縁あわせ 24 娘の部屋
扉を軽く叩いても返事が無かったのでクロスはそっと中へ入り込み、ランプを掲げた。
ベットの上に白い足が投げ出されているのが見えて思わずギクリとする。
マァナはベットにうつ伏せに倒れこんだ状態で上には何もかかっておらず、スカートが乱れめくれて右膝裏がむき出しだった。
クロスはスカートをつまんで無造作にそれを隠した。
双葉達の所業に激昂したのはつい先ほどの事。
何故、「愛す」と言った口で「昏倒させてる」などという言葉が紡げるのか。
「慣れてるから平気なんだよ」と、なおも非常に許しがたい言葉を重ね、「そんなに心配なら見て来い」と逆切れされたのだった。
さすがに外から入るドアは施錠してあるとのことだったので厨房を通って上がってきた。
意識の無いであろう娘の部屋に入るのは気が引けると伝えたのたが双葉達は意に介さず、つまみが切れたと言って綺麗に磨きたてられた様子の厨房を再び汚すのに熱心になっていた。
マァナの部屋は二度目だ。先日と全く変わった様子は無い。
うつ伏せでは息苦しくないだろうかと思ったクロスはそっと娘の体を転がした。
意識を失った人間の体なのに羽が生えたように軽い。
そういえば最初に抱えた時もやたら軽かった。
きちんと食べているのだろうかといちいち心配になる。
そう、クロスは娘に会う度ごとに気にかかって仕方がなくなっていく自分に気がついていた。
今まで、誰の事もこんなに気にかけた経験が無い。
両親に対しても、友人に対しても、師に対しても。
いや、あれらが両親、友人と呼べる者達だったか、今となっては定かではないな。
師に至ってはたまに憎らしく思う時すらある……。
クロスは自分を薄情な男だと思っていたのだが、その思いはくたりと体を横たえるマァナの前では消えてしまう。
娘の細い腰から、柔らかく膨らんでかすかに上下する胸、白く細すぎる首、瞳を閉じた顔へと視線を移動させた。頬に敷き布の跡がくっきり付いていた。
ただそれだけで双葉達を心の中で罵るのを止められない。
なんで仰向けに寝かせないんだ! 布団だってかけてやってもいいだろうに。
腹を冷やして風邪でもひいたらどうするのだ!
激しい内心とは裏腹に娘の頬に触れた指先は自分でも寒気を催すほど優しい動きをしていた。どうにもひっこみがつかなくなってしまった手を持て余し気味に「マァナ」と名を呼んでみた。
出来たら目覚めてこの手を止めて欲しい。
頬では飽き足らず、細い首や鎖骨やその先へ移動してしまいそうな危険があった。
「えきしゅっ」
マァナが変なくしゃみをしたことでクロスの手は止まった。
「ん……え、クロしゃま?」
覚醒直後のたどたどしく、こもった声色に体のどこかを打ち抜かれたような気がした。
なんだこの可愛い生き物は……。
そのまましゃがみ込み、ベットの端に腕を置き、頭を掻いて衝動をやり過ごした。
娘の方は「んんん……」と頭を揺らしていた。どうやら意識がはっきりしない様子。
魔術でもって昏倒させられたからには精神に影響が出る場合もある。
マァナがアホになったらあの双葉達のせいだとクロスは確信した。
「クロスさま、どうしてここに居るの?……ですか?」
マァナは起き上がれないまま、瞳も閉じ気味に一生懸命話しかけてくる。
「今、下で飲み会をしている」
「え、ずるい、あたしも行きたいー」
「無理だろう。起き上がれそうにもない」
「じゃあ、何をお話ししてたのか教えてー……ください。のけものやだ」
食い下がってくる娘にクロスは破顔していた。
「では今からまだ下で話していない事を君に教えよう。しかしその前に質問がある。これに答えてくれないと話すわけにはいかないんでな」
マァナは弱々しい瞬きを返事の代わりにした様子だった。
喋るのも億劫なのだろう。どんな昏倒のさせ方を……と、思考が逆戻りして憤るのを抑えながらクロスはしゃがんだままベットに半身乗せた。
ギシリと音が立ち、マァナの体は沈んだ方向へ、クロスの方へ少し傾いた。
「マァナさんは俺と結婚しますか?」
水の花摘みの時、マァナが尋ねてきた「クロス様はあたしと結婚しますか?」という言葉をそのまま引用した質問。
「する」
可愛らしい唇から返ってきたのは簡素な一言だった。
娘の立場上兵役のために結婚せざるを得ないのだろうが、それでもよかった。
見て、触れて、会話を重ねた結果、手元に置きたいと想い始めた心には恋のような激しさは無いとクロスは自分に言い聞かせていた。男の欲を孕んだ想いをまだぶつけてはならないから。
それでも娘を手に入れたという歓喜は体をかけめぐった。
これが恋でなくしてなんだと言うのか、誰も指摘してはくれないのをいい事にそっと心に蓋をした。
「俺は、化け物だ」
「へぇー」
「……そこで、そう返されると言葉につまる」
「とっても強かったもの。驚けないよー」
「……規格は人間仕様なのだがな。この世界側から見れば異世界からの来訪者は総じて化け物で間違いないと思うが」
「異世界……精霊さん?」
「……気に入った娘を水浸しにする趣味は無い」
水祭の由来の精霊を引き合いに出されたのでマァナはクスクス笑う。
重々しく暴露したつもりだったが、クロスがかもし出す緊迫感は端からマァナが折っていった。
この娘はおよそ秘密を聞くのにも適していなかった。
しかも、クスクス笑いは次第に小さくなり、か細い寝息へと変化してゆく。
「マァナ……」
揺り動かして起こすことは出来ない。
先ほど娘に触れて、止まらなくなった自分の手を思い返すと再び意識の無い肌に触れることに酷く罪悪感を持ってしまうから。
まぁ、いい。これは自己満足の行為に過ぎない。
秘密の開示をするなら、下の連中よりマァナに対してしたいだけ。
12年間黙ってきた扉をクロスは押し開いた。




