2:40年振りの悪霊
体育の授業が行われていた第一体育館では、ボールが勝手に動き出し、更には宙に浮くといった異常現象が起っていた。
「ど、どうなってるんだ・・・・・?」
男子生徒は、自らの手を離れ自分の目線と同じ高さに浮遊しているバスケットボールに近づいた。
まだ状況が把握できておらず、もしや糸か何かで吊るされているのでは、とボールの上に手をかざしてみるが其れらしき物は無い。
それは無数のボールが浮いている時点であり得ない事なのだが、確認せずには居られなかった。
続いてボールを軽く押して反応を見てみる。
押し出されたボールは慣性の為、ゆっくりと移動していくだけで重力を無視している点を除いて異常は見られなかった。
この現象は一体何なのか、担任である山城ならば何か知っているのではと振り返ろうとした瞬間、男子生徒の視界に凄まじい速度で迫ってくる光景が映った。
「・・・・!?」
直前に体勢を崩した男子生徒は運良く衝突を免れる事ができた。
もう少し気付くのは遅れていたら怪我は免れなかっただろう、だが、これがキッカケとなり今まで浮遊していただけのボールが次々と動き出した。
それはまるで大砲から発射された砲弾のようで速度で館内を飛び交い、暴走した一つのボールが窓に激突、強化ガラスは簡単に割れてしまった。
強化ガラスには鋼線が入っている為に大きな破片が落下してくる事はないが、それでもボールの威力は無視できないレベルだ。
「ま、まさか悪霊!?やべぇ!お前ら今すぐ体育館から出ろっ!!」
事の重大さに要約気付いた山城は拡声器片手に館内にいる全生徒に避難するように叫び、他の教師達も避難を促すが既に遅かった。
この砲弾のような速度で飛ぶボールは生徒達の移動を制限させてしまう、強化ガラスをも砕く威力の前には迂闊に動く事も出来ずに只その場で伏せる事しかできないでいた。
「せ、先生~・・・・」
「!?」
山城の目の前に一人の女子生徒がふらつきながらも助けを請いに歩いてくる。
恐らく恐怖の余りその場に留まる事が出来なかったのだろう、今のところ暴走するボールはある一定の高さから下へは来ないようだが油断は出来ない。
立ったままでは危険だ、伏せるようにと指示を出そうと拡声器のボタンを押そうとした時、彼女の後方に此方に軌道を変えているボールに気付いた。
ボールと彼女との距離は100m程しか無く、山城は拡声器を投げ捨て全力で走り出す。
「おぉおおおおおおおらぁああああああ!!!」
100m程離れているとはいえ、ボールの速度を考えると全力を出してもギリギリが良い所だ。
だが、間に合わなかったでは済まされない、山城は自らの限界を超える為に凄まじい気合と共に猛ダッシュ、彼女に達する前に辿り着き力を込めた右手でパンチング、ボールを弾き飛ばし救出する事に成功した。
「・・・・・・・。」
神楽坂と長緒はこの状況下でも立ったままボールが飛び交う周囲ではなく、ある一点を見据えていた。
二人が見ている場所は館内の丁度中心付近、ただそこだけを正視する。
「な、何してんだよ!早く逃げるんだよっ!」
吉原は伏せた状態で神楽坂の裾を引っ張るが、二人は逃げようとはしない。
一体何を考えているのか理解出来ない吉原だが自分だけ逃げる訳にもいかず、覚悟を決め震える足に力を入れて立ち上がった。
「何考えてんだか知らねぇーけど、お前等が逃げないんじゃ俺も・・に、逃げねぇ。」
「・・・・伏せてた方がいいぜ?」
「う、うるせぇよっ・・・・で、この場に残って何がしたいんだ・・・?」
「・・・・・少し気になってな。」
鋭い目を向ける神楽坂と長緒には人の形をした陽炎が映っていた。
これは二人だけにしか見えておらず、吉原をはじめ他の生徒達にも見る事はできない。
(・・・・・あれか。)
あの陽炎から邪悪な力が放射状に発せられている。
この現象を起こしている原因はあの陽炎に間違いは無い。
二人の視線に気付いた陽炎は目と思われる二つの赤い光を向け、不気味に口を歪めた後、別の何かに気づいたのか向きを変えた。
と、同時に二人の視界に一人の女子生徒が映った。
逃げ遅れかと思われたが、その生徒は首から提げていた小さな十字架を右手に持って陽炎に向けていた。
「姿を現しなさいっ!」
光輝く十字架を掲げ、女子生徒は館内の中心部に向かって声を張り上げた。
その声には恐怖心といったものは無く、神楽坂と長緒以外見えていない陽炎が彼女には見えているようだった。
陽炎がゆっくりと彼女の方を向き、その不気味に光る赤い目を見せた時だった。
<邪魔ヲ・・・スルナ・・・・>
低く、鈍い声が館内に響いた。
この不気味な声は彼女だけではなく館内にいる全員が聞き取る事ができ、それが更に恐怖心を煽った。
十字架を握る手に力が入った。
陽炎は声を発しただけではなく、自らの力を増大させ現世へと干渉させる。
今まで限られた人間にしか見る事が出来なかった陽炎は遂にその姿を現したのである。
それはこの六愿学園に悪霊が現れた瞬間だった。
「な、何なんだよあれはっ!?・・・ってかあんな所に摩琴ちゃんが!?」
吉原の目にも空間が歪んだ先にハッキリと陽炎が確認できた。
陽炎と対峙している彼女は、先程吉原が言っていた女子生徒のようだが、たった一人で悪霊と戦うつもりなのだろうか。
「・・・・・どうするんだ?」
「あの女子は霊能者だろ?・・・・なら俺達の出る幕はねぇさ。」
「・・・・確かに、だが本当にそう思っているのか?」
長緒は彼女が持っている装備に注目する。
彼女は聖銀製の小さな十字架を持っているだけだ、一様に外観だけで判断は出来ないが戦闘に適していないという事だけは間違いない。
恐らく彼女はあの陽炎に力及ばないだろうと長緒は分析していた。
「・・・・・仕方ねぇか、「双雨」は解散したんだけどな。」
「・・・・・ふ。」
神楽坂がこのまま黙って見ている訳が無いと初めから分かっていた長緒は軽く笑った。
「直明、ヘタに動かずジっとしてろよ!」
吉原は無言のまま首を立てに振った。
暴走するボール、更には悪霊と事態何一つ変わってはいない。
現在も未だ多くの生徒達が避難出来ずに館内に留まっていた。
丸腰の神楽坂は壁に立て掛けてあった清掃用のモップを手に取って長緒と共に走り出す。
あの悪霊がボールを操っている事は間違いない、今の所怪我をした生徒はいないがそれも時間の問題だ。
早くあの女子生徒に加勢しなければ成らなかったのだが。
「きゃあああああ・・・!!?」
「!?」
悪霊の強力な波動(衝撃波)を受けたのか、彼女は悲鳴と共に大きく後方へと吹き飛ばされた。
更に凶器と化したバスケットボールが数個、倒れた彼女を襲おうと軌道を変えている事に神楽坂が気がついた。
「そうはさせるかっ!」
神楽坂の体から特殊な力が発生し、手に持ったモップへと伝わっていく。
そして彼女に一番近くに迫ったボールをモップで叩き落とした。
「後ろだ光志・・・・・!」
「分かってんよっ!」
最後に背後に迫った2個目のバスケットボールをフルスイングで打ち返し、ボールはステージまで飛んでいった。
普通ならば細身のモップでバスケットボールを打とうものなら曲がるか折れるはずだが、神楽坂の特殊な力が篭ったモップは曲がる所か、直径24.5cmの7号球をステージの暗幕に直撃させる程の威力があった。
「・・・・・大丈夫か?」
「あぁ、それにしても無茶する奴だな。」
彼女は気絶していたが、大した怪我は無さそうだ。
胸元で光る十字架が彼女を守ったのだろう。
「・・・・・この十字架・・・・。」
「・・・・光志、余所見している場合ではないぞ。」
彼女の胸元からこぼれた十字架に見覚えがあった、それは何処か懐かしさのようなものを神楽坂は感じていた。
だが、長緒の言う通り今は目の前の敵に集中しなければならない。
神楽坂はモップを持ち直し、長緒と共に陽炎を見据える。
<・・・・・オレハまだ生キテイルンダ・・・・・まだ生キテ・・・・・・。>
意味不明な声が館内に木霊したかと思うと、突然、開いていた扉が勢い良く閉まった。
「と、扉が開かない!?ど、どうなってんだよこれ!?」
必死に扉に手を掛け開けようとする男子生徒だが、数人掛かりでもビクともしない。
その直後、空を飛び交っていたボールは役目を終えたかのように重力に引かれ次々に床に落ちていった。
「・・・・いい加減にしろ。お前はもうとっくに死んでるんだ、死して尚生者に迷惑かけるのは止めろ。」
神楽坂はモップの先を陽炎に突きつける。
だが、陽炎は自分が死んでいる事を認めようとしないばかりか、自分が悪霊となった原因は神楽坂達に有ると発狂したかのように言い出した。
「・・・・・既に人格すらも崩壊している、か。最早奴を救う為には一つしかないぞ。」
「奴も何か未練があったんだろうな、・・・・健ちゃんフォロー頼んだぜ?」
「任せろ。」
<・・・・貴様モ・・・オレの邪魔ヲスルノカッ!!>
陽炎は、先程彼女を吹き飛ばした波動を発生させる。
人一人を数m吹き飛ばす威力を持った衝撃波だったが、神楽坂と長緒は特殊な力「霊能力」を見に纏いそれを防いだ。
「・・・・・・こんなもんか。」
気を失った彼女の盾になっていた神楽坂は、彼女の無事を確認する。
波動を簡単に防がれた陽炎は動揺を隠せずにいた。
人格が崩壊し、正常な判断ができない状態でも神楽坂と長緒の力の強さに魂が反応したのである。
圧倒的な力の差を見せ付けられながらも陽炎は再度、波動を発生させようとした。
<・・・・!?>
その瞬間、陽炎の足元が輝き始め光の柱が包み込むかのような形で立ち上がった。
床には一筋の光がある場所から伸びていた。
「・・・・邪念閃昇波。」
陽炎の足元から光の柱を発生させていたのは長緒だった。
長緒は光る拳を床に叩き付け自らの霊力を地面に流し、陽炎の足元から光柱を噴出させ動きを封じていたのである。
<グゥウウウ・・・・・!!>
光の柱の中で何度も体当たりを繰り返し暴れるが、自分の力では破る所か亀裂一つも入れる事ができない。
「できる事なら成仏させてやりたかったがな・・・・・。」
神楽坂は一瞬、陽炎を哀れむかような表情を見せるが直ぐに元に戻りモップを構える。
霊力を帯びたモップは帯電しているような状態になっていた。
「悪霊にゃ容赦しねぇぜ!」
帯霊したモップで振り斬ると同時に断末魔が聞こえた。
その身を二つに切り裂かれ、霊体を維持できなくなった陽炎は少しずつ消滅していく。
「・・・・・・これも運命さ。」
その過程を見届けながら神楽坂は小さく呟くのだった。
陽炎が消滅し、館内に漂っていた邪悪な力は消え去り、薄暗さも元に戻った。
先程まで暴走していたボールは全て地面に落ち、動き出す事はない。
しかし、神楽坂と長緒は険しい表情のままだった。
「・・・・・今のは。」
「・・・・・分からん、直ぐに消えたようだが・・・・・。」
二人は悪霊とは別の力を感じていた。
それは邪悪な力が消えた後に発生し、数秒も経たずに消えたが確かに感じた。
それが一体何だったのかは今となっては分からない。
二人は力を感じた方向をただ見る事しかできなかった。