49:漆黒の病院
2年14組。
夏休み前の期末試験が近づき、授業内容も試験範囲に沿って進められていた。
「・・・・・・。」
蒼芭は黒板に掛かれた内容をノートに写し、教師の話を真剣に聞いている。
ただ写すのではなく、重要だと思われる箇所にマーカーを引いていく。
後で復習しやすいようにする為だ。
教師の話を聞きながら、朝の事が気になった蒼芭は手を止めた。
今日も登校時にあの病院の前で西島由香と窓越しに会ったのだが、数日前に比べると明らかに元気が無くなっていた。
偶然体調が良く無かっただけだろうか、それとも病状が悪化してしまったのか。
目線を机に落とした時だった。
少し離れた席に座る篠崎から喋り声が聞こえてきた。
「・・・・・・そういやお前、消防士になりたいんだっけか?」
前に座る男子生徒は教科書で隠しつつ、ある雑誌を広げていた。
篠崎が体勢を前に移動させ見てみると、雑誌には一面に巨大な放水塔と虫のような六対の足の機械が載せられていた。
機体の色はオレンジ色でR(RESCUE)と描かれている。
「消防士じゃなくて、レスキュー隊に入ってコイツ動かしてぇんだよっ。」
この巨大な救助用車両に乗りたいというのが本音のようだ。
篠崎はNEWSでこのロボットが取り上げられていた事を思い出した。
日本初の災害救助用多脚車両でBEG-00 RESCUE グラングレイRと言うらしい。
技術をいうものは何時の間にかに進歩していくものだな、と感心する。
ガタンッ!!
突然、誰かが勢い良く席を立つ音が聞こえた。
と同時にクラス全員の表情に縦線が入り、その音がした方向を一斉に見た。
「た、退避っ!!」
教師は教室の扉を指差して叫んだ。
その合図と共に星龍がクラス全員を廊下へ誘導する。
教室には篠崎と、蒼芭だけが残った。
「授業中に何をしている・・・・・・?」
蒼芭は殺気の篭ったオーラを放ちながら、ゆらりと立っている。
「お、落ち着け!な?佐由里っ!?」
顔に縦線を入れながら、篠崎は後退る。
廊下では床に伏せる生徒達を同情の眼で見る、他クラスの生徒の姿があった。
「ま、またかよ・・・・!」
男子生徒は自分の机と荷物の心配をする。
あの二人が喧嘩、いや蒼芭が一方的にキレた時の被害は計り知れない。
備品の机は良いとして、せめて自分の荷物だけは無事を祈るしかなかった。
「か、和!いい加減あの喧嘩やめさせろよっ!」
「む、無茶いわんといてぇ・・・・・ぎゃあああああ!!」
爆発と共に2年14組は砕け散るのだった。
「し、失礼しますっ。」
緊張した面持ちで天河は生徒指導室の扉を開けた。
そこには床に正座させられている篠崎と蒼芭、パイプ椅子に座る3年5組担任の山城炎の姿があった。
山城は生徒指導長でもある。
「来たか、そんじゃ俺は席を外すぜ。
もう十分コイツ等に説教したからな、後はお前達でやってくれや。」
「は、はい!分かりましたっ!」
山城はそう言うと指導室を後にしていった。
天河はてっきり恐師山城から怒涛のような説教を受けるものと思ったが意外だった。
「す、すみません先輩・・・・・・。」
蒼芭は正座のまま土下座をしようとする。
「ど、土下座なんてしなくていいから、それで・・・・・またなの?」
事情を聞く為に、山城が座っていたパイプ椅子に座る。
それに関しては篠崎が反論してきた。
「せ、先輩!俺は被害者だぜっ!」
篠崎は埃だらけだった。
「そ、それはお前が授業中に私語をするから・・・・!」
「あの程度の私語で毎回暴れられたら堪らねぇんだよっ!」
また喧嘩を始める二人に天河は苦笑う。
今回の始末書はどの位になるのだろうか、嫌でも考えてしまう。
篠崎と蒼芭は仲が良いのか、悪いのか、量りかねる所がある。
つまり「喧嘩する程、仲が良い」という事か、と天河は納得し呆れた。
「はいはい!喧嘩はそこまで!」
何時まで経っても口喧嘩が止む気配すら感じられない。
強制的に止めさせる為に、手を数回叩いた。
毎回二人の喧嘩を止めるのも疲れてくる。
山城から説教をするようにと言われたが、この二人には何言っても無駄な気すらしてきた。
しかし、委員長として注意だけはしておかなければ成らない。
「二人共、もう高校生でしょ?特に佐由里ちゃん、何時もはシッカリしているんだから。」
「め、面目ありません・・・・・。」
流石に蒼芭も落ち込んだ。
しかし、何故か被害者だと訴えていた篠崎が彼女を庇い始める。
「・・・・・・・・・何で喧嘩してるのか分からなくなってきたわ・・・・。」
軽い頭痛がしたのか蟀谷を抑えながら天河は立ち上がった。
「それで何時まで正座していろって言われたの?」
「4時限目が終わるまでです・・・。」
室内に備え付けられた時計を見ると、まだもう少し時間がある。
天河はそれまで我慢するようにと言い残し、自分のクラスへ戻って行った。
生徒指導室には篠崎と蒼芭の二人だけが正座で残っている。
「慶、あの子の事なんだが・・・・・・。」
正座のまま、朝気になった事を話した。
「あぁ、あの女の子か、それがどうしたんだ?」
公園で会った車椅子の少女を思い出す。
毎日あの病院の下を通って登校している事を思い出す。
因みに、二人とも正座には慣れているので長時間座っていても平気だ。
「今日会ってきたんだが・・・・元気が無いみたいなんだ。」
「・・・・・たまたま今日は体調が悪かっただけじゃねぇのか?」
そうだと良いのだが、自分も幼少時に同じような経験をしている。
道路から距離はあったが、それでも彼女の顔色は体調が悪いといった生易しい状態では無いと感じる程だった。
「・・・・・・もしかしたら・・・。」
嫌な予感がした。
「・・・・・・・だったら今日は直接見舞いに行けばいいだろ?俺もついてってやるからよ。」
「・・・・・そうだな。」
時計の針は4時限目の終わりを告げようとしていた。
放課後、蒼芭と篠崎は西島由香の病室を訪れていた。
「ごめんなさいね、心配をかけちゃって・・・・・・。」
「いえ、それよりも大事なくて安心しました。」
母親の話では、ここ数日の遊び過ぎが原因で疲労が溜まっていたとの事だった。
ベッドを見ると少女は疲れからか眠っているようだ。
少女の顔を見ると幸せそうな表情を浮かべている。
夢の中でも元気に遊んでいるのだろうか。
蒼芭は彼女を起こさないよう、母親に一礼して病室を後にした。
病室を出ると篠崎が待っていた。
「・・・・遊び疲れか、元気そうで良かったじゃねーか。」
「私の思い過ごしだったようだ。兎に角良かった。」
改めて安堵する。
二人は近くの待合椅子に座り、院内を見回した。
通路には点滴をつけて歩く患者や、リハビリ用カーゴを押す患者、忙しく走る医者と看護婦の姿が映る。
「・・・・・しかし何か妙だ。」
何処にでもある病院の日常なのだが、何か違和感を感じた。
それは篠崎を同じで、霊能者としてこの違和感は見過ごせない。
「病院ってのは生死が入り乱れる場所だからな、多少の霊的エネルギーは感じるだろ・・・・・。」
それだけでは説明できない感覚を病院内から感じてはいる。
しかし、今の段階では何とも言えなかった。
「そうだな。・・・・・そろそろ帰るとしよう、慶付き合わせて済まなかった。」
二人は立ち上がり病院を後にした。
夜となった302号室でまたあの現象が起こった。
眠る少女の上に発生した黒い霧。
その霧がまるで意思があるかのように動き、腕を形成すると少女の体を包み込む。
「う、うう・・・・・・。」
少女は悪夢に魘されるように苦しみ、大粒の汗を流す。
しかし、今回はそれだけではなかった。
霧から無数の手が生え、獲物を探すかのように次々と室外へ伸び始めるのだった。
放課後の部活動が終わると除霊部の仕事も終了する。
同じ寮生である天河、長沢と蒼芭の三人は何時ものように通学路を歩いて帰宅していた。
「も~すぐ~夏休みねぇ♪」
夏休みが待ち遠しい長沢だが、その前に期末試験がある事を覚えているのだろうか。
期末もあの力を使う気満々の彼女には、試験等初めから頭には無かった。
「・・・・長沢先輩は悩みが無さそうでいいですね。」
長沢は何時もの調子だ。
知り合ってから、このテンション以外の彼女を見た事が無い。
「佐由里ちゃん、もしかして生徒指導室での事を気にしているの?」
「あ、いえ、その件は申し訳ありません。次は備品を壊さないように努力しますっ」
余り反省していない蒼芭に、天河は苦笑いを浮かべた。
「なに?佐由里っちの好きな人の話でもしてんのぉ?」
長沢がまるで酔っ払いのように二人に絡む。
「す、好きな人・・・・・!?」
後ろから天河と蒼芭の間に入り込み、両手を肩に回す。
天河はやれやれといった表情を浮かべていた。
長沢は腕を引き、無理やり蒼芭の耳を自分の口に近づけた。
「・・・・・・・・今日、あの子の病院に行った方がいいわよ。」
「・・・え!?」
長沢は直ぐに何時もの調子に戻った。
その言葉は西島由香を連想させる。
しかし、何故その事を知っているのか、自分以外では篠崎しか知らないはずだ。
長沢が占いが得意とは天河から聞いていた。
しかもかなりの的中率らしい。
ただの占いは信用性に欠けるが、「術」としての占いなら話は別だ。
だが、彼女が霊能力者だとは聞いてもいない。
蒼芭は歩きながら先程の言葉を考える。
「・・・・そういえばあの病院、妙な気配がしたな・・・・・。」
右人差し指を顎に掛ける。
病室を出た際に僅かに感じた違和感は篠崎も感じていた。
「あ、あの先輩、少し用事を思い出したので先に帰ってて貰えますか?」
「え?えぇ、分かったけど門限までには戻らないとだめよ?」
夕日が浮かぶ中、蒼芭は二人と別れ、病院へ走り出した。
「志穂さん、佐由里ちゃんに何か言ったでしょ?」
長沢は否定する事無く、あっさりと認めた。
「まぁね、まっ今日門限で帰れるか帰れないかは佐由里っち次第かな。」
両手を頭の後ろに組みつつ足を進める。
「帰ってこれないって、佐由里ちゃんが危ないんじゃ!?」
「んーだから私達「六学ゴーストバスターズ」の で・ば・ん。」
楽しんでるなこの人と呆れる天河だった。
辺りを照らしていた僅かな日の光も消え、時刻は20:00を回っている。
気のせいだろうか病院の辺りに人気が全く感じられない。
この通りはそれなりに大きく、今の時間帯でも普通に人通りはあったはずだ。
神刀を握る蒼芭は、5階建ての病院を見上げた。
「・・・・おかしい、どの病室の窓も明かりがついていない・・・。」
一つも明かりが点いていないのは明らかに不自然だ。
停電の可能性も考えられるが大きな病院が簡単に停電するだろうか。
もし、そうだとしても補助発電に切り替わり数分と経たずに電力が供給されるはずだ。
だが、何時まで経っても電力が復旧する気配はない。
何かが院内で起ったと考えるのが自然だ。
少女の病室も明かりが点いていない。
これではまるで廃病院だ。
蒼芭は院内に入ろうとガラス製の自動ドアを通ろうとする。
しかし、電気が戻っていない為に反応しない。
「・・・・ならば破壊するまでっ!」
神刀を抜き、抜刀と同時にドアを斬り付ける。
ガラスには大きく斬り傷が走り、音を立てて崩れ落ちた。
院内に入ると、やはり照明が落ちている。
病院全体の電力が落ちていると考えて間違いなさそうだ。
それと同時に感じた邪悪な気配。
前回感じた違和感は気のせいでは無かったのだ。
蒼芭は靴を入れる大棚を見た。
そこには沢山の靴が入れられ、その分のスリッパが減っている。
夜とはいえ20時を回った程度、緊急外来もある病院に大勢が残っていても不思議ではない。
不思議ではないのだが、暗いロビーを見回しても人の気配はなく静まり返っていた。
少し奥へ進むと床にはスリッパが一つ無造作に転がっていた。
誰かがさっきまで履いていたのか、何時もは受付がいるカウンター、その奥にあるナースステーションにも人の気配はない。
「・・・・照明の無い中を進むのは危険か・・・。」
ロビー辺りまでは僅かな街灯の光で何とか見る事ができる。
その先からは完全な闇が口を開けて蒼芭を待っている状態だ。
少女が心配で直ぐにでも駆けつけたいが、此処で焦っても仕方が無い。
それに院内にいる筈の人々が無い事も気になる。
先ずは照明を確保しなければ成らない。
蒼芭は何度か此処を訪れた時を思い出す。
何処かに防災具が入れられた四角形の箱が壁に提げられていた。
災害時に使う物なので、直ぐ目に付く場所にあるはずだ。
ロビー内を見回す。
異常な状態にも関わらず荒れたような形跡はない。
待合席には受診しにきた患者達の荷物が置かれている。
停電し、居たはずの人たちが突然姿を消した感じだ。
暫く探索すると、近くの壁に設置されている事に気付き手に取った。
「・・・・よし。」
防災具が入った入れ物から懐中電灯を取出し、スイッチを確認する。
このライトは乾電池とハンドルを回して充電できるタイプで長時間の使用にも耐えられる。
今いるカウンターの右から奥へ長い通路がある。
この通路に診察室や薬品室等が向き合うように配置されている。
通常ならエレベーターを使って3階へ直行出来るが、今の状態で動くとは思えない。
緊急時に使用する階段があるはずだ。
その標示をライトを当てながら探す。
「・・・・あれか、奥の通路突き当たりにあるみたいだな。」
天井に「←非常階段/非常出口→」と表示された点灯していない標識を見つける。
矢印と出口を考えるとカウンターの奥に非常階段があるようだ。
蒼芭は進行方向にライトを当て奥を確認する。
通路にはキャリー車等がそのままで放置されていた。
ついさっきまで誰かが押していたのだろうか。
荷物をカウンターの上に置き、スカートの上から巻いた腰布に刀を差す。
ポケットから紐を取り出し、長い髪を纏め、額当てを勢いよく付けた。
目指すは階段を上がって3階、302号室。
蒼芭は懐中電灯を取り、闇に包まれた通路を進み出した。
無造作に置かれたキャリー車をどかして前に進む。
通路の両側には様々な部屋があるが、今は関係ない。
突き当たりの非常階段には問題なく辿り着く事ができた。
蒼芭は階段の上を照らして様子を伺った。
異常なまでの静けさが、不気味さを増大させる。
このまま階段を上がれば3階に着くはずだったが、2階に来て問題が起こった。
3階に続くはずの階段は、2階で途切れていた。
標示を確認すると非常階段は5階まで続いていなければ成らない。
「・・・・一体どうなっている・・・・!」
3階へは他の場所に設置されているのだろうか。
しかし、それでは非常階段の意味がない。
どうするか、考えていた時だった。
静寂が支配する2階に、何か車輪か何かを押しているような音が響いてきた。
「・・・・・!?」
音がする方向にライトを向ける。
左親指で刀の鍔を押し上げ、警戒態勢を取った。
金属同士が擦れるような高い音は一定間隔で響いてくる。
その金属音は確実に近づいている。
音は通路が交差する十字路から聞こえる。
「・・・・右か・・・左か・・・。」
コンクリート製の壁に音が反射し、どちらから来ているのか判断ができない。
懐中電灯を左手に持って右手で抜刀する。
近づく音が更に大きくなった。
あと数秒で角から姿を現すタイミングでその音が止まった。
音の大きさから姿が見えてもおかしくない。
それがなぜ急に音が止ったのか。
「・・・・・・・・・・。」
蒼芭は臨戦態勢を崩さず正面に集中する。
どちらの角かはまだ分からないが、何者かの気配が感じられる。
此方から確認するのも手だ。
だが、状況を把握し切れていない状態で迂闊な行動は取れない。
とはいえ、早急に3階へ進みたいのも事実。
せめて階段の場所が分かれば強行突破できるのだが。
「!!?」
左右の角にライトを交互に当て様子を伺っていた蒼芭の手が止まった。
右の角に何かが映った。
それは。
白く変色し、変わり果てた男の顔だった。