった。

 ランニングを終え、シャワーを浴びて自室に帰り、今日はどこへ行こうかと思案していた。

 通い続けている空手道場も休み、学校も部活も休み、塾も休みとなれば陣一郎の向かう先は必然的に図書館しかない。

 息抜きになんでもいいから読むか。この時期に長編モノには手を出さないようにしないとな、と手ぶらで自室の扉を開けて廊下に足を踏み出した……

 つもりだった。


 のふっ。と靴下を履いた足から柔らかい感覚が上ってくるのを感じながら陣一郎は後ろ手に部屋の扉を閉めてしまった。

 違和に気づきながら何故扉を閉めてしまったのか、曾祖父の行き届いた(しつ)けの賜物(たまもの)であったが、それは後になって考えると彼と彼の生れ落ちた世界との希薄な縁がそうさせたとしか言いようが無かった。

 血縁者も、学校でつるむ友人達も、言い寄ってくる娘も、世界そのものでさえも、陣一郎を引き止めるものでは無かったのだ。


 かくして踏み出した一歩からそのまま数歩進み、昼間なのに薄暗い森だか山だかの中に立ち尽くす事となった。白いシャツに黒いコットンパンツで手ぶら。ポケットに図書館カードと小銭は入っていたが、それだけ。

 人を排除しようとするかのような気配の木々を前に自分の存在が揺らぎそうになっていた。


 夜、黒くヌルっとした形態の獣に襲われた。狼のような動きで走るのに人のような頭部があって禍々しい緑の瞳を光らせていた。

 それを数十体引き連れて陣一郎は走り続けた。真っ暗闇にならないのだけが救いだった。

 月の姿は見えず、空自体が青白く発光している。

 走っても走っても、容易に追いつかれる。

 木の枝を振り回した後で自分は空手を習っていたのだと思い出す始末。

 蹴りの方が得意なのに噛み付かれる恐れから出せなかった。足をやられて走れなくなったらお終いだとわかっていた。

 度重なる襲撃に型は崩れ、正拳は空を切り、思考と体が切り離されていった。

 ガブリと噛み付かれて気づいたのは獣の歯が人のそれと酷似していたこと。

 牙が無いだけ殺傷力は落ちるのだが、人に噛み付かれたようで不快感ばかりが陣一郎の心を占めた。


 噛み付かれても、噛み付かれても、陣一郎は生きる事だけは諦められなかった。

 常日頃から冷めた感覚しか無かった自分の中に生きる執着を見つけて驚きもした。


 ポケットの小銭は何の足しにもならないだろうに投げつけた。

 噛み付いて離れない獣の目を図書館カードの角で突いた。

 靴下しか履いていない足は血まみれで、靴のありがたみを初めて知った。

 服は擦り切れ、酷い有様だった。

 そうして自分の生まれ育った世界の物を捨て去った頃にようやく夜が明け、獣達は散開して徐々に姿を消した。

 今まで自分が生き物としてどれほどに脆弱で滑稽だったかを知らしめた一夜だった。



 そうしてへたり込んでいるところを現在の師であるネイト・ハガードに拾われた。

 擦り切れた衣服と、露出している肌という肌には大小さまざまな人間の歯型がついた青年に驚いた様子も無く話しかけてきた。


「おまえさん、名は?」


「黒須……」


「クロスというのか。そうかそうか」


「イントネーションが違う……」


「は? 何が違うって?」


「いや、かまいません。クロスで」


 とうとう名まで捨て去ってしまった気分になりながら、小柄な老人について彼の住む山小屋へついていった。陣一郎はすでに茫然自失状態でこれから何をすればいいかすら考えられなかったので、せめて会話のできる人間と一緒に居たかった。

 そう、言葉は通じる。


「ヴゥグルに沢山噛まれたようじゃのぉ」


 しわくちゃの顔の中で黒い瞳だけが活き活きしている不思議な老人だった。

 目をすっと細めてニコニコと嬉しげに言葉をつなげた。


「アレらは、弱った生き物を襲う習性でな。お前さんが死にかけにでも見えたんじゃろうな」


 この一言に陣一郎はカッと頭に血が上るのを感じた。

 少なからず体術や運動神経には自信があり、同年齢の中でも突出して立派な体を持っていると思っていた。身長はそこまで高くは無いが、陣一郎を見る誰もが実際の身長よりも大きく見えると言っていた。


 なのに死にかけに見えただと!


 羞恥で髪の毛が逆立つ。だが一晩で知ったのは自分という生き物の脆弱さだったと思い返した。

 体に染み付いていると思っていた型は早々に崩れ、自分を生きながらえさせたのは本能のがむしゃらな動きと生に対する執着だけだった。


「強くなりたいじゃろう?」


 心の動きにつけ込むかのように老人は手を伸ばしてきた。


「暇だし、わしがひとつ手ほどきしてやろう」


 その後二年の間、陣一郎は慣れないクロスという名を老人に呼ばれ続け、全てを形成しなおされた。

 老人が自分を人身御供(ひとみごくう)の代わりに仕立て上げたのだと知ったのは、「もういいじゃろ」と言われて山を追い出された後だった。


 ネイト・ハガードは剣聖と呼ばれる英雄的存在で、ヴィネティガからの戦争参加召集を幾度と無く蹴り続けていた男だった。

 二年を過ごした広大な山はヴィネティガ魔術王の住む城の裏手にあり、クロスは降りたとたんにヴィネティガ騎士達に捕まった。

 クロス・ハガードと呼ばれ、剣聖ネイト・ハガードの隠し子扱いになっていた。

 世話になった年寄りを戦争にやるよりは自分が行ってもいいか、と仏心を出したが最後、クロスはこの世界の戦争スタイルに泣く事となった。


 自分に魔法が効かない事も後々知った。

 剣聖の隠し子という肩書きだけでも目立って仕方ないのに、魔法が効かないとなると誰も彼もがクロスを気にする。

 中でも魔術師達の興味はすさまじく、初対面では必ずと言っていいほど攻撃魔法をぶつけられる羽目になった。効かないといっても衝撃は多少あるのだ。それに単純に怖い。

 それをわかってもらおうと、バレー部で鍛えた腕で叩き返していると事態は悪化の一途をたどった。

 これがクロスの魔術師嫌いの原点。

 戦役とは切っても切れない関係にある魔術師達と日夜行動を共にしながら、いつか普通に生きられる場所に行きたいと思い続けていた。

 不思議と元の世界に帰りたいという気持ちは微塵(みじん)もわかなかった。

 しかし、悲惨な殺し合いの最中にあっても生まれた世界で刷り込まれた道徳感や良識は深く根付いておりクロスを苦しめた。戦場で生き残るために意思とは反する行為ばかりを強いられ続け、いつしか「成るようにしか成らないのだ」と己を正当化するずるい言葉を紡ぐようになっていた。

 そうしてテサンへ赴任するまでの約十年間、心を殺して人を殺す行為に従事してきた。




 フッと、クロスは息をついた。

 すやすや眠るマァナの顔を見ていると自分が今まで生きてきた道が全て幻のように思える。

 深淵を覗き込むかのように語っていたので何をどう口にしたのか定かではい。

 言わなくてもいいことまで言ってしまったかもしれない。

 最後の方は懺悔(ざんげ)になっていた気がした。


「戦地で見てきた神の子のようには決してしない」


 誓いのように手を組んで自分の唇に押し当てる。

 これからは「成したいように成す」努力をしたいと思った。


「クロスさま……とおく、いかないでね……」


 マァナが寝言のように言った。

 話を聞いていたのかどうかわからなかったが、双葉達のこともある。

 瞳は閉じているが狸寝入りかもしれないぞ、と顔を覗き込むと、やおら瞳がパカッと開いた。


「行くならあたし、つれてってね。リーンさんとレーンさんも。あとターニャも。そしたらターニャのお父さんもだし困るわ、ご近所さんもみんな必要なの……特にチーズやさんは……」


 うにゃうにゃと最後の方は尻すぼみで寝息に消えてゆく。

 どうやら彼女は正しくこの地に根付いている。

 クロスはそれが羨ましいわけではなく、ただ、彼女に縁のある全てをも抱き込みたいと思った。

 そうしないと彼女を彼女のまま手に入れることは出来ない。


 あの双葉達と折り合いをつける努力をするか……


 先ほど激情のまま「奪う」と尖ってしまった心があっというまに丸くなったのをクロスは感じた。







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