12:天河のハンカチ
その夜、神楽坂はベンから聞いた話の件で長緒に電話していた。
神楽坂家二階の一室が彼の部屋になっている。
適当に捲られたベッド、本棚の本はバラバラに入れられ、読み捨てたように床に散らばっている。
机も教科書等が置かれているわけでなく変わりに雑誌が広げられているあたり、その性格が見て取れるようだ。
「で、今日の音楽室の件、委員長には話しておくのか?」
『・・・・まだ話す必要は無いと思うぞ。』
「ま、今の状況じゃ何とも言えねぇしな。・・・・あの時感じた力、一体何だったんだ?」
体育館に現れた悪霊を倒した後に感じた謎の力。
一瞬だったが、あれは悪霊の霊気では無く明らかに別の力だった。
『・・・・現状では何とも言えないな。』
「・・・・今、考えても仕方がないってか。」
長緒の言う通り気にしても仕方が無いのかもしれない。
『そういう事だ。・・・・・・それにしても随分とやる気になったな?』
「そうか?」
『・・・・ああ、以前とは大違いだ。』
神楽坂は以前に比べて積極的に関わっている事に気が付いた。
極力、心霊現象には関わらないと決めていたはずなのに気付けば除霊委員会の一員になっている。
単位を盾に取られたとはいえ、進んで委員会活動をしている事に自分でも驚いた。
「俺も表立って力は使いたくはねぇさ、けど俺達の学園に悪霊共が現れるんじゃ仕方ねぇだろ?」
『・・・・まぁな。』
長緒も身に覚えがあるかのように軽く笑って同意した。
積極的になっているのは神楽坂だけではなく、彼自身もそう感じていたのだろう。
『・・・・話は戻るが、「旧資料室」は知っているか?』
「「開かずの間」とか呼ばれてる部屋か?」
長緒は肯定する。
「旧資料室」は、この学園が創立されてからの資料や備品が納めてある部屋である。
もう使う事は無いが、廃棄も出来ないような物が多数納められA校舎の地下一階に存在している。
一部の生徒の間では「資料室から男の苦しむ声が聞こえる」等といった噂もあり「開かずの間」として呼ばれていた。
『・・・・この機会に学園の歴史を調べるのも良いかもしれないぞ。現に最初の悪霊が現れた事を皮切りに連続して霊障が発生しているのも事実だ。』
「確かにな、明日あたり調べてみるか・・・・・。」
言われてみれば体育館に現れた悪霊がキッカケとなり、切り裂き魔、人体模型、そしてベートーベンとほぼ連続して発生している、謎の力よりも寧ろこの異常な現象を調べるべきだった。
40年間という空白自体、有り得ない事なのである。
そして時同じくして女子寮A-410号室。
「ええ、その件ですが・・・・多少の問題はありますねぇ・・・まぁ結果オーライって感じ?♪」
パジャマ姿の長沢は濡れた髪をバスタオルで拭きながら携帯を掛けていた。
室内を見ると天河の姿はない、恐らくまだ浴場にいるのだろう。
「まぁ、あたしの力は大部分が制限かかっちゃってるから断片的にしか分からないのよ。それより志劉センセ?余りあたしに頼ってると山城センセから怒られますよ?♪それにいたいけな女子高生が風呂場から上がったのを見計らって電話なんてセンセもイヤラシイですなぁ・・・フッフッフ。」
相変わらずの軽口だ。
電話口の向こうでは春日が慌てふためいているようで、その様子にニヤニヤと笑っていた。
そこに丁度、風呂から上がってきた天河が戻ってきた。
彼女は長沢の電話の一部始終を聞いていたらしく呆れた顔をしていた。
「は、早かったね摩琴っちゃんっ。」
「志穂さん、からかい過ぎですよ?」
「まぁまぁいいじゃない?スキンシップよスキンシップ!ほらほら摩琴っちゃんも一口生き返るわよ?」
長沢は飲みかけだった珈琲牛乳を天河に手渡して誤魔化した。
「全くもう・・・。」
苦笑いながらベッドの一段目淵に腰を降ろして珈琲牛乳を一口飲もうとした時、それを見計らっていた長沢はニヤリと笑った。
「所で、最近良く神楽坂君と会話しているようだけど?」
「!?」
意表をつかれた天河は危うく零しそうになった。
「・・・ちょ、ちょっと志穂さんいきなり何を・・・!?」
天河は軽く咳き込み、動揺しているようだ。
少しやり過ぎたと感じた長沢は彼女の背中をさすってやった。
「ご、ごめんごめん、ちょっとお姉さん調子に乗りすぎたみたいだわ。けど、彼の事が少し気になってる事に変わりはないっしょ?」
(全くこの人は・・・・・・)
隣に座る長沢は全く悪びれていない。
天河は零れた珈琲牛乳を雑巾で拭きながら心の中で呆れるのだった。
そして翌日、放課後。
除霊委員達は放課後の警備をする為に校内を巡回していた。
学園の歴史を調べる為にA校舎職員室前に来ていた神楽坂は廊下である人物と会話していた。
「今はもう閉鎖されている、生徒会に見つかる前に終わらせろよ?」
空手着を着た大柄の男子生徒は神楽坂にタグ付きの鍵を手渡した。
タグには「旧資料室」と書かれていた。
この大柄の男子生徒の名前は「朝比奈勇誠」
高等部4年生で風紀特別機動部の副隊長を務めている。
「風紀特別機動部」とは、その名の通り学園内の風紀(治安)を維持する為に作られた組織である。
通称「風特機」と呼ばれ、1年から4年生内の武道を経験している生徒で構成されており、状況によっては実力行使も許可されている除霊委員会と同じく独自の権限を持った組織だ。
神楽坂が入学し、歓迎オリエンテーション時に班を組んだ上級生がこの朝比奈でそれ以来の付き合いである。
「ったく、除霊委員会で必要だからと言うから持って来てやったが、本来なら立ち入り禁止だぞ?」
朝比奈は壁に背もたれて太い腕を組んだ。
「あ、ああ。委員長に頼まれて少し調べたい事があってな。」
本来ならば資料室の鍵は持ち出し禁止だ。
その為、風特機副隊長である朝比奈に頼んでいたのである。
因みに委員長の天河に頼まれたという話は嘘だった。
「兎に角、雹牙に見つかったら面倒だ。さっさと済ませろよ。」
朝比奈は神楽坂に釘を差してその場を去っていった。
「・・・・そんじゃ行ってみるか。」
嘘を付いた上に生徒会に見つかる訳にはいかない。
神楽坂は地下にある旧資料室へ向かった。
現在、校舎Aは天河が巡回している、彼女に見つからないように移動しなければならなかったのだが。
「・・・・神楽坂君?・・・・資料室の方に向かってるみたいだけど何かあったのかしら?」
早速見つかってしまう。
本来、神楽坂はC校舎を巡回しなければならないのだが、資料室を調べる為に黙ってA校舎に来ていた。
サボりだと直感した天河は後を付ける事にした。
天河の尾行に気付いていない神楽坂は地下への階段を降りていく。
地下といっても階段を少し降りた正面に資料室の入り口があるといった作りである。
神楽坂は南京錠を開け錆で渋くなった鉄製の扉を開けた。
「汚ねぇなぁ・・・・・」
長い間開かれる事がなかった資料室には大量の埃が積もり、扉を開いたと同時に舞い上がった。
蛍光灯を付けて室内を見回すと鉄製の棚が乱雑に並べられ、資料や備品が入れられたダンボールが置かれている。
神楽坂は室内に入る事を一瞬躊躇したが此処で足を止めては仕方がないと汚れを覚悟して室内に入った。
手始めに近くにあったダンボールを開く。
中身を見るまでの動作一つ一つで埃が舞い、その度に手で扇いだ。
「うぇ、洒落になんねぇ。」
舞う埃を我慢しつつ、手早く調査を進める。
暫くして一枚の古びた紙を見つけ広げてみると「学園見取り図」と書かれていた。
この見取り図が書かれた日付を見ると、今から40年も前の物だと分かる。
此れだけでは学園の歴史は分からない。
しかし、この場に留まる事も限界が近かった。
調査を続けるも止めるも一度外に出て新鮮な空気を吸わなければ、と床のダンボールを跨ぎ体を支える為に棚の支柱を握った時だった。
「・・・・・神楽坂君?」
「!?」
背後から声を掛けられた神楽坂は必要以上に支柱へ体重を掛けてしまった。
「うおあぁああ!!?」
組み立て式の棚は、支柱同士を連結させているボルトが緩んでいたのか体重を掛けた方向へ歪むように倒れ、同時に大量のダンボールや資料、備品等が真下にいた神楽坂を襲った。
「・・・・あ、ああ・・・・」
声を掛けたのは後を付けていた天河だった。
資料室は一瞬にして埃だらけになり彼女の視界を遮った。
「・・・・か、神楽坂君!?」
塵の吸引を防ぐ為にハンカチで口と鼻に当てて、神楽坂がいたであろう場所へ急いだ。
床には大量の資料で埋め尽くされていた。
落下した物で怪我をしていなければいいのだが、床にうつ伏せで倒れている神楽坂を発見し急いで体に圧し掛かる物をどかそうとすると「大丈夫だ。」と言って上半身を起こした。
「っつ~・・・・・一体誰だよ・・・・。」
「・・・・大丈夫!?」
「て、天河!?何だってこんな所に?」
肩を抑え、いきなり声を掛けてきた人物を確認しようとすると心配そうな顔をする天河の姿が映り驚いた。
「私はA校舎担当だったでしょ?それにたまたま神楽坂君を見かけたから気になって後をつけて見たの。」
どうやら自分がA校舎へ着ていた事がバレていたようだ。
立ち上がろうとすると神楽坂を気遣ってくれたのか、天河は自分の肩を貸して資料室の外へと移動し階段に腰を降ろした。
大した怪我は無いようだが神楽坂の顔や制服は埃で汚れていた。
彼はハンカチ等を持ち合わせていないようで汚れたカッターシャツの袖で強引に顔を拭うが、逆に汚れが広がってしまっている。
それを見た天河は無言で隣に座って取り出したハンカチで神楽坂の頬に当ててやった。
「お、おい・・・・。」
「いいからジッとしていて。」
そうは言うがやはり緊張してしまう。
恥ずかしさから自分で出来ると言うが、逆にジっとしててと言われてしまい仕方なく彼女に従った。
顔の汚れが取れていくにつれて彼女のハンカチは汚れていく。
それが凄く申し訳なかった。
暫くして顔の汚れも取れ、天河はハンカチを折りたたんでポケットにしまった。
「わ、悪い・・・・。」
「いいの、いきなり声掛けたのが悪かったんだし。それにしても怪我しなくて良かったわね?」
「まぁ、あれくらいで怪我するような柔な鍛え方してねぇさ。」
両手でシャツやズボンに付着した汚れを叩き落す。
その様子に天河も安心したのか、ここに一体何用だったのか問いかけた。
「それで、こんな所で何をしてたの?」
彼女の質問は当然の事で、神楽坂は本当の事は伏せた上で納得して貰えそうな理由を話す事にした。
「あぁ、天河も知ってるだろ?この40年全く霊障が起こらなかったってさ?」
「え、ええ、それは知ってるけど・・・・?」
「それで、ちょっとこの学園の事調べてみようと思ったんだよ。」
「そうだったの、私も何時か調べて見ようとは思っていたけど。でも今は警戒中よ?」
「そ、それは・・・・。」
注意され神楽坂は苦笑う。
「ほら、いくよ?」
グイッと腕を引っ張って立たせようとする。
まだ調査を終えていなかった神楽坂は資料室を見るが天河に見つかってしまった以上、諦めざるを得ない。
「痛っ・・・・!?」
立ち上がる為に力を入れた瞬間、右足に激痛が走りガクンと膝を折った。
恐らく落下した物が運悪く神楽坂の右大腿部を直撃していたのだろう。
「だ、大丈夫!?やっぱり怪我してたんじゃない!?」
「心配ねぇよ、ただの打撲だ。」
「駄目よ!こんな時に悪霊が出たらどうするの!?直ぐに保健室にいかなきゃ!」
明らかに痩せ我慢している神楽坂を戒めると自分に肩に腕を回させる。
「こ、このくらいで大げさすぎだって!自分で歩けるからさ!」
彼女の肩を借りる事が恥ずかしい神楽坂は柔らかく断るが、そんな事言ってる場合ではないと離してはくれなさそうだ。
仕方なく天河の肩を借りて階段を上っていると、巡回を続けていた朝比奈が姿を現した。
「神楽坂よ、いくら委員会の仕事だとしても遅すぎるぜ。」
「え?」
「や、やべぇ・・・・。」
資料室の鍵を早く返さなければならなかった事を思い出した。
しかも今は委員長である天河と一緒にいる。
「委員会の仕事ってどういう事かな?」
天河はニッコリと笑っているが、どう見ても笑顔の後ろに般若が見えた。
その日は永遠と天河から説教を受けるのだった。