第3話 神童の家庭教師イジり
転生から10年。
この世界――ヒルベルト王国の辺境伯家で過ごした時間は、私にとって「退屈」と「発見」の重ね合わせ状態だった。
発見とは、もちろん物理法則の違いについてだ。
この世界の重力定数は地球の約0.8倍。
大気成分は窒素と酸素の比率が地球とほぼ同じだが、微量に未知の粒子(崩壊したマナの残滓と思われる)が含まれている。
そして何より、「金色の糸」の操作にも慣れてきた。
今では、視界に入った物体の質量 and 摩擦係数を瞬時に計算し、最小限の張力操作で移動させることができる。
問題は、「退屈」の方だ。
「――いいですか、レイ様。魔法とは、精霊への祈りです」
書斎の窓から差し込む午後の日差しの中、家庭教師のガストン先生が、仰々しい身振りで杖を振っていた。
彼は王都の魔導士協会から派遣された、いわゆる「エリート魔法使い」らしい。
「心を鎮め、イメージするのです。大いなる炎の精霊よ、我が敵を焼き尽くせ……と」
ガストン先生が詠唱を口にすると、杖の先にボッと火の玉が現れた。
大きさはソフトボール程度。色は、少し煤けたようなオレンジ色。
ろうそくの炎と同じ不完全燃焼の色だ。
「見事でしょう? これが初級攻撃魔法『ファイアボール』です。さあ、レイ様もご一緒に」
彼は得意げな顔で私を見下ろしている。
私はため息を噛み殺し、手元の羽ペンを回した。
「先生。質問があります」
「おや、なんでしょう? 詠唱のアクセントですか?」
「いえ。なぜ、そんなに燃焼効率が悪いのですか?」
ガストン先生の笑顔が凍りついた。
「……は?」
「その炎の色です。オレンジ色ということは、温度はせいぜい摂氏1000度前後。完全燃焼していません。ススが出ているのがその証拠です」
私は椅子から立ち上がり、先生の杖の先に浮かぶ火の玉に近づいた。
ゆらゆらと頼りなく揺れる炎。
この世界の魔法使いは、マナ(糸)を振動させて熱エネルギーを生み出しているが、そのプロセスがあまりにも雑だ。
「炎とは精霊の力ではありません。可燃性ガスと酸素が結びつく激しい酸化反応です」
「先生の魔法は、燃料の供給に対して、酸素の供給が追いついていない。だから不完全燃焼を起こしている」
「な、何を訳のわからぬことを……! これは由緒正しき精霊魔法ですぞ!」
顔を真っ赤にして怒る先生。
私は、やれやれと首を振った。
実演した方が早そうだ。
「貸してください」
私は先生の手から杖を奪い取ると、宙に浮く火の玉に意識を集中させた。
視界が切り替わる。
無数に漂う金色の糸が見える。
(よし、実験開始だ。だがその前に――安全確保)
私は瞬時に計算した。
これから温度を上げれば、シュテファン=ボルツマンの法則に従い、輻射熱は温度の4乗で跳ね上がる。
1000度から3000度に上げれば、熱放射は約40倍。
何の対策もしなければ、至近距離にいる私と先生は丸焼きだ。
(断熱層、展開。さらに重力レンズによる赤外線の屈折誘導)
私は火の玉を包み込むように、二重の結界――いや、「真空断熱層」を形成した。
魔法瓶と同じ原理で、熱伝導と対流を遮断する。
さらに、透過してくる強烈な輻射熱(赤外線)は、空間を歪めて天井方向へと逃がす。
準備完了。
私は火の玉の周囲にある糸を掴み、ギュッと絞り上げた。
空間を圧縮し、気圧を高める。
いわゆる「過給機」と同じ原理だ。
強制的に酸素を送り込む。
同時に、部屋中の「マナの糸」が私の元へ引き寄せられる感覚があった。
燃焼速度の上昇に合わせ、無意識に周囲から燃料を強制吸引してしまっているらしい。
「ちょ、レイ様!? 何を!?」
変化は劇的だった。
煤けたオレンジ色の炎が、一瞬で透き通るような蒼白色へと変貌したのだ。
ゴオオォォォッ!!
断熱層の中で、炎が唸りを上げる。
酸素供給量が最適化され、大量のマナを食らった炎は、爆発的に燃焼速度を上げ、ジェットエンジンのような轟音を立て始めた。
本来なら部屋中を焼き尽くすはずの熱波は、私の「真空断熱」によって完全に遮断されている。
だが、漏れ出る可視光の眩しさと、天井に向かって放たれた熱線がシャンデリアを溶かす光景を見て、ガストン先生は腰を抜かした。
「ヒッ……!?」
「温度、推定3000度以上。完全燃焼です。これなら装甲の厚い魔物でも焼き切れるでしょう」
「や、やめろぉぉぉ! あ、熱くない……のが逆に怖いぃぃぃ!」
「おっと、燃料を吸いすぎましたか」
私は慌てて糸を緩め、さらに空間を断絶させて酸素供給をカットした。
プン、と音を立てて蒼い炎が消失する。
残されたのは、溶解して滴り落ちるシャンデリアと、呆然と口を開けている家庭教師だけだった。
私は杖を先生の手に戻し、ニッコリと笑った。
「見ての通りです、先生。魔法に必要なのは、精霊への祈りではありません」
「な、なら……何だと言うのです……?」
「熱力学ですよ」
翌日、ガストン先生は辞任した。
父上にはこっぴどく叱られたが、私は満足だった。
この世界の魔法は、まだ「科学」されていない。
つまり、改良の余地が無限にあるということだ。
私は自室の窓から、青い空を見上げた。
――待っていろ、地球。
僕はこの世界の法則を解き明かし、必ずそっちへ声を届けてみせる。
そのためには、もっと広い場所が必要だ。
王都にある魔導の最高学府、「ヒルベルト魔導学院」。
そこが次の実験場だ。
(第3話 完)




