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桜夜風

夕食を終えて片付け物が済んだ後、誠司君に散歩に誘われた。

最近暖かくなってきたので昼間のお客様が増えてきて、公園の桜はまだ見上げていない。

本当は、青い空に咲く桜を一緒に見たかった。


誠司君が休みの日、私にはお店がある。

お店が休みの日は、誠司君は仕事。

店の窓越し、ひとりで見た桜は幸福の色。

薄い靄のようなその色に、小さく願掛けしてみた。

新しいメニューの評判が、悪くありませんように。

実用的な願いに、桜も呆れてるかも。


夜の公園は静かで、ひとりでは少し怖い。

外灯に白く光った桜は美しく病的で、梶井基次郎の短編なんか思い出す。

「本当に屍体が埋まってたら、困るね」

誠司君は意味がわからないらしく、曖昧に頷いた。

そうだね、梶井基次郎を読む誠司君なんて、想像できない。

私が教室で本を読んでいた時間、誠司君は体育館でバスケットボールかなんかしてたでしょう。

近くに住んでいたのに、知らなかった人。

三歳違いの私たちが、どこかで会うなんてこともなかったでしょうけど。


私がコンビニでアルバイトしていなければ。

誠司君が夜のアルバイトをしていなければ。

もっと前、私があの時結婚なんてしていれば。

誠司君がちゃんと学校に通っていれば。

何かひとつでも違っていれば、私と誠司君が出会うことはなかった。


薄ぼんやりと暗い公園の中を、桜の樹を仰いで歩く。

誠司君が大きく伸びをする。

「満開だな。こんなに近い場所に満開の桜、贅沢だね」

さあっと吹く風に、花びらが舞い始めた。

誠司君の髪にも、桜色がひとひら留まる。


四月初めの風は冷たくて、ポケットに手を入れたまま黙って並んで桜を眺めた。

「桜、綺麗だね」

「今日は月も綺麗だ」

ただこれだけのやりとりをするまでに、どれくらいの分岐点があったんだろう?

たとえば、誠司君が一子さんのお店を担当していなければ。


「肩が冷えてきちゃったね。家に入ろうか」

「お茶入れてくれる?葉っぱは嬉野で、急須も暖めてね」

「それは、プロがやるべきでしょう」

「たまには、他の人が淹れたお茶を飲みたいの」

はらりと舞った桜の花びらを、誠司君が空中でキャッチする。

「よし、じゃあ俺が淹れたお茶の香りが薄いとか、冷めてるとか言わないように」

「言う。言わなくちゃ、美味しいお茶にありつけない」


キッチンでお湯を沸かし始めた誠司君を、ソファに座って待った。

「お茶のご用意をいたしましたよ、お嬢さま」

誠司君が小さなトレーで、揃いの白い湯飲みを運んでくる。

綺麗な水の色のお茶には、ひとひらの桜色。

春の何日かの、特別なお茶。

一口でお茶を飲んじゃう誠司君が、こんなことをするなんてね。

「睦美ちゃんに会わなければ、日本茶は全部日本茶だったな」

誠司君が隣に座りながら言う。

私たちが並んで座っているのは、本当にひとつずつの小さな分岐の果てだ。


「来年は、お花見会しようか。公園にカフェの出前」

「いいね。そうすれば、俺たちも花見ができる」

鬼が笑うような話をしながら、桜の花を散らす風の音を聞く。


fin.


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