縁あわせ 16 男の来訪
読んでくださりありがとうございます。今回も少し長いです。
なんだか無駄なトコに文字数と脳みそと時間を割きました。
クロスにとって木の実といえば行軍中の栄養補給で、味気なく舌にこびりつく不快さを呼び起こすだけのものだった。しかし、娘の置いて帰った木の実をひとつ、つまんで食べてみると、ことのほか美味しく、少しの塩気と不思議な香味がした。
なにより、美味しく食べて欲しいという愛情も入っているのだろう。
ふいに、ここは戦地ではないと心が凪いだ。
アスラファールはクロスをせっかち呼ばわりするが、その一因は未だに敵地を奔走している気分が抜け切れていないからだった。19歳からヴィネティガに従軍し、戦い通しだった男は、もはや一息のつき方がわからなくなっていた。
決して仕事に埋没してマァナ・リードの事を忘れていたわけでは無いつもりだったが安全圏にいるであろう娘に対しての関心度は低かった。
まさか娘に恥をかかせている状態だったとは思いもしなかった。
そもそも、娘を追い回した男達のおかげでここのところ忙しかったのだ。
所属の明らかでない魔術師といえばなんらかの悪事に手を染めているのは往々にして珍しく無い。
尋問させたところ、やはり少し前に壊滅させた盗賊団の雇われ斥候であった。
テサン商人達の出入荷状況をうかがい、その情報を流していたそうだ。
これがまた口の軽い男二人で、盗賊団とテサン近隣集落の関係を暴露した。要するに、その集落は盗品で成り立っていたのだ。
案の定、視察に行くと男達は出払っていた。それはそうだろう、皆、ヴィネティガ駐屯兵団の牢に入っており、刑の決定執行待ちだ。ヴィネティガの法で裁けば極刑はまず免れない。
女子供ばかりの集落が今のクロスの頭痛の種だった。早晩破綻するのが目に見えている。
どこか他の集落に身を寄せることができればいいのだが、めぼしい集落も早急に調べ上げるように数少ない兵を動かしているところだった。盗賊の裏家業で成り立っているようなら容赦しない。
テサン近郊で起こる盗賊被害は殺傷行為が多すぎた。その恩恵を受けて暮らしていた女子供を助けるいわれも無いように思ったが、戦災ゆえの社会の歪みだとしたら一概に捨て置くのも良心がとがめた。
しかし、停戦してからすでに三年が過ぎていた。まともな暮らしを心がけなかった者達とも言える。
一番の問題は今までヴィネティガ駐屯兵団が機能していなかったという事実だった。機能していたならこんな状態にはなっていないはずだとクロスは肩を落とした。
一見、淡々とした無表情男のクロスなのだが、思考の方はわりと思い悩む性質だった。
しかし最終的には「成るようにしか成らない」と切って捨てるので冷徹な男と称されてしまう事が多かった。
多分、あの集落は何の解決策も無く解体される事になるだろう。自分の手によって……。
クロスはもうひとつ木の実を口に入れた。一時でもこの面倒事から開放されたいがために。
「クロス・ハガード団長、食べていないで目の前の仕事に専念下さい」
向かいの補佐官がうるさく言ってくる。
自分はたらふく果実漬けとやらを食べた上にどこかへしまいこんでしまったくせに。
「ありがたそうに食べてますけどね、それは双葉共が作ったものでしょうよ」
「……」
おかしなことにその一言で凪いだ気持ちも吹っ飛んだ。
どうやら木の実自体にではなく娘の方に癒し効果があったらしい。
さて、どうしたものかとクロスは考えた。
今まで一度も結婚などを考えた事は無かったし、見合いを勧めてくるような相手もヴィネティガにいるはずがなかった。今回の縁あわせにしても、テサン台頭の顔を立てるために臨んだだけだった。
そしてマァナ・リードをどう思うかといえば、庇護欲を駆り立てられる存在であって、決して女として見ているのとは違う気がしていた。
そうでなければならなかった。クロスの中の良識で14歳は子供だったからだ。
「団長、完全に手が止まってますけど。そんなに気になるなら今日の業務は夕刻で切り上げるよう努力しましょう。双葉亭は営業時間が非常識で日によって夜は早々に閉めますから」
「そうなのか」
「今から行っても手遅れかもしれませんけど。婚期限の近い娘は節操無く縁あわせをしますから」
「そうなのか」
二度目の「そうなのか」にはあからさまな怒気が含まれていたのでアスラファールは目を見張ってしまった。およそ、この男の怒りに今まで触れた事がなかったからだ。
双葉亭はテサン騎士団のたまり場であり、彼らの日勤と夜勤の交代が行われる時間帯に夕方営業を開始する、らしい。
アスラファールから聞きかじった情報をもとに、クロスはいつ頃行けば迷惑がかからないかと思案していた。閉店時間が不規則なようなので狙えないのが辛い。
とにかく目立たぬように、白いシャツと、どこにでもあるような黒いズボンに着替えてヴィネティガ駐屯兵団を後にした頃には陽が完全に落ちていた。
ようやくたどり着いた双葉亭の看板は暗闇で見ても真昼の香りがした。
無邪気に描かれた色とりどりの花模様のせいだろう。
先ほどから店に近づくにつれ食欲をそそるいい香りがしていたので、娘に会いに来たはずが食事をよこせと腹の虫が暴れだしていた。
そういえば、昼を抜いていたなとクロスは思い、食事をする心づもりになって扉を開けた。
とたんに店内が水を打ったかのように静まった。
縁あわせの時に見た異様な店内(双葉達が魔法を行使していた)とはうってかわって、どこか居心地のよい穴蔵のようで落ち着ける雰囲気に変貌していた。
半分くらいの席が埋まっており、見渡す限りテサン騎士の制服。
食事に水をさしてしまったかと申し訳なく思ったが、予想外に奥から親しげな声がかけられた。
「お食事ですか?!」
大机の端に見覚えのある男が立って足をケンケンしている。
どうやら立ち上がる際にどこかへ打ち付けたらしい。
「君は、テッツ・ローディアといったか」
「覚えていただけているとは光栄です! あの、よかったらこちらへ?」
構わないのか?と首を傾げてからクロスはのそりとテッツの隣に腰をかけると、なぜか周囲では低いどよめきがあがった。
とりあえず、「お前の来るところではない帰れ」などの言葉がかからなかった事にクロスは安堵した。
別の男が厨房の方に顔を突っ込んで「マァナちゃん! 客! 新規だからメニュー表探して!」と声をかけていた。
「はーい」というマァナの声がした。クロスは何故かそれだけで心が凪いだ。
厨房からひょっこり姿を現した娘は店内の薄暗さのせいか、色素の薄い髪や白い肌が発光しているように見える。そしていつものように顔芸を披露してきたのでクロスは目じりを甘くしてよけい熱心に見つめてしまった。
「おーい、マァナ……固まりすぎだ。早く注文とらないと」
テッツが手招きすると、マァナは体を硬くしながらクロスの元へ歩いてきた。
「いらっしゃいませ……」とたどたどしく挨拶をしてメニューの板を差し出してきたのだが、それを見ると今度はクロスの体が固まった。
それは双葉亭ならではの素っ頓狂なメニューのせいだった。
花模様が飛ぶ板に白い文字が細々と書き連ねられている。
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双葉亭の夜 パンはウルゲン屋さんから直送。五個までご自由にどうぞ
『肉焼き野菜付き』 当店では生野菜はお出し致しません。茹で野菜付。野菜の量指定はできません
『肉蒸し野菜も食え』 鳥肉が主です。蒸し野菜付。野菜の量は指定できません
『魚だらけ焼き』 料理人がダラけて焼いたわけではなく魚ばかりを焼いたものです
『野菜肉もついている』 茹で野菜が主体です。節制中の方へおすすめ
『大きな卵焼き』 卵三個使用です。ふわふわです
『小さな卵焼き』 卵一個使用です。小さいくせにふわふわです
『酒』 飲みすぎにご注意。たまに果実酒が出ますがお値段かわりません
『木の実炒めすぎ』 木の実を硬くなるまで炒めすぎたのではなく、大量の意味です。あたたかいままお出しします
『チーズ』 まるっとお出しします。お向かいのチーズ屋さんから直送です
『豆茹で炒め』 豆を茹でた後に炒めたわけではありません。茹でたのと炒めたのを二種類お出しします
『ロイのお気に入り肉』 お肉が時価です。要相談
『ヘッダーの微妙味覚煮物』 不思議な味がお好きな方に。残こすと料理人がこのメニューを廃止しようとしております
『シュレクのちゃんちゃら野菜焼き』 お酒のつまみに最適です。甘辛いタレ付。野菜が苦手な方も気軽に食べられます
『夜の労わり一品』 最近食べ過ぎの方へ。
『たまには甘いものをどうぞ』 疲れた時は甘いものをお勧めします。たまに果実漬けが添えられます
『さっぱり定食 夜版』 さっぱりです。甘辛いお肉のそぼろつき。卵とじにもできます
新メニュー
『てきとーな定食』 コレといって食べたいものが定まらない方に。試作料理が出される場合がございます。ご感想を頂けるとうれしいです
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無言でクロスは板の裏も見た。こちらは朝メニューのようだ。
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双葉亭の朝 全てに卵付。ゆで卵、炒り卵選べます。半熟はできません
『双葉亭の焼きパン』 なにかしらおかずが付きます
『頑張る日の応援定食』 朝からがっつり食べたい方へ。パンはウルゲン屋さんから直送。五個までご自由にどうぞ
『食べ過ぎた次の日定番』 鳥肉と野菜スープです。パンは五個までいいですが、そんなに食べるとお腹が重たいのは治りませんよ?
『朝のさっぱり定食』 さっぱりです。すっぱい実付
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どちらの面も書いては消した跡があった。何度も改変しているらしい。
クロスはところどころで吹き出しそうになりつつ、一通り目を通して顔をあげるとマァナの食い入るような瞳とぶつかった。それどころか、店中の客がクロスをうかがっていた。
「あの、クロス団長、ここのメニューはあまり深く考えない方がいいですよ?」
どうやら周囲が不安になるほど長い時間メニューを見ていたらしい。
できるなら持って帰って考察したいくらいだと思った。
「肉焼き野菜付き、大きな卵焼き、酒、豆茹で炒め、チーズ、たまには甘いものをどうぞ、でお願いする」
淡々と流れるような注文にマァナはひとつ頷いて厨房に戻ったが隣のテッツは少し心配そうに耳打ちしてきた。
「ここ、量がはんぱないんですけど……大丈夫ですか? あと、今日は何にでもキノコが添えられてます」
「そうか。わりと食べる方なので大丈夫かと思うが。手伝ってもらう事になるかもな」
「それは喜んで」
話している間に再びマァナが厨房から出てきて、そのまま店からも出て行ってしまった。
訝しげにクロスがその様子を目で追ってしまったのでテッツが理由を告げた。
「チーズの注文が入ったからですよ。お向かいにマァナが買いに行くんです。チーズ室から本当に直送です。大の男の手の平サイズがきますよ。パンに肉やら野菜やらと挟んで食べたら美味いんですよ」
クロスは笑いそうになって口を覆っていた。「直送……」とつぶやく声が柔らかく揺れていた。
ほどなくしてチーズがクロスの前に、でん、と置かれ、そっとナイフも渡された。
言われたとおり大きかったのでクロス自ら薄切りにして周囲に配ると、どうやら普段はありつけない食材だったらしく大騒ぎになる。
チーズを切り分ける自分の手元を最初から最後まで少し離れたところからマァナが見つめていたのに気づいていたクロスは最後の小さな一切れを娘に与えることにした。
ちょいちょい、と手招きをするとマァナはすぐに寄って来て、満面の笑みで口にほうばった。
なんと遠慮のない可愛い生き物なのだろうかとクロスは思った。
その他の料理もたいそう美味しかった。
肉は丁寧な下味が付いていて、茹でた野菜によく合った。
豆は予想外に一粒が大きくて食べ応えがあったし、卵焼きはふわふわと優しい味がした。
そして大机の真ん中に盛られているパンはしっかりと五個食べた。
料理を次々運んでくるマァナの盆に次々支払いをするのも楽しかった。
いちいち満面の笑みが返ってくるからだ。
「……つ、つられて食べ過ぎた」
「俺も……なんで一品追加したんだろう……」
「ヴァンとタメはれるよクロスだんちょー……」
クロスの周りは飲み潰されるではなく、食い潰されていた。
当の本人はいつもどおりの淡々とした表情で最後の甘いものを口に入れていた。
クリームの乗った焼き菓子で、果実漬けが添えられている。
マァナが持ってきた果実漬けの瓶は補佐官にさりげなく、まるっと奪われたのでようやくありつけた気分になっていた。
「マァナ、今日はもういいから行ってきな」
クロスの食事が終わる頃、厨房からマァナが押し出されてきた。
「え、え、厨房の掃除するよー」
すぐにまた厨房に入るが再び押し出されてきた。
「あんたの部屋でも使いな!」
「部屋っ!?」
「他でやったら覗かれるよ」
「やる!? なにを!?」
「……話をするんだろ。他に何するつもりだいあんたは、まったく」
双葉は気を利かせてくれたらしい。クロスがここに来る理由はマァナしかない。
すごすごと娘はやってきて小刻みに震える指で上を指した。
クロスはこれ以上娘を辱める趣味は持ち合わせていなかったので、すぐに席を立ち、娘と共に店を出た。
双葉亭の二階に上がるには道が二つある。
ひとつは厨房直通なのだが、お客様を厨房に入れるわけには行かないので、もうひとつの方、外階段から直通をマァナは選択した。
店先のランプをひとつ慣れた手つきで拝借し、庭の方へ回る。
二人は無言のままお互いの存在を意識しつつ階段を上がっていった。
店の賑わいがとても遠くに聞こえた。
「なぁ双葉ぁー……マァナってチーズが好物だったのか?」
厨房に顔を突っ込んでテッツが尋ねると「そうだよ」と至極簡単な返事が返ってきた。
普段、客から何も貰おうとしないマァナの今日の行動に騎士達は動揺していたのだ。
厨房から双葉が一人出てきた。
「まったく、好物に気づかないあんたらの鈍さにゃ驚きだね。今までだってたまにチーズの注文が来るとじーっと見てただろう?」
「気づかなかった」
「あのこねぇ、意外と食い意地はってんだよ」という双葉の言葉でその日の営業は締めくくられたのだった。




