第56話:聖戦の布告
夜明けの冷たい風が、ヒルベルト魔導学院の正門を吹き抜けていた。
朝日に照らされた王都のメインストリートを埋め尽くしているのは、白銀の鎧に身を包んだ五千名に及ぶ聖騎士団だった。彼らは一糸乱れぬ動きで学院の周囲を完全に包囲し、幾重にも重なる強固な封鎖結界を展開している。
その大軍勢を見下ろすように、王都の上空には教団の巨大な旗艦である飛行船が滞空していた。
甲板の最前列に立つのは、教団の最高権力者にして総大将、ラプラス枢機卿。彼は眼下の学院を、ひどく冷徹な、そして明確な憎悪の混じった目で見つめていた。
「……神が創り賜うたこの世界は、本来、完璧な時計仕掛けの奇跡に満ちていた」
ラプラス枢機卿が、傍らに控える神官たちへ静かに語りかける。
彼の持つ究極の恩恵、すべての事象の現在位置と運動量を把握し、完全に決定された未来を見通す力。それこそが、神が描いた美しき運命の設計図であると彼は信じて疑わなかった。
「だが、あのレイ・カルツァという男が放つ未知の理屈は、私の視る完璧な未来に予測不可能なノイズを混入させる。無数にある可能性の中から不確定な未来を引き寄せ、神が決定したはずの運命を理不尽に書き換えてしまうのだ」
決定論的な未来を乱す、量子論的な不確定性。
ラプラス枢機卿にとって、あらゆる因果律の予測を裏切るレイの存在そのものが、神の完璧な計算をめちゃくちゃに壊す最悪のバグだった。
「絶対的な法則を乱す自由意志など、この世界には不要。自らの信じる正義と、美しき世界の秩序を取り戻すために……あの異端の魔都を、完全に浄化する」
ラプラス枢機卿が杖を高く掲げた。
次の瞬間、飛行船の拡声魔法を通じて、彼の厳格な声が学院全体へと雷鳴のように降り注いだ。
「迷える魔導学院の生徒たちよ。我々は、神の秩序を取り戻すために来た」
突然響き渡った総大将の声に、徹夜の工事を終えたばかりの生徒たちが次々と校舎から顔を出す。
「君たちは、レイ・カルツァという悪魔の言葉に騙されているだけだ。武器を捨て、その忌まわしい巨大な鉄の輪を破壊し、ただちに投降しなさい。さもなくば、その場所は神の計画に仇なす者として、等しく浄化の炎に焼かれることとなるだろう」
異端の魔都を浄化するという、教団からの絶対的な聖戦の布告だった。
圧倒的な戦力差に加え、物理的な接触を完全に断ち切る封鎖結界の光が、学院を外界から完全に孤立させている。
つい先ほどまでお祭りのような熱狂に包まれていた生徒たちの間に、急速に動揺と不安が広がり始めた。
「う、嘘だろ……教団の全戦力が相手なんて……」
「結界のせいで、外に逃げることもできないじゃないか!」
絶望的な声が広場に響く中、正門近くで監視を続けていた私は、聖騎士団の不自然な動きに気づいた。
「……おかしいな。五千もの兵力で完全に包囲しておきながら、一向に攻め込んでくる気配がない」
私の呟きに、隣で双眼鏡を覗き込んでいたリックが、ギリッと奥歯を噛み締めた。
「兵糧攻めだ。教団の連中は、すぐには手を出してこない気だぜ」
「兵糧攻め……?」
アリスが不安そうにリックを見上げる。
「ああ。力押しで突っ込んでこれば教団側にも少なからず被害が出るからな。あいつらは結界で俺たちを学院に閉じ込め、物資の補給路を完全に絶ったんだ。食料が尽きて、恐怖と飢えで内側から自滅するのを待つつもりなんだよ」
リックの言葉に、周囲の生徒たちの顔色が一気に青ざめた。
圧倒的な武力による包囲網と、真綿で首を絞めるような飢餓の恐怖。戦う前から士気を削ぎ落とし、内部崩壊を誘う冷酷な心理戦。
静まり返った学院に、絶望的な籠城戦を強いられる重苦しい空気がのしかかっていた。
(続く)









