第42話:極秘帰還
馬車を休ませ、私たちが王都の近郊へと辿り着いた頃には、既に日は完全に落ち、深い夜闇が辺りを包み込んでいた。
だが、王都の城門前は無数の松明に照らされ、昼間のように明るかった。
「こいつは酷ぇな。蟻一匹通れそうにねぇぞ」
丘の上の茂みから身を潜めて見下ろし、リックが忌々しそうに舌打ちをする。
王都を囲む巨大な城壁は、エーテル教団の聖騎士団によって完全に封鎖されていた。上空には探知用の魔法陣が幾重にも張られ、マナの揺らぎを厳重に監視している。私が魔王に認定されたことによる、国家レベルの包囲網だ。
「正面突破は論外だね。僕の演算でも、あの包囲を抜けようとすれば教団との全面戦争になる。魔力も体力も消耗するし、何より背後から迫っている巨大なエントロピーの塊……あのボスを迎撃するための加速器建造が間に合わなくなる」
ボブが暗闇の中で魔導書を閉じ、冷静に状況を分析した。
手詰まりかと思われたその時、リックが不敵な笑みを浮かべて立ち上がった。
「お上品な騎士様たちは、ドブの臭いまでは嗅がねぇのさ。俺についてきな」
リックが案内したのは、王都の城壁から少し離れた森の奥にある、古びた石造りの排水溝だった。
ファイン商会が関税逃れや、非合法品の密輸にこっそりと使っていた地下水路の隠しルートだという。
「ここからなら、教団の探知網を潜り抜けて王都の地下へ直行できる。ただ、泥と悪臭が酷ぇから覚悟して……」
「問題ない。アリス」
私はリックの言葉を遮り、アリスに指示を出した。
「は、はいっ!」
「流体力学だ。僕たちの周囲に風の層を展開し、外側に向かって常に微風を流し続けろ。匂いの分子と音波の伝播を完全に抑え込むんだ」
「わかりました!空気の壁、作ります!」
アリスがアンテナ杖を振るうと、私たちの周囲の空気が清浄に保たれ、足音も外へ漏れなくなった。
さらに私は、自分たちの質量に対する重力定数を極限まで下げ、足元の泥の抵抗を完全に無効化する。
物理学と魔法を組み合わせた完璧なステルス状態を維持したまま、私たちは暗く長い地下水路を抜け、王都の地下深くへと潜入していった。
数十分後。
水路の隠し扉を抜けた私たちは、見慣れた空間へと辿り着いた。
第4廃校舎の地下深く。かつて先駆者アイザワが建造し、今は私たちが管理している巨大な粒子加速器のフレームが眠る施設だ。
「よし、無事に帰還できたな。すぐに地上の研究室へ移動してミスリルの加工に……と言いたいところだが、レイ様、あのフレームの周り、なんだか空気がピリピリしてますぅ」
アリスが身震いしながら巨大な円環構造を指差した。
長い間放置されていた絶縁体のフレーム周辺には、高圧の静電気が帯電し、青白いセントエルモの火が不気味に揺らめいている。
「ああ。奈落の底で手に入れたミスリルを組み込むためには、アイザワが残したシステムの起動準備シーケンスを走らせる必要がある。だが、それを実行すれば防衛セキュリティとして、あのフレームから即死レベルの静電気が放たれる仕組みになっているんだ」
「そ、そんなのどうするんだよ!近づけねぇじゃねぇか!」
リックが叫ぶが、私は既に準備を終えていた。
「リック、お前に王都へ戻る道中で、倉庫から大量のガラス瓶と金属箔を集めさせただろ。それをフレームの周囲に等間隔で並べておいた」
「ああ、言われた通り並べたけど……あれが何になるんだよ?」
「巨大なライデン瓶……つまり、コンデンサの群れだ」
私はメインコンソールへ歩み寄り、キーボードを叩いて隠しコマンドを入力した。
「王都に向かってきているヴォイド・コアを持つボスを倒すためには、圧倒的な力が必要だ。電磁投射砲、レールガンによる極大の一撃。そのために必要なのは、一瞬で莫大なエネルギーを放出するパルス電源だ」
エンターキーを叩き込む。
瞬間、地下施設全体を揺るがすような轟音と共に、加速器のフレームから致死性の球電現象と雷撃が乱れ飛んだ。
「ひゃあああっ!?」
アリスが悲鳴を上げてしゃがみ込む。
だが、荒れ狂う数百年分の莫大な静電気は、私たちに向かってくることはなく、すべて計算通りに周囲へ配置されたガラス瓶の群れへと吸い込まれていった。
「……Q.E.D.」
私は静電気の嵐が収まったのを確認し、白衣を翻した。
「邪魔な静電気を回収して安全を確保すると同時に、最強の切り札の電源を満充電にする。完璧な一石二鳥だ。さあ、地上に上がるぞ」
私たちはパルス電源の確保を終え、地下施設を後にした。
深夜の静まり返った第4廃校舎の研究室へ足を踏み入れる。窓の外は完全な暗闇だ。
「よし、ここからが本番だ。超伝導コイルを作るためには、このミスリルの結晶の塊を、均一な太さのワイヤー状に引き延ばさなければならない」
私は工作機械に極小の穴が開いたダイスをセットし、奈落から持ち帰ったミスリル結晶を固定した。
「熱は加えない。僕の重力魔法による強烈な引張応力を使って、常温のまま強引に塑性変形させて線引きする。アリス、リック、手伝ってくれ」
私が重力の糸を展開しようとした、まさにその矢先だった。
「レイ君、迎撃態勢を!」
入り口で見張りに立っていたボブが、顔面を蒼白にして魔導書を閉じた。
「未来の演算結果が、外側から強制的に書き換えられている!」
ボブの警告と同時だった。
安全圏だと思われていた廃校舎の深い暗闇の中から、音もなく黒装束の集団が姿を現した。
「なっ……いつの間に!?」
リックが咄嗟に腰の剣に手を伸ばすが、敵の動きは異常なほど洗練されていた。
教団が放った凄腕の暗殺部隊『静寂の刃』。彼らは私たちが地下から上がってくるこのタイミングを完璧に予知し、作業に気を取られる一瞬の隙を、夜の闇の中で静かに待ち構えていたのだ。
月明かりすら届かない廃校舎の中、殺意に満ちた無数の刃が私たちを取り囲んでいた。
(続く)









