第57話:兵站を舐めるな
教団による完全包囲から半日が経過した。
五千名の聖騎士団は学院を取り囲んだまま、ピクリとも動かない。彼らの狙い通り、外界との物理的な接触を断たれた学院内では、早くも深刻なパニックが発生していた。
「購買部のパンが全部買い占められてるぞ!」
「食堂の倉庫も空っぽだ!毎朝王都から来るはずの食材の搬入が、教団の結界のせいで完全にストップしてるんだ!」
徹夜の大工事で莫大な魔力を消費した生徒たちは、極限の空腹状態で朝を迎えていた。
そこに「外界からの補給が絶たれた」という事実が重なり、学院内で一気に食料の買い占め騒動が勃発したのだ。
育ち盛りの学生にとって、カロリーの枯渇は直接的な恐怖だ。表向きの流通が完全にパンクし、数時間前までのお祭りのような熱気は嘘のように冷え切ってしまった。
「俺たち、一晩中魔法を使ってフラフラなんだぞ……」
「このまま飯抜きで籠城なんて無理だ。教団の言う通り、降伏した方がいいんじゃないか……」
広場に座り込む生徒たちの間に、重苦しい敗北感が漂い始める。
「明日の飯の保証がない」という事実だけで、戦う前に士気を完全にへし折り、内部からの崩壊を誘うことができる。それが、歴史上何度も繰り返されてきた城攻めの基本にして最も残酷な最適解、兵糧攻めだ。
私が被害状況の試算と、学院に残された備蓄の最低限のカロリー配分を計算し始めようとした、その時だった。
「くくっ……あははははっ!」
突然、広場の中心でリックが腹を抱えて笑い出した。
絶望的な空気の中で響き渡る不敵な笑い声に、生徒たちだけでなく、私やアリスも驚いて彼を見る。
「おいおい、お前ら。俺を誰だと思ってるんだ。カルツァ商会の若旦那様だぞ?」
リックは胸を張り、呆然とする生徒たちを見回してニヤリと笑った。
「経済と兵站を舐めた奴から戦争に負けるんだよ。ついてきな!」
リックに促されるまま、私たちは第4廃校舎のさらに奥、普段は誰も寄り付かない広大な地下講堂へと足を運んだ。
重い扉を押し開けた瞬間、私たちは言葉を失った。
「……なんだ、これは」
私が思わず呟く。
薄暗い講堂の中を埋め尽くしていたのは、天井に届きそうなほど山積みにされた木箱や麻袋の山だった。保存食の樽、干し肉、大量の小麦粉、さらには予備の魔石や冷却材といった工具類まで、ありとあらゆる物資が所狭しと並べられている。
ざっと見積もっても、全校生徒が数ヶ月は余裕で暮らせるだけの莫大な量だった。
「リック、これだけの物資を一体いつの間に……」
アリスが目を丸くして尋ねると、リックは講堂の奥にある巨大な鉄格子を指差した。
「王都の地下水路だよ。レイが教団と全面戦争になるかもしれないって言い出した時から、最悪の籠城戦を想定して、俺の商会の裏ルートを使って少しずつ運び込ませてたのさ。教団が地上を包囲するよりずっと前にな」
得意げに鼻を鳴らすリック。
情報戦だけではない。彼は商人としてのネットワークと先見の明を駆使して、この学院を真の意味で難攻不落の要塞へと作り変えていたのだ。
「さあ、食え!腹が減っては戦はできねぇ!教団の連中が外で指をくわえて待ってる間に、こっちは極上の晩餐会と洒落込もうぜ!」
リックの号令と共に、地下講堂は割れんばかりの歓声に包まれた。
空腹と孤立の恐怖は一瞬で吹き飛び、生徒たちの目に再び熱い闘志が宿る。圧倒的な物資の山を前に、教団の姑息な心理戦は完全に粉砕されたのだ。
「素晴らしいリスクヘッジだ、リック。君のロジスティクスが、僕たちの最大の弱点を補ってくれた」
「へっ、物理学だけじゃ腹は膨れねぇからな。これで心置きなく、お前の言う星を繋ぐ大砲を撃てるだろ?」
リックから手渡された硬い干し肉を齧りながら、私は深く頷いた。
腹を満たし、完全に士気を取り戻した生徒たちが、メインリングの最終接続作業に向けて再びトンネルへと駆け出していく。
教団の思惑を打ち砕き、いよいよオペレーション・グラビティ・ウェーブの準備は最終段階へと突入した。
(続く)









