第55話:要塞学院化計画(後編)
地下トンネルに冷たい空気が張り詰めていた。
物理法則を応用した掘削作業が驚異的なスピードで進む一方で、超伝導状態を安定させるための冷却パイプラインの敷設は完全にストップしていた。
生徒たちの氷魔法では温度のムラが大きすぎ、局所的な凍結や破裂のリスクが拭えなかったのだ。
「くそっ、これじゃあ極限の温度管理なんて夢のまた夢だぞ!」
ボブが頭を抱え、私も被害を最小限に抑えるための迂回ルートの再計算を始めようとした、その時だった。
「どけ、素人ども。氷の扱いが温いぞ!」
地下トンネルに、怒号のような低くよく通る声が響いた。
振り返ると、燃え盛るような紅髪を逆立てた大男──かつて私と決闘し、断熱膨張の前に敗れ去った筆頭魔導教官、ガストが立っていた。その後ろには、有志の教師陣が数名控えている。
「ガスト教官……ど、どうしてここに?」
アリスが驚きの声を上げる中、ガスト教官は気まずそうに、しかし真っ直ぐに私を見た。
「教団からの退避命令は無視してきた。勘違いするな、カルツァ。私はただ、お前の言う熱力学とやらが、神の奇跡より本当に優れているのかを、この目で最後まで確かめたいだけだ」
「……歓迎するよ、教官。だが、この極低温の維持は力押しではどうにもならない。精密な温度の……」
「理屈など知るかぁぁぁッ!!」
私の言葉を遮り、ガスト教官が吠えた。
瞬間、彼の全身からオーラのような凄まじい魔力が噴出し、地下トンネルの空気が一気に凍てついた。炎の教官であるはずの彼が、自身の膨大な魔力と情熱をすべて「冷却」へと強引に変換し始めたのだ。
「ムラがあるなら、すべて同じ絶対零度で上書きすればいい!凍ったまま砕けないほど強固に固めればいい!これが私の魔法だ!!」
ガスト教官が杖を突き立てると、生徒たちが作った不揃いな氷のパイプラインが、圧倒的な魔力の奔流に飲み込まれ、均一で強固な極低温の氷柱へと強制的に作り変えられていく。
計算も精密さもない。ただ純粋な魔力量と「意地」だけで、熱力学の壁を強引にねじ伏せていく力技。
「お前たち!私に魔力を合わせろ!気合で冷やせぇぇっ!!」
ガスト教官の怒号に呼応し、生徒や教師たちが泥だらけになりながら、笑顔で限界以上の魔力を注ぎ込んでいく。
徹頭徹尾、合理性と効率だけを求めてきた私は、その光景を少し離れた場所から静かに見つめていた。
「物理法則には存在しない、計算不可能なエネルギーだな」
「え?レイ君、何か言ったかい?」
隣で魔導書に計算式を走らせていたボブが聞き返してくる。
「いや。損得勘定でも恐怖でもなく、ただ純粋な意地と熱気だけで不可能を可能にしていく。情熱という人間の力も、科学的根拠には欠けるが……決して悪くないものだと思っただけさ」
私は異世界に来て初めて、自分の中に芽生えた非論理的な感情を素直に肯定していた。
そして、夜明け前。
情熱と物理法則が組み合わさった徹夜の大工事の末、ついに学院の敷地全体を囲む全周数キロメートルの巨大なメインリング、シンクロトロンが形作られた。第4廃校舎の地下にある前段加速器との接続ラインも完全にロックされる。
「メインリング、冷却パイプライン共にオールグリーン!接続完了だ!」
ボブの弾んだ声が響き渡り、地下トンネルは泥にまみれた生徒と教師たちの割れんばかりの歓声に包まれた。
誰もが互いの肩を叩き合い、完成の喜びに沸き立っている。悲壮感のない、お祭りのような熱気が最高潮に達していた。
しかし、その歓喜の瞬間を切り裂くように、地上の空気を震わせる不気味な音が響き渡った。
ブォォォォォォォォッ……!
「……なんだ、今の音は」
リックが顔を上げ、耳を澄ます。
それは王都の方向から鳴り響く、重く冷たい進軍ラッパの音だった。
私たちは急いで地上へと駆け上がり、学院の正門越しに外の景色を監視する。
朝焼けに照らされた王都の通りを埋め尽くしていたのは、白銀の鎧に身を包んだ教団の全戦力、五千名に及ぶ聖騎士団の軍勢だった。
彼らは一糸乱れぬ足取りで学院の周囲を完全に包囲し、幾重にも重なる魔法陣を展開していく。
物理的な外界との接触が、完全に断たれた瞬間だった。
お祭りの時間は終わりを告げ、神の奇跡と物理学が正面から激突する、最終決戦の幕が切って落とされようとしていた。
(続く)









