縁あわせ 10 顔あわせ
クロスは飛び出した。いたずらに様子を伺って娘にこれ以上の心労を与えることは無い。
まずは一人、手近な男の首筋めがけて勢いのままに体を回転させ、足を振り切った。揺らし千切った緑の葉が地面に到達する前に男を撃沈させることが出来た。割と屈強そうに見えた男だったがそうでもないらしい。
力加減を誤ったか。まぁ、草も生えているので頭は大丈夫だろう。……頭は。
首が折れたような手ごたえ……ならぬ足ごたえもなかったので気を取り直してもう一人の男を視線に捕らえる。男はすでにかなり下がって間合いを取っていた。
反応が早いな、と嫌な予感がした。
普通こういう場合は頭に血が上って食って掛かってくるか慣れていないなら呆けるのが定番だ。なのに男は間合いを取り、右手を無造作にかざした。手のひらには小さな赤い模様。
陣図……魔術師だから距離をとったか。
クロスはソレを見慣れていた。『陣図』は魔術の発動媒体。それを体に刻むことで簡易魔法なら瞬時の発動を可能にしている。
やっかいなことに男の手のひらには火球が出来上がっていた。
それをいやらしいほど満面の笑みでもって投げ放ってくる。
燃え広がりでもしたらどうするつもりだ、あの顔! これだから魔術師はーー!
獰猛に歯をギシリと噛み合わせつつクロスは火球めがけて身を乗り出した。
右腕を後ろに引き絞り、片足で地面を踏み込んで前のめりに飛び上がる。火球の弾道を見計らい、左腕をかいて上体をひねる。
その一連の動作で生ずる力を右腕に乗せ振りぬいた。
火球はクロスの右手の平によってドゴッという音と共に叩き落とされた。迷いの無い流れるような動きだった。草に焼き色はつけたものの地面を多少えぐった程度で炎は霧散した。焼けた香りが魔術師の男に届いたかは定かではない。なぜなら、火球を叩き落した次の瞬間にはもう、男の腹にはクロスの拳がめり込んでいたからだ。
木の上にいたマァナはそのほぼ全てを枝葉の陰から目に収めていた。
何か獣が飛び込んできたのだと思った。
あら、という間に男が一人倒れていた。
それから少しも経たずもう一人の男の手の平で炎が渦巻いて球体になった。
魔法!?と思った瞬間にそれは獣の方へ投げ放たれていた。獣はあろうことか飛んでくる火球めがけてその体を大きく開き、身を躍らせた。
未だかつて、あんな動きを見たことが無い。豪快で思わずマァナの心は歓喜の声をあげた。
激しい物が大好きなマァナにはたまらない光景だったのだ。
そしてよくよく見ると獣は人間だった。ツンツンと跳ねた黒髪の頭がくるりとこちらを向いた時、半端の無い既視感に襲われた。
二人の男達でも木の上に隠れたマァナを見つけるのに散々時間をかけたというのに。この男は首のひと仰ぎで見つけた。枝葉の隙間をぬうようにして的確に瞳と瞳が絡み合った、というかマァナは強引に瞳を絡ませられた気がしてならなかった。
そこにはいつぞや、行きつけの衣料品店で見たままの大きな男が立っていた。
「もう大丈夫だ。降りろ」
男の低い声が木を伝って登ってくるかのようだった。
大丈夫なものか、マァナは先ほどの男達よりよほど今、下に居る男の方が怖い。何故だかわからないが全てを持っていかれそうな気がするのだ。
帯刀しているので騎士だとは思った。最悪な状況から彼が助けてくれたことも理解していた。だが体がすくんで動けない。
娘が降りて来ないのをみてとると「降りられないのか」とつぶやき、男は靴を脱ぎ捨て木に足をかけた。
マァナは登りにくい木を選んだつもりだった。現に、追い掛け回してきた男二人は登って来れなかった。下の方には足がかりが少なく、上に行くほど細かい枝があって行く手を阻むはずだ。
娘として成長しきれていない小さな体だからこそ登れた木。
そこに男はガシリと組み付いて登り始めた。上の細かい枝はバキバキと難なく手折ってしまう。
目の前の太目の枝がバキリと音を立てて割れたと思った瞬間、目の前に男の顔があがってきた。
娘は顔芸を披露していた。
白い肌は赤く色づき、瞳が落ちそうなほど見開き、口は「ぎゃー」の形で音をこぼさず静止。
彼女の周りの空気がビリビリしていた。
初対面の時の顔と寸分たがわぬ顔芸にクロスは吹き出しそうになった。
実際には目元が少し緩んだにとどめたが、その表情の小さな動きに娘はビリビリ空気を少しおさめた。
それを見逃さず、クロスは娘の腰に片腕を巻きつけた。
「!!おりりゃれます!」
かんだ!
「……足を怪我しているようなのでこのまま降ろす」
有無を言わせない言葉と力でマァナの体は宙に浮かされた。
もう、木の代わりに男にしがみつかざるを得ない。
今まで激しく動いていた男の体は木の上で長い時間を過ごしていたマァナには熱すぎた。
他人の体温が遠慮なくしみこんでくる感覚に激しく戸惑い、けれどもひどく安心した。
逆にクロスの方は背に冷や汗が流れていた。易々と片腕に抱えられる小さなこの娘が男二人の危険に晒されていた事実に今頃焦り、そして焦ったこと自体に驚いた。
最善は尽くしていたというのに、この娘だったと知った今、最善以上が自分にはあったという想いが強かった。
お互い反対の熱気と冷気を帯びながら一塊になって地面に降りた。
途中、かなりの高さから飛び降りたがその衝撃の全ては男の体に吸収されたようだった。
ゆっくりと青々した下草の茂った場所へ娘を降ろそうとすると何故か急に激しく嫌がった。
いつの間にか娘の手は男の肩口の布を握り締め、襟元に顔を押し付けてくる。
小刻みに震えていた……嗚咽がひとつこぼれると、関を切ったかのように静かにしゃっくりあげ始めた。痛々しいほど声を殺して。
「ぅえっ……えっ……」
襟元が湿っていくのを感じながらクロスは伸びている男二人を睨み付けていた。
娘に対して魔法を使わなかったことだけは褒めてやろうかと思っていたがそんな気持ちは霧散した。
思えば先ほど背を流れた冷たい汗は予兆だった。
クロスは縋り付いてくる小さな生き物に心を完全掌握された事を悟った。
戦いの中で命のやり取りを繰り返してきた自分が持つ感情としてはとても滑稽だと思いつつも否定することは出来ない。
愛しいと想う心はいとも簡単にクロスの中心に収まった。彼女を何も知らないというのに。
いくらか泣いて、マァナは我に返った。
もう、来年には成人する女性なのにこの大失態!
恥ずかしくて顔を上げられない。
足に冷たい草があたっている。先ほどまで立っていたはずがいつの間にか座っているようだ。
あろうことか男の膝の上に。このまま「ひっくひっく」と声でも出して誤魔化すべき?――などと本気で考えていると、男の方がそっと喋りかけてきた。
「靴は?」
傷ついた上に泥にまみれた素足を見られているのかと思うとマァナはさらなる羞恥にのぼせそうになった。右の靴は森を走ってる時に脱げ落ちて、左の靴は木に登る時に自ら脱いだ。説明したいがどうにも口の中がカラカラに乾いて言葉にならない。
男の方はたいして返事を期待していない様子で、無造作にマァナの右足首を掴んだ。
突然激痛がマァナを襲った。
「あたー!?」
思わず声が出て勢い顔を上げてしまった。涙も吹き飛んだ。
「ひねったか」
至近距離に淡々とした男の真顔があった。どぎまぎするマァナをよそに今度は手を取った。
「この赤いのは血ではないのか」
この一言でマァナは一気に現実世界に連れ戻された。
口に紅を塗りたかったのはなんのためだったか――
「あたしっ、帰らなくちゃ、縁あわせをするのっ」
慌てて男の膝から離れようと身をよじるが、硬い腕はびくともしない。
「今している」
娘を逃さず男がぽつりと言う。
混乱の度合いが増すばかりの相手の目をじっと凝視しながら言葉を続ける。
「君はマァナ・リードだな。私は君の縁あわせの相手クロス・ハガードだ」
マァナはへなへなとクロスの膝に腰を落ち着けた。いろいろと限界が近い。
そこへ畳み掛けるような言葉がかかった。クロスがずっと気がかりでしょうがなかった疑問。
「何故、あの男達の顔は粉まみれなのだ?」
ゆるゆる、倒れている男達の方へ視線を向けると、どちらも前髪に白い粉が付着していて、顔に至っては拭ったためか白く斑になっている。白いお粉の吸着力は驚異的だった。
紅は手に塗って、粉は男達の顔に塗った……このはしたない所業をどうごまかせば……
危機的状況が去った(?)今、テサン北の森は穏やかな空気で満ちていた。
散策日和とは今日のようなことを言う。本来なら緑と土の香を存分に楽しめたことだろう。目の前の縁あわせの相手から立ち上る熱と独特の香さえ無ければ。
思考を右へ左へとふらふらさまよわせつつ、最終的にお化粧は当分辞めようと思ったマァナだった。
とうとう、書き貯めしていたトコに追いついてしまいました。
今後、投稿に時間がかかると思われます。ごめんなさい。




