アドヴェントカレンダー
「頼んでませんけど」
「クリスマス4週前の日曜日です。今日からアドヴェントクリスマスですので」
アドヴェントクリスマスの意味はよくわからないけど、美味しいパンだな。
オレンジの皮と木の実がたくさんの硬いパンの上に、砂糖の衣が少々。
ただ、切り方があまりに薄い。
サービスだから仕方ないのかなーって思ってたら、向かい側の野暮天が、睦美さんにそれを突っ込んだ。
「こんなに薄く切っちゃ、味わかんない。もっとちょーだい」
睦美さんだってコストパフォーマンスとかあるんだし、こういう図々しいこと言うとこ、嫌い。
結婚して思ったのは、あまりにもスマートさに欠けるってことだった。
ハーモニーの庭では、誠司さんがせっせと冬の花を植えてる。
見習いなさいよ、休日にごろごろしてないで。
「ざんねーん。本日お出しできるのは、それだけでーす」
睦美さんが、いたずらっぽい顔で答える。
「4週間かけて熟成させるのよ。毎週少しずつ香りが深くなるの。それをちょっとずつ楽しんで、クリスマスランチに確認してもらおうって趣旨」
「それって、最後は金出して食えってこと?」
けち。それじゃあ食べにくるね、くらい言えばいいのに。
それに、金出してって言葉が、品がないなあ。
「そうでーす。アドヴェント中の営業の一環。気になるでしょう?どんな風においしくなるのか」
悪びれずに微笑む睦美さんは、商売上手だなあと思う。
いいな、自分でカフェなんて経営して、旦那様とも仲良しで。
こんな人って、きっと今まで努力なんてしなくたって、幸運が向こうから歩いてきたんだろうなあ。
はじまったばっかりなのに、結婚相手に不満を抱くなんて。
この人となら生活できるって思ったのに、一緒に住み始めた途端に欠点ばっかり目について、こんな筈じゃなかったのにって思う。
向かい側に座る人が、どう思ってるのかは知れないけど、失敗しちゃったなー、なんて。
「睦美さんって、パンまで焼くの?」
「パン屋さんの竈借りてね、誠司君にも手伝ってもらって、夜中まで」
なんか、うっかりノロケを聞いた気がする。
「鬼嫁だなあ。誠司さんだって、仕事してるんでしょ?そんなに働かせて」
向かいの席が、余計なことを言う。いちいち失礼なヤツ。
「私が鬼嫁なら、誠司君も鬼婿だからいいの。別にテイク&テイクじゃないのよ」
睦美さんはけろりと言う。
「家族になるって、このシュトーレンみたいなものだと思う。いろんな味が混ざって、それが熟成して、おいしくなる。誠司君が私に不満を言って、私も誠司君に八つ当たりして、そうやって馴染んで深い味になってくの。毎日が歩み寄りで、毎日がすりあわせだもの。それで、人生のクリスマスを待ってる」
そう言った後、睦美さんは照れくさそうに笑った。
「新婚さんだと思って、偉そうなこと言っちゃった。ごゆっくりね」
睦美さんが席から離れたあと、向かいの席と目を見合わせた。
この人も、結婚してからうるさくなった私に、不満は抱いているかも。
それでも、もう結婚しちゃったのだ。
私たちも、混ざって熟成して、おいしくなるのかしら。
「来週も、このパン食べに来てみる?」
「ああ、そうだな。毎週味が変わるんなら、最後まで確認したいもんな」
向かい側の席が、にっこり笑う。
灰皿を持ってきてもらおうとして、気がついた。
ハーモニーの店内は、禁煙だ。
スモーカーなのに私がここに来たいって言うと、彼は必ずつきあってくれる。
そうか、こういうとこは好きだったな。
私の意見を尊重してくれるとこ。
人生のクリスマスがいつになるのか、わからない。
それまでに、不満もやさしさも熟成して、おいしいパンになってるといいなあ。
結婚してから、私たちのアドヴェントカレンダーはもう、開かれているのか。
「睦美さん、このパンの名前、なんて言うんですか?」
「シュトーレン、ドイツのパンよ。アドヴェントの間、少しずつ熟成させて楽しむの」
うん、私たちも、シュトーレンになる。
fin.