45:双雨の亡霊
「・・・・・・・・。」
天河は俯いたまま沈黙を守っている。
神楽坂は彼女に近づこうとした。
「・・・・・来ないで。」
呟くように小さな声で言った。
顔はまだ俯いたままで、その表情を読み取れない。
「・・・・・今、何て言ったんだ?」
何かを言ったようだが、神楽坂は聞き取れなかった。
天河は続けて呟いた。
「・・・・・こんな身近にいたなんて・・・・。」
脱力していた彼女の両手がゆっくりと閉じ、拳を作り出した。
その拳に力が入る。
薄暗い空からは雨が降り始めてきた。
また大雨になる可能性が高い。
神楽坂は天河に屋内へ戻るようにと促しに更に足を進めた時だった。
「・・・・・近づかないでっ!!」
「!?」
俯けた顔を真正面に向け神楽坂に叫んだ。
目には今にも頬を流れそうな大粒の涙が蓄えられている。
彼女の言葉に神楽坂は動きを止める。
状況が読めないなか、雨脚はゆっくりと加速し地面を濡らしていく。
「ど、どうしたんだよ・・・・?」
「貴方達が・・・・お父さんを殺したんでしょうっ!!」
彼女の両手拳は怒りに震え、神楽坂を鋭い目で睨んだ。
「殺した?・・・・俺達が・・・・?」
勿論そんな覚えは。
・・・・一つだけあった。
神楽坂の頭にあの出来事が甦る。
自分達を守る為に一人の男が犠牲になった。
もう少し早く、あの場所に来ていれば彼は命を落さずに済んだのだ。
しかし、それが天河と一体何の関係が有るのか分からない。
彼女は最後の追い討ちを掛けた。
「答えて!双雨の亡霊っ!!」
「!?」
神楽坂は動きを止め、両目を見開いた。
天河は胸に下げた聖架を右手に持ち、水平に上げる。
「ま、まて天河・・・・・俺達はっ!」
天河の右手の平からは聖架を媒体とし、霊気が急速に集まっていた。
あの構え、神楽坂は見たことがあった。
そう、あのお節介神父の術だ。
同時に重大な事に神楽坂は気づいてしまう。
「ま、まさか・・・・・・・。」
「・・・・私の父の名前は「修司」。双雨の亡霊に殺された「天河修司」よっ!」
左手を右手甲に添え、収束させた霊気を神楽坂に向かって撃ち出した。
神楽坂はその事実を受け入れる事に時間が掛かり、彼女の攻撃を避け損ねる。
「ぐっ・・・・・。」
霊弾は神楽坂の左肩を掠りシャツが破れた。
神楽坂は右手で血が流れる左肩を押さえよろける。
間違いない、この術は天河神父が使っていたものだ。
天河は涙を流しながら構えていた。
「どうして・・・・・?どうしてお父さんをっ!!?」
「待て!話を聞いてくれ!」
何とか話を聞いて貰おうとするが、彼女には届かない。
天河は本気だ。
自分を狙い、次々に撃ち出される霊弾を回避するのも限界がある。
「・・・・・っ!」
彼女は回避する地点を予測し攻撃してくる。
ついに回避しきれず、霊剣「破砕魂」を抜き霊刃で弾いた。
「・・・・その霊剣。」
破砕魂を抜いてから攻撃が止まった。
彼女の言葉に、神楽坂は右手に握った破砕魂を見る。
この霊剣は神父から受け継いだ形見だ。
「破砕魂」と言う名も神楽坂が付けた名前である。
「こいつは・・・・天河神父から・・・。」
「お父さんから奪ったんでしょうっ!」
再び神楽坂に向かって霊弾を撃ち出す。
「だ、だから話を聞いてくれっ!」
霊弾は神楽坂を容赦なく襲う。
二人のやり取りを見物するかのように一匹の蛙が姿を現した。
赤黒い体と蛇の様な身体を持つ蛙だ。
<ククク・・・・面白くなってきた・・・・。>
その蛙は只の蛙ではない。
中位魔族であるオルボロスが化けた姿で、敵に気付かれないようにする事ができる。
オルボロスは口を歪め笑っていた。
天河の攻撃は続き、神楽坂は防御に徹している。
雨で濡れたアスファルトの地面とは違い、凹凸の無いコンクリートの地面は神楽坂の足を滑らせ動きを鈍くさせる。
天河はその隙を逃さない、足を取られた瞬間を狙って霊弾を撃つ。
「・・・くっ!」
回避が出来ない時は破砕魂で弾き攻撃を防いだ。
時間だけが過ぎていく。
「・・・・どうして反撃してこないの?」
天河は構えを解き、両腕をだらんと下げた。
父親をその手に掛けた憎むべき相手。
しかし、心の何処かで非情になり切れない。
神楽坂はそれを否定している。
自分の知らない真実が有るのではないか、という期待から攻撃の手を緩めたのだ。
しかし、それでは貯水タンクから見ていたオルボロスは面白くない。
揺れる天河の心に対して精神干渉を加えてきた。
<どうした?お前の父親への気持ちはその程度のものだったのか・・・・?>
「・・・・!?」
あの日の光景が甦る。
雨の中、血を流し倒れた父を見下すかのように見ている二人の少年。
思わず手に持っていた折り畳み傘を地面に落としてしまった。
音に感付き、こちらに振り向く背の低い少年の顔は。
神楽坂だった。
<そうだ、あの男がお前の父親を殺したのだ。・・・・許していいのか?>
「・・・!?」
心臓がドクンッと大きく鼓動した。
天河は構え直し、神楽坂に向かい走り出した。
接近戦となれば、かなり不利になってしまう。
天河は至近距離であの術を放つつもりだ。
これでは破砕魂で防ぐ事はできなくなり、回避も難しくなる。
どうする?
神楽坂は初めから決めている。
自分達のせいで父親を失い、深く傷付かせてしまった彼女の叫びを避ける事はもうできない。
貯水タンクから見ていたオルボロスは顔を歪ませ身体を変異させていった。
そして。
「・・・・・・!?」
自分の攻撃が神楽坂に当たる瞬間、目を閉じていた天河はゆっくりと目を開けた。
そこには口元から一筋の血を流し、奇襲を掛けてきたオルボロスの一撃を破砕魂で受け止める神楽坂の姿があった。
「ず、随分と汚ねぇ真似するじゃねぇかっ!」
破砕魂を振り払い、オルボロスは後ろの貯水タンクへ飛び戻った。
<気付いてやがったのか・・・・。>
神楽坂の死角を利用し、二人諸共殺すつもりだったオルボロスの策略は失敗に終わった。
だが、彼女の攻撃をまともに受けた神楽坂のダメージを大きく、その場に肩膝を付く。
「ど、どうして・・・・!?」
自分の手で直接、神楽坂の胸部に触れる。
普通ならば体を覆い鎧の役割をしている霊気が全く無い事を初めて知った。
これでは例え神楽坂といえ、大ダメージは必至だ。
神楽坂はズボンから霊銃を抜き、左腕だけを後方へ向けて引き金を引いた。
金属音に近い音が屋上ドアから響き、反動でドアはゆっくりと開く。
「・・・・逃げ・・ろ。」
天河の左肩に手を起き彼女の体を後ろへ押す。
オルボロスは自分は疎か、天河まで殺すつもりだ。
関係は有るとは言え、彼女を危険に晒しては神父に申し訳が立たない。
天河は戸惑いを隠せない。
何故自分を襲った人間を助けるのか。
どうすればいいのか分からない。
「早くしろっ!」
神楽坂の言葉に何時も余裕がない、それだけあの魔族が危険だということだ。
それに加えて天河からのダメージ。
肺を傷めた神楽坂は数回咳込んだ。
貯水タンクの上にいるオルボロスは本来の姿に戻り二人を見ている。
体の色と蛙と蛇のキメラのような姿は、5m程にまで巨大になっていた。
<・・・何時から気付いていた・・・?>
もう少しの所で二人共々殺せただけに、計画を看破されていた事が気に食わない。
神楽坂は挑発するかのように答えてやった。
「屋上に着た時から薄々気付いてたんだよ。
だが、まさか貴様だったとはな。てめぇも落ちたもんだなぁ?」
ニヤリと笑って見せる神楽坂にオルボロスは憤慨し、長い尻尾で神楽坂を吹き飛ばした。
「がはっ!?」
ダメージにより、体を上手く動かせないまま直撃を受ける。
神楽坂は濡れた地面を滑るように、コンクリートの壁に背中を打ちつけた。
「!?」
横に倒れる神楽坂。
天河はオルボロスを見た。
<お前には感謝している。これで「武神の魂」が手に入り、俺は上位魔族となれるんだからなぁ!!>
立ち尽くす天河に歪んだ笑みを見せる。
「・・・・・・・・・。」
天河はもう一度神楽坂を見た。
壁には激突時に付いた左肩の血が付着し、立ち上がる事ができない神楽坂が映った。
「・・・・俺の事はいい、早く・・・・・・・・。」
自身の事よりも自分(天河)の事を心配する神楽坂は遂に力尽き、気を失った。
本当にこれで良かったのだろうか?
天河の頭にその言葉が浮かぶ。
この男は自分の父親をその手に掛けた。
その報いを受ける事は当然だ。
だが、何故だろうかこの気持ちは。
<気を失ったか、最後の仕上げに教えてやろう。>
今更何を教えると言うのか。
天河はオルボロスに背中を見せたまま動こうとしない。
<・・・・・お前の父親を殺したのは・・・・この俺だよ。>
「!!?」
思わずオルボロスへ振り返った。
<イイ顔だぁ・・・・ゾクゾクするねぇ・・・・・!>
「そ、それじゃ神楽坂君達は・・・・・・・・!」
<本人が言っていただろぅ?自分達では無いと。
それをお前が無視したのではないか・・・・・?>
「そ、そんな・・・・・・・。」
体中の力が抜け、天河は濡れた地面に座り込み雨が降る薄暗い空を見上げた。
何年間も双雨の亡霊だった神楽坂達を憎み続けてきた自分は一体何をしていたのだろうか。
屋上からはオルボロスの笑い声だけが木霊した。