第39話 特異点の鉱脈
黒焦げになった巨大艦の残骸を越え、私たちはついに大迷宮の最深部へと足を踏み入れた。
そこは、これまで潜ってきたどの階層とも異なっていた。マナの嵐も、不気味な魔物の気配もない。ただ、絶対的な静寂と、息を呑むような神々しい白銀の光だけが空間を満たしている。
だが、足を踏み入れた瞬間、アリスとリックが喉を掻きむしってその場にうずくまった。
「がっ、はっ……息が、できねぇ……!」
「空気が……重い、です……肺が、潰れそう……っ」
二人の顔がみるみるうちに紫気立っていく。
ここはあらゆる物質が極限まで圧縮される重力の特異点、事象の地平線の底だ。大気の密度が異常に偏り、通常の肺呼吸など不可能な環境圧になっている。
「無理をするな。すぐに環境を固定する」
私は金色の糸の流れから周囲の異常な重力ベクトルを弾き出し、私たちの周囲数メートルにだけ、地上と同じ気圧と酸素濃度を維持する、局所的なドーム状の環境浄化システムを構築する。
「ぷはぁっ!た、助かった……死ぬかと思ったぜ」
リックが荒い息を吐きながら立ち上がる。アリスも胸を撫で下ろして深く深呼吸をした。
「驚くのはここからだ。前を見てみろ」
私の言葉に、二人が顔を上げる。
環境が安定したドーム越しに見えるのは、空間の底を埋め尽くすように群生する、巨大な白銀の結晶群だった。それが自ら発する光で、最深部全体が昼間のように明るく照らし出されている。
「これが……全部ミスリルなのか!?すげぇ、実家の宝物庫でもこんなデカい塊は見たことねぇぞ!」
リックが興奮して駆け寄ろうとするが、私はその襟首を掴んで引き留めた。
「待て。ここは特異点だ。デリケートな重力バランスの上に成り立っている。むやみに叩けば、中層の岩盤の二の舞になるぞ」
私は黄金の糸を通して空間の応力分布を解析し、最も崩落のリスクが低い、安全に採掘できるポイントをいくつか指定した。
「待ってました!」とばかりにリックが駆け寄り、その辺に落ちていた手頃な岩を拾ってミスリルの結晶に力任せに叩きつけた。
ガチンッ!
甲高い音が響き、リックが握っていた岩の方が見事に粉々に砕け散った。
「いってぇ!なんだこの硬さ!こんなの、どうやって掘り出すんだよ。俺の剣はさっき燃えちまって手ぶらだしよ……」
「物理的な打撃で砕けるような柔な結合じゃない。それは硫化水素のガスが地殻変動レベルの重力プレスによって変質した、超高純度のミスリルだ。分子間力が極限まで高まっている」
私は白衣のポケットから、一本の無骨なナイフを取り出してリックに投げ渡した。
「そいつを使え。金属を溶かして急冷凝固させた、アモルファス合金製のナイフだ」
「あもるふぁす……?」
「通常の金属のような結晶構造を持たないから、特定の方向に割れるという弱点がない。究極の靭性と硬度を持つ鉄だ。時間がなかったから、こんな小さなナイフ一本作るのがやっとだったがな。そこに僕の重力魔法で微細な高周波振動を与え、超音波カッターとして機能させる」
私がナイフの刃に金色の糸を這わせると、チィィィン、と耳障りな高音が鳴り始めた。
「ボブ、この結晶群の格子欠陥と劈開面を演算してくれ。どこを突けば一番脆い?」
「了解!右から三番目の結晶の根元、下から十五センチの位置に分子結合の乱れがある!角度は四十五度で差し込んで!」
「聞いたなリック。僕の相殺重力で環境圧を維持する。指定されたポイントに、刃を真っ直ぐに押し込め」
「お、おう!任せとけ!」
リックが背嚢を下ろし、超高速で微振動するナイフを握り直す。
ボブの指示した結晶の根元に刃を当て、体重をかけてゆっくりと押し込んだ。
パキンッ、と小気味良い音が響き、あんなに硬かったミスリルの結晶が、まるで氷を割るように綺麗な断面を見せてポロリと剥がれ落ちた。
「すげぇ!あんなに硬かったのに、急に煮込んだ骨つき肉みたいに簡単に取れたぞ!」
「どんなに強固な物質にも、必ず結合の目がある。物理学と演算の勝利だ。さあ、必要な分だけ回収しろ。加速器のコイルと……お前の新しい剣の素材になる」
「へへっ、違いねぇ!こいつで剣を打ったら、間違いなく世界最強だぜ!」
リックは満面の笑みで、切り出したミスリル結晶を次々と背嚢に詰め込んでいく。
「うひょー!なんか気持ちいいなこれ」
「わ、わたしもやってみたいです……わぁ!ほんとになんだか快感ですね!」
アリスもその光の美しさに目を奪われながら、リックの作業を手伝う。
彼女もまた、切り出し作業の奇妙な感触にはしゃいでいた。
「やれやれ、気をつけろよ。手元が狂って指にでも当たったら簡単に吹き飛ぶぞ」
「えっ!?……」
私の忠告を聞くなり、二人は急に大人しくなって黙々と作業に専念する。
これだけあれば十分だ。私は周囲の環境圧に気を配りながら、帰還のためのベクトル計算を始めようとした。
その時だった。
「お?なんだこれ。レイ、ちょっと来てくれ!」
少し離れた窪みで作業をしていたリックが、場違いな声を上げた。
「どうした、余計なところは突くなと言ったはずだぞ」
「違うって。ミスリルの結晶の陰に、何か変な塊が落ちてるんだよ。金塊……じゃねぇな、見たことない形の金属だ」
私はため息をつきながらリックの元へ歩み寄った。
彼が指差す先、最深部の中央に位置するすり鉢状の窪みの底に、それはあった。
ダンジョンの結晶構造とは明らかに異質な、半ば溶解して原形を留めていない巨大な金属の塊。
しかし、その一部にわずかに残されたパラボラ状の構造と、焼け焦げた金色の円盤の端材を見た瞬間。
私の心臓が、早鐘のように激しく鳴り始めた。
(まさか……そんなはずはない。だが、この形状とレコード盤は……)
私は無意識のうちに息を呑み、震える手をその金属塊へと伸ばしていた。
(続く)









