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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「ねずみ」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2025/05/24


落語声劇「ねずみ」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約30分


必要演者数:4名

      (0:0:4)

      (4:0:0)【性別準拠人数比率】

      (3:1:0)

      (2:2:0)

      (1:3:0)

      (0:4:0)



※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


左甚五郎(ひだりじんごろう):京都にて左官(ひだりかん)を朝廷から頂戴(ちょうだい)した当代一の大工・彫刻師。

     1600年の20~30年前後に活躍した人物。

     日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)の眠り猫を彫(ほ)るなど多くの逸話があるが、

     歌舞伎(かぶき)や講談など、それらの逸話(いつわ)が独り歩きし、複数の人物像

     が重なって左甚五郎(ひだりじんごろう)という人物が生まれたのではないかという

     説もある。

     この噺(はなし)の他にも「三井(みつい)の大黒(だいこく)」、「竹の水仙(すいせん)」、「叩き蟹(がに)」

     にも登場する。


政五郎(まさごろう):神田竪大工町(かんだたてだいくちょう)の大工(だいく)の棟梁(とうりょう)。二代目。

    甚五郎(じんごろう)が後見(こうけん)となっている。


鼠屋(ねずみや):鼠屋卯兵衛(ねずみやうへえ)。本来ははす向かいの虎屋(とらや)の亭主(ていしゅ)、虎屋卯兵衛(とらやうへえ)だったが

   、酔った客が暴れたのに巻き込まれ、腰を打って立てなくなってし

   まう。

   それから番頭(ばんとう)と後妻(ごさい)のお紺(こん)に店は乗っ取られるわ、息子の卯之吉(うのきち)も

   彼らのせいで辛い思いをしていたなど、弱り目に祟(たた)り目状態だった

   が、甚五郎(じんごろう)が泊まったことで潮目(しおめ)が良い方向に変わり始める。


卯之吉(うのきち):鼠屋卯兵衛(ねずみやうへえ)の息子。

    十二歳ながら、親想いでとてもよく気の利(き)く子供。


生駒屋(いこまや):卯兵衛(うへえ)の家から四、五軒先の生駒屋(いこまや)の主(あるじ)。

    卯兵衛(うへえ)とは幼いころからの喧嘩(けんか)友達。


丑蔵(うしぞう):虎屋(とらや)の番頭(ばんとう)。卯兵衛(うへえ)の弱り目に付け込んで、虎屋(とらや)を乗っ取ってし

   まう。けど、悪い事は出来ないものである。


鼠(ねずみ):甚五郎(じんごろう)が心魂(しんこん)込めて彫(ほ)り上げた鼠(ねずみ)。

  動き回るし、話の最後だけだが喋(しゃべ)る。


茂左衛門(もざえもん):仙台の民その1。


吾作(ごさく):仙台の民その2。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


甚五郎・吾作:

鼠屋・鼠:

卯之吉・丑蔵・政五郎:

生駒屋・茂左衛門・語り



※枕は誰かが適宜(てきぎ)兼(か)ねてください。



枕:世の中には、後世(こうせい)に名前を残したという方が数多くいらっしゃるよう

  で。例えば自分で建てた寄席(よせ)を自分で潰(つぶ)して名前を…これはちょっと

  残し方が違いますけども。

  大工(だいく)さんの方で、それも彫(ほ)り物・細工物(さいくもの)の分野で名を残した方に、

  ご案内の通り、甚五郎利勝(じんごろうとしかつ)と言う方がいらっしゃいます。

  この方はたいそう旅好きだったそうでございます。


卯之吉:おじさん、あの、そこのおじさん!


甚五郎:なんだい坊や。


卯之吉:おじさんは旅の人ですか?


甚五郎:坊や、おじさんのこのなりをごらん。

    手甲脚絆(てっこうきゃはん)に草鞋履(わらじば)き、肩に小さな振り分け荷物。

    おじさんは旅の者だよ。


卯之吉:そうですよね。

    今晩は仙台にお泊まりですか?


甚五郎:うん、そのつもりだよ。


卯之吉:できたら、あたいの家(うち)に泊まってくれませんか?


甚五郎:坊やは宿の客引きさんかい?


卯之吉:そうじゃないんですけれど、おじさんが家(うち)に泊まってくれると、

    あたいもおとっつぁんも大層(たいそう)助かるんです。


甚五郎:ふむ、どこへ泊まるのも同じだ。

    まあこれもご縁だ。

    じゃあ今夜一晩、坊やのところに厄介(やっかい)になろう。


卯之吉:ありがとうございます!

    ただ…おじさん、あの、家(うち)は汚いですよ。


甚五郎:あぁ、家(うち)なんざ汚くったって構(かま)わないよ。

    旅をしてるとな、たまに野宿(のじゅく)という事もある。

    雨露(あめつゆ)がしのげればそれでいいよ。

 

卯之吉:あの…部屋も狭いんです。


甚五郎:あぁ、部屋なんぞ狭くったって構(かま)わないよ。

    立って半畳(はんじょう)、寝て一畳(いちじょう)だ。

    今さっきも言った、雨露(あめつゆ)さえしのげりゃそれでいいよ。


卯之吉:あ!それと…おじさんは夜寝る時、布団(ふとん)を使いますか?


甚五郎:坊やは時々、妙な事を言うな。

    人間、寝る時に布団(ふとん)を引いたり掛けたりするな。


卯之吉:じゃあ、すいませんけども先に、二十文(にじゅうもん)だけくれませんか?


甚五郎:うん?二十文(にじゅうもん)だけ前払いかい?


卯之吉:そうじゃないんです。

    布団(ふとん)屋さんに借りがあるんです。

    だからお足(あし)を持っていかないと、布団(ふとん)が借りられないんです。

    おじさん風邪を引きたくなかったら、二十文(にじゅうもん)出した方が身の為で

    す。


甚五郎:なるほど、これは面白(おもしろ)いな。

    坊やはものをはっきり言う正直者だ。

    二十文(にじゅうもん)でいいのかい?

    よし、ちょいと待ってな。


    【二拍】


    さ、坊や、二十文(にじゅうもん)渡すから、これで布団(ふとん)屋さんへ行ってきておく

    れ。頼んだよ。


卯之吉:どうもすいません。

    それからですね、おじさんを家(うち)へ案内してから布団(ふとん)屋さんへ行く

    と遅くなってしまって、良い布団(ふとん)が借りられないんです。

    すいませんけれども、一足先に行っててくれませんか?

    場所はすぐにわかりますから。


甚五郎:そうか、じゃあどう行けばいいかな?


卯之吉:この街道をまっすぐ行きますと、すぐに宿場(しゅくば)に入ります。

    入ったら右側を見てってください。宿場(しゅくば)の中ほどで虎屋(とらや)と言う、

    大きな旅籠(はたご)があるんです。


甚五郎:ほう、宿場(しゅくば)の中ほどで虎屋(とらや)さんか。

    そこが坊やの家(うち)かい?


卯之吉:…ううん、あたいのうちは、そのはす向かいの鼠屋(ねずみや)って言うんで

    す。

    もう小さいから、気を付けて見てったって見落とす家(うち)なんです。

    こないだこれだけ教えても松前藩(まつまえはん)のあたりまで行った人がいるん

    です。

    だからその、虎屋(とらや)さんを目当(めあ)てに行ってください。


甚五郎:そうか、虎屋(とらや)さんのはす向かいで鼠屋(ねずみや)さんか、よしわかった。

    じゃ、おじさんは一足先(ひとあしさき)に行ってるから、布団(ふとん)屋さんの方を頼ん

    だよ。


語り:「旅人は 雪呉竹(ゆきくれだけ)の 村雀(むらすずめ) 止まりては発(た)ち 止まりては発(た)ち」

   と言う事を申します。

   現代の旅行と違いまして、昔の旅で頼るものと言えば己(おのれ)の足一つ、

   苦しい事があった半面、風情(ふぜい)もあったようでございます。


甚五郎:はぁ~、さすがに伊達(だて)様の仙台六十二万石(せんだいろくじゅうにまんごく)のご城下(じょうか)だ。

    たいそうなご繁盛(はんじょう)ぶりだな。

    たしか、宿場(しゅくば)の中ほどで右側…あぁこれかい、虎屋(とらや)さんてのは。

    ほお…立派な建物だ。

    誰が建てたか知らないが、腕のいい大工(だいく)がいるんだな。

    江戸へ持ってきても、こらぁ決して引けを取らないぞ。

    いや、立派なものだ。

    そうそう、このはす向かいと言ってたな。

    鼠屋(ねずみや)……これかい…?なるほど小さな家(うち)だ。

    名は体(たい)を表すとはうまい事を言ったもんだよ。

    鼠(ねずみ)は鼠(ねずみ)でもこれはハツカネズミだろうな。いや面白(おもしろ)い。

    …ごめんくださいよ。


鼠屋:おいでなさいまし!

   おぉ、お客様でいらっしゃいますか!

   ようこそおいでをいただきまして…!

   すぐにおすすぎのお支度(したく)なぞをしなくてはならないのですが…

   あいにく手前(てまえ)、腰が抜けてて立てませんでして。

   

甚五郎:なんだい、話の分かる大人は腰が抜けてるのかい。


鼠屋:恐れ入りますが、裏に小さな川が流れております。

   そこでひとつ、お御足(みあし)などを洗っていただきとう存じます。

   手桶(ておけ)も、履(は)き替えの下駄(げた)も揃(そろ)えてございますんで。


甚五郎:ご亭主(ていしゅ)、履(は)き替えの下駄(げた)ってのはこれかい?

    片っぽの鼻緒(はなお)が切れてんね。


鼠屋:でしたら片っぽでぴょんぴょん飛んでいただいて…


甚五郎:まるで兎(うさぎ)だね。

    まぁ分かったよ。


    【二拍】


    あぁ実に良い心持(こころも)ちだった。

    いや、ご亭主(ていしゅ)の前だけどね、湯だか水だか分からないようなもの

    で足を洗ったり手を洗ったりするよりも、ああいう冷たくて綺麗(きれい)な

    水で洗った方が、その日の疲れがスーッと抜けていくような気が

    するよ。それにしても綺麗(きれい)な川だね。

    

鼠屋:ありがとう存じます。

   広瀬(ひろせ)川に流れが落ち込んでおりまして、

   朝夕の間詰(まづ)め刻(どき)には、ヤマメの影が走る川でございます。


甚五郎:そうか、道理(どうり)で綺麗(きれい)だと思ったよ。

    ああいう所の方が、洗うのに気持ちがいい。


卯之吉:あ、おじさん、間違(まちが)えずに着いてますね。


甚五郎:おぉ坊やか。

    布団(ふとん)屋へ行ってきてくれたかい、ご苦労様。


卯之吉:…あのですね、おじさん。

    これから夕餉(ゆうげ)の支度(したく)をすると遅くなりますから、お寿司(すし)でも買っ

    てきましょうか?


甚五郎:寿司(すし)か。

    たまにはいいだろう、頼もうか。


卯之吉:五人前も頼みましょうか?


甚五郎:いや、おじさん一人でそんなに食べられない。

    まぁ、一人前というのもなんだからな、二人前取って来てもらお

    うか。


卯之吉:実は…あたいもおとっつぁんも寿司(すし)は大好きなんです。


甚五郎:…そうか。

    じゃあ坊や、おじさんの紙入れを渡すから、これを持ってって

    好きなだけお寿司(すし)を買って来るといい。

    それからな、他に坊やの好きなものがあったら、

    買って来てもかまわないぞ。


卯之吉:えっ、い、いいんですか!?


甚五郎:いいから行ってきなさい。

    あ、それから済まないがな、帰りに酒屋さんへ寄って、

    酒を二升(にしょう)買ってきておくれ。


卯之吉:あの、あたいもおとっつぁんも酒は呑(の)まないんです。


甚五郎:いや、お前達に呑(の)ませるんじゃない。

    おじさんが呑(の)むんだ。

    それじゃ、頼んだよ。


卯之吉:はい、行ってきます!


    【二拍】


甚五郎:ご亭主(ていしゅ)、元気な倅(せがれ)さんだね。

    いくつだい?


鼠屋:はい、十二才になりましてございます。


甚五郎:まぁ…旅の風来坊(ふうらいぼう)がこんな事を言うのは失礼かもしれないが、

    ご亭主(ていしゅ)がその身体(からだ)、跡(あと)を取る倅(せがれ)さんが十二。

    せめて女中(じょちゅう)の一人も置いた方が、商売しやすいんじゃないのかい?


鼠屋:おっしゃる通りではございますが、これには深いわけがございまし

   て。

   初めてのお客様にこのような事を話すのは何でございますが、

   支度(したく)ができるまでの年寄りの愚痴(ぐち)、独(ひと)り言(ごと)だと思ってお耳だけでも

   お貸しを願いとう存じます。

   何を隠しましょう。手前(てまえ)、元は前の虎屋(とらや)の主(あるじ)でございました。


甚五郎:えっ、ご亭主(ていしゅ)が、あの、虎屋(とらや)の?


鼠屋:はい。

   申し遅れました、手前(てまえ)、卯兵衛(うへえ)と申します。

   早くに女房(にょうぼう)に死に別れまして、後添(のちぞ)えを持ったらどうかと

   人に勧(すす)められました。

   あちらこちらとあたるも帯(おび)に短したすきに長し、なかなか良い方(かた)に

   お目にかかる事ができませんでした。

   その当時、手前(てまえ)どもの店でお紺(こん)と言う女中頭(じょちゅうがしら)がおりました。

   これを後添(のちぞ)えに迎え、手前(てまえ)はほっとしておりましたが…


   …あれは、三年前の七夕(たなばた)の晩でございました。

   失礼ですが、お客様は仙台の七夕(たなばた)をご存じでいらっしゃいますか?

   もう大変な賑(にぎ)わいでございまして、この時期の前後は旅のお客様に

   土地のお方で、どこもかしこも大入(おおい)り満員になりますので。

   手前(てまえ)どもも朝から上を下への大騒ぎをしておりましたが、夜に

   二階のお客様同士がお酒の上から喧嘩(けんか)を始めました。


甚五郎:【つぶやくように】

    酒の喧嘩(けんか)ねえ、だから静かじゃない宿は嫌いなんだ。


鼠屋:どちらにお怪我(けが)があってもいけませんで、手前(てまえ)が止めに入りました

   。

   一生懸命に止めておりましたがどなたに突かれたか、ダーンと胸を

   突かれて二階からはしご段を下までもんどりうって落ちました。

   腰をしたたかに土間(どま)に打ち付けてしまい、すぐに帳場(ちょうば)の脇に布団(ふとん)を

   ひいてもらって手当てをしたのですが、いっこうに良くなりません

   でした。

   動けない手前(てまえ)の代わりにお紺(こん)が一生懸命やってくれまして、

   その間(かん)、あっちの医者にこっちの薬、しまいに加持祈祷(かじきとう)まで

   いたしましたが、それでも治りませんでした。

   手前(てまえ)の家(うち)から四、五軒先に生駒屋(いこまや)という家(うち)がございます。

   ここの主(あるじ)と手前(てまえ)は子供の家からの喧嘩(けんか)友達でございまして、

   それである日の事、生駒屋(いこまや)が手前(てまえ)どものところへ血相(けっそう)変えて

   飛び込んで参りました。


生駒屋:おい卯兵衛(うへえ)、お前が二階から落ちて腰打(こしう)って、立てなくなったの

    は知っている。

    けどな、目ん玉まで節穴(ふしあな)になってしまったのか?

    自分の可愛(かわい)い倅(せがれ)の身体(からだ)をいっぺんでも見てやったことがあるのか

    、このバカ野郎ッ!


鼠屋:そう手前(てまえ)を怒鳴りつけて表(おもて)へ飛び出していきました。

   はて、妙な事を言うぞと気になっております所へ、倅(せがれ)が手習(てなら)いから

   戻って参りましたので、これ倅(せがれ)、おとっつぁんの前で着物を脱いで

   みろと、そう言いました。

   するともじもじもじもじしておりますので、何をぐずぐずしている

   んだ、早く着物を脱がないかと強く責めたんでございます。

   するとしぶしぶ着物を脱ぎましたが、なんと身体(からだ)じゅう生傷(なまきず)だらけ

   、手前(てまえ)は仰天(ぎょうてん)しました。

   わけを聞いたのですが、


卯之吉:近所の子供と喧嘩(けんか)してできたんだ。


鼠屋:としか言いません。

   しかしどう見ても子供同士の喧嘩(けんか)でできる傷ではない。

   バカを言うんじゃない、正直に言わないか!そう責めました。

   すると倅(せがれ)は、


卯之吉:うっ、うぅっ…うわぁぁぁーーーん!!!


鼠屋:手前(てまえ)の首にかじりつくといきなり泣き出したんでございます。


卯之吉:おとっつぁん、おっかさんはなぜ死んだんだい!


鼠屋:そう言われました時に、手前(てまえ)はハッと目が覚めたんでございます。

   あぁえらい事をした、こりゃきっとお紺(こん)の継母(ままはは)いじめだ。

   自分の事ばかり考えていて、可愛(かわい)い倅(せがれ)の事を

   なに一つ考えてやらなかったと。

   すぐに番頭(ばんとう)丑蔵(うしぞう)という者を呼びまして、

   我々親子は前の物置へ移るからと、そう告げたんでございます。

   番頭(ばんとう)も、


丑蔵:連日連夜(れんじつれんや)お客様が大入(おおい)り満員、たとえ一部屋(ひとへや)でも多く使いたいとこ

   ろでございました。

   旦那(だんな)様がその気でしたら、さっそく物置を掃除(そうじ)して、中を整えまし

   ょう。


鼠屋:そうして手前(てまえ)と倅(せがれ)は、それまで物置だったここへ

   移ったんでございます。

   三度三度の食事は前の虎屋(とらや)から運ばせておりましたが、

   三度のものが二度になり、二度のものが一度になり、しまいには

   いっぺんも届かなくなりました。

   倅(せがれ)を取りに行かせますと、


丑蔵:なに、飯(めし)?

   客が立て込んで忙しいさなかに、病人の面倒(めんどう)なぞ見ていられるかッ

   !!


鼠屋:そう言って倅(せがれ)の頭を殴ったとか。

   …腹が立ちました。

   腹が立ちましたが、腰が立ちませんでした…。

   我慢をいたしておりますと、生駒屋(いこまや)がこれを聞いたのでございまし

   ょう。

   我々親子の面倒(めんどう)を見てくれたんでございます。

   ところがある日の事、また生駒屋(いこまや)が血相(けっそう)変えてやってきて、


生駒屋:おい卯兵衛(うへえ)、お前いつの間に虎屋(とらや)を番頭(ばんとう)の丑蔵(うしぞう)に譲(ゆず)ったんだ!?


鼠屋:そう言うんでございます。

   いや、そんなバカな事をした覚えはない!

   そう手前(てまえ)が言いますと、


生駒屋:俺はな、あいつのやり口があんまりひどすぎるんで、

    店に怒鳴り込んでいったんだ。

    そしたらあの野郎、なんて言ったと思う?


丑蔵:【嫌味たっぷり煽るように】

   生駒屋(いこまや)さん、手前(てまえ)どもと前の虎屋(とらや)の主(あるじ)とは、

   もう何の関わり合いもございません。

   どうぞ、これをご覧ください。


生駒屋:そう言って見せられたのが店の譲(ゆず)り渡しの証文(しょうもん)だ。

    卯兵衛(うへえ)お前、印形(いんぎょう)をどうした?


鼠屋:!しまった、お紺(こん)に預けっぱなしだった…!!

   ああ、もう後の祭りだ…。


生駒屋:お紺(こん)と丑蔵(うしぞう)が企(たくら)んでのっとってしまったってことだな。

    それだけじゃねえ。

    こんな話をお前の耳に入れたかねえが、あの二人は最初から

    デキてたんだ。ただお前が見て見ねえふりをしているんだと

    思ってた。

    そしてお紺(こん)に後添(のちぞ)えの白羽(しらは)の矢が立って、丑蔵(うしぞう)はあの通りだ、

    お紺(こん)の引き袖(そで)を引いた。最初はお紺(こん)も袖(そで)にしていたが、

    お前が二階から落っこって腰が抜けてしまったら、

    男と女、やけぼっくいに火がついちまった。

    お前の印形(いんぎょう)が捺(お)してある以上、役人に訴え出てもどうにもなら

    ねえ。

    どうする?


鼠屋:……。

   生駒屋(いこまや)の…すまねえが、卯之吉(うのきち)を引き取ってくれねえか…?


生駒屋:…お前、良からぬ事を考えてるな?

    バカな事はするな。死んで花実(はなみ)は咲かねえぞ。

    卯兵衛(うへえ)、この浮世(うきよ)、悪い事ばかりじゃない。

    必ず良い事があるから、決して短気な真似(まね)はするなよ。

    お前達の面倒(めんどう)は俺が見るからな。


鼠屋:それからも生駒屋(いこまや)の恩情(おんじょう)にすがっておりました。

   ですが倅(せがれ)が申しますのには、


卯之吉:おとっつぁん、ただこうやって食べ物を恵(めぐ)んでもらっていたので

    は犬猫同然、狭くて汚いとこだけど、上に二間(ふたま)、下に二間(ふたま)の部屋

    がある。

    たとえ一人でもお二人でもお客様が泊まってくれたら、

    おとっつぁんが食うには困らないから。


鼠屋:倅(せがれ)はそう言ってそれから宿場外(しゅくばはず)れに出まして、

   お客様方にご迷惑をお掛けしていると、こういったような次第(しだい)で

   ございまして。


甚五郎:うーむ、世の中には酷(ひど)い奴があるものだ。

    時にご亭主(ていしゅ)、この鼠屋(ねずみや)と言う屋号(やごう)はどこから付けたんだい?


鼠屋:はい、前の虎屋(とらや)は番頭(ばんとう)の丑蔵(うしぞう)に乗っ取られました。

   ここは物置でございましたんで、鼠(ねずみ)が沢山(たくさん)住んでおりました。

   手前(てまえ)と倅(せがれ)がその鼠(ねずみ)から、ここを乗っ取ったような具合(ぐあい)になりました

   ので、義理を立てまして鼠屋(ねずみや)という名前にしたのでございます。


甚五郎:…なるほど、こらァ面白(おもしろ)いな。

    そうだ、どうだろう。

    私がたとえ、一人でも二人でも多くのお客が泊まるように、

    店の名前にちなんで鼠(ねずみ)を一匹、彫(ほ)ろうじゃないか。


鼠屋:えっ、お客様は彫(ほ)り物をなさるので?

   この仙台にも有名な彫(ほ)り物の先生がいらっしゃいますが…、

   あ、これは不調法(ぶちょうほう)いたしました。一人で喋(しゃべ)っておりまして…。

   お役所がやかましゅうございますんで、宿帳(やどちょう)を付けさしていただ

   きます。

   どうぞ、ご生国(しょうごく)とお名前だけでもお願いいたします。


甚五郎:お、そうかい。

    じゃ、筆をーー


鼠屋:【↑の語尾に喰い気味に】

   ぃいえいえ、手前(てまえ)、腰は立ちませんが筆は立ちますので。

   大丈夫でございます。

   では、お聞かせくださいまし。


甚五郎:生まれは飛騨(ひだ)だね。

    

鼠屋:えっ、では飛騨(ひだ)からこの奥州(おうしゅう)へ?


甚五郎:いや、そうじゃないんだ。

    もうだいぶ前に江戸に出ててね、そこへは江戸は日本橋(にほんばし)花町(はなちょう)、

    大工(だいく)政五郎(まさごろう)うち、甚五郎(じんごろう)と記してくれればいいよ。


鼠屋:さようでございますか。

   うち、甚五郎(じんごろう)……。


   あの、間違(まちが)えましたらなにとぞご容赦(ようしゃ)のほどを。

   飛騨(ひだ)の甚五郎(じんごろう)様と言うと、あの高名な左甚五郎(ひだりじんごろう)先生で…!?


甚五郎:いや、先生じゃない。普通の人間だ。ほっぽっといておくれよ。

    それからご亭主(ていしゅ)のところに、木端(こっぱ)はあるかい?


鼠屋:河童(かっぱ)でございますか。

   なんでも広瀬川(ひろせがわ)の上流で出たという話がーー


甚五郎:ああいや、河童(かっぱ)じゃない、木端(こっぱ)、端(は)な木(ぎ)れはあるかい?


鼠屋:はい、鼻紙(はながみ)でございましたらいくらでも。


甚五郎:いや鼻紙(はながみ)じゃない、端(は)な切(ぎ)れ、柱や板の切れっ端(ぱし)だ。


鼠屋:ああ、それでしたら元が物置ですので、縁(えん)の下にいくらでもござい

   ます。


甚五郎:そうかい、じゃ、二階をお借りするよ。

    私はいま、無性(むしょう)にこしらえたいものがあるんだ。

    夜(よ)っぴてやるからうるさいかもしれないが、そこは勘弁してくれ

    。寿司(すし)やなんかはそっちで呑(の)んで食ってくれて構(かま)わない。

    ただ、誰も上がってこないようにしてくれ。いいかい?


鼠屋:わ、わかりました。


語り:金をいくら積まれても、気が乗らねば引き受けない。

   甚五郎(じんごろう)先生、コツコツカリカリコツコツカリカリ心魂(しんこん)傾けて、

   明くる日の朝までに、小さな鼠一匹(ねずみいっぴき)彫(ほ)り上げました。


甚五郎:ご亭主(ていしゅ)、坊や、起きてるかい?


卯之吉:あ、おはようございます、おじさん。


鼠屋:どうも、おはようございます。

   昨日はお休みにならなかったようでございますが…。


甚五郎:ああ、ちょいと一晩かけてね、こしらえ物をしてたんだ。

    うるさくて眠れなかっただろう?


卯之吉:おじさん、あたい、あんなにお寿司(すし)食べたの初めてなんです。

    あの、大人(おとな)の言うこと合ってます。

    お腹の皮が突っ張ったら目の皮がたるんだんです。

    さっきまでずっと寝てました。

    おとっつぁんも、おじさんが泊まってくれたのがうれしかった

    みたいで、普段(ふだん)呑(の)まないのに珍しくお酒を呑(の)んでて、

    さっきまで頭が痛い頭が痛いって言ってました。


甚五郎:ははは、そうかい。

    実はね、こんな物をこしらえてみたんだ。


鼠屋:はぁぁこれは…小さくも可愛(かわい)らしい鼠(ねずみ)でございますな。


卯之吉:一晩かけてこれを作ったの?


甚五郎:この鼠(ねずみ)を置き土産(みやげ)において行くよ。


鼠屋:えっ、名人のこしらえ物を、私どもにいただけるので…!?


甚五郎:鼠屋(ねずみや)だから屋号(やごう)にちなんで鼠(ねずみ)をこしらえてみた。

    それでな、ちょいと趣向(しゅこう)があるんだ。

    坊や、そこにあるタライ、使ってるのかい?


卯之吉:いいえ、使ってないですよ。


甚五郎:そうか、だったらそのタライを表(おもて)へ出してな、何か台の上に

    乗せるんだ。

    あとご亭主(ていしゅ)、筆(ふで)と硯(すずり)を貸してくれ。


鼠屋:あの、書き物でしたら手前(てまえ)がーー


甚五郎:いや、私が書かなければならないから、こっちに貸しておくれ。


鼠屋:は、はぁ、わかりました。

   どうぞ。


甚五郎:これこれこう書いて、と……。

    鼠(ねずみ)を入れて、上に竹の網(あみ)をかぶせれば…

    できた。

    こっちの木札(きふだ)にはこれこう書いて、ぶる下げて…。

    これでよし。


    ご亭主(ていしゅ)、世話(せわ)になったね。

    ご縁(えん)があったら、また会いましょう。


鼠屋:もうお発(た)ちですか?

   どうも、ありがとうございました…!

   道中(どうちゅう)、どうぞお気をつけてお出かけ下さいまし…!


卯之吉:おじさん、ありがとうございました!


語り:こうして甚五郎(じんごろう)は親子に見送られ、鼠屋(ねずみや)を後にしたのでございます

   。

   それから少ししたある日。

   仙台の民達が世間話をしながら歩いていました。


吾作:おい、茂左衛門(もざえもん)。


茂左衛門:なんだぁ、吾作(ごさく)。


吾作:ちょっくら鼠屋(ねずみや)さんの前見ろ。

   なんか木札(きふだ)が下がってるな。


茂左衛門:どれ…おぉ、確かに木札(きふだ)があるな。

     売りに出たのかね?


吾作:いやぁ、若竹(わかたけ)ではねえから売りには出ねえだろ。


茂左衛門:なにか書いてあるぞ。

     なになに…甚五郎(じんごろう)作・福鼠(ふくねずみ)…?


吾作:甚五郎(じんごろう)と言えば、あの有名な左甚五郎(ひだりじんごろう)先生か?


茂左衛門:ここの家と関わりあるのかね?


吾作:ちょっくら聞いてみようか。

   ごめんくださいよ。


鼠屋:おぉ、ご精(せい)が出ますな。

   どうぞお入りください、お茶でも入れましょう。


茂左衛門:いやあ、そうもしていられねえんだ。


吾作:まだ野良仕事(のらしごと)が残ってるからな。


茂左衛門:それで、表(おもて)に甚五郎(じんごろう)作・福鼠(ふくねずみ)とあるけど、

     なんだいありゃ。


鼠屋:実は、その名人甚五郎(めいじんじんごろう)先生がお泊まりになって、

   屋号(やごう)にちなんだ鼠(ねずみ)を彫(ほ)ってくれたので。


吾作:あの名人がかい!?

   へえぇ、たいしたもんだ!


茂左衛門:おめえが家(うち)の宝だなぁそれは。

     見せてもらうわけにはいかないかい?


鼠屋:えぇいいですよ。

   そこのタライの中に入ってますから。


吾作:そうかい。

   見せてもらおう、名人の彫(ほ)り物の出来(でき)の良さを。


茂左衛門:だなぁ、目の保養(ほよう)だ。

     名人が彫(ほ)った鼠(ねずみ)だからな。


     【二拍】


     ほぉ~、いるよ。

     木で彫(ほ)った鼠(ねずみ)だからな。鼠色(ねずみいろ)ってわけにはいかねえけど、

     鼠(ねずみ)の色の違いが、出来(でき)の良し悪(あ)しの決定的差でないしな。

     ちっけぇ鼠(ねずみ)がタライの真ん中にちょこんと座ってるよ。

     おもしれえな。


吾作:おお、可愛(かわい)らしい鼠(ねずみ)だな……ぁッ!!?


   お、おぃッ!!


茂左衛門:なんだ吾作(ごさく)。

     どうした?


吾作:【声を落として】

   こ、これ見ろ。

   この鼠(ねずみ)、動くぞ…!


茂左衛門:バカ言うな。

     木で彫(ほ)った物が動くわけねえ。

     首が変な向きをするもんだから、動いたように見えるんだろ。

     どいてみろ、木で彫(ほ)った鼠(ねずみ)がーーー動くぞこいつ…!


吾作:はぁぁ、名人の彫(ほ)り物は化け物か!?


茂左衛門:認めたくないもんだな。

     自分自身の、勘違いゆえの過(あやま)ちというものを。


吾作:あれ、タライの底にも何か書いてあるぞ。

   なになに、「この鼠(ねずみ)をご覧になった方は、旅の者土地の者を問わず

   、この鼠屋(ねずみや)にお泊まりを願いたい。甚五郎(じんごろう)」


   …茂左衛門(もざえもん)、俺たち二人、今晩はここへ泊まらねえと駄目だ。


茂左衛門:冗談じゃないぞ。

     泊まらなければ駄目だって言ったって、俺たちの家(うち)はここから

     三町(さんちょう)と離れてねえんだ。


吾作:いや、三町(さんちょう)だろうが五町(ごちょう)だろうが駄目だよ。

   名人が見たら泊まれって、そう書いてあるんだから。

   ご亭主(ていしゅ)、今晩二人で厄介(やっかい)になるから!


茂左衛門:はぁ、困ったな…。


鼠屋:ありがとう存じます!

   どうぞ、ごゆっくりお過ごしください。


語り:またたく間に噂(うわさ)はパーっと広がり、お客がわんさと押し

   掛ける。

   ご案内の通り上が二間(ふたま)、下が二間(ふたま)しか無いのに、

   鼠(ねずみ)見たさに寿司詰(すしづ)めで、四十七人も泊まるのもザラです。

   あげくには便所でもいいから泊めてくれ、なんてのが日常茶飯事(にちじょうさはんじ)

   、それで裏の空き地にどんどん建て増し致しまして、

   日一日(ひいちにち)と鼠屋(ねずみや)は立派になるばかりでございました。

   さらに悪事千里(あくじせんり)を走るとはよく言ったもの、虎屋(とらや)の悪評(あくひょう)も広まり

   、それまで定宿(じょうやど)にしていたお客もどんどん足が遠のき、

   しまいにはぴたっと途絶(とだ)えてしまう有様(ありさま)。

   三十人からの奉公人を抱えていましたが、一人辞め、五人辞めして

   、ついには丑蔵(うしぞう)とお紺(こん)だけになってしまいました。


丑蔵:くそっ、なんでこんな事に…!

   とにかく、あの動く鼠(ねずみ)に負けないものが無いと…。

   そうだ、仙台にも飯田丹下(いいだたんげ)という有名な人がいるじゃないか。

   虎屋(とらや)の屋号(やごう)にちなんで、でっかい虎を彫(ほ)ってもらおう!


語り:身から出た錆(さび)という言葉がありますが、そういう人間に限って

   腐れる己(おのれ)自身と漂(ただよ)う腐臭(ふしゅう)に気づかぬものでございます。

   依頼を聞いた飯田丹下(いいだたんげ)、初めは断わり気味(ぎみ)であったが、相手が以前

   御前(ごぜん)勝負で敗れた左甚五郎(ひだりじんごろう)と聞いて、考えを変えます。

   かくして虎屋(とらや)の二階に、二抱(ふたかか)えもある立派な虎の彫(ほ)り物が出現しま

   した。ちょうど眼下(がんか)に鼠屋(ねずみや)を睨(にら)まえている格好(かっこう)です。

   すると不思議な事に、その虎が据(す)えられた日から甚五郎(じんごろう)の彫(ほ)った

   鼠(ねずみ)が、ぴたっと動かなくなってしまったのでございます。


卯之吉:おとっつぁん!おとっつぁん!


鼠屋:どうしたんだ、卯之吉(うのきち)。


卯之吉:おじさんの、おじさんの鼠(ねずみ)が死んじゃった!


鼠屋:えッ、鼠(ねずみ)が死んだ!!?


卯之吉:あぁっ!?

    立った!

    立った立った!おとっつぁんが、おとっつぁんが立った!


語り:実はとっくに腰は治っていた鼠屋卯兵衛(ねずみやうへえ)。

   ところが当人が立てないと思って立たなかったから立てなかったわ

   けで、立とうと思って立ったら立ったという、舌を噛(か)みそうな

   ややこしい状態だったわけでございます。

   とにかく卯兵衛(うへえ)親子、急いで事の次第(しだい)を手紙にしたため、江戸へ

   の飛脚(ひきゃく)に託(たく)します。

   そしてやって参りました神田竪大工町(かんだたてだいくちょう)、二代目政五郎(にだいめまさごろう)宅。


政五郎:おじさん、仙台から飛脚(ひきゃく)が来てるぜ。


甚五郎:仙台…てことは、あの旅籠(はたご)の親子かな?

    …うん、そのようだね…って、なんだいこれは。


鼠屋:鼠(ねずみ)の腰が抜けました。

   私の腰が立ちました。


甚五郎:またおかしな書き出しだな…。

    なになに、飯田丹下(いいだたんげ)がこしらえた虎が、

    虎屋(とらや)の二階に据(す)えられたら、鼠(ねずみ)が動かなくなった…ふむ。


政五郎:どうするんだい、おじさん。


甚五郎:私の作ったものだからね。

    出かける事にするよ。政坊(まさぼう)も一緒に来るといい。


政五郎:おう、向こうの建物を見るいい機会(きかい)だな。


語り:ということでさっそく、二人連れだって仙台までやって参りました。

   ご城下(じょうか)までやってくると、向こうから誰かが甚五郎(じんごろう)を呼びます。


卯之吉:おじさーん!おじさーん!


甚五郎:子供が呼んでるな。

    誰だい!?


卯之吉:あたいです、卯之吉(うのきち)です!


甚五郎:!ああ坊やか!

    しばらく見ないうちに大きくなったなぁ。

    政坊(まさぼう)、話していた鼠屋(ねずみや)の倅(せがれ)の卯之吉(うのきち)だよ。

    おとっつぁんは達者(たっしゃ)かい?


卯之吉:はい、おじさんがいつ来るんだろう、見てこい見てこいって、

    いつもここへ立ってたんです。


甚五郎:そうかそうか、いま行くから先に戻って伝えててくれるかい。


卯之吉:はい!では一足(ひとあし)お先に!


甚五郎:おぉい、あんまり急いで走るんじゃないよ…!

    ははは、相変(あいか)わらず元気な事だ。


    それにしてもどうだい政坊(まさぼう)、伊達(だて)様のご城下(じょうか)は。

    立派なもんだろ。


政五郎:確かにだいぶ繁盛(はんじょう)してるね。

    あ、あれかい鼠屋(ねずみや)ってのは。

    ほぉ、いい塩梅(あんばい)の建物だ。


甚五郎:ああ。造作(ぞうさく)をして、離れもこさえてるよ。

    いい繁盛(はんじょう)ぶりだ。

    ご亭主(ていしゅ)、いるかい?


鼠屋:ああ、こらぁ甚五郎(じんごろう)先生!

   来て下すって、ありがとう存じます!


甚五郎:久方(ひさかた)ぶりだね…あぁいやいや、積もる話は後にしよう。

    手紙は読んだよ。

    さっそく見せてもらおうか、虎屋(とらや)の二階の、虎の彫(ほ)り物を。


鼠屋:は、はい、こちらへどうぞ。

   …あれです、あの二階の虎です。


甚五郎:ほぉ、あれが飯田丹下(いいだたんげ)の手になる虎か…。

    ……うーん、なるほどな…。

    政坊(まさぼう)、あの虎、あれをどう見る?


政五郎:え?どう思うってね…おじさんにはよく言われた。

    本物を見とかなきゃいけねえぞって。

    江戸近郊(えどきんこう)で本物と言われる物はずっと見てきて、

    少ぉしは目が肥(こ)えた気がするんですがね。

    あっしは大工だからこさえてみろってったってできやしねえが、

    見るくらいならできるつもりだ。

    話に聞く虎ってのは、獣の中じゃ一番強いってことになってる。

    だいいち、年を取ってきてだんだん貫禄(かんろく)がついてくると、

    頭のここんところに王の字の縞模様(しまもよう)が出るって事を聞いてるよ。

    けどあの虎にはそんな模様(もよう)もねえし、何より眼が嫌だね。


甚五郎:眼?


政五郎:どうも恨(うら)みを持ってるような目つきをしてやがる。

    あっしは、たいした出来(でき)だと思わないね。


甚五郎:ほお、お前もだいぶしっかりしてきたな。

    私もそう思うんだ。

    おい鼠(ねずみ)、鼠(ねずみ)!


鼠:あっ、どうも、ご無沙汰(ぶさた)してます。


甚五郎:私はな、お前をこさえた時、

    心を無にして性根(しょうね)を据(す)え、

    命がけでこさえたつもりだ。

    なのにお前、あんな虎が怖いのか?


鼠:へっ?あれ、虎ですか!?

  あたしは猫だと思った。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂歌丸

三遊亭円楽(六代目)



※用語解説


左官(ひだりかん):語源は宮中の営繕(えいぜん)を行う職人に、土木部門を司る木工寮の属

   (四等官の主典)として出入りを許したというものが巷間(こうかん)に広く

   知られているが諸説ある。


神田竪大工町(かんだたてだいくちょう):現在の千代田区内神田三丁目13、17・18、22・23番、

       鍛冶町一丁目を指す。


手甲脚絆(てっこうきゃはん):野外での農作業をする時などに、手の甲や足首や甲を怪我から

     守るために着用していた。 また、江戸時代では旅の必需品と

     して使用されていた。


立って半畳(はんじょう)、寝て一畳(いちじょう):人が生活する上で必要なスペースを指す。

      同じ意味の起きて半畳、寝て一畳より丁寧(ていねい)な表現。

      これだけあれば十分でそれ以上を求めるのは贅沢(ぜいたく)であるとい

      う、清貧(せいひん)の精神を表すことわざ。


二十文(にじゅうもん):一文=現在の価値で約32.5円。

    なのでだいたい640円くらいであろうか。


宿場(しゅくば):江戸時代に五街道に設けられた、旅人を宿泊させたり、

   人馬の継立を行うための設備が整えられた場所。宿駅とも呼ばれ、

   古代から整備されてきた。五街道とは江戸と各地を結ぶ主要な街道

   のことで、(東海道、中山道、奥州街道、甲州街道、日光街道)の

   五つの街道を総称する。


旅籠(はたご):日本で昔からある旅人向けの宿泊施設を指す。現代では「旅館」や

   「ホテル」と呼ぶものが一般的だが、「旅篭」は歴史的な文脈で

   使われる言葉。また、旅籠の食事や旅籠の宿泊代などを指す場合も

   ある。


松前藩(まつまえはん):蝦夷地(現在の北海道)の松前周辺を領有した江戸時代の外様藩

    。藩主は松前氏で、アイヌとの交易独占権を持つ為、他の藩とは

    異なる財政基盤を持っていた。また領内に米を生産していなかっ

    たため石高がなく、外様大名(とざまだいみょう)の中でも異色の存在。


間詰(まづ)め刻(どき):主に釣りに関する用語で、日の出や日没の前後、明るさが変化

     していく時間帯を指す。特に魚の活性が高まりやすく、釣果が

     期待できる時間帯を意味することが多い。


「旅人は 雪呉竹(ゆきくれだけ)の 村雀(むらすずめ) 止まりては発(た)ち 止まりては発(た)ち」:

旅人は雀のようにとまっては飛びたち、とまっては飛びたち…宿に泊まっ

ては発ち、宿に泊まっては発つ。という意味だそうで、蜀山人の作とも

いわれている。


伊達(だて)様:ちょっと歴史をかじっている方ならすぐに分かる、奥州(おうしゅう)の独眼竜(どくがんりゅう)

    、伊達政宗(だてまさむね)…の子孫であろうと時代的に思われる。

    忠宗(ただむね)や綱宗(つなむね)のあたりではなかろうか。


六十二万石(ろくじゅうにまんごく):仙台伊達家(せんだいだてけ)の石高(こくだか)。現在の価値にして約1878億円なり。

      江戸時代の石高ランキング堂々の三位。

      ちなみに一位は加賀百万石でお馴染(なじ)み、前田家で、二位は

      薩摩藩島津家(さつまはんしまづけ)の約72万石。トップ3のみならず上位は

      ほとんど外様大名(とざまだいみょう)が占める。


おすすぎ:足を洗う事。


広瀬川(ひろせがわ):水源を奥羽山脈の関山峠付近に持ち、名取川と合流したのち

    仙台湾に注ぎ込むまでの全流路が、仙台市域内で完結する都市内

    河川。


紙入れ:財布の事。


二升(にしょう):約3,6リットル。


加持祈祷(かじきとう):具体的には、印契を結び、真言を唱え、心を集中して

     仏と繋がり、願いを届ける。


印形(いんぎょう):ハンコの事。


焼けぼっくいに火が付く:、一度途絶えた関係や縁が、再び繋がりやすい

             ことを表す言葉。特に男女関係において、

             別れた後でもまた元の関係に戻りやすい状況

             を指す。


若竹ではないから売りには出ない:その昔、昭和後期、寄席を作ろうと

                した落語家がいました。その方が作っ

                たのが若竹と言う寄席だったのであり

                ますが、立地の悪さと他の悪条件が

                重なり、数年で閉鎖されてしまう。


三町:一町は約109メートル。なのでだいたい300メートルちょい。


悪事千里を走る:悪い行いや悪い評判は、どれだけ隠そうとしてもすぐに

        世間に知れ渡ってしまうということを意味する。


定宿(じょうやど):いつも決まって泊まる宿屋。


飯田丹下:本作品では仙台藩お抱えの彫り師。かつて甚五郎に敗北してい

     る。どうも架空の人物のようである。


身から出た錆(さび):自分の行為の結果として、災いが起こることを表すこと

       わざ。自分のした行いによって、自分自身が苦しむという

       意味合いで使われる。


飛脚(ひきゃく):江戸時代に存在した速便の輸送手段であり、信書や貨物を速やかに

   運ぶために使用された。リレー形式で、馬を乗り継いだり、歩いた

   りして、手紙や荷物を目的地まで届けるサービス。




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